仲直り…?
(これが終われば昼休み……いい加減向き合わないと)
9月18日の火曜日。昨日から空を覆っていた曇天がポツリポツリと地面を濡らす、4時間目の授業のこと。
「合同体育とか久しぶりじゃん、しかも4組と一緒とか珍しー」
「いっつも1組とばっかりだったから、気分転換じゃね?」
あいにくの空模様のため、この日は体育館での合同体育。そんな時の体育は時々であるが、2つある体育館の中でバスケ、バドミントンを中心に各々で好きな競技を行う時間へと様変わりするのだ。
そんな休み時間同然の授業というだけでも生徒のウケは最高に良いが、芽衣たちのクラスである2組が普段組むことのない4組と合同という点もまた、いつもと違う刺激となって生徒たちのテンションを高める。
「俺バスケ〜。翔も来いよ、お前がいれば4組負かせる」
「言ってろ、こっちは高身長の精鋭部隊だぞ」
「はっ、恐るるに足らず!」
(っ……)
ふと、賑わいの中から聞こえた翔の名前。それにどきりとした重さを左胸に感じたまま、気付けば視線は無意識に見慣れた背中へと吸い寄せられた。しかし今朝から避け続けたそれをまともに直視することなど、胸に重しを抱えた芽衣に出来るはずもなく。
──金曜日、初めて彼を真正面から拒絶したのだ。
そして自身の意思とは無関係とはいえ、彼ではない男性と丸2日を過ごした。そんな後ろめたさが背中にずしりとのしかかり、彼に愛想を尽かされてはいないだろうかという不安が顔を覗かせる。
(って、いやいや。尽かされててもおかしくないって)
もしかしたら、翔は既に告白をした後輩の元に行ってしまったかもしれない。自身はあの告白現場の顛末を知らず、仮に断っていたとしてもこの週末で気が変わってしまった可能性だってゼロではないのだから。
そんな憶測を並べていれば「うっ」と、途端胃の中の物が込み上げてくる不快感に襲われた。それをなんとか沈め、芽衣は口に広がる苦さを強引に無視して体育館の中央へと小走りで足を進めたのだった。
「芽衣〜、バドやろーよ」
各々が競技を選ぶ中で耳に届いた紗季の声。お決まりのそれに対し「わかった〜」と、これまたいつもの返事が溢れ落ちる。
そうしてネットを組み立て緩いラリーを繰り返す、までは良かったのだが……。
「……紗季、満足に動けてないよね」
「んー?そんなことないよ」
「あるでしょ」
次第に込み上げてきた、どこか歯痒くやるせない感情。
帰宅部である自身に合わせて、彼女は運動部で培った反射神経を大分抑えているのだ。同じレベルの相手なら思いっきりプレーも出来るだろうに、それを制御させているという事実が果てしなく申し訳ない。
(手加減ってストレス溜まるんじゃ……)
そんな懸念から、ついつい羽根を取り逃がすことが増えてしまった頃。
「紗季!ちょっとバスケの助っ人お願い!!」
「えー、うちらバドやってんだけどー?」
タイミングよく同級生の声がかかる。ラケットで素振りをしながらチラリとこちらを見やった紗季に対し「大丈夫。行ってきて」と声を掛ければ「んー……すぐ戻るから!」との言葉を残して彼女はもう1つの体育館へと走っていった。
(運動できるってやっぱりすごいなあ。引っ張りだこだ)
感心しつつ相手がいなくなったコートを持て余し、ところでバドミントンの羽根で壁打ちは出来るのか?と浮かんだ疑問のままにコートを後にしようとした時。
「あ、芽衣さん。1人なら、相手になってくれない?」
「お、信くん。ぜひぜひ」
声をかけてきたのは自身よりも色素が薄いベージュに近い茶髪と、同じく色の薄い灰色の瞳を前髪の隙間から覗かせる4組の信。実は入学時に一緒に地毛証明書を提出しに行ったことがきっかけで、顔を合わせれば言葉を交わすくらいまでに至った仲である。
「信くんもバドミントンなんだね。さっきまで相手いなかった?」
「俺の相手もバスケに連れてかれたよ。1対1ならいいけど、大勢は足引っ張るから好きじゃない」
「あはは、分かるかも」
自然とコートの向こう側に立った彼と談笑を交わしながら、しばしの間ラリーに興じる。おそらくお互い帰宅部だからだろうか、緩いお遊びのようなそれはポン、ポンと長い間を作りながら心地の良い空気を作っていた。
(こんな感じの授業だったら何時間でも受けれるんだけどな〜)
