レオーネは焦る
「ああ、そうだ。イザーク」
ミゼルがふと思い出したように、壁際で控えているイザークに声を掛けた。
「王宮にミリィを連れて来てくれたお前の妹だが、もしかすると縁談話が出ているのか?」
唐突な問いかけに、ミルフィはんん? と首を傾げた。
まさか人間のミルフィの話がここで出て来るとは思わなかった。
ミルフィの場合、猫に変態してしまうという人には言えぬ秘密を抱えているため、両親は今まで自分の嫁ぎ先を決めようとしなかった。
そろそろ本気で決めなければいけない年頃にはなってはいたが、具体的な話はまだ何もない。
だからミルフィは兄もそう答えるだろうと思っていたのだが、意外にも兄は困ったような笑みを浮かべ、「はい」と王太子の言葉を肯定した。
「縁談はいくつか持ち込まれていて、その中の一つは話が動き始めていました」
「みょ?」
ミルフィは驚いて兄のイザークを見た。
そんな話は聞いていない。一体誰なの? とミルフィがまじまじと兄を見つめていると、イザークはここで言う気はなかったんだがな……という顔でミルフィをちらりと見た。
「相手は親族の男性で、これといった瑕疵もありません。その者ならばミルルフィーヌを託せるかもしれないと、両親も本気で検討していたようですが」
「検討していたようだという事は、話は立ち消えたのか?」
話に割り込む形でそう聞いてきたのはレオーネで、問われたイザークはちょっと驚いたように目を瞬いた。
「妹にはその気が全くないようなので、今は保留という感じになっています。
話を長引かせるのも申し訳ないため一度は断ったのですが、相手が納得しませんでした。
妹と話をする機会をもうけて欲しいと言われておりますので、いずれそうするようになるでしょう」
ミルフィを抱くレオーネの腕にぐっと力が籠った。
「妹君が乗り気でないなら、無理に仲を取り持たなくてもいいのではないか」
「我が家より格上の令息です。無碍にはできません」
親族の男性? 格上の家柄って誰? とミルフィは本気で首を捻った。
該当者が全く思いつかない。
兄の口ぶりではミルフィとその男性は会った事があるようだが、ミルフィの記憶を探る限り、男性から熱っぽい視線で見られた事は一度もない。
という事は、これはもしかすると兄の作り話なのではないだろうかと、ミルフィは考えた。
十五歳にもなって求婚者の一人もいないという妹の状況を兄が哀れんで、きっと見栄を張ってくれたのだ。
それはそれでちょっと悲しいかも……とミルフィはちょっとブルーな気分になった。
その後、皆でもふもふタイムを堪能した後、ミルフィは一足先に場を辞する事になった。
「もう帰るのか……」とレオーネは不満そうに言ってくれたが、今日の晩は内輪の夕食会がタウジ家で開かれる。
それまでに身嗜みを整えておかなければならないので、時間的にはぎりぎりといったところだった。
「次はいつミリィと会える?」
そう聞いてきたレオーネに、イザークは「そうですね……」と言葉を濁した。
「妹にも社交がありますから、そう度々ミリィを連れてくる事はできないと思います。
次に訪問する日時については、また王太子殿下とご相談させていただきます」
「そうか」
残念そうにレオーネが言い、ちょっと寂しそうな目でミルフィを見てきた。
手を伸ばしてミルフィの頭を優しく撫でてくれたので、ミルフィも甘えるようにその手に頭を擦り付けた。
今度会えるのはいつだろうか。
何だかとても別れ難くて、バスケットの蓋が閉められる寸前まで、ミルフィはずっとレオーネを見つめていた。
バスケットを胸に抱えたイザークが遠ざかっていくのを、レオーネは未練たらしくずっと目で追いかけていた。
「まだ全然足りないのに……」
そう呟くレオーネに、「お前な……」とミゼルが呆れたように声を掛ける。
「ミリィがタウジ家の令嬢だと、もう知っているだろう? それともそこだけ都合よく忘れたのか?」
「別に忘れてはいません」
レオーネはそう答え、小さく吐息をついた。
「令嬢だとわかっても、ミリィだと嫌な気分にならないんです。
十日以上一緒に暮らして、時間があれば遊んでやっていましたから。
それに最後の晩は、酔っぱらったミリィを介抱して一緒の寝台で眠りましたね」
「え。一夜を共にしたのか!」
驚愕するミゼルに、「変な言い方はしないで下さい」とレオーネは鼻にしわを寄せた。
「ミリィを腕に抱いて眠っただけです。
夜中になんか息苦しいと思って目を開けたら、ミリィが私の胸の上に張り付いていました。
酔いが回って、布団の中だと暑くなったんですかね」
「……猫でも胸の上に乗っかられたら重いだろ?」
「ええ。なので枕の傍に下ろしました。
そうしたら明け方には寒くなってきたみたいで、また私の布団に潜り込んでいました」
「しっかり懐かれていますのね」
シャーロット妃が吐息のような笑いを零し、レオーネが気恥ずかしさをごまかすように小さく咳ばらいした。
「そう言えば一つ気になっている事があるのですが」
ふと口調を変えてレオーネが言う。
「ミリィが王宮を出る前日、義姉上に避妊薬が盛られていた事をミリィがいる場所で話されていましたね。
