マリアーナ公妃と会う
それからほどなくして、レジナルド公妃マリアーナの来訪が伝えられた。
因みにミルフィは今、ソファーの上に置かれたバスケットの中にいる。
普通の猫っぽく振る舞わねば……と思いながら、ミルフィは首をちょっと回して背中側の毛を舐めてみた。
マリアーナ妃はしずしずと部屋に入って来られたが、その美貌は圧巻ともいえるものだった。
艶やかなピンクブロンドの髪が面長の顔を縁取り、湖水を思わせる青い目はとろんと潤んでいて、それを縁取る睫毛は長く濃い。
どこか怠惰で退廃的な空気を醸し出していて、ぽってりとした肉感的な唇が妙に官能的である。
非常に魅力的な容姿をしていて、お色気たっぷりな女性であったが、こと胸に関してはシャーロット妃の方が勝っていた。
何と言ってもシャーロット妃のそれはメロン並みだ。
あれを超える女性はそうそういないだろう。
そんな事をミルフィが考えている間に、マリアーナ妃はすっと膝を折り、淑女の見本のようなカーテシーを披露した。
「王太子殿下ご夫妻並びに、レオーネ殿下。
この度はお招きいただきまして、誠にありがとうございます」
「ご来訪を心から歓迎致しますわ。どうぞお楽になさって下さい」
うわあ、王族四人が揃い踏みだわ……とミルフィは心に呟いた。
こんなきらびやかな場に自分ごときが同席していいものだろうかと、バスケットの中で思わず身を縮めてしまうミルフィである。
前回、畏れ多くも王御夫妻にお会いした時は、猫に変態したミルフィのお披露目のようなもので、顔を出す事がミルフィの務めだった。
けれどこの場においては、ミルフィは全くの部外者だ。
席を外した方がいいのではときょろきょろ辺りを窺っていると、不意にばっちりマリアーナ妃と目が合った。
「まあ!」
ミルフィを見つけたマリアーナ公妃は、ぱあっと顔を輝かせた。
「そちらがレオーネ殿下がご寵愛の愛猫様ですね」
ご寵愛の愛猫様……?
え。いつの間にそんなご大層なものになっていたのと、ミルフィはちょっとびっくりした。
と言うか、マリアーナ公妃のお耳に入るほど、ミルフィの存在は王宮で噂になっていたのだろうか。
「私、ずっと猫に触ってみたかったのです。もしよろしければ、触っても構いませんか?」
「ああ。どうぞ」
レオーネは二つ返事で快諾した。
これが野郎なら、可愛いミリィに触れるなど許さんと速攻で切り捨てている筈だが、女性相手ならば話は別のようだ。
レオーネは大事そうにミルフィを両手で抱き上げ、所有を見せつけるように頭のてっぺんに軽くキスをした後、マリアーナ公妃の方に差し出した。
「なおん(お初にお目にかかります)」
両脇を抱え上げられ、下半身が不安定に揺れる何だか間抜けな恰好で、ミルフィはマリアーナ公妃にご挨拶した。
「ああん。何て愛らしいの!」
ミルフィを受け取ったマリアーナ公妃は、そのまますりすりと顔を寄せてきて、体中をモフってきた。
顎の下をくすぐり、頭や背中を撫で回し、ぷるんとしたピンク色の肉球の感触を指で楽しむ。
最後はミルフィを問答無用でひっくり返し、白い腹に顔を埋めて大きく息を吸い込んだ。
くんくんくんくんすんすんすんすんとしつこく匂いを嗅がれ、いつまで匂いを嗅ぐ気なのぉ? とミルフィは心の中で悲鳴を上げた。
ミルフィは一応淑女なので、後ろ足をかぱっと大きく開かれたこの状態はかなり気恥ずかしい。
「妃殿下。匂いを嗅ぐのはそのくらいで」
意外にもマリアーナ公妃を止めてくれたのはレオーネだった。
自分がミルフィを嗅ぐのはいいが、他人(他獣人?)にされると何となく面白くないらしい。
「あら、失礼を。つい夢中になってしまいましたわ」
マリアーナ公妃は渋々とミルフィをレオーネに渡し、名残惜しそうにじぃっとミルフィを見た。
「殿下はバウアーパークでこの子を見つけられたとか。
そのお話を聞いて、私も毎日のようにバウアーパークに足を運びましたのよ。
もう一匹くらい、獣人を怖がらない子猫ちゃんが迷い込んでいないかと思いまして」
どこか舌足らずな口調でマリアーナ公妃が言い、レオーネが得意そうに胸を張った。
「私の場合はたまたま運が良かったのです。
まさか私も、パークで捨て猫に遭遇するなどとは思ってもいませんでした」
捨て猫違うし!
