人狼という生き物②
兄は今、芽衣を連れ去ったであろう男が人狼だと言ったのか?つまり、人間ではないと?
そんな予想外の事実に対して二の句を継げずにいれば「へえ」と、興味深そうな相槌が耳を打ったことで我に返った。
「人狼、久しぶりに聞いたなァ」
「……叔父さんは、人狼に会ったことがあるのか?」
「そりゃあもちろん。長い間放蕩していると、それはいろんな種族と出会うものだ」
置かれた湯呑みを手に取り、叔父は緩い所作で中身を喉に流し込む。「俺は初めて会ったけど、あんなに面白いんだ」と珍しく兄までもが前のめりな感情を滲ませているところを見るに、どうやら人狼とは興味深い生き物らしい。
対する海斗は既に会ったことのある種に関する話に、あまり興味を示さないようだ。
しかしそんな事実を今の今まで伏せていたのは、実に兄らしいと思った。
そもそも、今日自身が父を訪ねた理由。それは『昨日芽衣ちゃんと会ったんだけどね、連れてかれちゃった』とあっけらかんと述べた兄に半は引き摺られて来たためである。わざわざ父に助言を求めた時点で、普通ではないと察するべきだっただろう。
それにしても一緒に行動していた男の話を些細なことだと思ったのか、はたまたあえて隠したのか。
この際どちらでも良いが、兄の言う『面白い』とは一体どういう意味だろう。
「狼は群れを成して生活する、っていうのは聞いたことがあるなあ。俺が会ったのは一人だったけど、人狼は群れでも作るの?」
「ん、ああ。人狼も所詮狼だ。大人になったとはいえ、単独行動はまず無いだろうな」
「一匹狼ってやつ?僕が昔会った人狼も一人だって言ってたから、珍しいのかもね」
聞けば、どうやら芽衣と共にいる人狼は一人で行動していたらしく、本来ならば同じ群れの狼が最低でも一人はついて回るらしい。しかし昨日の電話の際例の男以外の声が全く聞こえなかったあたり、おそらく単独で行動する『変わり者』に、彼女は目をつけられてしまったようだ。
全く面倒ごとに巻き込まれるのが上手だと感心さえ覚えるが、やはり胸中を支配するのは全く面白くない感情。
人外を無意識に引き寄せるなど、本当に芽衣はどうなっているのだろうか。
「俺らと違って奴らは群れを成して、子孫の数も多い。ずっと一人行動なら異端児ってやつだな。どこかの誰かさんと同じで」
緩く眉を下げながら緑と青の双眸がこちらを見やる。その表情の言わんとすることを嫌でも察してしまい、次の瞬間には大きなため息が意図せず漏れた。
「……俺と同じか。気に食わねえな」
ぎりりと無意識に奥歯を噛む。その様子を面白がったように「おお怖い。昔のマサそっくりだ」と、揶揄うような叔父の声が耳を掠めた。
しかしその言葉が頭に入る間もなく思い出されたのは、学校で吸血を拒んだ芽衣の姿。そして彼女に分からせようと、あえて告白現場を見せつけた自身の選択。
あれから何かと避けられていたのは自覚している。ならば自身にも、この出来事の発端はあるということだろうか?
「翔、反省しなよ」
不意に耳朶を打った兄の声。それに追随するように「そうだよ」と、弟の声までもが自身を責め立てた。
しかし、冷静になった今であればその非難も仕方がないことだと解っている。結果論にはなるが、金曜日に芽衣と共に帰路に着いていたなら、彼女も自身もこんな面倒事に巻き込まれずに済んだのだから。
そんな胸中を知ってか知らずか、再度茶を喉に流し込んだ叔父は思い出したようにゆるりと口を開いた。
「ああそれに、俺らはヒトの姿を借りた化け物だが、奴らはヒトに近い生き物。長くて120年を生きられるかどうかだな」
「あれ、おかしいな」
途端、それまで笑みを浮かべていた兄の表情が僅かに曇る。さあっと木々を揺らす風の音が鮮明に届く中、次に口にした言葉で叔父の色違いの双眸が大きく見開かれた。
「シュウくん……俺が会った人狼は多分翔より年上だと思うんだけど」
「300を超えてるってのか?そりゃあ化け物だな。しかしそんな個体、俺は見たことがないなァ」
先ほどまでの構図から一転、今度は兄の話に叔父が食いつく。そうして自身がまだ見ぬ人狼について話に花を咲かせる二人を横目に、翔は緑が一面に広がる縁側を見つめて「はあ……」とため息を一つ溢した。
そのため。
その横で海斗が静かに目を見開いていたことに気づいた者は、誰もいなかったのだった。
***
そうして迎えた月曜日。雲がまばらな空の下、待ちに待ったシュウからの解放の日。
しかし何の条件もなく解放してもらえるほど、どうやら世の中は甘くないらしい。
「いいな、芽衣。明日から、学校の終わりは俺と過ごすんだ。忘れるな」
「っ、けど」
「心配事はお前の男か?確かにアレは嫉妬深そうだが、まあなんとかなるだろう」
耳元で囁かれた、低い声に乗せられたその言葉。
途端「え」と思考が動きを止める。何故、まるで翔を知っているかのように発言することが出来たのだろう。
(会ったこと、ないよね……?)
