二人きりの会話
「それで最初の話に戻るんだが」
そう言われて、ミルフィは戸惑いを隠せずに目を瞬いた。
「申し訳ございません。何の話をしておりましたかしら」
「何故君を誘ったのかと聞いただろう?」
「そう言えばそうでした」
「最初私の目に留まったのは、あそこで踊っている貴族令息だった。君とお揃いの仮面をしている、あの彼だ」
レオーネが視線を向けた先には、グラマラスな赤毛美女と楽しそうに踊っている兄イザークの姿があった。
「彼がどうかしましたか?」
もしかして兄の正体がばれたのだろうかとミルフィはひやりとしたが、すぐに大丈夫だと思い直した。
兄は今日、髪型を変えているし、口髭も付けている。
よほど近しい友人なら遠目でも気付くだろうが、殿下にとっての兄は、王太子の護衛騎士の一人に過ぎない。
会話でも交わさぬ限りは、気付かれる心配はないだろう。
「きれいに手入れされている口髭がふと目について、あの髭を剃ったらどんな顔になるのだろうと想像したんだ」
「まあ」
そんな余計な想像はしないで下さいと、ミルフィは心の中で呟いた。
「それから彼と揃いの仮面をつけて踊っている君を見て、待ち人は君であったと見た瞬間に確信したんだ」
「待ち人、ですか?」
首を傾げるミルフィに、レオーネは笑った。
「待ち人という表現はおかしいかもしれないね。
ただ、一目見て君から目が離せなくなった。仮面越しに伝わる表情の豊かさも、その仕草も、愛らしい笑顔も、とても好ましいとそう感じた。
彼と離れた君に男性達が次々と声を掛けるのをじりじりとした思いで眺めていて、ようやく君が一人になったからこうして声を掛けたんだ」
まるで愛の告白をされているよう。
ミルフィは仮面の下で密かに顔を赤らめた。
「随分と言葉がお上手ですわ。
女性を褒める事に慣れていらっしゃるみたい。
どう返せば良いのかわかりません」
「女性にこのような言葉を贈ったのは誓って初めてだ」
慌てたようにレオーネが言う。
「信じてもらえないかもしれないが」
「あ、いえ。疑っている訳ではありませんの。ただ、あまりこのような経験がなくて……。
でも、ありがとうございます」
令嬢の姿で殿下に声を掛けてもらえただけで幸運だったのに、こんな嬉しい言葉までかけてもらって、どうしていいかわからない。
夢見心地でステップを踏むうちにあっという間に曲が終わり、ミルフィは名残惜しさを覚えながら、レオーネの顔を見上げた。
お辞儀をしてくるレオーネに、ミルフィは勇気を出して右手を差し出した。
特段、興味を覚えない相手であれば、ダンスを終えた女性はにっこりと微笑んで相手に頷くだけでいい。
先ほどの男性達にもそのように対応した。
けれどレオーネとはそんな風にお別れしたくないと思ってしまった。
デビュタントの時は、心で拒絶されているようだというのがわかったから、手を差し出すような真似はしなかった。
けれど今ならば、レオーネは嫌がらずに手を取ってくれる気がした。
だからミルフィは少しどきどきしながら手を差し出してみたのだが、レオーネは躊躇う事なくミルフィの手を取り、ゆっくりとその手を回転させた。
ミルフィの手の甲が上を向き、その手を軽く持ち上げたレオーネが、甲に口づけるようにその唇を寄せる。
握手だけされるのだろうと思っていたミルフィは、親密な振舞いに息が止まるかと思った。
顔を上げたレオーネは、呆然と自分を見つめるミルフィを見て、ふわりと微笑んだ。
その眼差しに絡めとられたミルフィは、周囲から音が消えたような感覚を味わった。
その後、どうやって歓談スペースに移ったのか、ミルフィはよく覚えていない。
気付けば、フレームに彫刻が施された天鵞絨のソファーに誘導されていて、ミルフィはレオーネに促されるままにソファーに浅く腰を下ろした。
