67.根底にあるもの
イルヴァは古樹森林帯での戦いを終え、ようやく帰路についていた。
車に同乗しているのは婚約者であるエリアスと、兄であるイクセルだ。
エリアスの護衛であるアストにも後部座席の同乗をすすめたが、運転席の隣の助手席でよいと断られたので後ろの席は3人である。
「疲れた……」
体が重い。魔力は無尽蔵でも、体力は無尽蔵ではない。
疲れすぎて、フェルディーン家の最新型の車のソファにもたれかっても、休まっている感じがしなかった。
「お疲れ様。久しぶりに、そんなに疲れてるイルヴァを見た気がするよ」
車の向かいに座る兄イクセルが、穏やかに微笑んで言った。
「僕は初めて、死にそうになってるイルヴァを見ましたよ」
「……死にそうに?」
隣に座るエリアスの言葉で、イクセルの表情が一気に曇った。そして、すっと目を細めてイルヴァを見た。
さきほどまでのねぎらってくれる雰囲気が消えている。
「イルヴァは死にかけたの? どうして?」
「死にかけたというよりは……」
嘘にならないように伝えるために、頭をフル回転させていると、隣のエリアスがにっこり笑って言った。
「左腕を魔装狼に食いちぎられそうになった?」
隣でどんどんエリアスが状況を明らかにするせいで、イクセルの顔が険しくなっていく。
それに、良くみると、エリアスも微笑んでいるが目が笑ってない気がする。
もしかして、エリアスもまだ怒っているのだろうか。
「へえ? 再生できるからと思って、左腕を犠牲にしようと?」
兄にバレると言うことは両親にバレることと同義だ。無謀だと怒られるに違いない。
こう言う時に、嘘で切り抜ける手段を普通の人は使えるが、嘘をつけないイルヴァには無理な話である。
諦めておおよそのことを話すことにした。
「積極的に犠牲にしようとしたわけではないですよ。右腕よりは生存率が高いでしょう?」
「そもそも、そんな状態になるまで逃げなかったのはどうしてなのかな?」
「霧光の鹿と戦える人間がまともにいないのに、戦える人間が逃げられると思いますか? 私が逃げたら、何人が死ぬと?」
「イルヴァは全員の生還を見込んで、霧光の鹿の囮に?」
嫌な質問だ。
イルヴァを含んだ全員が生きて帰れると確信していたか、と言う意味ではノーである。
「全員の生還の可能性があるのは、この方法しかありませんでした」
「イルヴァの生存確率については度外視?」
死ぬつもりはなかったものの、自分の生存確率だけ考えたら、もっと別の立ち回りがあったことには違いない。
後ろめたさはあるものの、それでも顔をあげて、真正面に座る兄の顔を見た。
「全員を生かす方法があるのに、私がそれ以外の選択肢をとれると思いますか?」
イルヴァには出来ないのだ。目の前に救える命があるのに、見捨てることは。
沈黙の後、イクセルがため息をついた。
「……いいや。無理だろうね」
「それならーーー」
「ーーーでは、エリアス様を巻き込んでもいいと?」
「それは……」
言葉に詰まった。
巻き込むつもりはなかった。でも実際は巻き込む形になった。
結果としては、エリアスが死にそうになることはなかったものの、森の南部に戻るよりは危険度が上がったこと自体は違いない。
「彼女が巻き込もうとしたわけではありません。彼女の指示に反して助けに行ったのは僕の意思ですから」
隣にいたエリアスが、そっと口を開いた。
イクセルは少しだけ表情を緩めて、首をふる。
「エリアス様には感謝しています。……また、イルヴァがエリアス様を意図的に巻き込んだはずがないことも、兄として理解しています」
イクセルは静かにイルヴァを見つめた。
それは、エリアスに言わないのか、という問いかけのようにも思えた。
「それなら、巻き込んだこと自体は叱らないであげてください。僕は、むしろ巻き込んで欲しいんです。今回のように1人で無茶をしてほしくない」
その優しさの理由を理解した今、エリアスの心配を素直に受け止めることができた。
そして、エリアスの心配を受け止めるのであれば、やるべきことがある。
彼には知っておいてもらうべきだ。イルヴァの無茶の根源を。そして、それでもなお、彼はイルヴァを救う価値があると思うのか考えてほしい。
「イルヴァ」
「分かっています。話しますから」
兄妹のやりとりにエリアスは首を傾げた。
そしてそっと、左手をイルヴァの右手に重ねてきた。
隣に座るエリアスの体温が重なる手から伝わってくる。
「どうしたの? 僕に話したいことが?」
