68.見えない影と故意
「それとも……僕が死ぬのが嫌だからなの?」
その言葉を聞いた瞬間、息が詰まった。
質問に答えようとして、上手く言葉が出ない。エリアスの死を具体的に想像して、思考がまとまらなくなった。
エリアスの青い目が、ただじっとイルヴァの挙動を見つめている。
その真剣な眼差しが、イルヴァをより焦らせた。
「エリアスに死んでほしくない。……これは間違いない」
一度、言葉をそこで切る。
そして、俯いた。
「でも……質問には答えられない。分からないの」
顔を上げられない。
エリアスの反応が怖い。
「……そんな顔しないで」
わずかな沈黙の後、優しい声が降ってきた。
それでも顔を上げられずにいると、エリアスがぽんと肩に手を置いた。
思わずそちらを見ると、穏やかに微笑むエリアスと目が合った。
「十分だよ。……少なくとも、今はね」
エリアスはそういうと、イクセルの方を見た。
イクセルは体を斜めにして、車の進行方向を見ている。
最初、ぼんやりとしていたイルヴァだったが、エリアスが不思議そうな顔でこちらを見たので、ようやく意図に気がついた。
慌てて防衛魔法の範囲を変えて、イクセルにも声が届くようにする。
「お待たせしました」
話しかけられたイクセルは、車のソファに真っ直ぐ座り直した。
「のんびり話していても良かったのに」
「……まだ、お話したいことがありますから」
「話したいこと?」
「魔物がどこから現れたか、についてです」
エリアスの言葉に、イクセルは笑みを消した。
「魔孔のこと?」
「いえ……。呼び出された魔物についてです」
「! それはつまり……召喚?」
イクセルが驚くのも無理はない。
魔孔からの出現はフェルディーン領では珍しくもないが、魔物をそのまま呼び出せる魔法は、イルヴァも初めて見たぐらいだ。
「はい。魔法式から生まれてくるところを視認しました」
「召喚者は?」
「それはイルヴァが」
名前を呼ばれて、意識を現実に引き戻した。
耳の端に捉えていた2人の会話を思い返して、返事をする。
「鑑定と探知で居場所を割り出して眠らせました。……ただ、その後現場を調べたら、誰もいなかったんです」
「鑑定で誰かは分かった?」
その問いには首を横に振った。
「距離がありすぎたので、魔法式を構築した魔法師だということだけしか割り出せませんでした」
「……手がかりはなし、か」
イクセルは足を組んで後ろにもたれかかった。
「イルヴァの探知を逃れるって……どういう状況だろう?」
「……イルヴァは魔力を元に探知してるんだよね?」
エリアスの質問にうなずいた。
「ということは、魔力を探知できないほど弱いか……魔封じ状態か」
エリアスの言葉を受けてイクセルが質問してきた。
「霧光の鹿の射程圏内だったとかは?」
問われてその時のことを思い返す。
「……おそらくないかと。南部に向かう前に、霧光の鹿がいないかは、かなり念入りに探しましたから」
「ということは、魔力が低いと考える方が自然か」
探知に引っかからないほどの微細な魔力。
もしそうなら、あの状況では、見落としたとしてもおかしくない。
「そうなると……普通の高位貴族の手口ではなさそうですね」
「……エリアスはどうしてそう思うの?」
「え? 護衛はほとんど魔法騎士だし、侍女だって魔法を使えるものを選ぶよね?」
確かにそうかもしれない。
フェルディーン家では戦えないものは役に立たないという領地の問題もあるが、他家でも確かにほとんど魔法が使えるものが付いている。
シュゲーテルは魔法軍事国家であり、魔法師が重要視されているからだ。
「誰の仕業にせよ、賢い手ですね。古樹森林帯に魔物が増えても不自然ではありませんから」
エリアスの言葉を聞きながら、ふと、イルヴァは戦いの中で考えていたことを思い出した。
「やっぱり魔孔も意図的よね……」
無意識に出た言葉だったが、2人が揃って息を呑んだ。
「? どうしてそんな顔を?」
「魔孔が意図的に? 魔法式なんてあった?」
「召喚なら、繋げられるわ」
車内に沈黙が訪れた。
今分かっていることは多くない。
ただ、あの魔物は意図してもたらされたということだ。
「……イルヴァは、誰に呼ばれてあの場に?」
イクセルの質問に記憶を手繰り寄せながら回答する。
「正確にはわかりませんが、私が研究員として参加すると不都合がと言われました」
「……でも、あの場に研究員いなかったよね? 本当は、他の日に訓練をやる予定だった?」
エリアスに言われて気づいた。
確かに、研究員が護衛される側として参加するような話だった気がしていたのに、あの場には魔法兵団の兵士しかいなかった。
「そういうエリアスは、どうして監督官に?」
「魔法兵団としては、通常の研修だよ。……だから、イルヴァは気をつけてね」
すっと隣にいるエリアスが真剣な眼差しでこちらを見た。
「狙われてるとしたら、イルヴァだと思う」
「それは……可能性としては、あるわね」
エリアスの推理は筋が通っている。あの場は魔法兵団の訓練で、研究員のイルヴァがイレギュラーな要素だ。
誰かがそれを推進したのだとすれば、イルヴァがいる場で大量の魔物が出たのは偶然ではないかもしれない。
ーーーでも、何かひっかかる……。
エリアスに握られたままの手を見つめながら、考える。
しかし、その場では答えは出ず、ただ彼の手の温かさだけが印象に残った。
*****
ユフィへ
学校を卒業してわずかの時間で、相談したいことがたくさんできました。
