レオーネの過去
「意外だけど、あの議案に対して真っ先に怒りを露わにしたのがシャルトーレ公だった。
王太子殿下にお子が生まれない事がそれほど不服なのかと弟君であるレジナルド公を叱りつけ、その剣幕に皆が驚いていた」
「みょおう(それは私も意外です)」
「いつものほほんとされていて、どちらかというと気が弱い御仁であられるからな。
多分人を怒鳴りつけるのも初めてで、大きな声を出した後にあわあわと慌てておられた。
まあ、シャルトーレ公は愛妻家で、神の御前で誓った結婚の誓いを生涯守るべきだという根っからの保守派だからな。
不貞を犯した挙句、一方的な離縁を持ち出した弟についかっとなってしまったのだろう」
お人好しで妻に頭が上がらない小太りのシャルトーレ公と、自慢の口髭の形をやたら気にしている気取り屋のレジナルド公は、一見、母親を同じくする兄弟には見えない。
年齢も十歳離れており、中年になっていよいよ腹も出てきたシャルトーレ公と違い、レジナルド公はすらりと背も高く、若々しさが体から溢れていた。
何に対しても要領がよく、女性の扱いもうまい。
運動神経にも恵まれ、独身の頃は腐るほどモテていたと誰かから聞いた事があった。
一方のシャルトーレ公は全体的にもっさりとしていて、何をやらせても不器用なお方である。
王家主催の武闘大会で弓の模範演技をする際に、的を思いっきり外した話は今も密かに語り継がれているくらいだ。
それに見た目がなあ……と、以前兄が遠い目で呟いていた。
ああ見えてシャルトーレ公は、それなりにお洒落に気を遣っておられる。
見た目がちょっとばかり(と言うか、かなり)弟君に劣っている事も自覚されており、それを煌びやかな衣装でカバーしようと努力されていた。
金糸で刺繍されたジャケットに目に鮮やかなペイズリー柄のベスト、ふっくらとボリュームのあるシルクのクラバットにドレッシーなメダリオン付きの靴。
一つ一つを見れば申し分ない。
組み合わせようによっては洒脱な装いになると思われるが、シャルトーレ公はそこらあたりの衣装センスが皆無だった。
そもそも初孫が生まれた年に、目の覚めるような赤いハイヒールで舞踏会にやって来るなんて冒険心がすご過ぎないかと、兄が首を傾げていた事まで思い出した。
その上シャルトーレ公は、妙に巡り合わせがお悪い方として有名だった。
王家主催の狩りが催され、仕留めたイノシシを皆で食していたら、シャルトーレ公の肉にだけたまたま火が通っておらず、その後一人腹を抱えて走り回っておられた。
別の狩猟日には、皆でピクニックを楽しんでいたら、鳥が狙いすませたようにシャルトーレ公の帽子に糞を引っかけてきた。
慌てふためいたシャルトーレ公は糞のついた帽子を振り回し、傍におられた前王妃のドレスに糞を飛び散らせたらしい。
前王妃は儀礼上「お気になさらず」と言葉を掛けたようだが、ヒクヒクと唇の端が動いていたと父が話していた。
極めつけは、遠乗りの最中に愛馬の耳に虻が入ってしまった事だ。
こんな不運は滅多にある事ではない。
馬はパニックを起こして暴走し、「うひょうううううう!」というシャルトーレ公の間抜けな悲鳴が馬と共に弾丸のように遠ざかっていった。
公はもう助からないだろうと誰もが諦めかけたが、天はシャルトーレ公を見放さなかった。
シャルトーレ公が力尽きて振り落とされた場所が、偶然にも干し草が高く積まれていたところであったからである。
シャルトーレ公は口の中まで干し草だらけになったが、ちょっと腰を痛めただけでかすり傷一つ追わなかったという。
あれ? こうして考えると、実は運がいい人なのかもとミルフィは考えを改めた。
シャルトーレ公にはデビュタントの時にご挨拶したが、害のなさそうな小太りのおじさんだったという印象しかない。
ただし人は良くても、賭博狂いという非常に困った欠点を持ち合わせていた。
ディール曰く、夜は毎日のように人を招いて賭博に興じ、下手をすると夜が明けて日が高くなるまでゲームをする事もあるそうだ。
賭ける金額は半端ではなく、毎晩かなりのお金が動いているようだと言っていた。
ミルフィがそんな事を考えていると、傍にいたレオーネが何かを思い出したようにあっと小さく声を上げた。
