罠に落ちた 猿と麒麟 蒲生氏郷 第九章
第九章:名護屋の陣(砂上の楼閣)
肥前、名護屋城。
朝鮮出兵の巨大な拠点に集結した諸将の喧騒の中で、氏郷の強靭な肉体は、確実に内側から蝕まれていた。
そこへ追い打ちをかけるように、三成の「事務的な絞殺」がその牙を剥く。
会津から届くはずの補給路を、書類上の不備という名目で意図的に滞らせ、氏郷の陣だけが飢え、異国の風に凍えるように仕向けられたのである。
「三成……。算盤の駒を動かして人を殺すのが、貴様の正義か」
「蒲生殿。これは単なる資材の優先順位の問題。現場の熱量など、文官の私には預かり知らぬことでございます」
三成の冷徹な言葉には、一切の揺らぎがない。
一方、主君・秀吉は、大陸進出という壮大な狂気と老いの中に沈み、かつて愛したはずの「麒麟」の忠節さえ忘れたかのように、現場を無視した無理な軍令を出し続けていた。
氏郷は、名護屋の荒れる海を見つめながら、ふと、信忠と笑い合ったあの初陣の霧を思い出していた。
(信忠殿、まもなくそちらへ参ります。だが……まだ俺には、家康に手渡さねばならぬ『鍵』がある)
崩れゆく砂上の楼閣の中で、氏郷だけが次代を見据えていた。
己の命の灯火が消える前に、この乱世を終わらせるための最後の大勝負。
その「鍵」とは一体何なのか。海鳴りの音だけが、彼の問いに応えていた。




