初めてのお泊り
レオーネは、猫の喉元をくすぐったり、肉球を揉み揉みしたりして大層ご満悦だった。
片時も傍から離さずに愛でていたが、ふと思い出したように時計に目をやり、はあっと小さく溜め息をついた。
「ああ、もうこんな時間か」
「みゃお?」
どうしたの? と尋ねると、「実は大叔父上から賭博に誘われているんだ」と、どこか憂鬱そうにレオーネは答えた。
「余り行きたくはないが、毎回誘いを断るわけにもいかない。
これも社交の一つだと割り切っているが、何が楽しくて賭博なんかに金を使わなければならないんだろうな」
大叔父上ってどっちの殿下を言われているのかなと、ミルフィはちょっと考え込んだ。
国王陛下には、王位継承権を持つ従兄弟君が二人いらっしゃる。
前王の甥に当たるシャルトーレ公バレル殿下とレジナルド公クロウ殿下だ。
お二人は前王が即位された時に男系孫として王族資格を得て、王が代替わりした後も王族に残っていた。
シャルトーレ公は二人の男児に恵まれたが、次男は人族に生まれついたために平民となり、長男のブルーノ公子だけが王族籍に残っている。
因みに、王族と認められるのは王の曽孫までで、ブルーノ公子の二人のお子はシャルトーレ公が所有する伯爵位の一つ、シジオス伯爵の家名を名乗っていた。
一方、シャルトーレ公よりも十歳年が若いレジナルド公にはまだお子がいない。正確に言うと、公妃との間にお子が生まれなかった。
愛人との間に獣人男児が一人いると噂に聞いていたが、モルド国では庶子に継承権はないため、その子に王族籍は与えられなかった。
そう言えば、レオーネ殿下の兄君に当たるミゼル王太子殿下にもお子がまだいらっしゃらないのだわと、ミルフィは今更のように思い出した。
結婚して三年が経とうとしているが未だお子が生まれる気配がなく、王族数の減少が心配だと父がぽろりと零していた。
とはいえ、家庭内不和で別居をしておられるレジナルド公ご夫妻と違い、王太子夫妻の仲は大層睦まじい。
子ができぬ事で周囲から白い目で見られ始めた妃殿下を、王太子殿下が陰になり日向になり気遣っておられるという話は兄からよく聞いていた。
「シャルトーレ公唯一の欠点は賭博好きという事だな」
ぼやくようにレオーネが言い、バレル殿下からのお誘いだったんだとミルフィはようやく知った。
「嫡男に男児も生まれ、人生に何の不満もないだろうに、何でああも賭け事が好きなのだろう。
下手をすると夜っぴてゲームに興じ、日が昇り始めた頃にふらふらになって寝所に向かうと聞くぞ。
使われる金は民から巻き上げた税金だ。いい加減、目を覚まして下さったらいいのだが」
溜め息をつくレオーネを見て、ディールが控えめに口を開いた。
「聞くところによると、負けが込めば込むだけ、人は変な高揚感に襲われるそうです。勝った時は勿論気持ちいいし、大きい金を失えば、それがまた快感に繋がるのだとか」
「理解したくもない……」
レオーネは嫌そうに首を振り、「あれがなければ、気のいいお方なんだが」と呟いた。
「いや、シャルトーレ公の欠点は他にもあった。
妙に気弱と言うか、小さな事をぐじぐじと気に病むあの性格は、何とかならないだろうか」
思い当たる節があるのだろう。ディールが何とも言えない顔で視線を逸らせた。
「シャルトーレ公は未だにあの女官の事を私に謝ってくるんだ。
確かに例の女官はシャルトーレ公の従姪で、姉上付きに推薦したのもあの方だが、別にシャルトーレ公が唆した訳でもない。
謝罪される度にあの事件の事を思い出さされるこっちの身になって欲しいものだ」
「どうやら、あの事件がきっかけで殿下が女性を嫌うようになったと、シャルトーレ公にはしっかりばれているようですね」
淡々とした口調でセバスが言った。
「あの件に関しては緘口令が敷かれましたが、王女殿下のお気に入りの女官が突然解雇され、その後殿下の寝所の警備が厳しくなりましたから、何かあったと勘付かれたのでしょう。
あのシャルトーレ公も不思議と言えば不思議な方ですね。どこか一本螺子が抜けているのに、妙なところで勘が働くところがあると言うか……。
ああいえ、これは失言でした。お忘れ下さい」
「構わない。見当違いの思考や行動がやたら多い方だからな。
事件の後、推薦人だったシャルトーレ公はあの女官についていろいろと聞かれた筈だし、私の周辺人事も大きく変わった。
女性使用人が私の傍から全て遠ざけられたのもあの頃だから、それで気付かれてしまったのだろう」
そう言った後、レオーネはがしがしと頭を掻いた。
「気付かれたのは仕方がないが、私に対して本当に悪いと思っているのなら蒸し返さねばいいものを」
十代前半の殿下を性的に襲ったという女官の話だわと……と、ミルフィはようやく気が付いた。
王族に仕える女官は王族か高位貴族の推薦を必要とする。
シャルトーレ公は慣例に従って第一王女の女官に従姪を推薦し、その女性が主の弟君に懸想をして、夜這いをかけてしまったという事なのだろう。
うん。これって別に、推薦人に罪はないわよねとミルフィは思った。
謝罪は必要だが、繰り返し言う必要はない。というか、事件を忘れたがっている当人にしつこくその話を振るなんて、あまりにデリカシーがなかった。