「そう言えば、今日の晩はシャルトーレ公から賭博を誘われていたんだった」
くそ、面倒だな……とレオーネは天を仰ぎ、そのままがしがしと頭を掻いた。
「妻に対する誠実さと賭博好きは両立するんだな。
何であんなに賭博が好きなんだろう。ゲームなんて単なる暇つぶしだろうに……」
ですよねと、ミルフィも心の中で同意した。カードゲームくらいはミルフィもするが、賭け事をする楽しさはさっぱりわからない。
「まあ、仕方がない。顔だけ出して、早々に退散するか」
王侯貴族の賭博は、人脈を繋ぐ社交の場でもある。
気が向かなくても、付き合い程度に顔を出しておく事は王族としての嗜みだった。
「なおん(ご苦労様です)」
興味がなかったミルフィは、後ろ足で首を掻きながらそう答えておいた。
その後レオーネは筆頭護衛騎士のフェルゼイを居間に呼んだ。
相変わらず背が高く、ガタイもいいため、存在感が半端ない。というか、この時期はちょっと暑苦しさを覚えるほどだ。
最近気づいた事だが、筋肉ムキムキの人が傍にいるとその周囲の温度が少し上がる気がする。
今度その辺りの事を、王太子殿下の傍に侍っている兄に聞いてみようと思っているミルフィだった。
「お呼びでしょうか」
近衛服をきっちりと着こなしたマッチョ、もといフェルゼイは、手を両脇にまっすぐ伸ばして沿わせ、騎士の鑑のような一礼をした。
そのフェルゼイに、レオーネは目の前の椅子を勧める。
「失礼します」
フェルゼイは求めに応じて着席したが、座った椅子が猫脚をした瀟洒な造りであったため、椅子が何だか小さく見えた。
肘掛け部分がなくて良かったと、ミルフィは密かに心の中で呟いた。
「フェルゼイ。私が十二歳の時に起きた事件の事を覚えているか?」
腰を下ろしたフェルゼイに、レオーネが早速問いかける。
「……尋ねておられるのは、かつてのディノクス伯爵夫人、アマーフィエの件でしょうか」
「そうだ」
レオーネは吐息混じりに頷いた。
「実を言うと、当時の事は余り覚えていないんだ。
アマーフィエの事はもう一人の姉のように慕っていたし、その相手からあんな事をされてとにかく気持ちが悪かった。
それに緊急用の呼び鈴を引いてしまったせいで、大勢の人の目に晒される事になっただろう?
あんな醜態を皆に見られた事に、耐え難い恥ずかしさがあった。だから、意図的に考えないようにしていたんだ」
「当時殿下はまだ十二歳で、一番多感な時期でした。思い出すのもお辛いという気持ちはよくわかります」
この一件は殿下にとっての恥部なのだと気付いたミルフィは、レオーネの腕から抜け出して扉の方に駆けて行った。
これは伯爵令嬢である自分が興味本位で聞いていい類の話ではない。
そう思ったから、外に続く扉をがりがりと掻いてみたのだが、その後を慌てて追いかけてきたレオーネによって、無情にも抱き上げられてしまった。
「こら、ミリィ。扉に傷がつく。
いいから私の傍でおとなしくしていてくれ。夕方にはまた外に連れ出してやるから」
「みゃあん(そうではなくて)!」
ミルフィは再び腕の中から抜け出し、扉の真正面で行儀よくお座りをしてみた。外に出たいという精一杯のアピールである。
が、レオーネは「だめだ」とにべもなく一蹴し、問答無用で抱き上げ、そのままソファーの上に座ってしまった。
こうなったらもう仕方がない。
ミルフィは「にゃぁ」と小さな声で挨拶し、レオーネの膝から下りてその隣に蹲った。
本当は会話が聞こえないように耳を塞ぎたいが、猫の身ではそうもできない。なので耳を伏せ、大人しく伏せの姿勢をとった。
「フェルゼイ。ずっと疑問だったのだが、あの時どうしてアマーフィエは私の寝所に入って来れたのだろう。
当時私は未成年だったから、王女や未成年の王子が住まう春の離宮で暮らしていた。
姉付きの女官であるアマーフィエも春の離宮に部屋をもらっていたから、宮殿内を自由に移動できたのは確かだが、私の寝所の入り口には常時、警備の騎士が配されていた筈だ。
その者達の目をどうやってごまかしたんだ?」
「目をごまかしたわけではありません。その者達がアマーフィエを通したのです」
「……あんな深夜に?」
「はい」
フェルゼイは腹立たしそうに唇を引き結んだ。
