王宮での初めての朝
「みょうああぁ」
カーテン越しに漏れてくる光に目が覚め、毛布の中で大欠伸をしたミルフィである。
普段と違う布団の触り心地に、ここどこだっけ? と寝ぼけ眼で辺りを見回したミルフィは、自分が誘拐されてここに連れて来られたのを思い出して、朝からがっくりと項垂れた。
お父様お母様、ついでにお兄様。おはようございます。
ミルフィは元気にしています。
警戒が足らず、攫われる羽目になってしまい、申し訳ありません。
一通り心の中で謝った後、お腹に掛けていた毛布を口に咥えて、バスケットの中に戻す。
こうしておけば、セバス達はミルフィがちゃんとバスケットの中で寝ていたと思い違いしてくれる筈だ。
丸まって眠るには最高のバスケットだったが、生憎ミルフィは夜の就寝時は仰向け寝派だった。
ふわふわで窮屈な場所で寝るより、広々とした場所で上を向いて眠りたい。
腹を出したお間抜けな寝相を選りによってあのレオーネに見られてしまったとは夢にも思わないミルフィは、良く寝たわ……と大きく伸びをした。
首に繋がれた紐を見ると、長い紐はどの柱にも巻き付いておらず、あれだけ室内を探索したのに大丈夫だったんだとミルフィはちょっとびっくりした。
以前、毛玉を遊び道具にもらった時は、いつの間にか体中を毛糸で巻かれていて、うみゅうううぅと情けない声を上げる羽目になった。
その頃に比べると、自分もちょっぴり成長したようである。
そう言えばあの時は、良くここまで自分の体を縛ったものだなと兄から変な感心をされた。
ほっといてよ! とあの時は大いにむくれたものだが、あんな風に兄とじゃれ合っていた時間が今は恋しい。
「みゅぅぅぅぅぅ(お家に帰りたいよぉ)!」
一声鳴いて鬱憤を晴らした後、ミルフィは腹ばいになって部屋の中を見渡した。
時計を見るともう八時前だ。
王侯貴族の起床時間は八時から八時半なので、使用人達はとっくに起きて朝の支度を始めている筈だ。
未だに誰も掃除に入らないのは、セバスにそう命じられているからなのだろうか。
体を洗いたいなと思いながら、ミルフィは後ろ足で首や耳の後ろを搔いた。
令嬢の時は朝一番に洗面用の水を持ってきてもらえたが、猫には持ってきてもらえなさそうな気がする。
それよりも食事はどうなるのだろう。ちゃんとミルフィの存在を忘れず、居間に運んでもらえるのだろうか。
落ち着かずにうろうろと歩き回っていたら、長い紐が前足に絡まった。
およっと思いながら後ろ足でどけようとしていると、今度は右の後ろ脚に紐が絡まって背中からころんと転がった。
じたばたと暴れていると紐が首にまで巻き付いてきて、左後ろ足で紐を引っ張った途端、ぐいと首を絞められた。
「みぎょっ!」
後はもう、紐との格闘である。
体中に絡まった紐をどけようと暴れまわり、ごろごろとそこら中を転がった。
「むぎょぉぉぉぉぉ!」
暴れているとちょうど扉が開かれ、誰かが足早に近づいてきた。
「ミリィ様!」
パニックを起こしたミルフィは、助けるために伸ばされた手を爪で引っ掻こうとしてしまった。
しまったと怯んだ瞬間、頭にバスタオルが掛けられて、ミルフィは思わず動きを止めた。
視界が遮られ、反射的に体が竦む。
「ミリィ様、ちょっとおとなしくして下さいね」
その声はディールのものだった。
バスケットに括られた先端を解いたディールは、手際よくミルフィの体に絡まった紐を除けていく。
すべての紐がほどけたところで、ディールはミルフィの目隠しを取ってくれた。
「おはようございます」
「……みやぁ」
朝からお手間を取らせて申し訳ありませんと思いながら、ミルフィは挨拶を返しておいた。
暴れまわったせいで、毛があちこち逆立っている。
せっせと前足や後ろ足で毛を整えていると、目の前にリボンのついた取っ手付きのバスケットが差し出された。
「みょ?」
