お邪魔虫が来る
居殿に帰ってからも、レオーネはずっと黙りこくったままだった。
クッションのきいた長椅子に深く腰を掛け、片手を肘掛けの上に乗せたままでぼんやりと壁の辺りを見つめている。
構って欲しかったミルフィは、みゅぅぅぅぅ……と足元で甘えてみたが、反応はまるでなかった。
王子付きのセバスもディールも心配そうに王子を見つめていたが、「一人にしてくれ」と言われれば、それ以上踏み込めない。
殿下を頼むというようにミルフィに目配せをして、二人は部屋を出ていった。
ミルフィは他所んちの子だから、もう構いたくないんだろうか……。
ミルフィは泣きそうになりながら、レオーネの足にすりすりと頭を擦り付けた。
ズボンの裾に嚙みついて引っ張り、一生懸命レオーネの気を引こうとした。
それでもレオーネは全くミルフィを見ようとしない。
あんまりだと思ったミルフィはもう片方の肘掛けから背もたれの方へ歩いていき、レオーネの頭の上にえいやっとジャンプした。
まるで鬘のように頭の上に覆い被さった感じだ。
「うわっ」
いきなり頭が重くなって、レオーネもさすがに驚いたようだ。
「こらっ! ミリィ、重いだろ?」
思わず文句を言うレオーネに、ミルフィは頭にへばりついたまま、ふんとそっぽを向いた。
相手をしてくれない殿下の方が悪いと知らん顔をしていたら、「ああ、もう降参だ」と、レオーネは仕方なさそうに笑い出した。
「頭の上にいられたら顔も見えないよ。降りておいで」
そう言って右手を頭の横に差し出してくれたので、ミルフィは遠慮なくその上に乗っかった。
ものすごく不安定な姿勢だけれど、レオーネが落とす筈はないと知っている。
もし落っこちたとしても、すぐに抱き止めてくれる筈だ。
「ミリィ、じゃなくてヴェルなんだ」
「なおん」
「で、タウジ家の飼い猫な訳か」
飼い猫……、それはどうだろうと思ったミルフィは無言でレオーネ王子を見た。
正確に言えば、家族です。
名前は、ミルルフィーヌ・ヴェルシェ・イメルダ・タウジと言います。
五月に十五歳の誕生日を迎えて、六月一日に王宮で開催されたデビュタントボールに参加しました。
好きなケーキはミルフィーヌ。名前が似ているから好きになりました。
嫌いな食べ物はありません。あっ、でもモルモットを使った料理は嫌いになったかもしれません。仕留められたばかりのドブネズミを間近で見せられたトラウマが大きいみたいです。
運動神経はないけれど、座学は得意です。近隣の三か国語はすらすら喋れるし、歴史や地理も得意。その地方の特産や産業とかも余裕で言えますよ。
頭の中でミルフィはレオーネに自己紹介してみる。
令嬢姿に戻ってしまえば殿下と親しくお話しする機会はきっとない。だから頭の中でこっそり会話した。
「ミリィ、さっきは別に無視していた訳じゃないんだ。
何と言うか、すごくショックでね……。
ミリィはずっと私の傍にいてくれると勝手に思い込んでいたから、なかなか現実が受け入れられなくて……」
レオーネははあっと息を吐いて片手で顔を覆った。
「でも、これで完全なお別れという訳じゃない。
私のミリィはバウアーパークで失踪したという形になるけれど、今度こっそり連れて来させると兄上が約束してくれた。
タウジ家のご令嬢が兄君に会いに来るという名目で王宮を訪れ、その時こっそりミリィを連れて来てくれるのだそうだ」
連れて来る、と言うより、本人なんですけどね……とミルフィは心の中で呟いた。
タウジ家令嬢として王宮の門を潜り、王宮に与えられた兄のお部屋で猫に変態し、王太子の居殿まで兄に連れて行ってもらうという手筈になっている。
それを提案してきたのは王太子殿下だった。
あの場でレオーネが余りにもしおしおになってしまったから、これはまずいと思って代案を出されたのだ。
その日は静かに夕食をとった。
