公の場での言葉掛け
顔見知りの従兄弟達にお菓子を配っていると、そこに再びアドルフがやってきた。
試合後は一族席から離れて他の貴族と挨拶を交わしていたようだが、ひとしきり交流を温めて、場に戻って来たらしい。
「私にももらえるか?」と声を掛けられ、「勿論です」とミルフィはバスケットから包みを取り出した。
差し入れの焼き菓子はペーパーナプキンに包まれ、上部がリボンで留められている。
中身は、クッキー生地の上にアーモンドスライスがキャラメルコーティングされた焼き菓子で、イザークの好物の一つだった。
「今回は残念だったな」
そう声を掛けてくるアドルフに、「はい」とミルフィは微笑んだ。
「結果的には負けてしまいましたけれども、兄は力を尽くしたと思います。私にはそれで十分です」
「総合枠で出場するのは騎士の夢だからな。
イザークには敬意を表するよ。できれば私もこの大会の出場者に名を連ねたかった」
「弓術の予選では、かなりいいところまで進んだと兄から聞いておりますわ」
「上位に残っても、出場できなければ意味がない。いいところを見せて、あの話を再考してもらう予定だったのに……」
ぼやくように落とされた言葉に、ミルフィはあらと顔を上げた。
「いいところを見せたい女性でもいらっしゃったのですか」
ミルフィにとってアドルフは、思い通りにならないとすぐに手が出るやんちゃなガキ大将というイメージしかない。
そんなアドルフに意中の相手がいるなど、考えた事すらなかった。
本気で驚いているミルフィを見て、アドルフは「嘘だろう」と呟いた。
「まさかお前、何も聞いていないのか?」
「聞いていないかって、一体何のお話でしょうか?」
先ほどから、会話が全く嚙み合わない。
困ったようにアドルフを見つめていると、アドルフは一瞬唇を引き結び、意を決したように口を開こうとした。
とそこへ、親族への挨拶を終えたらしいイザークが近付いてきた。
困惑しているミルフィの表情から大体の流れが読めたのだろう。
「アドルフ、久しぶりだな」
後ろから軽くアドルフの肩を叩き、イザークは強引に会話に混ざってきた。
「まずは素直になる事だと言っただろう」
イザークはアドルフの肩に手を回し、その耳元に唇を寄せる。
「いくら大事に思っていたとしても、行動が伴わなければ何の意味もない。伝える必要がないと思ったから、こちらで遮断した」
イザークの顔を見たアドルフは忌々しそうにその手を振り解き、イザークはおどけるように両手を上げてみせた。
アドルフはいずれボードン侯爵の名を継ぐ身であり、血筋だけを見れば、伯爵家の継嗣であるイザークよりも立場は上である。
ただイザークは幼い頃からアドルフと交流もあり、幼い頃の二歳差というのは二人の力関係に大きな影響を与えていた。
それにイザークは今、ミゼル王太子の近衛騎士を拝任している。それは貴族社会では重んじられるべき事項だった。
「ねえ、お兄様。一体何の話を……」
そうミルフィが問い掛けた時、不意に場がざわめいた。
驚いてそちらに目を向ければ、数人の護衛騎士を従えた第二王子レオーネが、イザークの方に向かって歩いてくるところだった。
武闘大会を主催する王族が、決勝に勝ち進めなかった出場者達を慰撫するのは決して珍しい事ではない。
意図を知った貴族らはすぐにレオーネのために道を開け、イザークのところまで真っすぐに空いた空間をレオーネが威風堂々と歩み寄って来た。
「タウジ伯爵令息」
普段は、イザークと名前を呼び捨てるレオーネだが、ここは私的な場ではない。
爵位名で呼びかけられたイザークは「はっ」と背を正し、右腕を胸の前で折る最上級の礼をした。
「この度は見事な健闘だった。
あの重い蹴りをよく持ち堪えたな。普通ならあれで地面に叩きつけられるところだが、よく踏ん張って果敢に攻めたてたものだ」
武闘大会における剣術試合は、体術を組み合わせる事も可とされている。
剣術の部であるため、剣以外の武器の使用は許されていないが、それ以外であれば、相手に肘打ちを食らわせようが蹴りを放とうが、何をしても構わない。
唯一禁じられているのは足元の土を相手の目潰しに使う事で、相手が剣を落とすか、あるいは「降参」の言葉を引き出すまで、勝負は続けられる事になっていた。
イザークの場合は最終的に剣を弾き飛ばされ、無防備となった首に剣を突き付けられてそこで決着がついていた。
「相手の蹴りは予想しておりましたが、肘で衝撃を防ぎきれず、体勢を崩しました。
あれが敗因となった事は間違いありません。
今後は尚一層の精進に努めて参りたいと思っております」
「貴公の今後の活躍を期待している」
二人が和やかに言葉を交わす傍らで、ミルフィは静かに頭を下げていた。
仮面舞踏会でレオーネと話をした時、武闘大会の時にどこかで出会えるかもしれないねと言われたが、まさか本当にそうなるとは思わなかった。
ひっそりと嬉しさを噛み締めていたら、イザークへの労いを終えたレオーネが、何故かミルフィの方に向き直った。
「卿の妹君か」
問われたイザークが、戸惑ったように「はい」と返事をした。
