ギムナ侯爵家に呼ばれる
「……なるほどね」
ミルフィの言い分を聞いたイザークは小さな吐息をついた。
「どうやらミルフィは、随分マリアーナ公妃の事を信用しているみたいだ。
素直で優しいのはミルフィのいいところだけれど、私は妃殿下の言い分だけを一方的に信じる気にはなれないな。
私は妃殿下の人となりをよく知っている訳ではないが、それなりに強かで計算もできる方だと思っているよ」
「兄様は、レジナルド公のお子について妃殿下が嘘をついていらっしゃると思っているの?」
「いや」とイザークは首を振った。
「子どもの父親がレジナルド公ではないと妃殿下が確信しておられるのなら、それはおそらく事実だろう。
そんな事で嘘をついても仕方がないからね」
そうよねとミルフィも頷いた。
「それに、レジナルド公の女癖の悪さは有名なんだ。かなり遊んでおられるようだが、その割には庶子の数が極端に少ない。
御前会議での発言があってから、レジナルド公の周辺を調べていたんだが、マリアーナ公妃のおっしゃる通り、愛人の貴族女性は訳ありだった。
歴史と伝統を持つ子爵家の長女だが、先々代の当主が博打にはまり、首まで借金に浸かっていたそうだ。
当主は何としてでも家を再興させたいと思ったのだろう。
美貌に優れた長女ならばレジナルド公を篭絡できると踏んで、レジナルド公が顔を出す夜会に長女を着飾らせて連れて行き、そしてまあ、思い通りになったという訳だ」
「……」
「ミルフィも知っている通り、未婚の貴族女性には貞節が求められる。だからレジナルド公は、手を出した責任を取って居殿に迎え入れた。そして、その貴族家が立ちゆくだけの支援もしてやったらしい。
ただ、愛人を迎え入れて三年が過ぎても、二人の間に子は授からなかった。
レジナルド公はその愛人をだんだん粗略に扱うようになり、生家への支援も渋るようになっていたと聞く。そんな折、愛人の懐妊が発覚したんだ。
月満ちて生まれた子どもは獣人の男児で、自分の血を引く子供が欲しかったレジナルド公は大喜びをした。
いずれどこかの貴族の養子にして、身分を調えてやらなければならないと周囲に話していたようだが、その考えがいつ変わったかは不明だな。
まさか、数十年前に廃止されたレドルス法の復活を思いつき、それを御前会議にかけてくるとは夢にも思わなかった」
それを思いついたのはレジナルド公ではないとマリアーナ妃が口を滑らせた事について、ミルフィは兄に話さなかった。
話してしまえば、この話は王太子殿下にまで筒抜けとなってしまう。
ある程度の事情は兄に話さなければならないにせよ、マリアーナ公妃様が疑われるような事をミルフィはわざわざ口にしたくなかった。
「前回、マリアーナ公妃が王太子殿下と話をされた時、公妃はこの結婚生活に疲れ切っていると口にされたね。
これは私の勘だが、レジナルド公にレドルス法の復活という考えを吹き込んだのはおそらく公妃なんじゃないかな。
あの二人は不仲だから、誰か別の人間を使って、うまいことレジナルド公を唆したのだろう」
「そ、唆しただなんて……」
私が言ってもいないのにどうして勝手に正解に辿り着いちゃうの? とミルフィは一人で焦りまくった。
だから一応、小さな声で言い返した。
「勝手な憶測で決め付けるのは良くないんじゃないかしら」
「単なる憶測じゃないさ」
イザークは笑った。
「考えてごらん?
自分達の間に子ができなかったのは、レジナルド公の方に問題があると妃殿下は信じておられる。
にも拘わらず、石女の汚名を着せられているのは妃殿下の側で、かなりの恨みを抱いておられる筈だ。
一方のレジナルド公は、愛人との間に獣人男児が生まれたと信じて浮かれ切っている。
いっそ正式な跡取りになさったらと耳元で囁かれ、どうすればそれが可能かを入れ知恵をしてくる人間がいたとしたら、レジナルド公はすぐにその気になっただろう。
レジナルド公の口からレドルス法の復活という言葉が出た事で、周囲は一気に妃殿下に同情的となった。
お父君のドルーソン侯爵は、娘から王族妃の地位まで取り上げるつもりかと憤っておられたようだが、そうした言葉の駆け引きは貴族にとっては朝飯前だ。
どうしても離縁をしたいレジナルド公は、結局は、ドルーソン侯爵側からの提案を全部呑む形で同意を取り付けたのだろ?
