第19話 学校
牙の国出身の獣人族の王、牙の王の娘であり、勇者パーティの戦闘の要だったチィコ。
そんな彼女は今、トールの故郷である日本に来ている。
日本に来て、今日でちょうど二週間。
食べ物は美味しく、人族も優しい。空気はそこまで美味しくはないが、それでも居心地は悪くなかった。
なにより、大好きなトールと、カルファ、ドンテツがいる。
カルファは、コンビニで知り合った舞香という人族と、商業施設と呼ばれる大きな建物で働いている。コーヒーという苦い飲み物と、大好きな本に囲まれて過ごせるからだと聞いている。
ドンテツは「世話になりっぱなしは申し訳ない」と言って、自分に合った仕事を探してあちこちを歩き回っている。
カルファは少し心配だ。
けれど、ドンテツなら大丈夫だとチィコは思っていた。
それに――カルファには内緒だが、トールはドンテツにスマホを渡している。
何かあれば、連絡が来るはずだ。
そしてチィコ自身はというと、朝からトールに「話がある」と言われ、子供たちの声が騒がしい四角い大きな建物へと連れてこられていた。
「チィコ。ええか。今日からこの“学校”いう、勉強する場所に通ってもらう」
トールの言葉に、チィコは首を傾げる。
勉強なんて、自分には無縁のものだ。
それを、トールが一番よく知っているはずなのに。
(……なんで勧めてくるんだろう)
不思議に思いながら、チィコは尋ねた。
「……ボクが?」
「平和になったらな、戦うだけでは生きづらくなる。勉強もしとって損はない」
チィコは眉をひそめた。
「でも……ボクは、ここにいる誰よりも速くて強いよ? 本気を出せば、世界を救ったトールにだって傷をつけられる。それでも勉強しないとダメなの?」
少しの間を置いて、トールは答える。
「……ああ、そうや」
「ふーん……」
「わかってくれたか?」
「嫌だ!」
「ちょい待ち!」
(待って言われて待つわけないよ!)
チィコはトールの手をすり抜け、そのまま建物の中へと駆け込んだ。
そこには、無数の靴が収められた箱が並んでいる。
「……なにここ。なんでこんなに靴があるの?」
「チィコ、追いついたで!」
背後から迫るトールの気配。
だが、チィコはしゃがんでそれを躱し、体勢を崩した隙をついて駆け抜ける。
(ふふーんだ! 戦いじゃ勝てないけど、追いかけっこなら、余裕だね!)
やはり、自分の速さにはトールでさえ追いつけない。
白く滑らかな通路を風のように走り抜けながら、チィコは横目に部屋を見た。
(なんだろう……ここ)
偉そうな大人の声と、子供たちの返事が聞こえる。
何かをしているらしい。
気になり、トールの気配が遠いことを確認してから、気配を消して窓の外から中を覗いた。
「……なんか、囚人みたい」
整えられた机に、行儀よく座る子供たち。
その正面では、大人が何かを教えている。
「やっぱりね……この世界でも、大人が幅を利かせてるんだ……」
チィコの脳裏に、故郷の掟が蘇る。
大人が決めた絶対のルール。
子供には変えられない、昔からの慣習。
強い者が正義で、弱い者は悪。
父も、母も、兄も――皆がそう言っていた。
だからチィコは戦った。
毎日、連れてこられる同世代の子供たちと。
時には、自分より遥かに年上の者とも。
痛くても、苦しくても、逃げることは許されない。
傷だらけになっても、ただひたすら戦い続けた。
望まれるままに。
「……この世界にも、自由はないんだ」
期待していた分、落胆は大きかった。
その時、ふと頭上に気配を感じる。
「チィコ……追いかけっこは終わりや」
振り返ると、そこには転移してきたトールが立っていた。
「……転移魔法か。トールも、お父様たちと同じ“つまんない大人”なんだね。がっかりだよ」
勇者だったから、今までは縛らなかっただけなのかもしれない。
でも、今は違う。
(結局……トールも子供から自由を奪う、大人と同じなんだ)
「チィコ……自分、なんか勘違いしてるやろ?」
「勘違いなんかしてないよ。ただ――諦めただけ。トールも、ボクから自由を奪うんだって」
「……ちょっと来てみい」
トールはチィコの腕を掴んだ。
いつもとは違う、強い力。
振りほどけない。
「離して!」
「離さん。ええか、チィコ。君が通う教室は――ここや」
案内された先の部屋は、一見すると普通の教室だった。
だが――中にいる子供たちから、微かに獣人の匂いがする。
「……この子たちって」
「気付いたか?」
「もしかして……獣人族?」
「そうや。ここはな、僕が出資して作った“獣人族の子供も学べる場所”や。まぁ、この教室だけやけどな。名前は“星屑組”や」
「……あ、トールが育った施設の名前」
「せや」
「じゃあ、他の教室は?」
「同じ学校やけど……まぁ、ちょっと事情があってな」
「気になる! 教えてよ!」
食い気味に聞くチィコに、トールは苦笑する。
「簡単に言うと、土地代が高いんや。せやから校長に頼んで、この一室を借りとる」
トールの話によれば、牙の国出身の孤児を勇者の権限で保護し、読み書きを教えるためにこの場所を作ったらしい。
獣人特有の耳や尻尾も、トールの魔法で人間の姿に見せている。
「……でも、全員が獣人族じゃないよね?」
「よう気付いたな。その通りや。ここにはな、星屑の里の子供たちもおる」
親も、親族もわからない子供たち。
「異文化交流ってやつやな」
トールは軽く言ったはずなのに、その言葉は不思議とチィコの胸に残った。
(やっぱり――トールは、他の大人とは違うんだ!)
そう思った瞬間、チィコの胸の奥に、少しだけ温かいものが灯った。