ミルフィは「みゅっ」と抗議の声を上げ、事情を知るシャーロット妃は何とも言えない顔で夫と目を見交わした。
大人しくレオーネに抱っこされているのが癪に障ったミルフィは、レオーネの腕から飛び降りて、すたんと床に着地した。
そしてせっせと毛繕いを始める。気分を落ち着けるにはこれが一番だ。
ミゼルが壁際に控えていた侍従に手で合図を送ると、使用人達がティーブレイクの準備を始めた。
美味しそうな匂いが鼻先に運ばれ、ミルフィは思わずヒクヒクと鼻を動かす。
運ばれてきたのは三種類の焼き菓子だった。
千鳥格子のモチーフをしたアーモンドクッキーに、バターの香りが濃厚に香る貝殻型の焼き菓子、そしてメインはこんがりと美味しそうな焼き目がついた黄金色のタルトだ。
金の縁取りの入ったフォッグブルーの皿にその三種類が形よく盛り付けられている。
「ミリィにも椅子を持ってきて」
シャーロット妃が傍らの侍従に言うと、すぐにミルフィ専用の椅子が運ばれてきた。
テーブルと同じ高さの一人掛け椅子で、背もたれはない。
レオーネがすぐに抱き上げて椅子に乗せてくれ、ミルフィはわくわくと誰かがお菓子に手を付けるのを待った。
四人と一匹のお茶会は和やかに進んでいき、やがて二杯目の紅茶が皆に配られた頃、ミゼルは使用人に退室を命じた。
粛々と皆が下がっていき、場にいるのは王族四人とミルフィ、そして護衛として壁際に控えているイザークだけになった。
「さて、マリアーナ妃」
ミゼルが徐に口を開いた。
「昨日、御前会議である議題が提出された事について、すでにお聞き及びだと思うのだが……」
「もちろん知っておりましてよ。宮廷中の噂になっておりますものね」
マリアーナ公妃はふんわりとした声でそう返し、手に持っていたティーカップを音もさせずにソーサーに戻した。
それだけの仕草なのに、妙に色香が匂い立つ。
ぼってりとした官能的な唇は僅かに開かれていて、その口角が僅かに上がった。
「レドルス法の復活でしたかしら。
レジナルド公は、よくもまあそんな事を思いつかれました事。感心致しましたわ」
聞いていたミルフィは小さく息を呑んだ。
夫の事を名前ではなく、肩書で呼ぶ。それだけで、マリアーナ公妃の心がどれだけ夫から離れているかわかろうというものだ。
「レジナルド公はよほど私を離縁したいようですわね。
それは理解致しましたが、何故私をわざわざこの場に呼んだのでしょう。
王太子殿下は、レドルス法の復活に反対の立場でいらっしゃる筈。
もしあの法案が通り、私が廃妃されましたら、次にやり玉に挙げられるのはシャーロット妃になりますもの」
貴族社会では悪意や皮肉を柔らかな言葉で包み込み、曖昧な言葉で本音をごまかすのが一般的だが、マリアーナ妃はどうやらそういうタイプの貴婦人ではないようだ。
ミゼルはマリアーナ公妃のそうした物言いには慣れているのか、「相変わらず思ったままを率直に言われる方だ」と吐息のような苦笑を漏らした。
「これだけははっきり言っておくが、私はシャーロットを王太子妃の座から下ろす気はない」
ミゼルの言葉に、マリアーナ公妃は軽く片眉を上げた。
「それで、私に何を望まれますの?