主にあなたが好きな恋の話よ。
空いている日を言付けて置くから、お茶でもしましょう。返事を待ってるわ。
イルヴァ
手紙を簡潔に書くと、唯一の親友、ユーフェミアに会える日がないか言付けを頼んでおいた。
今日も仕事なので通話する時間はなく、やむなく使用人に託す伝言と、手紙という形にしたのだ。
昨日の古樹森林帯での出来事は、王国軍としては仕事の範疇だ。
たとえ、王都でまずお目にかかることはないだろうと思っていた霧光の鹿の出現であろうと、特別休暇が出るようなものでもない。
イルヴァは、そういうわけで今日も今日とて仕事である。
出勤すると、所長のイングリッド・オーケルバリが優雅に紅茶を飲んでいた。
「おはよう、昨日は災難だったわね」
流れるように言われた後、イングリッドが立ち上がって真新しいローブを差し出した。
「おはようございます。ローブもありがとうございます」
おろしたてだった研究員の身元を証明するローブはボロボロになって、城の衣類修繕担当に預けた。
つまりこれは予備ということだろう。
「……昨日の話はどう伝わっていますか?」
ローブを受け取って羽織りながら尋ねた。
「霧光の鹿が出て、フェルディーン大尉が囮になり、古樹森林帯の南部戦線は維持された。よって、王都に魔物が流出することもなかった……と通達が来たわ」
意外だ。
情報統制もなくほとんど事実が広まっているとは。
「……私の名前も出ているのですか? それともイングリッド所長は私の上司だから聞かされたのでしょうか?」
「前者よ。おめでとう」
突然の祝辞とともに、彼女が口角をあげてニヤッとした。 嫌な予感しかしない。
「おめでとう……とは?」
恐る恐る尋ねると、イングリッドは、ニコニコと微笑んだまま言った。
「あなたは特別昇格で、少佐よ」
その場にしばしの沈黙が訪れた。
イルヴァは驚きすぎて何も言えなかったのだ。
イングリッドは沈黙の中、視線を逸らして紅茶を口に運び、深いため息をついた。
「気をつけた方がいいわ。なんか……きな臭い気がする」
彼女は頬杖をついて、自身の長い三つ編みを手で弄びはじめた。
「……昇格理由は、霧光の鹿を倒したことだけですか?」
「霧光の鹿を倒しただけって……はあ。まあ、それもあるし、指揮能力の評価もあるわ。誰も死んでないから」
誰も死なない可能性を模索したのは事実だ。
ただ、本当に全員が生還したのは、隊員たちの努力と、兄が古樹森林帯の南部で助力してくれたおかげもある。
イルヴァだけが表彰されるようなことではない。
「当然、体系魔法師としての評価もね。大技を使ったって聞いたわ。森全体に光と氷の矢が降り注いだとか?」
「……そういえば、そんなこともしましたね」
あの時は何も考えてなかったが、フェルディーン領での魔物討伐以外、使ってないような大技の魔法を使ってしまった。
「魔法兵団へのスカウトが増えると思うわ」
「そんな……」
「あなた、今まで体系魔法で本気出してなかったのね。魔物を蒸発させたあの時でさえ、本気じゃなかったことがしみじみと理解できたわ」
イルヴァが本気を出したら城が吹き飛んでしまう自覚はある。
それを正直に言うことも、かといって本気だったと嘘をつくこともできないので、曖昧に微笑むしかできない。
「まあいいわ。とにかく、昇格理由は思い切り戦闘能力の評価で、研究員が最年少で少佐……。魔法兵団からは、かなりの妬まれるわね」
妬まれることはこの際どうでもいいが、スカウトは面倒だ。
「研究員で少佐は、それなりにいるものでしょうか?」
「そうねぇ……今だと、あなたより上は3人ぐらいじゃない?」
「3人!? ……ちなみにイングリッド所長の階級って……?」
「大佐よ。あなたに追いつかれる日も近そうね」
イングリッドで大佐だとしたら、研究員の少佐は異例の昇進と考えていい。
やはりこのままにはできない。何かいい方法はないだろうか。研究員としてのイルヴァが有能だと示す何かが。
「あの……もう少し、研究員寄りの成果を噂で流せないでしょうか?」
「捏造? それともあの戦いで本当に成果が?」
「……魔封じ状態で魔法銃を撃つ方法です」
そうして、思いついたことを口にした。
イングリッドはポカンと口を開けたあと、数秒後に我に返って叫んだ。
「魔封じ状態で魔法銃を!? つまり、魔封じ状態を無効化できると?」
このイングリッドの興奮ぶりを見るに、望みはありそうだ。
今回の戦いで、魔封じ状態を攻略したいと思っていたので、仕事の研究テーマにするのにちょうど良さそうだ。
「無効化というより、魔封じ状態で魔法を使うことは可能という証明ですね。……ご覧になられますか?」
「それは見たいわ! ぜひ、実践して!」
「では、噂を広めることに協力いただけますか?」
たたみかけるように言うと、イングリッドは勢いよく立ち上がり、そして宣言した。
「もちろん! さあ、研究所の外に行くわよ!」
背の高い彼女は、バサリとローブを羽織り、元気よく言った。
「え? 実践するのでは?」
イルヴァの質問に、イングリッドはなぜか呆れた様子で人差し指を左右に振って見せた。
「研究所内でやっても仕方がないわ。噂は自然発生したものが最も強いの」
イングリッドの言わんとしていることは分かるが、それがどんな行動につながるか分からない。
「……つまり?」
「魔法兵団の訓練場を借りに行きましょう!」
相談相手を、間違えたかもしれない。




