第20話 忘れないあの日
忘れもしない、あれはちょうど一年前。
チィコが九つの時のことだった。
牙の国の掟に従い、彼女は来る日も来る日も戦い続けていた。
チィコには元々戦いの才があった。
同年代の子供たちが相手では、もはや勝負にすらならない。
十四歳になるまで戦い続けるのが習わしさえ、必要ないと思えるほどに。
だが、そこで伝統を重んじる父は、とんでもないことを考えた。
身寄りのない孤児を集め、自ら鍛え上げて、チィコと戦わせることにしたのだ。
こうして再び戦いの日々が始まり、チィコはその習わしを無心でこなしていた。
(なんであんなに必死だったんだろう……あれかな――)
今となっては、何を思って拳を振るっていたのか、自分でもよくわからない。
ただ、父と母、そして兄に喜んでほしかっただけなのかもしれない。
その頃の記憶は、もうぼんやりとしか残っていない。
けれど――。
『……っ、おい! お前ら……子供に何させてんねん!』
空気を切り裂くような怒号とともに現れたその姿だけは、今でもはっきり覚えていた。
御伽話に描かれた勇者そのものだった。
白銀の鎧に身を包み、光の加護を刻まれたバスターソードを背負った勇者。
チィコは今でも、その背中を忘れられない。
鬼のような顔で、おかしな慣習を真正面から否定した姿。
飛びかかってくる父や母、兄、そして国中の強い獣人たちを、たった一人で、魔法すら使わずに打ち倒した姿。
それでいて、命を奪うことなく、倒れた者たちに回復魔法を施した姿。
そのおかげで、父も母も兄も、ガムラスで幅を利かせていた大人たちも、トールの言葉を受け入れた。
チィコたちを苦しめていた古い慣習は、そこでようやく終わったのだ。
(えへへ♪ あの時のトールかっこよかったな〜!)
もちろん、後からガムラスを訪れたカルファとドンテツも優しかった。
チィコが見てきた大人たちとは、まるで違っていた。
訓練用の道具のように扱われていた子供たちまで、救い出してくれたのだから。
その後、トールは「安心できる場所で幸せに暮らしている」と言っていたが、まさかその場所がこの世界だったなんて、思いもしなかった。
「な? ここやったら、らしくいれるやろ?」
優しい大きな手が、頭を撫でる。
「ゔん……」
本当は、人族の子供のように遊んでみたかった。
ドワーフの子供のように道具を作ってみたかった。
エルフの子供のように、森を自由に駆け回ってみたかった。
本当は、世界を救うために戦うことなんてどうでもよかった。
トールやカルファ、ドンテツと一緒に旅ができれば、それでよかったのだ。
この世界に来たのも、いろいろ理由は口にしていたけれど、本当はただ、みんなと一緒にいたかっただけだった。
それだけで充分だった。
それだけ叶えばいいと、チィコは本気で思っていた。
なのに、トールはその先のことまで考えてくれていたのである。
「ありがとう……トール。ボクなんかに、いっつも優しくしてくれて」
「お礼なんか言わんでええ。子供は夢見て過ごせばええねん。な?」
(夢……わかんない。でも――)
無下にしたくない。
自分に向けられたこの優しさを。
チィコはそう思って、心に決めた。
「……学校。ボク、学校に通う……通いたい」
「そうか……まあ、通ってみて無理やなーと思ったら、やめてもええからな。学校は無理に来るところやなくて、自分の可能性を見つけるところやから」
「わかった!」
こうして、チィコは学校に通うことになった。
☆☆☆
チィコが学校に通い始めて、数週間の月日が流れた。
学校へ通う日々は、とても新鮮だった。
朝、トールの作ったご飯をみんなで食べてから、学生服という、少しだけ兵士の制服に似た服へ着替えて学校へ向かう。
本来なら、地域ごとに班というものがあり、その近くに住む子供たちが集まって一緒に登下校するらしい。
