刺激的な内庭散歩
抱っこして連れて行かれたのは、王子の寝室だった。
入ってすぐの左手側には緞帳で仕切られた豪華な寝台があり、右手側には瀟洒なテーブルや座り心地の良さそうなソファーや椅子が配されている。
東側には窓があり、ダマスク模様の重そうなベージュのカーテンが房つきの紐のタッセルで括られ、薄いレースのカーテン越しに建物や空が見えた。
なんでこんなところに連れて来られたのかしら?
ミルフィが困惑しながら辺りを見渡していると、レオーネはいきなりそこで服を脱ぎ始めた。
「みぎゃ?」
ミルフィは慌てて後ろを向いた。
なんてものを乙女に見せる気? 露出狂なの?
お出かけ前に着替えたいなら、着替え終わってからミルフィを呼びに来れば良かったのだ。
わざわざミルフィの前で着替え始めた王子に変態の匂いを嗅ぎ取ったミルフィは、外に逃れるべく戸口の方へ駆けて行ったが、生憎、扉は固く閉じられていた。
「みやぁぁぁ(開けて)!」
死に物狂いで扉をがりがりと掻いていたら、後ろから手を伸ばされて腰のあたりを掴まれた。
「こらこら、ミリィ。扉に傷をつけるんじゃない」
思わず振り向いたミルフィの目に、上半身裸で片膝をついたレオーネの姿が映る。
「☆▽※〇×……」
ミルフィはその場で腰を抜かした。
箱入り娘のミルフィは、男性の裸体というものを見た事がない。
刺激が強すぎて、視線をどこに向けていいのかもわからなかった。
ひえーと固まっていると、抱き上げられた体をいきなりぽいっと投げられた。
空中を飛んだミルフィは、そのままぽすんとセバスの胸の中に落ちる。
あっ、そう言えば王子と二人きりじゃなかったんだ。
ミルフィは少しだけほっとして、セバスの胸の中に顔を埋めた。
「セバス。しばらく抱いていてやってくれ」
「かしこまりました」
だが、安堵したのは束の間だった。
カチャカチャとベルトを外す音がして、ミルフィはぴきんと背筋を凍りつかせた。
なんか、生々しい音を聞かされている気がする。
続いて衣擦れの音がして、ミルフィは耳をぺたんと倒し、なるべくその音を聞くまいとした。
もしかしてここでズボンを脱いでいるのだろうか?
「みやあぁぁぁ(お宅のご主人様、変態ですよ)!」
ミルフィは必死でセバスに訴えた。
一体どこまで脱がれるおつもりなのでしょう。
まさか、最後の嗜みまでなくされる気はありませんよね。
セバスの胸の中であたふたしていると、
「何をそんなに慌てているんだ?」
苦笑混じりの声でレオーネがそう言ってきた。
「まあ、いい。今から変態するが、驚くなよ」
え。今、変態の宣言をされた?
思わずセバスにしがみついていたら、グルルルル……と動物の唸り声がして、ミルフィはあれ? と後ろを振り返った。
そこに王子の姿はなく、代わりに黄褐色に黒い縞模様の入った堂々たるトラがどっしりと立っていた。
目の周りや頬の毛の白さが凛々しさを引き立て、琥珀の目には涼やかな知性が感じられる。
あー……、もしかして色情魔とか露出狂の変態じゃなくて、獣化の変態って事?
遅ればせながら、ミルフィは気が付いた。
予め服を脱いだのも、変態した時に服を破らないためであったのだろう。
脱力するミルフィに向かって、トラは大きく顎をしゃくる。
ミルフィがとことこと近付くと、レオーネは東側の壁の方へと向かった。
そこは腰壁となっていて、その上には豪華なタペストリーが飾られている。
セバスがしゃがみ込んでタペストリーの裏側を押すと、鍵が外れるようなかちりという音が響いた。
どうやら腰壁の一分は、手前に引くタイプの片側開き扉となっていたらしい。そしてその向こう側には石階段が続いていた。
レオーネはトラ姿で階段を下りて行き、ミルフィは慌ててその後を追う。
階段の踏み面はトラが上り下りしやすいよう広めにとられていて、蹴上げも結構高い。悠々と降りていくレオーネの後を、ミルフィはちょこまかと足を動かしながらついていった。
突き当りには鉄柵でできた扉があり、その向こう側に広がる庭園にミルフィはわあっと顔を輝かせた。
「みゃおぉぉぉぉぉぉん!」
レオーネが鼻で押すと鉄扉は簡単に開き、ミルフィはその横をすり抜けるように外に出た。
ここは王子宮の中にある内庭のようだった。
ところどころには大きな岩や倒木が置かれ、小さな水路も作られていた。水が流れ込む先にはトラが水遊びできるだけの広さの池もあり、まさに至れり尽くせりだ。
待ちきれなかったミルフィはそのまま奥に駆けて行った。
角を曲がった先にはトラが寝そべられるような広々とした木のベンチまで置かれている。
その頭上には、日差しを遮るように大きく葉を大きく茂らせたヤマボウシの木が植えられていて、真っ白な四角い花をつけていた。
