持ち込まれた婚約話
「ブルーノ公子はお父君とはあまり似ていらっしゃいませんね」
マザコンで胡散臭い人間ですよねと言えなかったミルフィは取りあえずそんな感想を口にしたが、それを聞いたギムナ侯爵夫人は何とも言えない顔で苦笑した。
「お父君のようにならないように……というのが、レミリア公妃の口癖であられるそうよ」
「そうなのですか?」とミルフィは首を傾げた。
「シャルトーレ公は目立つお方ではありませんが、真っ直ぐで優しい方だと聞き及んでおりますが」
「確かに悪いお方ではないわ」
ギムナ侯爵夫人は穏やかに頷いた。
「ただ、何をしても様にならない方なのよね……。
あれはもう、生まれついたものだとしか言いようがないわ。
何事にも如才なく立ち振る舞う弟君に強い劣等感を覚えていらして、賭博にのめり込むきっかけとなったのも、それが原因でいらっしゃるみたい」
そうだったんだ……とミルフィはちょっぴりシャルトーレ公に同情を覚えた。
「そのせいで、若い頃から夫婦喧嘩が絶えなかったと聞くわ。
公妃は何とか賭博から手を引かせようとしたのだけれど、結局うまくいかなかったの。
妻に責められたらその場ではすぐに謝るのだけれど、舌の根が乾かぬうちにまた賭け事をなさるのだとか。
その上、大事で可愛いブルーノ公子までが父に感化されて大の賭博好きになってしまい、堪ったものではなかったでしょうね」
「ブルーノ公子も賭け事を好まれるのですか?」
初耳だったミルフィは目を瞠った。
「ええ。確か、歌劇場にある賭博場で遊ばれている筈よ。シャルトーレ公は自分の居殿で楽しまれているけれど、お父君と一緒にするのは気まずいみたい」
「賭け事にハマってしまうと、抜け出すのは難しいようですね。
だんだん賭ける額が大きくなり、下手をすると大きな借財を負うようになってしまうと聞いた事があります」
「シャルトーレ公はまさにその典型ね」とギムナ侯爵夫人は小さく首を振った。
「王都に持っていらした別邸をすでに二つとも売却されているの。
いずれも一等地にある広々とした邸宅で、レミリア公妃はかなり惜しまれたと聞くわ」
じゃあ、その一つをマリアーナ公妃が買い取られたんだとミルフィは心の中で呟いた。
でも、この会話についてはこれ以上深堀りしない方が無難だろう。
そう思ったミルフィはさりげなく話題を変える事にした。
「そう言えば、ブルーノ公子妃殿下が三人目をご懐妊中だと伺いましたわ。ご出産はいつ頃になるのでしょうか」
「確かこの冬ではなかったかしら。シャルトーレ公はきっと男児に違いないと、孫の誕生を今から心から楽しみにしておられるそうよ。
血が遠くなるからその子は王族扱いにはならないけれど、王家の血を引くお子が増えるのは心強い事だわ」
ギムナ侯爵夫人の言葉に、ミルフィは「ええ」と頷いた。
王統が先細りになっている事を、父や母も懸念していた覚えがある。
もしブルーノ公子に二人目の獣人男児が生まれれば非常に喜ばしいが、今はレドルス法の復活が審議されている真っ最中だ。
この慶事が貴族らにどのような影響を及ぼすのか、想像もつかない。
ミルフィがそんな事を考えていると、まるで心の中を読み取ったのように、ギムナ侯爵夫人が憂い顔で口を開いた。
「王太子殿下になかなかお子が生まれない事で王家の行く末を案じる貴族は増えていたけれど、まさか正面切ってレドルス法の復活を口にする方が出て来るとは思わなかったわ」
「はい。初めてそれを聞いた時は驚きました」
「今や宮廷は、改革派と保守派に分かれて喧々囂々となっているわ。
ここまで意見が二分してしまうと後々に禍根を残しそうで、それが案じられるわね。
保守派の筆頭はシャルトーレ公で、改革派の筆頭は弟のレジナルド公。私に言わせれば、宮廷を巻き込んで壮大な兄弟喧嘩をしているみたい」
「兄弟喧嘩、ですか」
確かにそうかもしれないと、ミルフィはちょっとだけ笑ってしまった。
「喧嘩はどちらに軍配が上がるのでしょう。私も臣下の一人として結末がとても気にかかりますけれど」
「今までは保守派が大勢を占めていたようだけれど、どうやらドルーソン侯爵が改革派に転向するようね。
世間はマリアーナ公妃に同情的だから、公妃のお父君が賛成に回れば、流れは大きく変わるかもしれないわ」
どうやらミルフィが兄に伝えた情報はすぐに王太子殿下に渡され、王妃様へと伝えられたようだ。
そしてその情報は、王妃様の義姉に当たるギムナ侯爵夫人とすぐに共有されている。
お二人はかなり密接な関係にあるのだと、改めて感じずにはいられなかった。
「今思えば、離婚を先に考えられたのは、レジナルド公ではなくてマリアーナ公妃であったのでしょう。
何もかもがあの方の思惑通りに進んでいるもの。
同じ女性としてお気持ちは理解できるけれど、随分前からそれを目論んでおられたとしたら、油断がならない方だと言わざるを得ないわ」
「……王宮には根強い改革派の方々がいらしたと聞いています。その方達がレジナルド公に法の改正を進言されたのでは?」
マリアーナ公妃の立場を悪くする事はミルフィの本意ではない。公妃に好意を抱いていたミルフィはすさかず擁護に回った。
「その可能性も勿論あるわ。