だが、チィコのいるクラスの子供たちは全員、トールの育った施設の出身だった。
だから、その決まりはなかった。
(みんなと通いたいとか思ったけど――)
事情を聞いた時は少し残念に思った。
が、チィコは今ではむしろ良かったとさえ思っていた。
なぜなら――トールに送ってもらえるからだ。
「もう出るでー! あ、そや、ちゃんとヘルメット被ったかー?」
マンションの出入口から見て右手にある駐輪場。
そこには、自転車や、車と同じ動力で走るバイクが並んでいた。
トールはその横で、降りてきたチィコに手を振っている。
「うん! 被ってるよー!」
「ちょい見せてみ」
近くまで来たチィコの頭を確認し、トールは満足そうに頷いた。
「よし、大丈夫やな。ちゃんと留め具も締めれてる」
「当然だよ! トールが、これを締めないとダメだって言ってたんだから」
「そうかそうか、ちゃんと話聞いてて偉いなー、チィコは」
トールがヘルメットを整えると同時に、エンジンが唸る。
チィコは、それを確認すると、後部座席に飛び乗った。
「よし、ほな行くか!」
「うん!」
チィコの返事に、手を挙げて返すトールはアクセルを捻り、バイクは走り出す。
(バイク好きなんだけど……この独特な感覚が苦手なんだよね……)
独特な感覚――お腹にズシッとのしかかる、素早い動きをした時のような違和感。
そして小刻みに震える振動には、まだ慣れない。
(なんだかゾワゾワするし、ガソリンという燃料の匂いも気になるんだよねー)
それでも、チィコはトールにつかまりながら風を感じられるのが、とても嬉しかった。
☆☆☆
「これってバイクって言うんだっけ? かなり速いよねー!」
整備された道を駆け抜けていく中、チィコはトールにしがみついている。
自分で走るのとはまた違う感覚だった。
ヘルメットの隙間から覗く景色は、いつもよりずっと速く流れていく。
まるで景色の一場面だけを切り抜いて、次々に差し替えていくようだった。
絵というより、この世界で言う“写真”に近い。
「なんか自分で走ってないのにさ! この道路って道を走ってる感じがするねー!」
そう、不思議な疾走感があるのだ。
人族の姿で暮らしていても、魔法で変えた毛並みを風が撫でるたび、チィコは自分が獣人族だったことを思い出して、
(走るってやっぱりいいな〜!)
ニコニコ、すっかりご機嫌だ。
「せやなー! ここはまだ道狭い方やけど、田舎の方に行くと車もバイクも少なくて、もっと気持ちええでー!」
「そうなんだー! この世界の田舎にも行ってみたいかも〜!」
(でも、この道路ってややこしいんだよね……色んなルールがあって――)
ふと、登校する前に、トールから教えてもらったことが浮かんだ。
この道は“道路”と呼ばれ、バイクや車という鉄の塊が走るための場所。
緑、黄、赤に光る機械を見て進むか止まるかを判断し、案内板のようなものも頼りに目的地へ向かう。
それがこの世界の当たり前で、歩くにしてもいろいろな決まりがあるのだという。
(まぁ、普通に生活していれば、覚えられるってトールが言ってたから、大丈夫だと思うけど)
一瞬、不満になったが、トールの言葉に救われたチィコである。
「なんて言うか、馬に似てるかもー!」
「おお、そうや! 馬や! でも馬より小回りも利くし、僕的には一番好きな乗り物かも――って、もう着くな」
トールは学校の前でバイクを止めると、チィコを抱き上げて地面に降ろして、ジャケットの内ポケットからスマホ取り出し、時間を確認。
「よし、時間も問題なしやな!」
「送ってくれて、ありがとうトール!」
「おう! ほな、頑張るんやで?」
「はーい」
「ええ返事や!」
ぽんぽんと、チィコの頭を撫でると手を振り、バイクを唸らせると、そのまま来た道を走り去っていった。




