罠に落ちた 猿と麒麟 蒲生氏郷 第十章
第十章:麒麟の落日(安土の夢、四十歳の遺言)
文禄四年、二月。京。
四十歳という若さで、麒麟はその峻烈な生涯を閉じようとしていた。
死の床に伏す氏郷のもとへ、最期の見舞いに訪れたのは、徳川家康であった。かつて算盤の音で彼を追い詰めた石田三成は、「病が移る」と冷淡に称し、ついにその姿を見せることはなかった。
「……家康殿。お主の薬箱、ついに役には立ちませんでしたな」
弱り切った声ながら、氏郷の口元には微かな不敵な笑みが浮かんでいた。
「氏郷殿。貴殿のような男を失うのは、日本の真なる損失だ」
家康は、その時ばかりは政治的な駆け引きを忘れ、初めて偽らざる敬意をその双眸に宿していた。
氏郷は、最期の力を振り絞り、枕元に寄った家康の耳元で静かに囁いた。
「会津を……あの町を、お主に託す。……俺が心血を注いで築いたあの要塞を、真に使いこなせるのは、お主か、さもなくば……」
言葉の先を飲み込むようにして、氏郷は静かに瞼を閉じた。
その枕元には、かつて信忠と熱く酌み交わした古びた酒杯と、遠き日野の雪の匂いが、幻のように漂っていた。
享年四十。
あまりに早すぎる麒麟の死は、三成が弾いていた緻密な算盤を根本から狂わせ、そして、家康の長きにわたる「待ち」の時間に終わりを告げる、時代の合図となったのである。