「ご存じの通り、姉君のオルーシア王女殿下は非常に茶目っ気があるお方で、突拍子もないいたずらをよく思いつかれていました。
警護の騎士らも、王女のお気に入りであったアマーフィエの顔をよく覚えており、王女殿下の直々の使いで来たという言葉を信じ込んで、そのまま通してしまったのです」
「あり得ないだろう? 姉上本人が来るならともかく、アマーフィエは王女の女官に過ぎないんだぞ。
通す前に、何故私に声を掛けない?」
怒りに声を荒げるレオーネに、
「おっしゃる通りです。私も後で報告を受けた時、あいつらの頭は正気かと思いました」
フェルゼイは苦々しく首を振った。
「アマーフィエは袖に媚薬の薄片を忍ばせておりました。
殿下の寝所に灯されていた燭台の火にその薄片を入れ、催淫効果が表われ始めた時を狙って、つまりその……、事に及ぼうとしたそうです」
「ああ。確かに甘ったるいような香りが部屋全体に満ちていた。
体も妙に熱くて、だからふっと目が覚めて、私の体の上に半裸の女がのしかかっている事に気付いたんだ。
まだ半分夢の中にいたし、自分に何が起こっているのかわからなかった。
服は開けられて肌はべとべとしているし、そのうちに無理やり乳房に触らされて、顔を見たらアマーフィエだったから、思わず大声を上げた。
抵抗しようとしたが体にうまく力が入らなくて、だから無我夢中で緊急用の呼び鈴を手で探って引いたんだ」
当時の事を思い出したのか、レオーネは手は膝の上に置いた手をきつく握り締めた。その手が小さく震えている事にミルフィは気付いた。
「あの後の記憶が曖昧なんだ。あれから実際はどうなったんだ?」
「詰所から他の騎士達が駆けつけてくるのを見て、見張りの二人はようやく事の深刻さに気付いようです。すぐ中に踏み込んで、アマーフィエを殿下から引き剝がし、アマーフィエはその場で拘束されました」
「……」
「アマーフィエは殿下に恋情と執着を覚えており、快楽を体に覚えさせれば恋人同士になれると信じていたようでした。
夫とは二年前に死別しているし、誰に操を立てる必要もない。ただ、自由な恋愛を楽しみたかっただけだと。
得物などは持っておりませんでしたし、媚薬の薄片を火に焼べたくらいですから、目的はそれで間違いなかったと思われまず」
「……アマーフィエは今、どうしている?」
「貴族席を剥奪され、平民になりました」
フェルゼイの言葉に、レオーネは驚いたように瞠目した。
「……あの後、事件はもみ消され、アマーフィエは宮殿から姿を消した。
あの名前を聞くのも嫌だったから誰にも聞かなかったんだが、そうか、貴族ではなくなったのか」
「ええ。表沙汰にしなかったのは殿下を醜聞から守るためで、アマーフィエの婚家であったディノクス伯爵家や生家のレンド伯爵家は領地を半分没収されたと聞いています。
ただ、アマーフィエが具体的に何をしたかまでは伝えられていません。
王族に害をなそうとしたとのみ伝えられましたから、お仕えしていた王女との間に何かあったと思っている筈です」
「……」
「あの一件で、面目を潰されたのはシャルトーレ公も同様でした。
王女の女官に従姪のアマーフィエを推挙したのはシャルトーレ公ですから、王の怒りは一時期シャルトーレ公にも及びました。
シャルトーレ公の従姉妹君で、アマーフィエの実母でもあったレンド伯爵夫人は若くして他界されていますから、アマーフィエを庇う者もおりません。
何よりブルーノ殿下が一族の恥さらしだとアマーフィエを強く糾弾しました。
ディノクス家はアマーフィエを正式に離籍し、レンド家当主はアマーフィエの引き取りを拒みました。
アマーフィエは平民となり、シャルトーレ公は仕方なく、王都から離れた僻村の修道院に彼女を入れたと聞いています」
「そうか。今は修道院にいるのだな……」
「寝所の警備をしていた騎士二人は騎士爵を剥奪され、王都から追放となりました。
ブルーノ殿下は極刑を求めましたが、死罪までは求めぬと王がおっしゃったそうです。ただ事件の事を一言でも口にすれば、おそらく命はないでしょう」
「あの事件で色々な者が運命を狂わされた。
思えば、あれから四年が経つんだ。
私だけがいつまでも過去に囚われている訳にはいかないだろう」
レオーネは疲れたように呟き、葛藤を断ち切るように大きく息を吐いた。