「レオーネ殿下が食事の間でお待ちです。参りましょうか」
おとなしく中に入ると、バスケットごと抱え上げられた。
この前は王子に抱き運ばれて行ったが、王子以外がミルフィを運ぶ時はバスケットを使用するらしい。
廊下に出ると、昨日確認した通り、廊下の左手側には扉がいくつか並んでいた。
換気のためか、その扉は今日は大きく開け放たれており、ミルフィはバスケットの中から遠慮なく中を眺めさせてもらった。
居間のすぐ隣にあるのは客人を迎える応接の間であるらしく、廊下と同じ真紅のカーペットが床に張られていた。
中央には重厚なレッドオークのテーブルが置かれ、東側は居間と同じような嵌め殺し窓があり、その両側に細窓が設置されている。
窓辺にはみずみずしい花が飾られて、いつ客人が訪れてもいいようにきれいに整えられていた。
「ミリィ。おはよう」
食事の間に入るなり、待ちかねたようにレオーネから声を掛けられた。
「みゅおん」
レオーネの斜め向かいの席には、チャージャープレートがきちんと用意されていた。
ミルフィが座れるだけのスペースがテーブル上に空けられていて、バスケットから抱き上げられたミルフィはテーブルの上に優しく置かれた。
「……何だかミリィがくたびれていないか?」
不思議そうにレオーネが言い、ディールがごほんと咳払いする。
「体中に紐が巻き付いていて、朝から格闘しておられました」
「みゃ(言わないで)!」
ちらりとレオーネを窺うと、何だかものすごく残念なものを見るような目で見られてしまった。
「この子には、紐もダメか。まあ、いい。後で考えておこう」
朝食は申し分ないものだった。
さいの目きりされたふんわりしたパンケーキに添えられているのは、小さく切られたカリカリのベーコンと蕩けるような食感のオムレツ、湯剥きされて二等分されたミニトマトだ。
小さめのガラスの器には三種類のフルーツが飾られて、新鮮なミルクも皿に注がれていた。
嗚呼、幸せ……!
お皿に顔を突っ込み、はむはむとパンケーキを頬張るミルフィを、レオーネが可愛くて堪らないといった目で見てくる。
自分を勝手に攫ってきたのは許せないが、こんなおいしい食事をくれるなら少しはお愛想をしてやってもいいなと、上から目線でそんな事を考えるミルフィだった。
朝食が済むと、レオーネは執務室へと向かった。
すでに成人した第二王子であれば、王族としていろいろな公務を任されているらしい。
一方のミルフィは居間へと戻された。
ミルフィがいない間に掃除がされたのか、ミルフィが動かしていた椅子は元の位置に戻され、部屋全体がきれいに整っていた。
椅子やテーブルの下にも塵一つ落ちていない。王家の使用人は優秀であるようだ。
「殿下は今日、陛下方と午餐を共にされますので、ミリィ様とご一緒はできません。
夕方には体が空くので、一緒に遊ぼうとおっしゃっておられました」
猫のミルフィに向かって、ディールは律儀に説明してくれる。
堅物でちょっと融通が利かないところはあるみたいだけれど、そんな几帳面さは感じがいいなとミルフィは素直にそう思った。
「お昼にはこちらに食事をお運びいたしますので、自由にお過ごし下さい」
ディールが部屋の外に出た後、ミルフィは脱走に向けての計画を慎重に立てる事にした。
王子はミルフィを飼う気満々だが、ミルフィは何が何でも家に帰りたい。
とりあえず、もう少し部屋の情報を集めようとミルフィは行動を開始した。
部屋の隅にあった、上部に天鵞絨が張られた小さな丸椅子を、ミルフィは体で押すようにして窓際に運んだ。
それを足がかりにして、腰高窓の手前にある作り付けのチェストの上に飛び移る。
昨日見た通り、中央の窓は嵌め殺しで開閉不能だが、両側に三つずつある細い窓は外側に向かって開くようになっている。
幅は人が通り抜けられないほどの幅だが、猫のミルフィならば通り抜ける事は可能だった。
