武闘大会にて
その四日後はまさに祝祭日和だった。
空は目映いほどに青く澄み渡り、雲一つない。
闘技場は一万人近い観客で埋め尽くされ、やがて重々しい銅鑼の音と共に、武闘大会開催が王によって厳かに宣言された。
時を置いて響き渡るのは、空気を震わせるような勇壮なラッパの音だ。
最後の一音が消えた後、白い杖を手にした華やかな出で立ちの紋章官がフィールドに進み出て、出場者の名前を呼び上げ始めた。
呼名と共に姿を現すのは、厚総や泥障などで飾り立てられた馬に騎乗する雄々しい騎士だ。
鎧兜の上に纏う外衣はいずれも華やかな刺繍が縫い取られた煌びやかなもので、入場門から騎士が入場するごとに、会場内に大きな歓声が沸き起こった。
いよいよ兄イザークの番になり、ミルフィは固唾を呑んでその瞬間を待った。
「タウジ伯爵子息、イザーク・レゼルト」
兄が姿を現した瞬間、タウジ伯爵の一族が集う一角の人間は総立ちとなった。
イザークが手に持っているのは、紺色の生地に三つの根笹が黄色く抜かれたタウジ伯爵家の旗だ。
鎧の上に纏う外衣や馬の泥障なども家紋と同じ紺色で揃えられていて、鮮やかな刺繍が施されたその泥障はイザークが騎乗する白馬によく映えていた。
因みにイザークは今、暫定的にレヴィット子爵を名乗っているが、この家名はタウジ伯爵家が持つ付属爵位の一つで、本来は父であるタウジ伯爵に帰属するものだ。
そのためこの場では、タウジ伯爵令息として紹介された。
堂々たる姿で場内を一周するイザークの姿にミルフィは黄色い悲鳴を上げ、手が痛くなるほど手を叩き続けた。
「何て素敵なの!」
ミルフィがうっとりと感動に浸っていると、不意に後ろから声を掛けられた。
「兄貴の晴れ姿を見るのがそんなに嬉しいのか?」
どこか不機嫌そうなその声にミルフィは一体誰なの? と後ろを振り返る。
そしてそこに天敵ともいえる男性の姿を認めて、思わず顔を顰めそうになった。
又従兄弟のボードン侯爵令息、アドルフ・デルゼートだ。
現在は、侯爵家が持つ爵位の一つ、エディス子爵を名乗っている。
何でわざわざ私に絡んでくるのかしらとミルフィは天を仰ぎたくなった。
アドルフはすらりとした体つきをしていて、顔立ちも整っている。
父譲りである褐色の髪にすっきりとした一重の青い瞳をしており、それなりにモテると聞いた事があった。
周りに目を走らせれば、ちらちらとアドルフの方を目で追っているご令嬢の姿が見える。
私よりそっちに声を掛けなさいよとミルフィは心の中で盛大に文句を言った。
アドルフとの思い出にはろくなものがない。
侯爵家の跡取りで幼い頃から体の発育も良かったから、アドルフは子ども達の中でもかなり目立つ存在だった。
そのアドルフに何故か目をつけられていたため、ミルフィは一族の集まりに行く度に散々な目に遭わされた。
子どもの頃の話なのでいつまでも根に持っているのは間違っていると頭ではわかっているが、ひと度植え付けられた苦手意識は理屈では消せない。
できれば関わりたくなかったが、声を掛けられた以上は仕方がないとミルフィが口を開き掛けた時、アドルフが尊大な口調で言葉を続けてきた。
「私の勇姿は見に来ないくせに、兄貴のだけは来るんだな」
思わぬ言い掛かりに、ミルフィは目を瞬いた。
これは去年、アドルフが新人騎士枠で武闘大会に出場した時、ミルフィが欠席した事を言っているのだろうか。
確かにアドルフの晴れ舞台を欠席をしたのは悪かったと思う。
けれどあの日、ミルフィは到底外出できるような体調ではなかった。
何せ一晩中、ほとんど一睡もせずにおまるにかじりついていたからだ。
それを知る両親は家で休んでいるようにとミルフィに言い、ヘロヘロになっていたミルフィはそれに従った。
だから責められる謂われはないと思ったが、晴れ舞台を欠席してしまった事については素直に悪かったなと感じていたので、すぐに頭を下げた。
「あの時は欠席して申し訳ありませんでした」
「本当に夏風邪だったのか?」
疑わしそうにそう言われ、え、まさか私がお腹を下した事を知っているのと、ミルフィは顔を強張らせた。
まさか、うちの家から情報が漏れたなんて事はないわよね……とミルフィは背中にどっと嫌な汗をかいた。
もしそうなら、天敵であるアドルフに何を言われるかわかったものではない。
一方のアドルフはミルフィの動揺を別の意味に捉えたらしかった。
「やはりそうか。わざと欠席したんだな」
そう言ってミルフィを不快そうに睨め付けてきたので、ミルフィは慌てて否定した。
「違います。わざと欠席する筈がありません。大体そのような不義理を、両親や兄が許す筈がないでしょう?」
武闘大会の出場は、一族を上げて称えるべきものだ。
たとえどんなにいけ好かない相手であろうと、ミルフィはきちんと筋を通すつもりだった。
そんな誤解をされるなんて不本意である。
「じゃあ、先日母が開いた昼餐会には何で来なかった」
「……夏風邪です」
正確にはバウアーパークでレオーネ王子に誘拐され、王宮に留められていた訳だが、タウジ家にとってミルフィが猫に変態する事はトップシークレットだ。
本当の理由を口にできる筈もなかった。
「都合よく夏風邪を引くんだな」
