荒れた御前会議
翌日は昨日の雷雨が嘘のように晴れ上がっていた。
「おはよう」
眠たそうに声をかけてくるレオーネに、ミルフィは布団に潜り込んだまま、くぐもった声で「なおん」と鳴いた。
男の人と一夜を迎えてしまった……。
やむを得ない事情があったとはいえ、淑女としてとんでもない事をしてしまった。
今更ながらに血の気が引く思いである。
それに王子にも申し訳なかった。
女性と直に手を繋ぐ事もできないくらいひどい女性嫌悪症を患っているのに、自分が女性と夜を過ごしたと知ってしまったら、ショックで立ち直れなくなってしまうのではないだろうか。
自分がタウジ家の令嬢ミルルフィーヌである事は死んでも隠さなければならない……とミルフィは決意を新たにし、のそのそと布団から顔を出した。
レオーネの方を見ると、白い首筋が目に入った。
いつも整えられている髪が少し乱れ、眠そうに伸びをする姿がやけに色っぽい。
寝起きのせいか肌は僅かに汗ばんでいて、白い肌を余計になまめかしくさせていた。
誘拐魔のくせにぃぃぃ!
自分でもよくわからない怒りと羞恥に襲われたミルフィは、動揺を鎮めようと心の中で思いっきり叫んだ。
レオーネはそんなミリィに気付く様子もなく呼び鈴を引き、すぐにセバスが姿を見せた。
朝一番であるにもかかわらず、セバスはいつも通りぴしりと糊のかかったシャツを纏っていて、服装に一分の隙もない。これぞ侍従の鑑といった感じである。
片腕に清潔そうなタオルをかけ、お湯が張られた洗面器を両手で持っていた。
レオーネが朝の支度をする姿を見たくなかったミルフィは一目散に扉の所へ行って、外に出たいアピールをしてみた。
気付いたディールがミルフィを抱き上げてくれ、レオーネの許可を取ってミルフィが普段過ごす居間に連れて行ってくれた。
レオーネとの朝餐が終わった後、ミルフィはいつものようにシャーロット妃のところに連れて行かれた。
シャーロット妃は今日も刺繍をされていて、見たところでは仕上がりはもう間近である。
花に絡む蔦の部分はすべて刺繍し終わっていて、今は最後の薔薇に取り掛かっておられるところだ。
明日にでもサシェにポプリを入れる作業が行われるのかもしれない。
やがてお茶の時間が来て、ルナス伯爵夫人が何食わぬ顔で紅茶の準備を始めた。
床で毛鞠を転がしていて遊んでいたミルフィは、マントルピースの上に飛び乗り、鏡越しにルナス伯爵夫人の手元を見る。
夫人は今日も袖口から薄い紙包みを取り出して中身をカップに入れ、それを確かめたミルフィは「なおん」と鳴いて、シャーロット妃に知らせた。
ルナス伯爵夫人はティーポットから最後の一滴まで注ぎ切り、優雅な仕草で皆に配膳した。
シャーロット妃はにこやかな笑顔でカップに手を伸ばし、色と香りを十分に楽しんだ後でゆったりと紅茶を口にする。
その様子を見たミルフィは、あの紅茶についてはもう心配要らないのだと肩から力を抜いた。
王太子ミゼルが言っていた通り、王家の影が紙包みを見つけ、中の粉を無害なものと取り換えたのだろう。
その後は日課の入浴をさせてもらい、さっぱりとした気分で昼前にレオーネ王子の居殿に帰ったが、生憎レオーネは不在だった。
今日は御前会議に出席しているようだが、どうやら会議が長引いているらしい。
そう言えば今日は、レジナルド公が王位継承権を持つ王族の減少について問題提起する日ではなかったかとミルフィはようやく思い出した。
もしかしてそのせいで会議が揉めているのかもしれない。
ミルフィがやきもきする思いで帰りを待っていると、昼食の時間をかなり回ってからレオーネが居殿に帰ってきた。
「ああ、ミリィ。遅くなって済まなかった。待たせたな」
ミルフィの姿を見つけたレオーネが、嬉しそうに手を伸ばしてミルフィの小さな体を抱き上げる。
「すぐに食事にしよう。ミリィもおなかが空いただろう」
レオーネとミルフィはその足で食事の間に向かった。
一人と一匹が席に着くと、きれいに盛り付けられたオードブルやスープが次々と運ばれてきて、レオーネは美しい所作でそれを味わう。
王族だけあって、レオーネのナイフの扱い方は非常に美しい。
姿勢を崩す事もないし、カトラリーを扱う際にも全く音を立てなかった。
ミルフィだって貴族令嬢として食事中のマナーは厳しくしつけられたが、レオーネに比べるとかなり劣っている気がする。
こういうところは見習いたいなあと思いつつ、ミルフィは黙々と食事を口に運んだ。
いつもならば、レオーネは食事をしながらミルフィに色々話しかけてくるのに、今日はどこか上の空である。
よほど心に掛かる事があるらしかった。
やがて食事を終えたレオーネは、ミルフィを抱いて居間に戻った。
マントルピースの上にあった猫じゃらしを手に取り、先端で揺れる毛玉を追いかけるミルフィとしばらく遊んでいたが、やがて大きな溜め息をついてその手を止めてしまった。
猫じゃらしをソファーのひじ掛けに置き、疲れたようにソファーに身を沈み込ませた。
「なおん(どうしたんですか)」
膝の上に乗り、レオーネのお腹に頭をぐりぐり擦り付ければ、ややあってレオーネは重い口をようやく開いてくれた。
「……御前会議が荒れたんだ」
ミルフィに聞かせている訳ではないだろう。惑う気持ちを昇華するために言葉にしている、そんな様子が窺えた。