「リズベナーで、私の子どもの頃の話をしたでしょう?」
エリアスが数度瞬きした後、思い出したとばかりに頷いて微笑んだ。
「あ、ライスト嬢と出会ったばかりの無邪気なイルヴァのこと? ちょっと想像できないけど」
「当時の私は無邪気だった。人を疑うこともなく、今よりももっとずっと社交的だった。11歳まではね」
ここで言葉を切る。
エリアスは、茶化すこともなくただ静かに耳を傾けている。
「11歳のある日、乗っていた馬車が襲撃にあったの。当時はまだ車は普及していなかったから、今よりも数段脆くて、馬車はぼろぼろで横転した」
淡々と話しているつもりだった。それでも普段より、数段早口になっている。
気づいていても、止められなかった。
「外での戦いに気づいてはいたけれど、私は怖くて外に出ていけなかったわ。……車の中で、同乗していた侍女の怪我を直すのが私にできる精一杯だった」
イルヴァの光魔法は、実は契約前からさして技術は変わっていない。おそらく、契約時の感情が、人を助けることよりも、強さを欲していたからだ。
「エリアスにとっては意外かもしれないけれど、私はもともと、光魔法での治癒が最も得意だったの」
イルヴァの人生の中で最も無力で、最も死に近い瞬間だった。
あの時の恐怖と絶望感を超える出来事は、未だにない。
「襲撃の間、侍女のシシーが私を抱きかかえていた。しばらくして、外の剣戟と悲鳴がほとんど収まった時……扉が……開いたの」
声の震えが止まらない。
悲しみか、怒りか。いつだってあの時のことを話すのは感情がぐちゃぐちゃになる。
詳細を話そうとすれば話そうとするほど、ありありとあの日のことがまぶたの裏に浮かんでくる。
「……辛いなら、話さなくてもいいんだよ」
心配そうな表情のエリアスが、体ごとこちらを向いて、そっとイルヴァの頰に右手の甲の方で触れる。
それが涙を拭う動作だと気づいて、ようやく自分が泣いていることを自覚した。
涙が落ちて行くなかで、次の言葉を言おうとして、自分の中にひっかかりがあることに気がついた。護衛騎士の話はもうジルベスターとクルトにもしたというのに、どうしてエリアスの前だとうまく言葉にできないのだろう。
そして、ふいに気づいた。
ーーーそうか、私は後ろめたいんだわ。あの男は、私の憧れでもあったから。だからエリアスに話しづらかったのね。
車が揺れたのか、エリアスの体が少し跳ねた気がした。
イルヴァは自分でも涙を拭うと、話を続けた。
「当時の護衛騎士の男が、扉を開けた」
助けに来た。そう思った。
「彼の剣は血に染まっていたけれど、私は助けにきてくれたのだと疑わなかった。……彼がシシーを斬るまではね」
血に染まったシシーの重みが、自分にのしかかった。受け止めきれずに彼女の体は横転した馬車のドアに投げ出された。
その後のことは実は自分でも記憶が曖昧だ。
ただ、どうしようもないほどの怒りがこみ上げたことだけは覚えている。
「そこでようやく目が覚めて、隅で震えていても仕方がないと悟った。だから私は、明確な殺意を持って、当時の最大火力の風魔法を放ったの」
精霊と契約直後、加減もわからぬその膨大な魔力をぶつけた。
生かして尋問しようなどと考えもしなかった。
「それが、初めて人を殺した瞬間よ。裏切った護衛の男はもうあとかたもなく切り刻まれていた。……血だまりに沈むその死体を放置して、そのまま外にでたの。馬車の周りにいた生きていた人間は、すべて殺したわ。……もう、シシー以外の味方は誰も生きてなかったから」
「……その歳から、今みたいな魔法を?」
イルヴァは小さく息を吐いて、盗聴よけの防衛魔法を張った。ここから先の話をアストに聞かせないためだ。
エリアスは魔法に気づいた様子で、少し驚いた様子だった。
「いいえ。当時の私には、そんな力はなかったわ。でも、私の絶望かはたまた怒りか、何かの強い感情が、精霊を呼び寄せたの」
エリアスが息を呑んだ。
「精霊……!? まさか、契約を?」
「対価は教えられないんだけれど、私は精霊と契約したわ。その精霊との契約のおかげで、私はほぼ無尽蔵の魔力を手に入れて、その場を制圧できた」
家族はいつでも精霊との契約を反故にしていいと言った。
でも、イルヴァにはできなかった。この力は、ただ守られて震えていた自分と、決別できた証だから。
