第22話 苦手なもの
「コイツがいるの忘れてた……」
チィコは机の上、お盆に乗ったおかずを睨みつけながら、小さくため息をついた。
そこにあったのは、緑色をした豆。
薬草に似た青臭い風味のあるそれは、グリンピースだった。
ビーフシチューは好きだ。
中に入っている野菜も甘くて美味しい。
けれど――上にちょこんと乗っている、このグリンピースだけは、どうしても食べられなかった。
(……やっぱ無理だ。ちょっとくらいなら、残してもいいよね)
周囲の様子をちらりと確認してから、チィコはそっとスプーンでそれをすくい、空になった別の器へ移そうとする。
――その時だった。
「あー! またグリンピース残してる! 好き嫌いしてたら大きくなれないよ?」
(……また、穂乃花ちゃんだ)
ぴたりと手が止まる。
他にも残している子はいるのに、なぜか注意されるのはいつも自分ばかりだ。
正直、少し鬱陶しい。
嫌いなものは嫌いだし、食べたくない。
それで困るなら、それは自分が弱いだけの話だ。
(……そうだよね。別に間違ってないよね)
そう思った瞬間、胸の中にあったもやもやが一気に膨らんだ。
(……もういいや。言ってやる)
チィコは顔を上げた。
「うるさい! ボクはボクの好きなように生きるの! 自分の正義から外れるからって、ごちゃごちゃ言わないでくれる?」
一度口にしたからだろう、言葉は止まらなかった。
「それにさ、トールのこと“お兄様”とか呼んでるのも意味わかんないし」
「私……私はっ」
チィコは言い返してくると思っていた。
いつものように、むっとして、何かを言い返してくるのだと。
けれど――違った。
穂乃花の、その目には涙が浮かんでいた。
そして何かを言いかけ、言葉にならないまま――教室を飛び出していった。
☆☆☆
数日後の放課後の教室。
「――それで、僕が呼ばれたというわけですか……」
「はい……私も何があったのか知りたいのですが、なかなか話してくれなくて……」
「なにさ……なにさ……チィコは悪くないもん……」
「はぁ……この一点張りでして」
「わかりました。少し、二人きりで話をさせてもらってもいいですか?」
「はい……すみません、至らずで……」
「あ、いえいえ。気にせんといてください」
チィコは、トールと担任教師の三人で話をしていた。
話題は、穂乃花のことだった。
あの日、穂乃花は教室を飛び出したまま戻らず、そのまま施設に帰り、自室に引きこもってしまったのである。
さらには学校にも、もう行かないと言っているらしい。
(行きたくないなら、それでいいじゃん)
チィコは内心でそう思っていた。
誰かに強制されているわけでもない。
自分で決めればいいだけのことだ。
(それに……)
自分は人にあれこれ言っていたくせに、少し言い返されただけでこれだ。
(どうせ戻ってきても、また同じことの繰り返しだよ)
そう思ってしまう自分もいた。
なのに――。
「チィコ、ええか? 今回は誰かが悪いとか、そういう話やないねん」
トールは、穂乃花を庇うような口調で言った。
それが、どうしても納得できなかった。
「そんなこと言うけどさ、トールはどう見たって穂乃花の味方じゃん。今だってボクばっかり注意してるし……あんなに一緒に旅したのにさ!」
胸の奥に溜まっていたものが、堰を切ったようにあふれ出す。
「あー、わかった! 勇者だから弱い者の味方をしなきゃいけないんだ! 大変だねー、勇者様は!」
「あのな……チィコ」
「――もういい! どうせまた説教でしょ! ボク帰るから!」
チィコは言い切ると同時に立ち上がった。
「ボクが来なくなれば、穂乃花も来るようになるでしょ!」
「ちゃう! ちゃんと聞き――」
トールはチィコの顔に手を添え、正面から視線を合わせた。
「……なに?」
少しだけ、声の勢いが弱まる。
「ふぅ……やっと聞く耳持ったな」
トールは静かに息を吐いた。
「僕は子供が好きや。穂乃花のことも、もちろん家族やと思ってる」
その言葉は、優しかった。
すると、一度言葉切って、ゆっくりと話し始めた。
「けどな――背中預けて、自分の命を任せられるのは、チィコ、カルファ、ドンテツだけや。他にはおらへん。世界中探してもな」
「……それがなに?」
胸の奥が、少しだけくすぐったくなる。
けれど、チィコはトールの手を振り払った。
「そんなの、今関係ないじゃん!」
「関係ある」
トールの声は変わらず落ち着いていた。
「ここに連れてきたんは、チィコだけのためやない。施設で育ってきた子らのことも考えてや」
その言葉に、チィコは少しだけ眉をひそめて、
(施設の子? なんの話?)