さすが王族の住まいだけあって、防犯に優れているなとミルフィは感心した。
このような縦長窓なら、デザイン性や採光に優れている上、換気も簡単だ。
人が通り抜けられない幅なので、外部からの侵入を心配する必要がなく、夏場は窓を開けておく事ができるだろう。
窓には一応鍵も取り付けられていたが、丸い金具に鈎を引っかけるタイプの簡素なものだったので、これならば猫のミルフィにも簡単に外す事ができる。
試しに開けてみようかなとも思ったが、ミルフィが窓を開ける事ができると知られれば、別のタイプの鍵に変えられてしまうかもしれない。
いざという時のために、今は触らない方がいいだろう。
一通り部屋の中の探検を終えると、ミルフィはだれーんと体を伸ばして横になった。
首に嵌められた赤い首輪が憎らしい。
これさえなかったら人間に戻れるのに、猫の首周りに合わせて締められているから変態も不可能だ。
まあ、変態ができても素っ裸になってしまうから、結局はどこに逃げる事もできないのだが。
余りにも暇であったため、念入りに毛づくろいをする事にした。本当はお風呂に入りたいが、湯舟を用意してもらえないのだから仕方がない。
せっせと身嗜みを整え、まあ大体きれいになったかなというところで、再び目を閉じた。
どうも猫姿になると、妙に怠惰になってしまう。
ちょっとだけと目を瞑っていたら、いつの間にか心地よい眠りに落ちていて、気付けばお昼になっていた。
ディールがワゴンに乗せた料理を運んできてくれて、丸いガラステーブルの上に料理を並べてくれた。
今日のメインは、鴨肉に二種のソースが掛けられたものだ。ミルフィの好きなセミドライトマトソースと、もう一つ緑色をしたソースがかかっている。
味からすると、ブロッコリーを潰したもののようだ。
もう一つのプレートには七種類の料理が少量ずつ盛り付けてあって、特にオマールエビの燻製包みが最高だった。
お昼間からこんな料理がいただけるなんて最高! とミルフィは王子宮の料理長の腕前を大絶賛した。
ランチを堪能すれば、今度は午睡の時間である。
ミルフィはバスケットの向こう側まで行き、ぐたーと仰向けに寝っ転がった。
こんな真昼間から惰眠を貪るだなんて、何て贅沢な生活だろうか。
お勉強もダンスの練習もマナーのおさらいもチェンバロやハープの練習も何もしなくていい。
もう何だか、いくらでも眠れるような気がした。
こんな生活を日々送っていたら、自分はどんどん駄目人間になっていく気がする。
それにもし人間に戻った時、体形が小太りになってはいないだろうか。
そんな不安が頭を掠めたが、結局、眠気に逆らえずにミルフィはゆっくりと目を閉じた。
うとうとと微睡ながら午睡を楽しみ、ふっと目覚めて窓の外に目をやり、大欠伸をした後にまた心地よい眠りに落ちる。
そんなだらけた時間を過ごしていたら、いきなりばんと扉が開けられた。
「みっ(何事)!」
慌てて伏せの体勢に戻り、バスケットから向こう側を窺うと、見目麗しい王子様が目をキラキラと輝かせてミルフィの方に近づいてくるところだった。
「ミリィ! 元気にしていたか?」
「……みょぉぉ(まずまずです)」
眠かったミルフィはちょっぴり不機嫌そうに返事をした。
そういう殿下は無駄にお元気そうですねと、非常に不敬な言葉も心の中で足しておいた。
「放っておいて済まなかった。一日こんなところに閉じ込めて退屈だっただろう。私と一緒に散歩に出かけようか」
「みゃ(散歩ですと)?」
ミルフィは思わず頭をもたげた。
もしかしてバウアーパークに連れて行ってもらえるのだろうか?
俄然乗り気になったミルフィは、軽やかに立ち上がってレオーネの足に頭を摺り寄せた。
「なおん」
あざとく鳴いて甘えれば、レオーネは満面の笑みでミルフィを抱き上げた。
「はは。ミリィも散歩に行きたいんだな。おいで。私と一緒に散歩しよう」