「私はあの日に決めたの。守るべきものを守るために手段を厭わないと。……今日だってそう。全員の命が助かる可能性がある中で、自分だけ逃げることはできなかった。それは決して、今日いた隊員たちの為ではないのよ。ただただ、私のためなの。私を裏切ったあの男以上に、最初から戦えなかった自分自身が、1番許せないから」
イルヴァはエリアスがどんな表情をしているのか、みることができなかった。
視線をあげられないまま、独り言のように続けた。
「だから、私は今日のあの場で何度でも同じ選択をするわ。エリアスは……そんな私を助けたいと思うの? 全体最適のために、かけなくても良い命をかけるかもしれない私を?」
車内に沈黙が落ちた。
ーーー突然、こんなことを聞かれても困るわよね。助けないなんて言えるはずないのに。撤回しーー
「ーー助けるよ。僕はイルヴァを助けたいから。イルヴァが譲れないのと同じぐらい、僕も譲ることはない」
思わず顔を上げると、エリアスの青い目がまっすぐこちらをみていた。
その真剣な眼差しに籠るその想いを、もう無視することはできない。
「どうして……エリアスは、私のことを好きなの? 身勝手にもあなたを巻き込んで危険に晒すかもしれないのに」
「「え?」」
エリアスとイクセルが同時に驚きの声を上げた。
今まで会話に入ってこなかったイクセルまで声を上げたので、イルヴァはその反応に驚いてそちらを見た。
目があったイクセルは、咳払いした後、続けて、と視線を逸らす。
そしてボソリと何かを呟いた。
「……進展があったなら、まあ、悪くはないか」
「お兄様?」
「独り言。気にしないで」
イクセルはそういうと、エリアスの方に視線を向けた。
「えーっと、僕も防衛魔法の外にいましょうか?」
「い、いえ! そのままで問題ありません」
「聞いた僕がよくなかったですね。僕も馬に蹴られたくないので、退散します。イルヴァ、僕も防衛魔法の範囲から弾いて」
「? わかりました」
イクセルに言われるがまま、防衛魔法の範囲を変更した。
エリアスはやや顔が赤い気がするがどうしたのだろうか。
じっと見つめていると、エリアスはその視線に気づき、深呼吸をした後に話し始めた。
「僕がイルヴァを好きになったきっかけは明確だけど、理由は曖昧だよ。イルヴァの率直なところも、魔法があれば敵無しな強さも、理由の一つではあるけれど、全てではない。だから、好きな理由を綺麗には説明できない。だって、イルヴァもライスト嬢と親友な理由を説明できる?」
確かに、そう問われると難しいかもしれない。
人間関係で誰かに好意を抱くのは、恋愛であれ友愛であれ、明確に言語化できるものだけではない。
「確かに……難しいわね」
そうだよね、とエリアスは微笑んだ。そして、すっと真剣な表情になった。
「ただ一つ言えるのは、僕はもう、君を守るって決めたから、イルヴァがどんな判断をしても、ただ、隣に立つと思う。全てに賛同はできないけれど、かと言って放置もできない。身勝手なのはお互い様だから、イルヴァは気にしなくていいよ」
「私はあなただけを助ける選択肢を取れないかもしれないのに?」
婚約者なのだから、エリアスの身の安全を優先するほうが、人間として自然な感情ではないだろうか。
でも、イルヴァはその選択を取れるか自信がない。
今回のように、自分自身を危険に晒すことで、結果的にエリアスを危険に晒してしまうかもしれない。
「全員を助けようとすることが悪いわけじゃない。結果的に僕自身の身の危険度が上がったとしても、それを解決するのは自分の問題だから。イルヴァが故意に裏切ったわけではないのなら、恨んだりしないよ」
エリアスに助けに来て欲しくない。自分の信念に巻き込みたくない。
ーーー私の選択の理由を知って、助ける価値がないと思ってくれれば良かったのに。
自分の選択でエリアスが怪我をしたら、どうすればいいだろうか。今回だって、大怪我をしてもおかしくない場面がたくさんあった。
極限の状態で、エリアスの危険についてまで気が回っていなかった。
「エリアスは、私を助けないという選択はないの? どうしても?」
「ないね。だから、イルヴァが危険になったら、僕だって危険になるかも。……それを、イルヴァは嫌だと思ってる?」
「もちろん嫌よ」
エリアスは、悩んだ後、イルヴァの手を握り直した。そして、問いかけた。
「それは、目の前で人が死ぬのが嫌だから?」
その問いを、反射的に肯定しようとした時だった。
エリアスはささやくように続けた。
「それとも……僕が死ぬのが嫌だからなの?」




