王夫妻と会う
「まああああぁっ! なんてかわいいの!」
そこからの展開は予想外だった。
バスケットの中で硬直していたミルフィを見つけた王妃様が、目をキラキラとさせてミルフィに声を掛けてくる。
「みゃおん?」
おそるおそるバスケットから顔を出したミルフィは、その後どうしていいかわからずに、こてんと首を傾げた。
そのあざとい仕草にやられたのだろう。
華やかな美女の王妃様が「きゃあっ」と小さく叫んで両手に頬をあてた。
「貴方、ご覧になって! 獣人の私達を見ても怖がりませんわ!」
嬉しげに話しかける相手はこの国で一番尊い王様だ。
デビュタントの時に一度お会いした事のある王様は、ミゼル王太子に二十歳年を取らせたような風貌をされていて、見るからに筋肉ムキムキだった。
因みに王と王妃は完全な政略結婚で、最初の頃、王妃様は見た目がマッチョな王様があまり好きではなかったらしい。
艶やかに咲く誇る大輪の花のような王妃様は、とにかく可愛いものが大好きで、男性の好みもどこか儚げな容姿をした細身の男性。
当時はまだ王太子だった婚約者に対し、「暑苦しそうな筋肉ですね」と思わず正直な感想を漏らし、傍にいた父のギムナ侯爵が紅茶を噴き出したというのは有名な話だ。
ただ幸いな事に、王にとって王妃の外見や性格は好みど真ん中であられたようだ。暑苦しいと思われた事を物ともせずに一途に愛を囁き続け、今やお二人はラブラブな仲になっている。
臣下にとってこれほど喜ばしい事はなかった。
ミリィに手を伸べていいものか躊躇っている王妃に、シャーロット妃が微笑みながら声をかけた。
「陛下。どうぞ抱いてやって下さいませ」
バスケットの中に手を差し入れたシャーロット妃がミルフィの体を丁寧な手つきで持ち上げる。
脇を抱えられ、だらんと後ろ足を伸ばしていたミルフィは、食い入るように自分を見つめている王妃の顔を見上げて、「なおん」と小さく挨拶した。
王妃が顔を綻ばせ、シャーロット妃の手からミルフィを受け取った。
シャーロット妃は非常にふくよかな胸の持ち主だが、王妃だって負けてはいない。
四十過ぎというのに腰はきゅっと括れていて、お傍にいるとものすごい色気がある。
アーモンド色の瞳はぱっちりとしてまるで吸い込まれそうだし、唇は極上のサクランボのように赤く艶やかに熟れていた。
「本当に可愛い白猫ちゃんね。
ああん、猫に触れるような日が本当に来るだなんて……」
その王妃様からは感極まったようにそう言われ、そのまますりすりと顔を寄せ、ひたすら体中を撫で回された。
散々モフモフされた挙句、最後には白い腹に顔を埋められてふんふんと匂いを嗅がれる。
これはあれだ。変態王子の行動パターンと全く一緒だ……とミルフィは思った。
変なところで、二人は親子なんだなあと納得してしまう。
「王妃。一人占めはずるいぞ。私にも抱かせなさい」
放置されていた王が拗ねたように声をかけてきて、王妃は渋々といった表情で夫君に顔を向けた。
ついでにミルフィも、同じタイミングで王の方を見た。
王はがっしりとした手をわきわきとさせてミルフィの事を凝視している。
目はキラキラと輝いていてまるで少年のようだ。
えっと、王様ってこんな感じのお方だったっけ?
