首輪をつけられる
「ミリィはどうしてる!」
ばんと大きく扉を開けられ、ミルフィは転寝から目を覚ました。
ふと窓の外を見ると、陽はすでに沈み、夕暮れの残滓のような明るさが空全体を覆っていた。
自分はかなり長い時間眠りこけていたようだ。
「ミリィ、ただいま。元気にしていたか」
王子からは石鹼の匂いがした。どうやら騎士団の視察の後、湯あみを済ませてきたようだ。
柔らかな金髪もまだ乾ききっておらず、急いでやって来たのが窺い知れた。
「みょぉぅ」
微妙です、とミルフィは答えた。
寝ていただけなのに、あれから更にお腹が減っている。
「何だか随分声に元気がないな。ネズミは食べたのか?」
レオーネの問いに、セバスは首を振った。
「何もお召し上がりになっておりません。
ネズミをお出ししたところ、怖がって部屋の中を走り回り、壁に激突されました」
「え」
「ならばと、新鮮なお魚をお出ししてみたのですが、こちらに見向きもされません。
もしかして、王宮に連れて来られた事が不満なのではないでしょうか」
「抗議行動という事か?」
レオーネが眉根を寄せる。
「やはりミリィ様はどなたかに飼われていたのではありませんか?」
「そんな事はない」
セバスの言葉をレオーネは強い語調で否定した。
「トラがいるようなパークに大事な飼い猫を連れてくるなんてあり得ない」
飼い猫じゃないしぃとミルフィは心に呟いた。
腹に力が入らないので、怒る元気もなくなっていた。
「それよりも、頼んでおいたものは届いたか?」
レオーネの言葉に、セバスが箱に入ったものを恭しく差し出す。
「取り敢えず間に合わせだけど、これで安心できる」
? とミルフィが首を傾げている間に、ミルフィはレオーネの膝に抱っこされていた。
何だろうとミルフィはレオーネを振り向いたが、次の瞬間、そんなミルフィの首に何かがするりと巻きつけられた。
「みゃ?」
何気なく、マントルピースの上に置かれていた小さな鏡を見たミルフィは、その正体を知って仰け反った。
赤色の皮の首輪がミルフィの首につけられていたのだ。
「うにゃあ!」
ミルフィにとってそれは人姿に戻る事を阻害する、最低最悪の代物だった。
猫の首周りに合わせて作られたそれは余りに小さく、このまま人に戻れば、確実にミルフィの首が締まる。
「みゃああああああああああ!(何て事するのよ!)」
「これで誰からも野良だとは思われないよ。良かったなミリィ」
良くなんかあるかぁぁぁ! とミルフィは心の中で絶叫した。
このまま一生猫暮らしなんて冗談じゃない!