「……エディス子爵」
ミルフィは溜め息を堪えてアドルフに向き直った。
「本当に行きたくないのであれば、ご招待自体をきちんとお断りしていた筈です。
伺うつもりでおりましたが、本当に行く事ができなかったのです」
真摯にそう釈明したが、ミルフィの言葉にアドルフは何故かいよいよ機嫌を降下させた。
「どうして昔みたいに名前で呼ばないんだ」
「呼べる訳がないでしょう」
ミルフィは思わず呆れた口調で言い返した。
「私達はもう成人しております。いくら幼い頃から交流がある方とはいえ、婚約者でもない男の方を名前で呼ぶ訳には参りません」
どうしてこんな訳のわからない事を言ってくるのかしらと、ミルフィは心底イラっとした。
兄の勇姿をもう少し見ていたかったのに、アドルフが話しかけてきたせいで、碌に見る事もできなかった。
苛立ちを抑えようと、ミルフィは小さく深呼吸をした。
今日は兄にとってこの上もなく喜ばしい日だ。
こんなところで嫌な気分を引き摺っている訳にはいかないと、ミルフィは無理やり唇に笑みを張り付けた。
「エディス子爵。王族による模範演技が始まるようですわ。もうお喋りは止めに致しましょう」
尚も話しかけてこようとするアドルフを、ミルフィは柔らかく遮った。
披露を終えた出場者達が、闘技場の隅に退き始めている。
アドルフもこれ以上私語を続けるのはまずいと思ったのか、おとなしくミルフィの斜め後ろに腰を掛けた。
ややあって、闘技場の中心部に姿を現したのは第二王子のレオーネで、ミルフィは思わず目を輝かせた。
そう言えば、王太子妃シャーロットの傍の席がいつの間にか空いている。
今年はレオーネ殿下が模範演技を行われるのねと、ミルフィは思わず胸元で両手を握り合わせた。
その年によって模範演技を行う王族は異なっている。
昨年はシャルトーレ公のご嫡男であるブルーノ公子が剣舞を披露されたと聞いていた。
お世辞にも見事だとは言い難い出来であったようだが、王族が皆の前で武術を披露するという事に意味がある。
模範演技者として颯爽と登場し、静止した馬上から弓を射て、明後日の方向に弓矢を飛ばしたシャルトーレ公に比べればまだましであったと言えるだろう。
今年の武闘大会では、騎士の一人が投げる的をレオーネが弓で射る武術を披露するようだ。
登場したレオーネの衣装は王家の威信を見せつけるように豪奢で華やかなものだった。
黒い軍服には、立て襟部分や身頃正面などに金糸で細やかな刺繍がなされていて、肩には大きな房飾りがつけられている。
腰には真珠や宝石などが縫い付けられた金のベルトを着用し、膝丈の軍靴を履いていた。
大勢の観客が息を呑んで見守る中、レオーネがゆっくりと弓を引き絞る。
控えていた騎士の一人が空中高くに素焼きの皿を高く放り投げ、その軌跡を追うように放たれた一筋の矢は見事に的を捉え、皿は空中で砕け散った。
一瞬の静寂の後、場が揺れるほどの歓声が会場を包み込んだ。
観客は総立ちとなり、婦人達の集う場からはキャーという黄色い歓声が沸き起こる。
ミルフィも手が痛くなるほど拍手を送り続けた。
演技を終えたレオーネが、歓声に応えるように大きく手を振った。
手を上げたままゆっくりと四方を見渡し、ミルフィのいる辺りで視線が留まった。
一瞬、目が合ったように感じたが、おそらく自分の気のせいだろう。
自意識過剰だわと、ミルフィは軽い苦笑を唇に刷いた。
王族による模範演技が終わった後は、新人騎士による勝ち抜き戦が始まった。
剣術、弓術、槍の三部門で優勝候補者が二人に絞られたところで、いよいよ兄が出場する総合枠の試合が始まった。
この度は一勝する事も難しいだろうとイザークは言っていたが、実際、総合枠で選ばれた者は国が誇る一騎当千の騎士ばかりだ。
イザークもかなり粘ったものの、結局は一回戦で姿を消す事になった。
残念ではあるが、大会に参加できるだけでも騎士にとっては大きな誉れである。
その後も試合は順調に進んで行き、弓や槍部門での候補者が二人ずつに絞られたところで、大会は一旦、昼休憩に入る事となった。
出場者の家族は、観戦に来た一族や知己の貴族に差し入れを行う事が慣例とされていて、タウジ伯爵家も小菓子を大量に用意して使用人に持たせていた。
やがて一回戦で敗れたイザークが場に姿を見せ、駆け寄った親族らは口々にその健闘を称えた。
競技を終えたイザークは重い鎧兜を脱ぎ、いつもの騎士服にマントを羽織っただけの軽装だ。
ミルフィはすぐに駆け寄って、軽い抱擁と頬への口づけを兄に送った。
「兄様、お疲れ様でした」
「せっかく見に来てくれたのに、勝ち姿を見せてやれなくて悪かったな」
そう話すイザークの口調には屈託がない。
持てる限りの力を尽くし、それでも相手に敵わなかった。だから、心残りもないのだろう。
両親は日頃懇意にしている高位貴族のところに挨拶に向かい、ミルフィは兄と一緒に差し入れのお菓子を皆に振る舞う事にした。
ただ、皆イザークの話を聞きたがるため、一旦話が始まるとなかなかその場から抜け出せない。
このままでは差し入れを皆に配る事ができなくなるため、ミルフィは兄に声を掛けてから別の親族の方へ向かった。