まだ胸のどきどきがおさまらない。
訳もなく胸元のレースを指でいじりそうになり、ミルフィは慌てて膝の上で両腕を揃えた。
「気分はどう? 優れないようなら、連れの男性を呼んでくるが」
レオーネが心配そうに声を掛けてきたので、ミルフィは「大丈夫です」と慌てて顔を上げた。
兄を呼ばれてしまったら、有無を言わせずに帰宅させられてしまう。
ミルフィはもう少しだけ、レオーネと一緒の時間を過ごしたかった。
レオーネがボーイを呼び留めて何かを頼み、ややあってそのボーイがレモンの輪切りが入ったグラスを運んできた。
「レモネードだ。これなら君にも飲めるのではないかな」
「ありがとうございます」
ミルフィはグラスを受け取った。
口に含むと、爽やかなレモンの香りが口いっぱいに広がっていく。
蜂蜜の甘さは控えめですんなりと喉を滑り落ち、ふわふわしていた心が少しだけ落ち着いた。
「申し訳ありません。もう大丈夫です。少し人酔いをしてしまったのかもしれません」
そう答えると、レオーネはほっとしたように笑みを浮かべた。
「少しここで休もう。良かったら、何か口にできそうなものをつまんでみる?」
会場には様々な料理が用意されていて、数種類のハムやチーズ、キッシュなどが美しく盛られている。
一口サイズのショコラやミニタルトなども用意されていていかに美味しそうだったが、ミルフィは「今は大丈夫です」とお断りした。
胸がいっぱいで、とても口にできそうになかったからだ。
軽食を楽しむ人々を眺めていると、自然に料理の話になり、二人はいつの間にか好きな果物について話に花を咲かせていた。
イチゴならばどの品種が好きだとか、香りが一番瑞々しいのはこの品種で、甘味だけにこだわるならばあそこの地方で採れたものがいいとか、会話はごくたわいもないものだ。
あれこれと二人で意見を言い合ったが、結局、どれだけ美味しい品種であっても朝摘みに勝るイチゴはないと結論で二人の見解は一致した。
好きなデザートを聞かれたミルフィは思わず「アイスクリームです!」と即答し、まるで子どものような受け答えだったわと、慌てて両手で口元を押さえた。
王宮では四回出されたが(しっかり数を覚えていた)、タウジ家では出された事がない。
機会があったらまたどこかで食べてみたいと密かに野望を温めているミルフィである。
「ふうん。じゃあ、料理に好き嫌いはあるの?」
「好き嫌いは特にありませんわ。何でも食べられます」
誇らしげにそう答えた後、ミルフィはある事実を思い出して、あっと口を噤んだ。
「何? 何か苦手なものでもあった?」
「苦手というか、最近食べられなくなった食材が一つだけあって……」
「へえ。それは何?」
「……モルモットです」
以前は食卓にモルモットのシチューやグリルが出てきても平気だったが、最近はモルモットと聞いただけで、仕留められたばかりのドブネズミが皿の上に載っていた光景を思い出してしまう。
「モルモットって、結局はネズミですものね。
別にそんな事を想像しなくてもいいのですが、最近は体が受け付けなくなってしまいまして……」
「あー……、ネズミね」
レオーネは何とも言えない顔でミルフィの方を見た。
何か言葉を掛けようと二、三度口を開いたが、結局かける言葉が見つからなかったのか、レオーネは諦めたように口を閉ざした。
その後も二人で、取り留めもなくお喋りに興じた。
ミルフィが、一人の男性と余りに親密に話をしていたからだろう。
兄のイザークがミルフィを心配してこちらに来ようとしたため、ミルフィはやや離れたところに立っている一人の男性の方に視線を走らせ、その存在を兄に知らせた。
レオーネの護衛のフェルゼイは顔全体を覆うマスクを被っているが、一般的な男性に比べ、体が一回り大きい。