ミルフィは恨めし気にレオーネを睨んだが、レオーネには全く通じなかったようだ。
「赤い首輪がよく似合っているよ。さすが私のミリィだ。一生大事にするからね」
嬉しげに体全体を撫で回され、思いっきり頬を寄せてすりすりされた。
空腹だったミルフィはもはや抵抗する元気なく、ひたすらレオーネにモフモフされる事になった。
この晩、レオーネは始終ご機嫌だった。
だって傍には可愛い可愛い白猫のミリィがいる。
今まで下働きの者達が猫を可愛がっている姿を見て、レオーネはいつも羨ましく思っていた。
獣人は小動物から嫌われる。というか、毛を逆立てて恐ろしがられる。
近付くぐらいなら許してもらえるが、手を差し伸べたりするとパニックを起こし、歯を剥き出して鳴き喚かれるのだ。
無理やり抱き上げたら、びきんと固まって、そのまま目を剥いて失神した猫もいた。
そんな自分に懐いてくれる猫がいるなんて、今でも信じられない。
幸せでどうにかなりそうだ。
一方のミルフィは、空腹でどうにかなりそうだった。
今日は朝食を済ませてから、何も口にしていない。
夕食の時間が近付いたのか、美味しそうな匂いがどこからともなくしてきて、それを嗅いだミルフィのお腹が自己主張するようにきゅるると鳴った。
「殿下。食事の支度が整いました」
「ああ。今、行く」
ミルフィを撫でていた手を止め、立ち上がったレオーネのズボンに、ミルフィは思わずがしっと爪を立てた。
自分がこんな空腹に耐えているのに、一人で食事に行こうとするレオーネが許せなかったからだ。
「ははは、ミリィはよほど私と離れたくないんだな」
勘違いしたレオーネはミルフィを両腕に抱き上げて上機嫌で言う。
ミルフィはこの能天気な王子様の顔を猫パンチしたい気分になった。
「食事の間に猫を連れて行くのは……」
セバスがやんわりと諫めるのへ、
「固い事を言うな。ミリィもおとなしくできるよな」
「にゃー」
ミルフィは投げやりに返事をした。
この誘拐犯と離れたくない訳ではないが、一人で食事を済ませて帰ってきたら、今度こそ恨みのあまり顔を引っ掻いてしまいそうだ。
レオーネの腕に抱かれ、ミルフィは部屋から外に出た。
ここは角部屋であったらしく、扉の左手側はT字型の突き当りになっていて、右手側は北に向かって真っ直ぐに廊下が伸びている。
レオーネは扉を出て右に進み、廊下の左手側にいくつも扉があるのが見えた。
右手側は一面壁になっていて、天井から床まである大きなガラス窓が等間隔で並んでいる。
外はすでに薄暗くなっていたためよく見えなかったが、ガラス窓の向こう側は西翼棟の内庭が広がっているようだった。
ミルフィがそっちに気を取られている間にレオーネはずんずんと廊下を進んで行き、四つ角を過ぎてすぐ右手側にあった部屋へと入っていった。
あっ。ここが食事の間なんだ。
ミルフィはレオーネの腕の中からきょろきょろと辺りを見回した。
部屋の中央にはキャンドルや花が飾られた長テーブルが置かれていて、右手側には暖炉がある。
長い背凭れのある椅子は全部で十脚。天井からは煌びやかなシャンデリアが吊るされ、部屋の隅には金泥の塗られた立派なハープがでんと鎮座していた。
さすが王子宮だけあって、なかなか豪華である。
長テーブルの一番奥の席にプレースマットが敷かれ、ナイフやフォーク、グラスなどが並べられていて、そこが王子の席だとわかった。
席に座る前、レオーネはディールにミルフィを預けようとしたが、ご相伴する気満々のミルフィはさっとレオーネの腕から下りて、斜め向かいの椅子にしゅたっと着地した。
そこでお行儀よくお座りをしてみる。
「みやあぉ」
ミルフィにもご馳走を出してくれないかというアピールだったのだが、レオーネにそれが通じたかどうかはわからない。
「まるで客人のように椅子に座るんだな」
レオーネは笑いながら席に着き、セバスが差し出してきたお絞りでゆったりと手を拭いた。
最初に運ばれたのは食前酒だった。
レオーネの前に置かれたグラスに赤いワインが注がれ、レオーネはゆっくりとその香りと味を味わう。
まだお酒を飲んだ事のないミルフィは、その様子を黙って見ていた。
暇なので後ろ足で耳を掻いていたが、続いて運ばれてきた前菜には思わず目が釘付けとなった。
金の縁取りがある大きな皿に、三種の料理がきれいに盛り付けられている。
マリネに添えられた野菜のコンディマンとおしゃれな容器に入ったかぼちゃのムース、そして鶏むね肉と彩野菜のテリーヌ。
レオーネは優雅な手つきで小スプーンを手に取り、空腹で涎を垂らしているミルフィには目もくれず、ふんわりとしたムースを口に運ぼうとした。
ゆ、許せん……!