いつもなら今日あった事を賑やかにミルフィに話してくるレオーネだが、今日はそんな気分になれなかったらしい。
自分の子ども時代の事をぽつりぽつりと話してくれ、ミルフィは時折「みゃおん」と相槌を打ちながら、その話に耳を傾けた。
食事の好き嫌いは余りないが、塊やスライス状となったアーモンドは少し苦手である事。
小さい頃はやんちゃで、木から落ちて顎を切り、首を切って大量の血が出ていると報告を受けた王妃がその場で卒倒した事。
父王や兄に憧れてムキムキの体を目指したが、思うように筋肉がつかなかった事。
レオーネの話を聞くのは楽しかった。
侍従の目を盗んで木登りをしたり、庭園を駆け回ったりする腕白な王子様が見てみたかったなとミルフィは思う。
今の堂々としたトラ姿もかっこいいけれど、猫と見紛うような愛らしい子トラ姿も見てみたかった。
トラに変態したレオーネと庭園を駆け回った日の事をミルフィは懐かしく思い起こす。
レオーネが本気を出したらミルフィはすぐ置いてきぼりになってしまうけど、手加減をして走ってくれたから、ミルフィは姿を見失う事なくずっと後を追いかけていられた。
あの日に嗅いだ初夏独特のむっとした草いきれ。
風で揺れる木漏れ日が地面の上でダンスを踊っていて、動く影を掴まえようとミルフィは前足でぺしぺしと地面を叩いていた。
それを見たトラ姿のレオーネも一緒になって遊んでくれ、夢中になって楽しんだものだ。
水路を流れる水のせせらぎも耳に心地良かった。ぽかぽかとした岩の上にレオーネが体を横たえ、ミルフィはその傍に丸まった。
楽しかったですねとミルフィは心の中で呟いた。
ここで過ごしたのは十日ちょっとだけなのに、思い出が次から次へと溢れ出てきて何だか泣き出したい気分になってしまう。
そうして二人でしんみりと感傷に浸っていたのだが、夕食のデザートを食べ終える頃、いきなり客人の来訪を伝えられた。
「こんな時間に一体誰が来たんだ」
ミルフィとの最後の夜を楽しんでいたレオーネは、不機嫌そうに眉を顰める。
ミルフィも不満そうにセバスを睨んでしまったが、よくよく見ればセバスの顔にも困惑が浮かんでいた。
先触れもなしに、しかもこのような時間に誰かが訪ねて来るなど、普通であればあり得ない状況であるのだろう。
「殿下とどうしても話がしたいとブルーノ公子が来られています」
「ブルーノ公子が?」
レオーネは訳が分からないという顔をした。
シジオス伯爵の肩書を持つブルーノ公子は、シャルトーレ公の嫡男で王族の一員である。レオーネとは又従兄弟の関係になるが、さほど親密な関係ではなかった。
「この時間帯に何の用だ。せめて明日の晩にすればいいのに」
レオーネはうんざりと溜め息をついたが、来てしまったブルーノを追い返す訳にもいかない。
「わかった。こちらに通せ」
渋々とそう答えた。
「そうだ。場には猫もいると伝えておいてくれ。今日はこの子を手放したくないんだ」
「承知致しました」
セバスが小さく頭を下げた。
私が同席していいの? とレオーネを見上げると、レオーネは軽く肩を竦めた。
「こんな時間にいきなりやって来るんだ。つまみの一つ二つは持参している筈だ。お前も食べてみたいだろう?」
ミルフィは前足を揃え、「なおん」と返事をした。
お邪魔虫のブルーノ殿下には百ほど文句を言ってやりたい気分だが、レオーネが許した以上どうにもできない。
そのつまみとやらを堪能してやろうじゃないのと、ミルフィは不貞腐れた顔でブルーノ殿下を迎え入れる事にした。
ブルーノ殿下とはデビュタントの時にお会いしたかもしれないが、記憶は一切ない。
初対面同様でお会いする事になった訳だが、一目で押しの強い人間だとわかるような雰囲気を持っていた。
お父君のシャルトーレ公は気が弱くてお人好しというイメージが強いのに、この公子様は全く違う。