王室の大事に関わる事を、ミリィの前で口にして良かったのでしょうか」
そう聞いたレオーネに、ミゼルは即座に「部外者ならば口にしていない」と答えた。
「シャーロットに薬が盛られている事に気付き、私達に教えてくれたのが彼女なんだ」
「ミリィが?」
「猫に変態する獣人がいるなんて、誰も考えないからな。
ルナス伯爵夫人はシャーロット達に見られないよう細心の注意を払って薬を入れていたが、猫には油断していた。だから事件が発覚したんだ」
「そうだったのですか……」
「ちょうどいい。例のルナス伯爵夫人についてわかった事をお前にも伝えておこう」
ミゼルは表情を改めてレオーネに向き直った。
「義弟に当たる現ルナス伯爵を調べたが、一切、埃は出なかった。変な資金の動きもない。
生家のアートン伯爵家とはほぼ縁が切れていた。元々疎遠であった上、夫であるルナス伯爵が亡くなった時に冷たくあしらわれ、以来交流がないらしい。
宰相の伝手で王太子妃の女官になったと知り、アートン伯爵は慌ててすり寄ったらしいが、ルナス伯爵夫人は甥を相手にしなかったと聞いている」
「……宰相の調べは進んでいるのですか?」
「調べているが、今のところ疑わしい点はないな。法の改正を望んではいるが、過激な思想も持っていない。
今は、ルナス伯爵夫人の交友関係を調べているところだ」
「何かわかったのでしょうか?」
レオーネの問いに、ミゼルは「いや」と首を振った。
「先日午後から休みを取っていたので後をつけさせたが、行先はマゼラン歌劇場だった」
マゼラン歌劇場は王都でもっとも名高い歌劇場で、大ホールや賭博場も併設されている。
月に二回、大規模な仮装舞踏会が開催される事でも有名だった。
「観劇ですか? それとも賭博を?」
「その日は観劇だった。後で劇場の支配人に話を聞いたが、月に一、二度、ボックス席で観覧しているようだ」
「そう言えば、伯爵夫人は舞台俳優のパトロネスをしていましたね」
「ああ。その日も贔屓にしている舞台俳優が主演を務めていたようだ。
だが、夫人の目的は観劇ではなかったかもしれない。ボックス席で、仮面をつけた男性と一緒にいたと報告があった。
かなり親密な関係のように見えたそうだが、相手は特定できていない。尾行させたが、上手に巻かれてしまったんだ。
ただの逢引きにしては相手の用心が過ぎるから、この男が例の薬に関わっている可能性は高い」
そしてミゼルはシャーロットを力づけるように、テーブルに置かれた妻の手に自分の手を重ねた。
「一刻も早くシャーロットの周囲からルナス伯爵夫人を排除したいが、黒幕がわからぬ限りはどうしようもない。
しばらく泳がせるしかないだろう」
「わかっておりますわ。私の事はどうぞご心配なさらないで」
シャーロット妃はミゼルの目を真っ直ぐに見つめ、柔らかく微笑んだ。
窓の方を見ると、日が傾きかけている。
そろそろ失礼しようとレオーネが口を開きかけた時、ミゼルが「レオーネ」と名を呼んできた。
「タウジ伯爵令嬢の事なんだが、お前は彼女をどうしたいんだ?」
「どうしたい、とは?」
唐突な問いに、レオーネが戸惑ったように問い返すのへ、
「いつまでも猫姿で王宮に来させ続ける訳にはいかないだろうが」と、ミゼルは太い腕を組んだ。
「イザークも言っていたように、令嬢の縁談話も進み始めている。
婚約が正式に決まるまでは王宮に呼ぶ事も可能だが、婚約者が決まればそうもいかなくなる。
会えなくなる日も近いと覚悟しておくんだな」
レオーネは思わず息を呑んだ。
体中を縄でがんじがらめにされたように、うまく息が吸えない。
レオーネは乾いた唇を無意識に舌で嘗め、かすれた声で兄に問いかけた。
「……どうやって覚悟をつけろと?」
「そうだな」
ミゼルは言葉を探すように天井の方を向いた。
「兄として一つ忠告してやろう。気にかかる相手ときちんと向き合い、自分が何を望んでいるかを知る事だ」
「……」
「ついでにいい情報を教えてやる。明後日、イザークは非番なんだ。
前々から妹に、マゼラン芸術劇場で開かれている仮面舞踏会に行ってみたいとねだられていたらしくてな。
非番と仮面舞踏会の日が重なったので、連れて行ってやる予定だと話していた」
「仮面舞踏会に……」
レオーネがそわそわと瞳を揺らせるのを見て、ミゼルは小さく笑った。
「お前は人の顔を覚えるのが得意だ。タウジ伯爵令嬢とはデビュタントの時しか会ってないが、顔は漠然と記憶しているだろう。
仮面のせいで見分ける自信がないというなら、イザークが時々目で追っている令嬢を探せばいい。
あいつとは何度も会っているから、マスクをしていてもわかる筈だ」
「舞踏会に行かれる時にはきちんと変装をなさってね」とシャーロット妃が言葉を添えた。
「殿下が来ていると周囲に気付かれたら、周りに人だかりができかねないわ。
そうしたらタウジ伯爵令嬢を見つけるどころではなくなるでしょう。
殿下の場合、仮面だけでは不十分よ。違う髪色の鬘を被るなり、付け黒子をつけるなりして、きちんと変装なさってね」
義姉のアドバイスをレオーネはありがたく拝聴した。