ただ、マリアーナ公妃やその周囲が根回しに動いていなかったかどうかを、今後は慎重に見極めていく必要があるでしょうね」
その後は当たり障りのない話が続き、少し会話が途切れた時、ミルフィはある心配事をギムナ侯爵夫人にご相談させていただく事にした。
「先ほど侯爵夫人は、レオーネ殿下が歌劇場で私に声を掛けられた事について、レミリア公妃がかなり苛立っているとおっしゃいました。
もしかすると関係のない話なのかもしれませんが……」
その先を少し言い淀んだミルフィに、ギムナ侯爵夫人は扇で続きを促した。
「何か気になる事があるの?」
「はい。三日前、家同士の繋がりが全くない家から、突然婚約の申し込みを受けたのです。
理由について、私をデビュタントボールで見初めたからだと綴っておられましたが、それにしては申し込みの時機が遅すぎます。
政略的にも何のうまみもない縁段で、何故申し込まれたのかもわかりません。
もしかしたら、歌劇場の一件が関係しているのかもしれないと父が案じておりました」
ギムナ侯爵夫人は厳しい表情になった。
「そのお相手はどなた?」
「デュガン子爵、オルドー・フライル様です」
「デュガン子爵……」
侯爵夫人は息を呑んだ。
「レミリア公妃が疎んでおられた従甥ね。まさかこんなところで名前を聞くようになるとは思わなかったわ」
そう呟いたギムナ侯爵夫人は、記憶を辿るようにこめかみのあたりに手を当てた。
「あの方は確か、昨年お父君が亡くなられて子爵位を継いだばかりと記憶しているけれど」
「はい。私もそのように伺っています」
父の急逝によって子爵家の当主となったため、年齢もかなり若い。今年で二十二歳になると聞いていた。
幼い頃に母エミリアを失っていたが、このエミリアは先々代のラーゼス侯爵を祖父に持ち、レミリア公妃とは従姉妹の関係になる。
皆が羨む名門の出であったが、かなり格下のデュガン子爵と恋に落ちて結婚し、オルドーが生まれていた。
「レミリア公妃は子爵家に嫁いだ従姉妹姫の事を、一族の恥さらしだとよく口にしていたわ。
だから従姉妹姫が亡くなられた時も、弔問の使者すら出さなかったの。子爵家は大いに面目を潰した事でしょうね」
「弔問の使者も……」
ミルフィは思わず息を呑んだ。そんな事をすれば、縁を持つ価値もないと周囲に言い放ったも同然だ。
「デュガン子爵は大叔母に当たるレミリア公妃の関心を引こうと躍起になっていたわ。今後自分がのし上がっていくためには、レミリア公妃の力添えが不可欠ですものね。
その方が今になって貴女に求婚を? 裏があるとしか思えないわ」
ミルフィは瞳を伏せた。父もまたその事を強く案じていた。
「それで?」とギムナ侯爵夫人は厳しい表情でミルフィを見た。
「縁談はちゃんとお断りしたのかしら」
「はい」
「ならばいいけれど」
ギムナ侯爵夫人は僅かに唇を引き結んだ後、ミルフィに声を掛けてきた。
「相手側が諦めずに何かを言ってくるなら、私に言いなさい。力になるわ」
「ありがとうございます」
ミルフィは唇を綻ばせた。
今のタウジ家にとっては何よりも心強い言葉だった。
「両親もこの件に関してはかなり神経質になっておりました。
レミリア公妃の口利きで始まった話なら、こちらが断ってそれで終わり、という話にはならないでしょう。
その件もあって、私はしばらく王都を離れる事になりました」
「王都を離れる?」
ギムナ伯爵夫人は僅かに眉宇を寄せた。
「はい。タウジ家は、王都の北西にベルデンという領地を持っております。そちらでしばらく静養してはどうかと父が申しまして……」
それは、デュガン子爵からの縁談の申し込みがある以前から、漠然と持ち上がっていた話だった。
一介の伯爵令嬢が第二王子の特別桟敷席に挨拶に行き、その事でレミリア公妃から目をつけられた。
しかもその翌日に、同じく王族の一員であるマリアーナ公妃のお茶会に招かれ、数日後には王妃様の生家であるギムナ侯爵家にも伺う予定になっている。
ここまで目立つ行動をすれば、周囲から反発や圧力を受ける可能性が高く、これ以上王都に置いておくのは危険だと両親は考えたのだ。
「どのくらいまでベルデンに滞在される予定なの?」
「建国祭の前々日に王都に戻る予定でいます。その晩は祖父のアマンテ伯爵家に泊まり、翌日の昼前に家に帰るようになるかと」
実を言うと、最初ミルフィは王都を離れたくないと両親に訴えた。
ベルデンに行ってしまえば、しばらくレオーネと会えなくなる。それが嫌だったからだ。
けれど両親の考えは揺るがなかった。
ミルフィが駄々をこねている間も両親は着々と手筈を整え、その判断が正しかったと知ったのは、歌劇場を訪れた四日後に、デュガン子爵オルドーから縁談が申し込まれた時だった。
『この話は家として正式に断るが、このまま向こうが黙っているとは思えない。これ以上レミリア公妃を刺激しないために王都を離れなさい』
改めてそう言われたミルフィは、ベルデンに発つ事が正しいのだとようやく自分を納得させる事ができた。
ミルフィの話を聞いたギムナ侯爵夫人も大きく頷いた。
「それがいいでしょうね。正式に立場が決まるまでは目立たない事が一番ですもの。
レミリア公妃は侮れないわ。今は王都を離れていた方が安全でしょう」