妃殿下にとってはいい事尽くめだ。
女癖の悪い夫とは離縁でき、離婚後の地位や財産も保証される。
これでもし、別の相手と結婚したマリアーナ公妃に子が生まれれば、不妊の原因は実はレジナルド公側にあったのではないかと囀る者も出て来るだろう」
確かにその通りだわとミルフィも思った。
「でも、もしレドルス法の復活を最初に考え付いたのが妃殿下でいらっしゃったとしても、あの方がお優しい方である事は間違いありませんわ」
それだけは譲れないとミルフィが反論すると、イザークは宥めるように妹の頭を撫でてきた。
「放逐されたメイドに手を差し伸べた事は確かに評価されるべきだね。
ミルフィの言う通り、なかなかできる事ではない。
夫の心を奪った泥棒猫だと罵っても、おかしくないところだからな」
「どうしてそこで、猫という言葉を持ち出されるのですか?」
ミルフィはむっとしてイザークを見上げた。
猫獣人のミルフィとしては、その比喩は我慢ならない。
「ああ。猫という言い方はまずいか。
じゃあ、夫の心を奪った女ギツネでどうだ?」
「それならまあ……、いいですけれど」
渋々ミルフィが折れると、
「いいのか? お前、キツネに対してとことん失礼な奴だな」
心底、呆れた口調で兄にそう言われ、ミルフィは思わず目を剥いた。
何でミルフィが悪く言われなきゃならないの? と言い返そうとしたら、イザークはぶっと噴き出し、そのまま腹を折って笑い始めた。
端にミルフィをからかって遊びたかったらしい。
しようのない兄様だなあとぷんすか怒るうちにミルフィの憂いもすっかり飛んでしまい、ギムナ侯爵夫人のお茶会に招かれた時の注意について兄に相談するのをすっかり忘れてしまった。
それから五日後、ギムナ侯爵家を訪れたミルフィは、通された応接の間でひたすら冷や汗をかいていた。
遡れば王族の血を引くと言われるギムナ侯爵家の、お城とも見紛うような絢爛豪華なお屋敷に圧倒されていたからではない。
侯爵夫人のお茶会に招待された令嬢がミルフィただ一人であると、到着して初めて知らされたからだ。
いや、確かに邸宅の内装は素晴らしかった。
胴張りのある円柱やアーチ、コーニスなどには金箔が張られていて、廊下の床は大理石の二色張りだ。
応接間には重厚な緋色のカーテンが掛けられていて、見事な房飾りのロープタッセルで留められていた。
部屋の中央、やや書棚寄りには瀟洒なチェンバロが置かれていて、ブラウンの側板に金で施されたボタニカル模様が美しい。
その向こうに折り畳まれた形で置かれている衝立は室内の装飾と合わないような気もするが、まあ、好みは人それぞれだ。侯爵家の趣味にケチをつけるつもりはなかった。
「どうぞお寛ぎになってね」
ギムナ侯爵夫人からは優しく言葉を落とされたが、この状況で寛げる令嬢がいたら是非とも教えて下さいとミルフィは心の中で叫んだ。
ギムナ侯爵夫人とは初対面で、今まで何の接点もない。
年齢は王妃様の二つ上とお聞きしているから、年齢はおそらく四十代半ばだ。話が合う自信もなかった。
ギムナ侯爵夫人は貴婦人の中ではやや小柄だが、王宮内では独特な存在感を放っている。
夫君であるギムナ侯爵は王妃の実兄で、王妃は殊の外、義姉であるこの侯爵夫人を頼りにしていた。
先だっての夫人の誕生日には自分と揃いの装飾品をプレゼントして、王宮の話題に上ったほどだ。
「この度はお招きに預かりまして……」
そう頭を下げながら、どうしてこの場に私が呼ばれたのかしらと、ミルフィは往生際悪く心の中で呟いていた。
一介の伯爵令嬢であるミルフィにとって、王妃様の親族であるギムナ侯爵夫人は、まさに雲の上のお方だ。
バウアーパークで誘拐されて以来、やたら身分の高い方にお目にかかる事が多くなったミルフィだが、一面識もない高位貴族と人姿で二人きりにされて、もう心臓はバクバクだった。
でもまあ、王陛下御夫妻にお目にかかった時に比べれば、まだ少し余裕があるかもしれないとミルフィは思い直した。
あの時は猫姿だったが、鳴き方も歩き方もわからなくなるくらい頭の中がぐるぐるになった。
パニクっている間にバスケットの蓋を開けられ、あの時は自分の人生ももう終わったと思ったものだ。
ギムナ侯爵夫人はにっこりと微笑んでミルフィをじっと見ている。
何をおっしゃりたいのだろう。
まさか私が猫に変態する事はご存じないわよねと、ミルフィはぎこちなく膝の上で両手を握り合わせた。
微妙な沈黙が続く中、自分の今までの振舞いの何がいけなかったのだろうかとミルフィは忙しなく思考を巡らせた。
招待状が来たのは武闘大会の翌日だったから、武闘大会でレオーネ殿下から言葉を掛けられた事を快く思われなかったという可能性が高い。
それ以外だと、ミルフィが猫に変態する事を知って確認のために呼んだという事も考えられたが、王夫妻よりこの事実は固く秘しておくよう命じられている。
だからご存じである筈がなかった。
「実は王妃様から、内々に貴女の事を相談されたのよ。貴女、猫に変態するんですってね」
おう!
自分があり得ないと思ってい仮説のまさかが正解だと知り、ミルフィは大きく仰け反った。
王妃様、言っちゃったんだ。秘密にしておきなさいねって私にはおっしゃったのに、義姉君には相談しちゃったんだ……とミルフィは半笑いで心にそう呟いた。
でもまあ、それだけ王妃様は義姉君を信頼しているという事なのだろう。
「レオーネ殿下が最近明るくなられた事は私も気が付いていたの。
バウアーパークで人懐こい猫を拾ったと王妃様から伺って、最初は耳を疑ったわ。まさか、獣人に怯えない猫がいるなんて思わなかったから。
貴女は知らなかったと思うけれど、王宮の一部ではかなり話題になっていたのよ。
その猫に会いたいと思う貴族は多かったけれど、殿下は見世物ではないと断られていたわ。
話題に上る事も好ましくないと考えておられたみたい」
「そうだったのですね」
裏でそんなやり取りがなされていたなんてミルフィは知らなかった。
「殿下がパークで猫を逃してしまったと聞いて、さぞ気を落とされているのではと心配したわ。
そんな時に王妃様から事の真相を伺ったの。あの猫は実はタウジ伯爵令嬢だったのだって。
あの時は本当に驚いたわ」
その口調にミルフィが猫に変態する事への拒否感や嫌悪はなかった。
その事に深い安堵を覚え、ミルフィは肩から力を抜いた。




