第21話 登校
「えーっと、ここの計算がわかる人ー?」
今日の一限目は算数だった。
学校という場所では、実にいろいろなことを教えられる。
日本という国の言葉や文化。料理の作り方。ボクたちの世界にはない、“科学”の親戚みたいなものだとトールが言っていた理科。体を動かす体育。歌を歌う音楽。
だが、その中でも算数は、チィコが特に苦手としている授業のひとつだった。
とはいえ、問題そのものは難しくない。
五個あったりんごを二個食べたら何個残るのか――そんな、実際に並べればすぐわかるようなものばかりだ。
けれど、そこに数字や記号が混ざると話が違う。
(数字と記号がなかったら、簡単なのに〜)
1+1=2。
2×2=4。
6÷3=2。
どうしてわざわざ、あんな変な記号を使うのだろう。
りんごを実際に並べた方が、ずっとわかりやすいのに。
そもそもガムラスでは、こんなものを知らなくても生きていけた。
(覚える意味がわかんないって言ったのにな〜)
そう言ったのに、トールは聞き入れてくれそうでいて、やんわり否定した。
☆☆☆
それは今朝のことだった。
全員で食卓を囲んでいる最中にチィコが本音をこぼした時、トールがその意味を教えてくれたのだ。
『ええか、実際に使うとかよりもな、考え方を知る。これが大切なんや』
『そうですよ。知識は全てを救います! 知らないことは罪ですからね! せっかくトール様に頂いた機会なのですから、しっかり身に付けてきて下さいね!』
『まあ、気楽にだな。知識ばかり求めておると、こんな面倒くさい年寄りになる場合もあるからの!』
『な、なんですか!? 髭モンジャラドワーフ! 貴方も少しは色んなことを学んではいかがですか? 自分の興味あること以外も!』
『ほらの……面倒くさい……』
『ぐぬぬぬ……なんですか! その態度は!』
『はいはい、朝からしょーもないこと言い合わんとって! チィコが遅刻するやろ? それにカルファ、自分も遅刻するで?』
『わわっ! 本当だ! 今日は朝から新刊のポップ張り出しがあるんですよー! 早く出ないと!』
『で、ドンテツも行くんやろ?』
『う、うむ……』
いつものように慌ただしい朝だったが、どうやら授業というものは、記号を覚えるためではなく、考え方を身につけるためのものらしい。
(意味はわかるけど、なんか腑に落ちないよね〜)
ペンを手に取って、消しゴム上に乗せ、バランスを取る。
ちょっぴり退屈だなーと思いながら授業を受けた。
☆☆☆
子供たちの控えめな話し声が満ちる教室の中。
「はい! わかります」
「では、穂乃花さん、答えてください」
「64です!」
「はい、よくできました。正解です。ちゃんと予習ができている証拠ですね!」
「ありがとうございます!」
先生の問いかけに前のめりで答えたのは、おでこを出した髪型が印象的な人族の少女、山梨穂乃花、十歳。
チィコの右隣に座る、このクラスのまとめ役みたいな子だ。
めんどくさかったが、授業の意味はわかった。
けれど、穂乃花みたいにそこまで前のめりになる意味は、チィコにはさっぱりわからない。
体育ならわかる。
体を動かすのは楽しいし、音楽も心が明るくなるからだ。
だが、やはり、どう考えても算数は受け付けない。
「穂乃花ちゃんってさ、真面目だよねー……ボクにはわかんないや……」
思ったことが、そのまま口からこぼれた。
「わ、私はわかってほしいなんて思っていません!」
穂乃花はムスッと頬を膨らませ、少し呆れたような顔で言った。
別に仲が悪いわけではない。
けれど、チィコが何か言うたび、こうして言い返されるのだ。
(……もしかして、嫌われてるのかな。ボク)
不思議に思いながらも、その日も穂乃花の隣で授業を受け続けた。
そして、お昼休み。
この時間は給食といって、専属でご飯を作る人たちが毎日違うメニューを用意してくれる。
一体どこの貴族なのかとチィコは思っていた。
が、これがこの世界では当たり前ということ理解し始めていた。
まだまだ知らないことだらけではあるけれど、とにかく食べることが大好きなチィコにとっては、この時間が何よりの楽しみであった。
「煮込まれた牛と炒められた野菜のいい匂いがするー! これはビーフシチューだね!」
今日の献立は、ビーフシチューとコッペパン。
それにブロッコリーの和え物、牛乳、そしてデザートまでついてくる。
この世界の食べ物は、どれも味がしっかりしていて、しかも工夫が多い。
食欲をそそる香辛料や、出汁と呼ばれる魚や海藻の旨みを使って、匂いも味も複雑に重なっているのだ。
(トールが言うには、日本という国は特にそういう傾向が強いらしいんだよね! みんなそういう考えた方をするのかなー?)
美味しいものを、もっと美味しくするために。
獣人族には、そういう考え方はあまりない。
だからチィコには、その発想が純粋にすごいことのように思えた。
「違う国から来た人たちって、みんな鼻がいいよね!」
クラスメイトの誰かが言う。
それに被せるように、施設出身の人族の子供たちが続いた。
「「「うん、すごくいいよねー!」」」
確かに、その通りだった。
チィコもそうだが、獣人族の嗅覚は鋭い。
ニスや、煙っぽいチョーク、木の匂いがする教室の中にいても、隣の棟にある調理場から漂ってくる匂いを嗅ぎ分けられるくらいに。
数字にすると、人族の百万倍くらいだとトールが言っていた気がする。
チィコが鼻をひくつかせると、同じように獣人族の子供たちも鼻を動かし始めた。
どうやら隣のクラスに給食が運ばれてきたらしい。
美味しそうな匂いが、いっそう強くなる。
それに気づいたのか、人族の子供たちまで少しそわそわし始める。
でも、それはよくわかる。
美味しいものが食べられるとわかると、どうしても気持ちが浮き立ってしまうのだ。
最初は、人族の子供たちと分かり合えるなんて思っていなかった。
けれど、美味しいご飯を前にした時の反応は、みんな同じだった。
ちなみに、このクラスの人族には、チィコたち獣人族は“違う国から来た子供”ということになっている。
言葉そのものはトールの魔法のおかげで不自由なく通じる。
だが、意味合いや細かな感覚には微妙なズレがある。
そのズレが、逆に“遠い国から来た子”らしさをうまく作っていた。
「給食当番の人、無駄なお喋りはせず、早く準備をしてください! 当番というのは、それぞれに与えられたちゃんとした役目です! きちんと務めを果たしてください!」
白衣に着替えた穂乃花が、腰に手を当てて言った。
ここまで仕切りたがるのも、なかなか珍しい。
家で聞いた話では、穂乃花は施設でもしっかり者で、自分より年下の子の面倒をよく見ているらしい。
しかも年上には、ちゃんと敬語という、カルファみたいな丁寧な言葉遣いをするのだという。
確かに、どこか大人びた雰囲気はある。
ただ、この教室では少し口うるさいやつになっていた。
「はーい……今から行きまーす」
「なんですか!? その不貞腐れたような態度は! あなたはトールお兄様の友人なのでしょう? だったらちゃんとしてください!」
(……本当に何なんだろう)
ことあるごとにトールのことを「お兄様」と呼び、二言目には「ちゃんとして下さい」ばかり。
本当の兄妹でもないのに。
チィコは言いたいことをぐっと飲み込み、今日も給食当番の仕事をこなすのだった。