なんて贅沢なの……! とミルフィはわくわくと辺りを見回した。
ここは王子様専用の庭園で、他のトラは誰も入れない。しかも、中央階段を使わずに寝室から直接ここに来られるのだ。
レオーネはトラ姿で散歩したくなったらいつでもこの庭園にやって来て、暑い日は池や水路で水遊びをして、眠くなれば倒木やベンチの上で体を休めるのだろう。
ミルフィは池の端から中を覗き込んだ。結構深い。
でもまあ、間違って落ちても死ぬ事はない。ミルフィは一応泳げるからだ。
家族からは、溺れてるのか泳いでいるのかわからないような泳ぎ方をすると言われているけれど、水底に沈まないのだから良しとしよう。
吹き渡る風が心地良かった。
興味津々で辺りを眺めているとトラのレオーネがやって来て、つんつんとミルフィの体を押してきた。
これはあれだ。追っかけっこをしようという事なのだろう。
お先にどうぞというように、ミルフィは首をしゃくった。
それを見たレオーネがミルフィを時々振り返りながら駆けていき、ミルフィはその後を短い脚で必死についていく。
この鬼ごっこは、猫のミルフィの大好きな遊びだった。
ただし、鬼以外の役をする気はなかった。
だって肉食獣のトラに自分が追い掛け回されるなんて、考えただけで恐ろしい。
やがて遊びに飽きた二匹は仲良く岩の上に寝そべった。
さすがに人前(トラ前?)でお腹を無防備に晒すのは恥ずかしかったので、ミルフィは尻尾を体に巻き付けるように伏せの体勢に入る。
ちらりと横を見ると、王子は同じようにうつ伏せ寝になって目を閉じていた。
王子はうつ伏せタイプかあと、ミルフィは心の中で呟いた。
タウジ家では父と兄がうつ伏せ寝で、母は横向寝のタイプだった。
横向きに眠る母の腹の中にぴったりとおさまって、ミルフィはよく仰向けに寝転がって空を見ていた。
そうしていると守られているという安心感に包まれたし、基本、甘えん坊のミルフィは母のお腹にくっつくのが大好きだったのである。
家族はさぞ心配しているんだろうなと、ミルフィはぼんやりと遠い空を見上げた。
「にゃおん(帰りたいな)」
ミルフィの小さな鳴き声は、拭き渡る風に消されてレオーネの耳には届かなかった。
その頃、ミルフィの家族達は必死になってミルフィの行方を追っていた。
ミルフィが歩き回れる範囲の池も木の上も穴や窪みも全部探し回ったが、どこにもミルフィはいない。
となれば、誰かに攫われたと考えるのが妥当であり、家族達は昨日バウアーパークを訪れた貴族達の情報を総出で集めていた。
母親はコテージの馬車庫に止めてあった馬車の家紋をいくつか覚えていて、今はその貴族の周辺を探らせているところだ。
バウアーパークの管理事務所に話を聞ければ一番いいのだが、生憎パークは王家管轄である。
タウジ伯爵が情報の開示を申し込んだが、王家の許可がいると突っぱねられてしまった。
だから兄のイザークは、晩遅くになって王太子の居殿に戻ってきた。
ミゼル王太子殿下に、パークの情報を出してもらえるよう頼み込むためだ。
「今日は体調不良で休んだと聞いたが、良くなったのか」
書類から目を上げ、そう尋ねたミゼルは、イザークの顔を見て小さく溜め息をついた。
王族の前に顔を出すのだから、イザークは一応身嗜みを整えている。
白銀に近い柔らかな金髪をきちんと撫でつけ、ボタンも襟元まできっちりと留めていた。
が、その顔つきは最悪だ。
目の下には大きなクマがあるし、何と言っても目が死んでいる。
大きな悩み事を抱えているのは一目瞭然だった。
「何があった」
そう問い質すと、イザークはこの世の終わりという顔でミゼルを見上げてきた。
「妹が行方不明になりました」
「行方不明?」
思ってもいない言葉にミゼルは目を瞠った。
「行方不明とはどういう事だ。公にしていないという事は、まさか家出なのか?」
「ありえません」
イザークは言下に言い切った。
「タウジ家は家族皆で妹を猫かわいがりしています。妹が家出する理由などはありません!」
もしかしてそれが鬱陶しかったんじゃないか……とミゼルはちょっとばかりそう思ったが、賢明に口にはしなかった。
「……取り敢えず、経緯を説明しろ」
「昨日、家族でバウアーパークに出かけたのです。妹は獣化して遊びに出かけ、そのまま帰ってきませんでした」
「そのままとはどういう意味だ。まさか獣化したままいなくなったのか?」
「はい。服はコテージに残されていました。
人姿に戻れば真っ裸ですから、妹は獣化を解く事はできません。誰かが獣化したミルフィを連れ去ったのです」
イザークの言葉にミゼルは目を眇めた。
「それはちょっと無理があるんじゃないか。
抵抗するトラ姿を無理やり馬車に乗せるなんて不可能だ。何か薬を盛って眠らせたとしても、意識のないトラを馬車に運び込むには数人要る。警邏の目を引かない筈がない。
