サインバルタ
あれから師走は、よく学校を休むようになった。ひとたび学校に来たと思いきや、彼は大体午前中に早退してしまう。その上、彼の身なりは明らかに劣化していた。直されていない寝ぐせ、処理されていない無精ひげ、そしてお世辞にも無臭とは言えない体臭――それらは、今の師走の精神状態を如実に表していた。不眠に悩まされている彼は、暇さえあればエナジードリンクばかり飲んでいる。無論、これは授業に集中するための悪あがきだが、その結果が更なる不眠を招いているという悪循環である。絵里は依然として彼を心配していたが、成す術などない。何故なら、師走自身が復讐代行を望まないからだ。
放課後――由依は屋上にて、潤也と会話を交わす。
「師走、そろそろ壊れてきたね」
「これでお互い、やりたいことをやりやすくなってきたな」
これは「南岬原高二大巨悪」の雑談だ。そこに第三者が介入できる余地はない。常人がこの場に居合わせていたら、その圧倒的な露悪に胸焼けすることであろう。
「あーあ、学校にポップコーンとコーラを持ち込めたら最高だったんだけどなぁ。あんたもそう思うでしょ?」
そう訊ねた由依は、邪悪な笑みを浮かべていた。この言葉は、紛れもなく彼女自身の本心である。一方で、潤也もまた邪悪だ。
「同感だ。しかし、今なら宏太の趣味も理解できそうだ。アイツがこれからどう転落していくのか、観察しがいがある」
こともあろうに、彼は眼前の女王の言い分に共感を示した。そればかりか、彼は宏太に対する理解も得ている。由依はクスクスと笑い、ハスキーボイスで囁く。
「校内に生じる全ての悪意が、たった一人のいい子ちゃんに向けられている。最高のシナリオだよね」
それに対し、潤也はこう切り返す。
「ククク……早く俺を頼れば楽になるものを」
両者ともに、邪悪を極めた人物だ。その二人の利害が一致している状況は、師走にとっては地獄に他ならなかった。
同じ頃、師走は心療内科を訪ねていた。無機質な密室の中で、主治医はコンピューターのモニターと向かい合っている。
「どのような症状ですか?」
「え、えっと……先ず、学校に行こうとすると目眩がします。最近はシャワーを浴びるのも億劫で、もう六日も体を洗っていません」
六日間――それはシャワーを浴びない期間としては、常軌を逸したものである。
「他に、何か症状はありますか?」
「夜、寝れないんです。でも、昼間起きるためにはエナジードリンクが必要で、それでも胸焼けして戻しまうんです」
「なるほど、なるほど」
主治医の対応は事務的だ。数多の患者と話している都合上、彼は師走だけを特別視することができないのだろう。師走は更に説明を加えていく。
「最近、何をしても楽しいと感じなくなりました。ゲームも、漫画も、そそられないというか……学校に行かない日は一日中横になって、それでも寝れないからただ目だけ瞑って……そんな毎日を送っています」
「希死念慮はありますか?」
「はい。いくら楽しいことを考えようとしても、じ……自分を、殺すことばかり……妄想してしまうんです」
度重なるいじめの被害により、彼は完全に滅入っていた。主治医は少し考え、それから彼に告げる。
「三ヶ月、学校を休んでください。診断書も作成しておきます。後、サインバルタという薬も処方しておきましょう。これは毎朝、朝食後に飲むお薬になります。とりあえず、一日一錠で様子を見てみましょう」
ついに、師走はドクターストップを突きつけられた。
「は、はい……」
「他に、話すことはありますか?」
「いえ、と……特には。あ、ありがとうございました」
一先ず、今回の診療はこれで終わりだ。師走は軽く会釈し、ゆっくりと扉を開く。休学が救済なのか、あるいは破滅の象徴なのか――それは定かではなかった。