「……よくわかんないよ」
そうボソリとひとりでに呟いた。
だが、トールは続けた。
「……ええか、今から言うこと、ちゃんと聞くんやで?」
その話は、施設で育った子供たちは、皆いい子で、大人の言うことやルールをきちんと守る。
それ自体は悪いことではないが――それが、逆に心配なのだということだった。
(……たしかに)
チィコは思い返す。
このクラスには、納得いかないことに声を上げるような子が、一人もいない。
それは穂乃花も含めて。
それどころか、抑圧されてきたはずの獣人族の子供たちの方が、よほど自由に生きているように見えた。
「だから、チィコをここに連れてきたの?」
「せやな」
トールは頷く。
「まだ小さいし年下やけど、チィコは僕の頼れる仲間やからな。……正直、頼らせてもろたんや」
「仲間……」
トールの言葉が、胸の奥にじんわりと広がって、
「仲間か……えへへ」
チィコは思わず頬を緩ませた。
ずっと、自分は頼る側だと思っていた。
けれど――違ったのだから。
「じゃあ、仕方ないね!」
チィコは胸を張る。
「ボクが解決してあげる!」
具体的な方法は、まだわからない。
それでも、チィコはトールの期待に応えたいと思った。
☆☆☆
二日後。
穂乃花は、チィコの隣で授業を受けていた。
だが、いつものような覇気はない。
算数の時間でも手を挙げず、ただノートを見つめているだけだった。
(……なんか、別人みたい)
チィコはちらりと横を見る。
以前なら、注意してきたはずのことにも、何も言ってこない。
それが、かえって気になった。
「穂乃花のこと、教えて!」
「……突然、なんですか?」
「ほら、チィコたちってお互いのこと知らないでしょ?」
「別に知りたくありません」
「はいはい、それはいいから! 話そうよ」
「ちょ、ちょっと……!」
そして放課後。
クラスメイトが帰っていく中、チィコは穂乃花に話しかけていた。
作戦は――とにかく知ること。
トールに聞いても「チィコらしくおればええ」としか言われない。
カルファやドンテツに聞いても同じだった。
(だったら、自分でやるしかないよね)
チィコは考えた。
そして、自分の得意なことに置き換えた。
(戦いと一緒だ)
相手を知らなければ、どう動けばいいかもわからない。
それはきっと、仲良くすることも同じだ。
「あ、この前はごめんね。言い過ぎた」
チィコは少しだけ視線を逸らしながら言う。
「でも、ボクも嫌な思いしたんだよ?」
「……過ぎたことはいいです」
穂乃花は小さく息を吐いた。
「私も、その……言い過ぎましたし」
少しの沈黙。
「でも、なぜ急に話そうとするのですか?」
穂乃花はチィコを見る。
「私のこと、鬱陶しかったんですよね?」
「うーん……なんでだろう?」
チィコは首をかしげた。
トールの役に立ちたい――それは確かだ。
けれど、それだけではない。
(……なんでだろ)
自分でも、うまく言葉にできない。
けれど――。
「なんか、放っておけないから?」
それが、一番しっくりきた。
穂乃花は一瞬、言葉を失う。
「は、はぁ……」
戸惑いながらも、否定はしなかった。
チィコはそんな穂乃花と並んで、帰り道を歩く。
理由はわからない。
それでも――このまま放っておくのは、違う気がした