もう一度パーク内を調べた方が……」
「殿下」
イザークは吐息混じりに主の言葉を遮った。
「事実を殿下に申し上げるべきかどうか、家族内で散々議論しました。
けれどもう、殿下の手をお縋りするしか妹を取り戻す手立てがありません。
今までタウジ家が王家に隠していた事実を申し上げます」
「隠していた事実?」
聞き捨てならない言葉に、ミゼルはすっと姿勢を正した。
「つまりタウジ家は何か重大な事実を王家に隠蔽していたという事か」
「はい」とイザークは頷いた。
それを聞いたミゼルの顔が一気に険しくなる。
王家に属する者として、それは許されざる言葉だった。
「妹の事です。実はその、妹は……」
「妹が何なんだ」
いらいらと指でテーブルを叩くミゼルの前で、イザークは意を決したように顔を上げた。
「獣化した妹は、トラではなく猫になるんです!」
「ん?」
ミゼルは一瞬固まり、その後、軽く咳払いをした。
「今、一瞬耳がおかしくなったようだ。何だか猫という単語が出てきたような……」
「猫で間違いありません」
イザークは疲れの滲む声でそう繰り返した。
「信じ難いかもしれませんが、トラは一応猫科です。ですから、誤差の範囲内と言ってもよろしいでしょう」
「誤差の範囲内……? それは本当に範囲内なのか?」
ミゼルは混乱した。
「というか、本当に猫? 猫に似たトラというオチじゃないだろうな」
「いえ。真っ白くて可愛いにゃんこちゃんです」
真面目な顔をして、にゃんこちゃんとか言うな……とミゼルは脱力した。
「えーと、つまり、お前の妹は猫姿でパーク内を遊び回り、そしていなくなったという事か」
「おっしゃる通りです」
沈痛な面持ちでイザークは首肯した。
「元々妹は少しとろいところがあり、身を守る本能が欠如しているというか……。昨日もおそらく猫姿を誰かに見られ、そのまま連れ去らわれたのだと思います。
私達家族は、昨日パークで見かけた貴族らの周辺を今日一日必死に探りましたが、手掛かりは掴めませんでした。
こうなれば、昨日パークを訪れた人間を片っ端から調べていくしかありません。
そのためには王家の許可が必要です。
どうか私に力をお貸し下さい」
どうやら、タウジ家の令嬢がトラではなく、猫になるという話は本物であるらしい。
前代未聞で俄には信じ難いが、イザークがこんな時にこうした冗談を言う男でない事は、ミゼルが一番よく知っていた。
ミゼルは軽く天を仰ぎ、疲れたように首を振った。
「つまり、パークを訪れた貴族の名簿を見たいという事だな」
「はい」
「わかった。情報開示の許可証を書いてやる。明日、それを持ってパークに行ってくるといい」
「感謝致します」
深々と頭を下げたイザークの後頭部を見ながら、トラじゃなくて猫……? とミゼルは往生際悪く心に呟いた。
それが真であるなら、モルド国始まって以来の珍事ではないだろうか。
と、思ってところで、ミゼルは唐突に気が付いた。
「お前、口癖のように妹が可愛い、妹が可愛いと言って周囲をドン引きさせていたが、もしかしてそれが理由なのか?」
「猫の愛らしさにやられているのは間違いありません」
大真面目な顔でイザークは肯定した。
「ヴェルは……、ヴェルというのは猫姿の時の妹の呼び名なのですが、真っ白でふわふわの白猫なのです。なおんと鳴いて甘えてくる姿の何と愛らしい事か。
しかも肉球はピンク色です。地味で陰気臭く灰色をしたトラの肉球とは比べ物にならない……」
「地味で陰気臭い……」
ショックを受けたように黙り込んだミゼルには気付かず、イザークは猫の肉球の触感を思い出すようにうっとりと目を閉じた。
何かをやらかした時、焦りながらこてりと首を傾げてくるミルフィの可愛らしさを何と表現したらいいのだろう。
腕にすっぽりと収まる小ささ。なおんという甘えたような鳴き声。
足に頭を擦り付けてくる仕草も、狭いところに逃げ込んで出られなくなるお茶目さも、何もかもが愛らしい。
よくよく考えれば、目の前の王太子は、猫に懐かれた事も猫に甘えられた事もないのだ。
何と虚しい人生を送られているのだろうか。
そんな事を考えていれば、ミゼルにも何となくその思いが伝わったらしい。
ミゼルは胡乱な目つきで目の前の近衛騎士を見返した。
「なんか私をかわいそうな目で見ていないか?」
「……」
イザークはちょっと無言になった。
「……気のせいです」
「その間がやけに気になるんだが」
仕方がないと、ミゼルは溜め息をついた。
忠実な近衛であり、友人でもあるこの男のために、ここは一肌脱ぐべきだろう。
ミゼルは執務机の引き出しから紋章入りの紙を取り出し、パークの責任者に向けた許可証を書き始めた。