そうして「楽しいね〜」と間延びした声が口から溢れ落ちた、その瞬間。
「──ぐっ……!?」
突如後ろから襟元を引っ張られバランスを崩した。首に食い込んだ前襟の苦しさに顔を歪めながら、反射的に顔を上げた時。
(え、あ)
次に映った、こちらを見下ろす男の顔。
それはまるで温度を感じられない漆黒の瞳でこちらを捕えた、久しぶりにも思える翔の不機嫌な表情だった。
「来い」
「うっ、」
問答無用で引っ張られたことにより首への圧迫感が増す。ワイワイと賑わう周りが異質な自身らの空気に気が付くはずもなく、唯一信だけがあたふたとこちらへ近付いてきてくれた。
しかし翔はそれを一瞥すると、襟から手を離して素早く自身の二の腕を掴む。まるで逃がさないとばかりの力に引き摺られるまま広い背中を追えば、辿り着いたのは夜と錯覚しそうな暗さに支配される体育会トイレの前。
そうして不意に、二の腕が軽くなり──
──ドンッ。
「っ!!」
いつかの再現のように壁に押し付けられ、肩に食い込んだ指が身体の自由を奪う。弾かれたように顔を上げた先、光源がないはずの閉塞された空間で、翔の無表情だけははっきりと目視出来てしまった。
それはいつもの無機質ではなく、明らかに怒りを孕んでいるモノで。
「俺を拒んでおいて、まだ俺以外と話すのか?」
「っ……」
おそらく、信との会話のことを言っている。
そう直感したものの、目の前の彼のせいでまともに思考を巡らせることが叶わない。
「……あの男は誰だ」
「っ、誰の、こと」
「週末お前と一緒にいた、狼野郎のことだ」
(え)
瞬間浮かんだシュウの顔。しかし何故、彼が『人狼』だと知っているのだろう?
そんな疑問が過ったが、それを深く考えられるほどの余裕など持ち合わせてはいない。
誰か、という質問にどう答えたところで、この状況で怒りを買うことは目に見えているのだから。
(どうすれば……)
鋭い眼光に射竦められ、蛇に睨まれた蛙のように動くことが出来ない。そうして言い淀んだ自身の姿をどう捉えたのかは分からないが一歩、距離を詰めた彼の右足が両足の間に入り込んだことによりいよいよ身動きが取れなくなってしまった。
「……前に言ったはずだ、お前が他の男と話しているだけで殺したくなると」
瞬間湿った空気がピリッと一層張り詰めた。重苦しい空気が鋭さを帯びて肌を刺す中、呼吸が今までよりも一段と浅くなる。
しかし同時に胸の辺りに渦巻いた黒い感情。それを堰き止める間もなく、気付けば自身の口は思考よりも先に言葉を溢し始めた。
「……、だって」
「聞こえない」
「っ、翔だって告白されてたじゃんっ!しかも呼び出して、わざと見せつけて」
あれは良いのか、そう言い募ったが「……違う」と、今度は彼が気まずそうに目線を斜め下に落とした。
どこか後ろめたさを感じているその様子はやはり、あの告白が彼の中で引っかかっているのだろうと勘繰るには十分すぎる要素で。
(あの時、目逸らしたじゃん……)
告白されているところを黙って見ていろと、それが答えではないのか。自身は好きでシュウに着いて行ったわけでもないのに、あの現場を見せつけた彼にここまで感情をぶつけられる謂れはない。
この状況で咎められるべきは、果たして自身なのだろうか?
「別に付き合ってるわけでもないし、あの子のところに行っても文句は言わないよ。翔だって、吸血鬼の正体を暴けた私に興味持ってるだけだと思うし」
──だからきっと、彼は玩具を取られるのが嫌なだけだよ。
(……あ)
はたと我に返り、自身が今何を言ってしまったのかを察して血の気が引く。
思ってもいないことまで言葉にしてしまっていただけでなく、全く自身には可愛げというものがない。
しかし仮に翔に彼女が出来たとして、自身は彼を諦められるだろうか。
おそらく、無理に違いない。
しかし最早後の祭りであり、滑ってしまった口に対し勝手に自己嫌悪に陥っていた時。
不意にギラリと、目の前の漆黒が底なしの鋭さを増す。
そうして、刹那。
「──黙れ」
「っ、!んぅ、む」
気付けばすぐそこに迫った漆黒の双眸。唇に触れた温かな感触と顎を掴む指先の重さに理解が及ぶ間もなく、気付けば後頭部に回った手により完全に逃げ場を奪われてしまったのだった。