「レジナルド公がまさかレドルス法の復活を発議してくるなど思ってもいなかった。
現在の王家は先細りの一途を辿っている。国家の安定を望むならば、王侯貴族の離縁を認め、血の存続を一義に考えるべきだ。そう、レジナルド公は提起してきたんだ」
バレルモ伯爵夫人が言っていた通りだわとミルフィは体を固くした。
レジナルド公はマリアーナ公妃との離縁を望んでいる。
根回しもなくそんな発議をしたとは考えられないから、おそらく会議の参加者に賛同者も用意していたのではないだろうか。
シャーロット妃にそれを告げてきたバレルモ伯爵夫人がどこからその情報を仕入れたのかはわからないが、夫人はギムナ侯爵夫人の従姉妹で、ギムナ侯爵は王妃の実兄だ。
王もその情報をご存じであった事は容易に想像がついた。
「王族は国の安定のために血を繋ぐ義務がある。レジナルド公の言っている事は確かに正しい。
現王には兄と私しか子がおらず、王族を名乗れる弟もいない。
従兄弟は二人いるが、シャルトーレ公にはブルーノ公子しか跡継ぎがおらず、一方のレジナルド公には正嫡の子がいない状態だ。
このままでは王家が先細るというレジナルド公の意見はあながち間違いではないんだ」
現王には弟君がおられるが、人族に生まれついたため、成人と共に王家の系譜から抹消された。
今は隣国に暮らしておられるとミルフィも耳にした事があった。
「モルド国は少し特殊な国だからな。人族に生まれつけば、王位や爵位を継ぐ事ができない。
獣人の両親から必ずしも獣人が生まれる訳ではないし、そのせいで断絶した貴族家は多いんだ。
だから王侯貴族の離婚を禁じたモルドの国法に対し、不満や不平を抱く貴族家は一定数いる。
保守派はその意見を数で抑え込んでいるが、今後の流れ次第では風向きも変わるかもしれない。
大きく歴史が変換していく可能性もある」
レオーネはミルフィの頭を撫でながら、吐息のような溜め息を零した。
「レジナルド公は女遊びが激しい方でね。結婚したら落ち着くだろうと皆思っていたのだが、平穏な結婚生活は数年しか続かなかった。
マリアーナ公妃との間に子が生まれなかったのも大きな要因かもしれない。二人はだんだん不仲になっていって、気付けばレジナルド公は愛人との間に子をもうけていた。
レジナルド公がその子を跡取りにしたがっているという話は耳にした事があるが、まさか本気で法の改正を望んでいたとはな……」
「うにょぉ(本当にひどい話ですよね)」とミルフィは不満の声を漏らした。
法律の是非については様々な考え方があるから一概にどちらが正しいとは言えないけれど、愛人との間に子どもを作った男の方が法の改正を口にするなんて、あまりに自分勝手がすぎる。
大体、子ができない事で一番つらい思いをしていたのは公妃様の方だ。
なのにそんな妻を思いやるどころか、自分は浮気を繰り返して庶子まで作ってしまうなんてどう言う事? とミルフィはレジナルド公に大いに文句を言ってやりたかった。
デビュタントの時、父にエスコートされて王族方にご挨拶に伺った事は覚えているが、緊張していたせいで公妃方のお顔までは覚えていない。
しかもあの当時は、今、目の前にいるこの王子様に邪険な態度をとられて傷付いていたから、余計に他の記憶が薄らいでしまった。
「この案を初めて聞いた時、私は一瞬、これで王家の重圧から解放されるかもしれないと思ってしまったんだ。
王家の裾野が広がれば、結婚を急かされる事もなくなるだろうと」
そんなミルフィに気付く事なく、レオーネは自嘲気味に言葉を続ける。
「本当に愚かだ。
もしこの法案が通れば、罪のないマリアーナ公妃が一番に追い詰められる。
レジナルド公が庶子を作った事で、子を授からぬ原因は公妃にあるのだと皆が知ってしまった。
この状況でレドルス法が復活し、不貞をしたレジナルド公の思惑通りに公妃が離縁されたとしたら、あまりに惨い話だ」
「にゃん!(同感です)」
「それに、不利な立場に追い込まれるのはマリアーナ公妃だけじゃない。結婚後三年が経ってもまだお子が生まれない義姉上も強い非難に晒されるかもしれない」
レオーネは小さく溜め息をついた。
「なあ、ミリィ。ここまで事が深刻になった原因の一端は私にあるんだ。
いつまでも女性嫌悪症を克服できず、十八になっても婚約者さえ決められない。
兄上は焦る事はないとずっと言ってくれていたから、私はずっとその状況に甘えていたんだ」
「みゅうう」
「兄上は十七歳で婚約した。諸事情があり、結婚したのは十九の時だったが、本来なら私の年にはすでに妻を迎えていたんだ。
もし私が結婚してさえいれば、レジナルド公も今この時期にあんな発議をする事はなかったただろう」
ああ、殿下は自分を責めていたんだ……とミルフィは初めて気が付いた。
どうりで帰ってきてから元気がなかった筈だと、ミルフィは小さな溜め息を呑み込んだ。
誤字報告でミルルフィーヌ→ミルフィーヌと報告していただき、んん? ミルフィの本名ってミルフィーヌだったっけ?と、作者のくせに頭を捻っていました(笑)そう言えば、まだ本名を出していなかった…? いや、どこかで書いた筈……と読み返し、少し先の35話でようやく主人公の名前を見つけました。
ミルルフィーヌで正解です。愛称がミルフィです。