髪型も一切変えていなかったので、体全体のシルエットから、イザークにもその男性がフェルゼイ・オースティンだとすぐに気付いたようだった。
第二王子の筆頭護衛騎士が、仮面舞踏会でダンスを楽しむそぶりも見せずに、身を隠すように場にとどまっている。
その不自然さに気付いたイザークは、ミルフィの相手をしている男性に改めて視線を向け、その男性こそがフェルゼイの護衛対象者であり、第二王子でもあるレオーネだと確信したようだ。
イザークは嘘だろうというように一瞬天を仰ぎ、それから広い肩をがっくりと丸めた。
どこの馬の骨ともわからぬ男が妹に言い寄っているようならこの手で蹴散らしてやると意気込んでいたのだが、自国の第二王子であればそうもいかない。
このまま二人を見守るしかなく、どうしようかなと手持ち無沙汰に辺りを見渡してたところで、イザークはふと、王子の護衛騎士であるフェルゼイがひどく苛立っている事に気が付いた。
フェルゼイに言わせれば、己が剣を捧げる主が仮面舞踏会で初めて会った女性に入れあげて傍から離れようとしないという、極めて不本意な状況にある。
身のこなしから貴族令嬢であるとは推察されるが、どんな出自や経歴を持った女性なのかわかったものではなく、一刻も早く主から引き離したいというのが偽らざる心境であろう。
これ以上静観できぬとばかりに肩を怒らせたフェルゼイを見て、これは放ってはおけないなとイザークはがしがしと頭を掻いた。
二人の語らいを邪魔してやりたいという気持ちはイザークの中にも存在したが(だって、可愛い妹が他の男と楽しく語らっている姿などはっきり言って見たくもない)、下手に騒ぎを起こされては目も当てられない。
初めての仮面舞踏会を楽しんでいる妹のためにも、獰猛な番犬は宥めておくべきだろう。
一方、兄がそんな暗躍をしているとは全く気付かぬミルフィは、乙女心を弾ませながら、レオーネとの会話を楽しんでいた。
音楽や芸術といった一般的な話題から始まり、自分が好む詩集を教え合い、互いの趣味についても語り合う。
ミルフィは楽器の演奏に長けていて、特にチェンバロを奏でるのが大好きだ。
語学にも情熱を持っていて、難解とされる古代語の解析には目がないし、古代語以外の二か国の言語も流暢に操る事ができた。
それを知ったレオーネが、古代語を使った謎かけ詩や成句を捩った言葉遊びをミルフィに仕掛けてきて、二人はしばらくの間、時間を忘れて謎かけの応酬を楽しんだ。
ひとしきりゲームを楽しんだ後、「貴方の事も教えていただけませんか」とミルフィは頼んでみた。
ミルフィが知っているのは、レオーネの料理の好みくらいのものだ。
魚よりも肉を好み、特にハーブを使った料理が好き。アーモンドはそのままの形状でだされたものやスライスされたものがちょっぴり苦手。
酒に強く、ボトル一本空にしても顔色一つ変わらない。
甘いものは普通に口にするが、ミルフィみたいに心が躍るほど執着していない。その代わり果物が好きで、朝は必ず口にしていた。
「お話では特に得手不得手というものがないようですけれども、特別にこれが好きというものはないのですか?」
ミルフィの問いに、レオーネがちょっと考え込んだ。
「幼い頃から、まんべんなく教養や実技を身につけるように言われてきたから、特に何が好きで何が苦手だとかは考えた事がない。
それに私は割と要領のいい方なんだ。大抵の事は人並み以上にできたから、飽きるのも早かった。
一つの事に固執してそれを極めたいと願った事もなかったし、少し恥ずかしい話だけれども、そういう生き方が格好いいと思っていたんだ」
「何でも人並み以上にこなせるのでしたら、十分に誇っていいと思いますけれど」
「そうなのかな。でも、そう言われると気が楽になるよ」
レオーネは嬉しそうに笑った。