王族がこうしてわざわざ言葉にしてきたという事は、その相手と話がしたいという明確な意思表示に他ならない。
イザークはミルフィに顔を向けた。
「ミルルフィーヌ。第二王子殿下にご挨拶を」
兄に促されたミルフィは高鳴る胸を抑え、レオーネに向かって一歩前に進み出た。
「タウジ伯爵令嬢、ミルルフィーヌ・ヴェルシェにございます」
「レディ・ミルルフィーヌ」
ミルフィが顔を上げるのを待って、レオーネはにこやかに語り掛けた。
「デビュタントボールでは今年、私が貴女のお相手を務めた。覚えているだろうか」
「……ッ! 忘れる筈がございません」
覚えていて下さったのだ……。
くすぐったいような嬉しさが込み上げてきて、ミルフィは緩みそうになる口元を必死に引き締めた。
「覚えていただけていたとは存じませんでした。光栄に存じます」
「もしかして、どこか他の場所でも会ったかな?」
いたずらっぽい口調で更にそう続けられ、ミルフィは反射的にふるふると首を振った。
「お気のせいではないかと……」
「そうか。では私の勘違いだな」
口ではそう答えながらも、レオーネの目は笑っている。
この方は、先日仮面舞踏会で言葉を交わした令嬢が私であると気付いておいでなのだと、ミルフィはもう、天にも昇るような気分になってしまった。
わかってしまうのも無理はない。
あの日ミルフィは、目元だけを覆う透かし彫りのマスクしかしていなかった。
互いに目を見つめ合うように長い時間話をしていたから、レオーネはすぐにミルフィに気が付いたのだろう。
今回、兄の傍にたまたま私がいるのを見つけて声を掛けてくれたのよねとミルフィは思ったが、それにしては自分を見つめるレオーネの表情に一切の動揺がないのは不思議だった。
もしかすると、仮面舞踏会で声を掛けられた時は、すでに私の正体に気付いていた?
そう考えたミルフィは、あり得ないとすぐにその可能性を否定した。
タウジ家令嬢として殿下とお会いしたのは、デビュタントのダンスの時だけだ。
多くの貴族令嬢の挨拶を受ける殿下が、一度ダンスの相手をしただけの令嬢の顔を覚えている筈がない。
おそらく殿下は何も知らぬまま仮面舞踏会で私をダンスに誘い、今日たまたま、兄の傍にいるミルフィを見つけて声を掛けてきたのだろう。
それにしても、自分がデビュタントの相手をした令嬢の事をよく覚えておられるものだと、ミルフィはその記憶力に脱帽した。
何か言葉を返そうかと思ったが、何を話していいのかがわからない。
だから黙って頭を垂れていたのだが、そのまま立ち去るかと思っていたレオーネは再びミルフィに言葉を掛けてきた。
「差し入れの菓子を皆に配っていたのかな」
「はい」とミルフィは微笑んだ。
「兄を応援して下さった方々への感謝を込めて持参致しました」
「では、私にも一つもらえないだろうか」
ミルフィは驚いて、手元のバスケットに目を落とした。
「けれどこちらはアーモンドスライスがのったクッキーで……」
そう言いかけたミルフィは、自分の失言に気付き、顔から血の気が引くのを感じた。
仮面舞踏会でお互いの事を語り合ったミルフィは、レオーネがアーモンドを少し苦手としている事を知っている。
けれどここは公の場であり、一伯爵令嬢に過ぎないミルフィが第二王子の好みを知っているというのはあまりにも不自然だった。
それにこれは個人の嗜好、それも王族に関わる話題だ。
人前で迂闊に喋っていい類のものではない。
ミルフィは不自然に黙り込んでしまい、微妙となった空気をごまかすように、レオーネがにこやかに話しかけてきた。
「タウジ伯爵令息から聞いたのかな? 私が兄君との茶会の場でよく口にしていたからね」
身に覚えのないイザークは困惑したように瞳を揺らしたが、そういう形でおさめなければ妹が困った立場に置かれるとすぐに理解したようだ。
「私が妹の前でつい口を滑らせました。幾重にもお詫び申し上げます」
イザークは潔く頭を下げ、「別に構わない」とレオーネは笑った。
「食感が少し苦手と言うだけで、食べられない訳ではないからね。それより、そのお菓子をもらって構わないかな?」
改めてミルフィに声を掛け、「勿論でございます」とミルフィは頭を下げた。
「お口に合えばよろしいのですけれど……」
「ありがとう。大切にいただくよ」
レオーネは受け取った菓子の包みを護衛の一人に渡した。
それから一連のやり取りをじっと見ていた周囲の貴族を眺め渡して、さりげない口調で釘をさした。
「私がここで差し入れを受け取った事は他所で漏らさないでくれ。
人に知られたら、他の令嬢達からの菓子を断る口実がなくなってしまうからね」
言葉は柔らかいが、有無を言わせぬ響きがそこにはあり、周囲にいた者達は一斉に頭を下げた。
軽い口調で言われたが、これは王族からの命に他ならない。
万が一にもこの事が人の口の端に上り、噂の発信源を特定されてしまったら、自分達は第二王子の不興を買うようになるだろう。
「心得ました」
前列にいたイザークが親族らを代表してそう答え、それを聞いたレオーネは満足そうに頷いて踵を返した。