そんな疑問が頭の中を埋め尽くしたものの「ほら、タクシーが着いた」と、いつの間にか手配されていたそれが玄関前に停車したのが窓越しに見えた。そのまま外に出され車内に押し込まれたかと思えば、彼は制服の入った紙袋を投げて寄越し、続けて手慣れた動きで自身に何かを握らせた。
それを確認するべく手を広げれば、次の瞬間には「え!?」と思わず素っ頓狂な声が上がった。
「万札一枚で足りるだろう。釣りはお前にあげよう」
「っ、流石にこんな多いのは……」
「……お人好しすぎる。なら明日返せ。それで良いだろう?」
それだけ告げると「またな」と、ドアが閉まる前にシュウはこちらへ背を向ける。まんまと言いくるめられてしまったような、でも、解放は素直に嬉しいような。
そんな怒涛の3日間の疲れが今更ながらに身体を襲う中、芽衣はなんとか住所を伝えてシュウの家を後にしたのだった。
「ただいまー」
家に着くなり反射的に言葉が飛び出る。「おかえりー」とリビングから顔を出した母だったが、おそらく自身はよほど疲れた顔をしていたのだろう。
そのまま特に何も追及されることなく、ふらふらとした足取りで2階の自室へと足を進める。
(ついた……久しぶりの部屋すぎる)
そうして自室のドアをくぐり、掛け布団の上からベッドへと傾れ込んだ。途端身体中の力が抜けていくのを如実に感じながら、芽衣はしばしの間天井をぼうっと眺める時間に浸る。
(あ、そうだ。翔からなんか来てないかな)
ふと、脳裏を過ったのはそんな疑問。そこに混ざる期待から目を逸らすように、あくまで確認のためだと自分に言い聞かせながら芽衣はポケットから携帯を取り出した。
そうして、ずっと没収されていたために久しぶりに思える重さを感じながらメッセージアプリを開き、何もないことに落胆を覚えながら電話履歴を開いた時。
「っ、え、あれ」
次に目に映った着信履歴。瞬時に違和感を覚え、理解が及んだ途端思わずギョッとした。
そこには何度か不在着信を表す赤文字が並んでおり、その相手はもちろん翔。しかし一件だけ黒文字、つまり通話したことを示す履歴が残っていたのだ。そこには通話時間もきちんと記録されており、一瞬で切ったわけではないようで。
しかしシュウの家に連れてこられてから、自身の携帯は彼の手に渡っていた。なら、これが指す事実はただ一つ。
──翔とシュウが、電話で言葉を交わした……?
(え、うそでしょ)
途端さあっと指先が冷えるのが分かった。携帯の画面を触るその感触までもが一気に鈍る中、脳裏に蘇るのは翔の発言。
『お前が他の男と話しているだけで殺したくなる』
あまりにも重いその言葉。そのため全く現実味を帯びないまま受け流していたそれが、ここに来て肩にのしかかってくるような気がした。
明日、一体どんな顔で彼と会えばいいのだろう。
(いや、でもさ)
金曜、彼は後輩からの告白現場をわざと自身に見せつけたのだ。自身に諦めでも覚えさせるかのように、わざわざ呼び出してまで。
それでもなお、彼は今まで通りの関係を続けてくれるのだろうか?
「……はあ」
ふと見上げた窓から見える、青空を覆い隠そうと風に流れる鈍色の雲。今にも雨が降り出しそうなこの天気はおそらく明日も続くのだろうと、芽衣は沈んだ気分のままぼんやりと天井を眺め続けていたのだった。