地獄への道は善意で敷き詰められているという言葉を聞いた事があるが、まさにその典型だと言っていいだろう。
「仕方ない。今日もせいぜい謝られてくるさ」
レオーニはうんざりと立ち上がり、ミルフィはレオーネの腕から抜け出てとんと床に飛び降りた。
それを目で追ったレオーネが、ふと思い出したようにセバスに聞いた。
「そう言えばミリィの寝床はどうなっている?」
「ご用意してあります」
セバスが目配せをすると、ディールがすぐに別室へ行き、やがて小さなバスケットを持って帰って来た。
ミルフィはまじまじとそれを見た。
籐でできた可愛らしいバスケットで、両側に持ち手がついている。ちょうどミルフィが丸まって眠れるだけの大きさだった。
バスケットの底にはふかふかのクッションが敷かれていて、上に掛ける毛布のようなものまで用意してあった。
「どちらに置きましょうか」とセバスが問い、レオーネはちょっと考えた。
「そうだな……。寝所には、ちょうど猫が遊びたがるような呼び鈴がある。
侍従用の方はともかく、緊急用の呼び鈴をミリィが引っ張ったら、騎士が寝所になだれ込んできて大騒ぎになるだろう。
寝所にはミリィを入れない方が無難だな」
是非ともそうして下さいとミルフィは思った。
男性の寝所で眠るなど、ミリィだってご免被りたい。
「では、こちらの部屋で寝かせましょう。
使用人がうっかりバスケットを踏まないようあちらの隅に置こうと思いますが、よろしいでしょうか」
暖炉の奥側のスペースをセバスが手で指し示し、レオーネは「ああ」と頷いた。
「場所はそれでいいが、ミリィが寝ている間はあまり立ち入らないよう使用人達に伝えておいてくれ」
「畏まりました」
レオーネはセバスの足元でうろうろしていたミルフィを抱き上げた。
「では行ってくる。
ミリィ、おいた(注:いたずら)は程々にな」
そう言って顔を寄せてきたレオーネはいきなりミルフィの鼻先に口づけてきて、ミルフィはその場に凍り付いた。
こ、これって、私のファーストキスになるの?
ものすごいショックを受けているミルフィには気付かず、レオーネは超ご機嫌でミルフィを床に下ろすと、鼻歌まじりに出掛けて行った。
女嫌いのくせに、メス猫への口づけは大丈夫って事?
いや、待って。今のは、鼻先に唇が触れただけだたからファーストキスなんかじゃないわ。
ミルフィは必死に自分にそう言い聞かせ、何とか気持ちを落ち着けた。
「では私達も一旦部屋に下がろう。
ミリィ様。申し訳ありませんが、首輪に紐をつけさせて下さい。
使用人が扉を開けた途端に逃げ出されるような事があっては、殿下が悲しまれます故」
ミルフィは不満を露わに唸ったが、結局はそれを了承した。
非常に不本意だが、紐を拒絶するとセバスかディールが居間のソファーで寝ると言い出し兼ねなかい。
それくらいなら紐に繋がれて眠る方が余程良かった。
幸い紐は長めにとられていて、部屋の中を自由に歩き回る事ができそうだ。
余程間抜けな事をしなければ、紐が体に絡まる事もないだろう。
ふと時計を見上げると、時間はもう夜の九時を過ぎていた。
今日はもう寝ようと、ミルフィはごそごそと寝支度を始める事にした。
レオーネは非常に困惑していた。
三時間以上、面白くもない賭け事に付き合わされ、先ほどようやく自分の居殿に帰ってきたところである。
エントランスで出迎えたセバスにジャケットを渡し、レオーネはその足でミリィが寝ている居間に向かった。
起こさないよう細心の注意を払って扉を開け、燭台の明かりを頼りに奥へと進んで、ミリィが寝ている筈のバスケットを覗き込んだ。
が、そこに目当てのミリィの姿はなかった。
レオーネは一瞬青ざめたが、バスケットの向こう側に毛布を被った塊を見つけてほっと安堵の息を吐いた。
だが、燭台を近づけたレオーネは、そこで見た光景に一瞬目を疑った。
何でこいつ、仰向けで寝ているんだ?
レオーネもトラ姿で午睡をする事はあるが、その時はうつ伏せの形で寝る。
いくら安全な王宮だからと言って、急所である腹を丸出しにして寝るなんてあり得ないからだ。
けれどミリィはそうした本能に欠けているらしい。
仰向けになって両手両足を伸ばし、いわゆる大の字となって気持ち良さそうにカーペットの上で眠っていた。
ご丁寧にバスケットに入れておいたタオルを腹の部分にかけ、腹を冷やさないようにしている。
こんな間抜けな姿で寝ている動物を初めて見たぞと心の中で呟きながら、レオーネはミリィの傍らに片膝をついた。
セバスが報告してきた通り、ミリィの首輪には紐がついていた。
どうやらミリィは寝る前に少し室内を探検したようだ。
バスケットの持ち手に括られた紐はテーブルの二つの脚に一回ずつ巻き付いて、更に椅子の足を八の字に括って、ミリィの首輪に繋がっていた。
このままだと後で困るだろうと思ったレオーネは一旦バスケットの持ち手側の紐を解き、テーブルや椅子の脚に絡んでいた紐を元に戻してやった。
かわいらしいピンクの肉球を突いてみたい衝動に駆られたが、さすがにそこまでするとミリィが起きてしまうだろう。
残念そうに小さく吐息をつき、レオーネはそっと後ずさった。
焦らなくても、これからいくらでもミリィと過ごす時間はあるのだ。
明日も思う存分モフモフしようと心に誓い、レオーネはそっとミリィの眠る居間を後にした。