ミルフィは、んんん? と首を傾げた。
デビュタントボールでお会いした時は逞しい体躯に真紅のマントを羽織り、正に堂々たる威厳に満ち溢れていた。
が、今やそうした貫禄がどこにも見つからない。
王は待ちきれない様子で手を伸ばしてきて、王妃の腕からミルフィを抱きとった。
大きな手がミルフィを抱き上げ、安定感が半端ない。
真正面で見つめ合う形になったので、ミルフィは「みょん」と両足を揃えて小さく挨拶した。
天を仰いだ王が、「くっ……!」と声を漏らす。
どうやらどこかのツボにはまったようだ。
「嘘だろう……。私に猫が懐く日が来るなんて……」
いや、人間ですとミルフィは思った。
本当のネコなら、獰猛なトラの気配に威圧され、今頃は恐怖で失神している事だろう。
そしてそのままミルフィは王にももみくちゃにされた。
おおうっ。
遠慮も何もあったものではなかった。
モフを愛でたい。その本能の前ではすべてが些末となってしまうようだった。
私の緊張を返せ……。
ひたすらわしわしとモフられながら、遠い目でそう心に呟くミルフィだった。
モフモフタイムがようやく終わり、ミルフィは床の上に降ろされた。
地に足をつけて立つという事がこんなにすがすがしいなんて知らなかった。
落ち着きたかったミルフィは、ぺたんとお尻を床につけ、取りあえずその場で毛繕いを始めた。
ああ、和むわ……。
せっせと前足を舌で嘗めていると、横から妙な視線を感じた。
おそるおそるそちらを見ると、王と王妃が目を皿のようにしてミルフィを凝視していた。
王はお腹の前で両手を握り合わせたまま固まっていて、まるで彫像のように見える。王妃様は? とその隣を見ると、こちらも扇を口元に当てたまま見事に固まっていた。
「にゃ、にゃおん?」
ミルフィが片側の前足を上げたまま戸惑った声を上げると、ようやく時間が動き始めたように王がごほんと咳払いした。
「仕草の一つ一つに心が癒されるな。レオーネが手放したがらない筈だ」
苦笑混じりに王が言い、傍にいた王妃もええと頷く。
「貴女はバウアーパークで遊んでいたところをレオーネに攫われたんですってね。
人に対しても物に対しても、余り執着を覚えない子なのに珍しいわ。
お陰であの子は毎日楽しそうだけれど、貴女には本当に申し訳ない事をしたわ」
雲の上の存在である王妃様に謝られて、ミルフィは慌てて前足を揃え、「みゃおん」と首を振った。
そのままお行儀よく座っていると、「どうか楽にしてちょうだい」とう王妃が笑う。
「それよりこちらに来て、一緒におやつをいただきましょう。貴方の席も用意させたわ」
シャーロット妃の隣に脚高の椅子が用意されていて、ミルフィは抱き上げられてそこに乗せられる。
やがてお茶のセットがテーブルに運ばれてきて、ミルフィはわくわくとそちらを見た。
今日のお茶菓子は二層に分かれたババロアゼリーだ。
下段は黄色がかった白色のババロアで、上段にはレモン色のゼリーが載っている。その上にはブルーベリーとセルフィーユが飾られ、葉っぱの形をした飾りチョコレートが添えられていた。
まさに爽やかな六月の風を感じさせる、清涼で食欲をそそる一品だった。
セルフィーユがちょっぴり苦手だったミルフィは口でそれを咥えて皿の端に置き、まずは艶々としたブルーベリーを頬張った。
さすが王宮で出されるだけあって、粒は大きく甘みも強い。
「ミゼル殿下が大層不思議がっていましたわ。
獣化は身を守るための本能の筈なのに、どうして愛らしい猫に獣化してしまったのかと」
シャーロット妃が楽しそうに言い、「本当にそうね」と王妃が笑った。
私が獣人ってここでばらしていいのかなとミルフィは慌てて辺りを見回したが、既に使用人の大半は下がっていて、部屋に残っているのは王付きの侍従長だけだ。
王はこの侍従長を心から信頼している様子で、それが態度から感じられた。
「トラに比べれば攻撃力は低いが、愛らしいのも一種の武器かもしれないぞ」と王が言った。
「それに、私達よりも獣化が簡単そうだ。
私達は獣化の前に服を脱ぐ必要があるが、猫ならばそのままいけるだろう」
「そう言えば昔、衣裳を纏ったまま誤って変態してしまった姫君が王家にいらしたのではなくて?」
楽しそうに王妃がご夫君に話し掛け、「ああ。四代前の王の姫だな」と王が苦笑する。
「そんな方がいらしたのですか? 初めてその話を伺いました」
シャーロット妃の言葉に、王妃は小さく笑った。
「その王女様はね、自分の近衛騎士に恋心を抱いていたそうなの。
騎士の方も王女様を憎からず思っていて、いろいろと根回しをして何とか降嫁のお許しを王陛下からいただいたそうよ。
月光に照らされたバルコニーで王女の前に膝をつき、ロマンティックにプロポーズをしたのだとか」
「まあ、素敵ですわね」
「ところが現実はそうロマンティックでもなかったわ。
ずっと片思いをしていた騎士からプロポーズされて、王女様は天にも昇る気になったみたい。
嬉しさのあまりパニクって、本能に引き摺られる形でうっかりその場で獣化してしまったの」
「え。ナイトウエアの時ではなく、ドレス姿の時に変態なさったのですか?」
思わず手で口を覆ったシャーロット妃に、王妃は苦笑しながら頷いた。
「布地だけならば破れただけで済んだのだけれど、女性はドレスの下にコルセットを着けているでしょう?