我慢できなくなったミルフィは椅子からテーブルに飛び移り、レオーネが口をつけるより先に皿の中に顔を突っ込んだ。
「おい!」
驚いたように文句を言われたが、もうどうだっていい。
無理やり攫って来た上に、お腹を空かせているミルフィの前で一人だけ食べようとするなんて何の罰ゲームだ。
余りの不条理さに、淑女の嗜みも頭から吹き飛んだ。
テリーヌは細めの人参に黄色いパプリカ、オクラなどが使われており、鶏の出汁と野菜のうまみが凝縮されていて、まさに絶品である。
王家の料理って、最高!
ここに来て初めて幸せを感じたミルフィだった。
必死になってハムハムするミルフィを見て、レオーネもようやくミルフィがお腹を空かせていた事に気付いたようだ。
「殿下、申し訳ございません」
セバスが慌ててミルフィをどかせようとするのを、レオーネは手で止めた。
「どうせいつも余るんだ。少し分けてやるくらい何て事はない。
それよりも取り皿を多めに持って来てくれないか」
余った料理は使用人達に渡されるため、いつも多目に作られる。
ミリィが食べたらその分使用人の食事が減るだろうが、猫一匹が食す量などたかが知れていた。
美味しそうに料理を頬張るミルフィの頭をレオーネは軽く撫でてやった。
オードブルの次はさつま芋の冷スープと小さな取り皿が運ばれて来て、レオーネは小皿にミルフィのスープを掬ってやった。
「スープも飲むだろ?」
「みゅ!」
喉も乾いていたのでちょうどいい。ミルフィは遠慮なくいただく事にした。
これまで女嫌いで人迷惑な勘違い野郎の誘拐犯と勝手に決めつけていたが、ミルフィが食事を横取りしても怒らないし、むしろ進んで料理を分けてくれる。
意外とこの王子様はいい人なのかもしれないとミルフィは認識を改めた。
それに、何より料理が素晴らしかった。
三種のデコレーションソースが添えられた、豚肉と季節の野菜のミルフィーユ仕立て。近海の海で採れた新鮮な魚と海老のポアレ、レモンソース付き。旬の温野菜が添えられたステーキ肉にベイクドポテト、ホロホロチョウのガランティーヌとキジのローストパイ。
伯爵家の食事だってそれなりに美味しいが、王宮のは素材から拘り抜いている。
嗚呼、何て美味しいのかしら!!
ミルフィはこの場で猫躍りしたい気分だった。
デザートまでしっかりと堪能したミルフィは、再びレオーネに抱かれてさっきの部屋に戻ってきた。
膝の上にのせられたミルフィは、満足そうにゴロゴロと喉を鳴らした。
お腹が満たされたので、すっかり寛容な気分になっている。
ただし、王子の太腿は決して座り心地は良くなかった。床よりも柔らかいが、筋肉質なので結構硬い。
それに、爪を立てないように気を付けなければならなかった。うっかり爪を立てて傷でもつけたら、大問題になりそうだ。
ミルフィは頭を横を向け、くわっと大きな口を開けて欠伸をした。
寛いでいる場合ではないのだが、ここで焦っても仕方がない。
首輪をつけられてしまった以上人間には戻れないし、逃げだすチャンスをじっくりと窺うしか手がなかった。
その時に備え、今は英気を養っておこうとミルフィは自分に言い聞かせた。
今頃は両親や兄だって、ミルフィが誰かに攫われたと気付いている筈だ。
だってパークには猫を襲うような動物はいないし、危険な罠や落とし穴がある訳でもない。
ミルフィが水辺には近付かない事を家族は知っているし、そうなれば消去法で自ずと結論は出る。
王子は猫を可愛がる気満々なので、無体な事はされないだろう。
何事にも前向きなミルフィは、ちょっとしたバカンス気分でこの誘拐生活を楽しもうと結論付けた。