レドルス法復活を阻止するために、保守派を扇動して欲しいとでも?」
「そうではない。貴女をここに呼んだのは、今回の議案が貴女の今後に大きく関わる事だからだ」
ミゼルは真剣な眼差しでマリアーナ公妃を見つめた。
「貴女の意見を必ず尊重するとは約束はできない。最終的な判断を下されるのは王陛下で、私は王の意に従うだけだ。
だが、レジナルド公の言い分がそのまま通れば、貴方は否応なしに今の地位と身分を剝奪される事になる。
それは余りに理不尽ではないかと思った。
だからもし、貴女が今の地位と名誉を生涯守り抜きたいと思っておられるのであれば、貴女の言葉を王にお伝えしようと思う」
「まあ」
思わぬ言葉であったのだろう。マリアーナ公妃は驚いたように瞠目した。
その後、感情を露わにした事を恥じるように瞳を伏せる。
濃く長い睫毛が頬に影を落とした。
「私の気持ちをお伝えする前に、一つだけお聞きしてもいいでしょうか」
「何なりと」
「レドルス法の復活について、王太子殿下はどのようにお考えですの?」
ミゼルは慎重に口を開いた。
「国の次代を担う者として、王族の減少という事態は重く受け止めている。
ただこれは、王家や貴族家の根幹にかかわる問題だ。早急に結論を出すべき類のものではないだろう。
今、言えるのはこれだけだ」
「……わかりました」
マリアーナ公妃は小さく頷き、無意識のように白いソーサーの縁を指の背で撫でた。
「本音を申し上げさせていただきますと、わたくしはもう、この結婚生活にほとほと疲れておりますの。
レジナルド公は子を孕まない私を疎んでいます。
結婚当初はあれほど饒舌に愛を囁いていたというのに、人の心というものは本当にわからぬものですわね」
マリアーナ公妃の白い頬に自嘲の笑みが浮かぶ。
「愛情はすでに枯れ果てておりますが、私を石女と罵った夫とその愛人を喜ばせるために離縁を望む気持ちにはなれません。
ただ……そうですわね。
この現状にうんざりしているのは私も同じです。
もし相応の誠意を見せていただけるのであれば、レジナルド公の案を支持してもいいと思っておりますわ」
「相応の誠意?」
「ええ。
レジナルド公は三つの爵位をお持ちですが、その内の一つ、フィードル伯爵の名前を私に譲っていただきたいのです。
勿論、私は女性なので、爵位を名乗る事はできません。フィードル伯爵の名は一旦父の預かりとなり、その後に私が再婚すれば、夫がその名を継ぐようになるでしょう。
殿下もご存じのように、フィードル領には鉱山があり、莫大な領地収入が見込めます。
そうした付加価値が私に付くとなれば、再婚相手にも困る事はありません。
ですので、その条件を呑んでいただけるのであれば、私は喜んで正妃の地位を降りますわ」
「随分と具体的ですね」
ミゼルは喉の奥で笑った。
「どうやらかなり前から、この件について考えておられたようだ」
「夫がレドルス法の復活を視野に入れて動いていた事は、薄々気付いておりましたの。
もし離縁されるのであれば、私には生活の糧が必要です。それについて考えない筈がありません」
「なるほど」とミゼルは目を伏せた。
「ただ、レジナルド公は難色を示すかもしれませんね」
レジナルド公はかなりの浪費家だ。収入が二分の一近く減ってしまう事を良しとしないだろう。
「そうですわねえ。まあ、お嫌なのであれば、私は別にこのままで構いませんのよ」
あっさりとマリアーナ公妃は言を翻した。
「ただ、レジナルド公は離縁を強く望んでおいでですし、そのためには世論を動かす必要がありますわ。
それには私との円満な離縁が不可欠の筈です。
その事は、レジナルド公が誰よりわかっておいでだと思いますわ」
ぽってりとした唇に白い指先を当て、どこか楽しそうにマリアーナ妃が言う。
「とはいえ、私の気持ちはともかく、父は最後まで離縁に反対するでしょう。
もしレジナルド公が私の父を味方につけたいならば、やはり相応の譲歩が必要になるのではないかしら」