部屋に足を踏み入れた時から何だかものすごく偉そうだった。
顔はまあ、悪くない。少し生え際が後退しているが、目は二重で鼻筋がすっと通っていた。
腹はやや前に出ているが、樽というほどではなかった。
ただし、衣裳のセンスは微妙だ。何と言うか、シャルトーレ公の血筋を感じさせた。
ジャケットには宝玉がごてごてと縫い留められていて、真っ青な青い服に施されているのは煌びやかな金の刺繍だ。
昔、物語の挿絵で描かれていた孔雀がこんな感じじゃなかっただろうか。
ブルーノは、秘蔵のワインとフルーツのシロップ漬けを手土産に持ってきたようである。
従者からそれを渡されたセバスが、皿に盛り付けるために一旦下がっていった。
レオーネは顔ばかりはにこやかにブルーノを迎え入れ、テーブルを挟んだ正面の肘掛け椅子を手で勧めた。
「この時間の訪問とは珍しいですね」
そう言葉を掛けたレオーネに、
「まあ、その……ちょっと話がありましてな」
よほど言い出しにくい話題なのか、ブルーノはぎこちなく咳払いした。
困ったように視線を泳がせたブルーノは、気まずい沈黙を何とかしたいと思ったのだろう。
テーブルの隅の方に大人しく座っているミルフィを見て、「やあ、かわいい猫だ」と声を掛けてきた。
いかにも友好的に白い歯を見せて笑ったが、心が篭っていないのは一目瞭然である。
「最近、殿下が猫を可愛がっておられるという噂は聞いていましたが、本当だったのですね」
「ええ」と慎重な声でレオーネが答えた。
「バウアーパークで偶々拾いました。以来ずっと手元に置いて可愛がっています」
銀の盆を持ったセバスがやってきて、ボウル部分に花が彫刻されたワイングラスを音も立てずにテーブルの上に置いた。
セバスがワインボトルのコルクを抜くと芳醇な香りが匂い立ち、ミルフィは香りだけお相伴した。
注がれたのは透き通った薄緑色の液体だった。
あまりにいい香りがしたので、ミルフィは一口味見したい気分になったが、ブルーノが目の前にいるためおねだりもできない。
ミルフィは恨めしげにブルーノを睨んだ後、仕方なく自分の前に置かれた平皿に目をやった。
平皿にはレモンを絞った水が注がれ、ミルフィは大人しく乾杯の挨拶を待った。
レオーネとブルーノはワイングラスを軽く持ち上げて乾杯し、それを目で確認したミルフィは目の前の平皿に顔を突っ込んだ。
「それで今日はどのようなご用件なのでしょうか」
レオーネはすぐに本題に入り、問われたブルーノはそわそわと視線を彷徨わせた。
「今日、マリアーナ公妃と会われたとか。
昨日の御前会議ではレドルス法の復活が議題に上りましたが、動揺してはおられませんでしたか?」
ブルーノは父親のシャルトーレ公同様、生粋の保守派で、他国で許されている離縁についても否定的である。
離婚を突き付けられたマリアーナ公妃が悲しみと怒りに打ち震えていたという証言を、レオーネの口から引き出したいのかもしれなかった。
心からの善意で、マリアーナ公妃のお立場を守ろうとされているのとは違うようねと、レモン水をちびちびと飲みながらミルフィは思った。
保守派であるブルーノ公子は、夫から切り捨てられようとしているマリアーナ公妃を法案反対の旗頭にしたいだけだろう。
そんな思惑が透けて見えて、ミルフィはなんだかすごく嫌な気がした。
何と答えるのだろうと耳だけ会話に集中していると、レオーネが小さく咳払いした。
「心を痛めておられない筈はないと思います。ただ、それを表に出すような事はされませんでした」
無難な受け答えである。
マリアーナ公妃が本当は離婚を歓迎している事などおくびにも出さない。
それを聞いたブルーノはそうでしょうと言うように何度も深く頷いた。
「プライドの高い方ですから、人前で取り乱されるような真似はなさらないでしょうな」