紐で締め付けるだけの簡素なコルセットならまだ良かったのだけれど、王女様は好きな男性にいいところを見せたかったみたいで、獣化程度では壊れないような頑丈なコルセットを身に付けておられたそうなの。
だからもう、大変!」
王妃は小さく首を振った。
「ドレスは無残に引き千切られて、切れ端が片足に絡みつき、自分はコルセットで思い切り腰を絞め上げられて、トラ姿で悲鳴を上げられたそうよ。
人型に戻ったら楽にはなれるけれど、そんな事をしたら自分は全裸にコルセットだけを付けた、あられもない姿になるでしょう?
訳のわからない格好になって苦しがる王女様に気付いた侍女達が数人がかりで王女様を抱え上げ、別室にお運びしたと聞いているわ」
「まあ、それは何ともお気の毒な事に……」
その姿を想像したミルフィも、その王女様に心から同情した。
夢のようなプロポーズで、楚々とした風情で求愛を受け入れたかっただろうに、コルセットをつけた間抜けなトラ姿になってしまうなんて、悲劇としか言いようがない。
「その点、貴女ならばうっかり獣化しても何のダメージがなさそうね」
王妃様がそう言って笑い、ミルフィは「なおん(その通りです)」と返事をした。
自分の場合、服のまま獣化して、床に落ちた服の間から抜け出ればいい。
その代わり、猫姿の時に固い首輪を付けられたらアウトである。
ミルフィは恨めしそうに、首輪の辺りを後ろ足で掻いた。
白猫のミルフィによく似合っていると王子からは絶賛されたが、まったくもって嬉しくない。
でもまあ、動揺した時に獣に変態したがるのは獣人の本能だが、反対でなくて良かったとミルフィは思った。
あれば大事である。
何か動揺する度に、真っ裸の人間が現れたら破廉恥極まりない。
「それにしても、そなたが来てから、レオーネの表情が目に見えて明るくなった。
父として礼を言う」
いきなり王様にお礼を言われ、とんでもない事ですとミルフィは恐縮した。
それまでのレオーネ王子を知らないのでミルフィにはよくわからないのだが、確かにバウアーパークで見た王子は表情が暗く、非常に憂鬱そうだった。
それに比べれば、今はいつも楽しそうだ。
人型やトラ姿で庭園を一緒に散策したり、暇を見つけて猫じゃらしで一緒に遊んだり、気が済むまでミルフィをモフモフして満足そうな吐息をついている。
「助けられたのはレオーネばかりではないわ。
貴女のお陰で思わぬ事実もわかったもの。
まさかルナス伯爵夫人が王家に二心を抱いているなんて、思った事もなかった」
ふと語調を変えて王妃が言い、それまでの和やかな空気が一瞬で引き締まった。
「王妃様……」
思わずといった口調でシャーロット妃が呟くのへ、
「安心して、シャーロット。夕刻までには、影から報告が上がる筈よ。今回見つからなかったとしても、どこかで襤褸を出す筈だわ。
彼女の生家やルナス伯爵家、それから彼女を推挙した宰相の周囲も秘密裏に探っているところなの。
必ず真相を突き止めるわ」
「ありがとうございます」
シャーロット妃が感謝を込めて深々と頭を下げた。
王は二人の会話を黙って聞いていてが、ややあってミルフィの方に視線を向けた。
「タウジ伯爵令嬢。近いうちにそなたを家に戻そう」
思わぬ言葉に、ミルフィははっと顔を上げた。
そのまま呆然と王を見上げていると、王は再び口を開いた。
「いつまでもタウジ伯爵家の令嬢を王宮に留めている訳にはいかない。
こちらに来てすでに一週間以上が経っている。
そのせいで、令嬢が病弱であるという噂が定着してしまったが、それによって被る不利益については王家ができる得る限り対処をしよう」
要は、病弱という噂が立ってミルフィの婚姻話が難航する場合、王家が何らかの箔をつけてくれるという事だ。
ミルフィは伏せの体勢を取り、「なおん」とお礼を申し上げた。
王陛下のお言葉はとてもありがたかった。
これでミルフィは良縁を確約されたようなものだ。
ミルフィは王陛下の配慮に心からの感謝を覚えたが、一方で名状しがたい寂しさが胸を過るのを止める事ができなかった。
自分は何を恐れているのだろうとミルフィは心に呟いたが、漠然とした切なさの正体が何なのか、ミルフィにはよくわからなかった。




