王太子夫妻と話す
首輪を外してもらったミルフィはいそいそと衝立の後ろへと向かった。
人型に戻るのは七日ぶりで、何だかドキドキしてしまう。
獣化を解いて真っ裸になったミルフィはそそくさと下着を履き、ドレス用のコルセットに手を伸ばした。
前開きのコルセットが用意されていたので、お腹をひっこめながら前ホックを留めていき、ぺしゃんこに畳まれていたパニエの中に両足を入れ、ウエストまで引っ張り上げた。
バウアーパークでは一人で脱ぎ着していたから、ドレスの着脱はお手の物だ。
用意されていた若草色のドレスを頭から被り、スカートのひだをきれいに整えて前ボタンを嵌めれば、あっという間に伯爵令嬢の出来上がりだ。
さすがに髪は自分でできないので、ドレスの上に乗せられていたバレッタで両サイドを簡単に留め、後ろにそのまま流す事にした。
「お待たせ致しました」
衝立の後ろから出てきたミルフィは、ミゼル王太子とシャーロット妃の前にしずしずと進み出て渾身のカーテシーを披露した。
猫のミリィを知っているミゼルは吹き出しそうな顔でミルフィを見つめ、それをごまかすようにごほんと一つ咳払いした。
「デビュタントボールぶりか。
タウジ伯爵令嬢、この度はとんだ災難だったな」
王太子からそう言葉を掛けられ、ミルフィは「いえ」と神妙に頭を下げた。
猫姿の時は気軽に撫で撫でされていたが、今の自分は伯爵令嬢である。これまでに叩き込まれた淑女教育を思い出しながら、ゆっくりと口を開いた。
「レオーネ殿下は、猫に獣化する獣人がいるなど全く御存じではありませんでした。
この事実を隠し、結果的に王家を騙すような形になりました事を幾重にもお詫び申し上げます。
本当に申し訳ございませんでした」
勝手に攫ってきたレオーネに言いたい事は山ほどあるけれど、元を辿ればタウジ家がミルフィの秘密を隠していた事が原因だ。
王家から処罰があるというのなら甘んじて受けなければならないとミルフィは神妙に頭を下げた。
「イザークからそれを聞いた時は、はっきり言って耳を疑ったよ。
獣化は元々、生き延びるための変態だからね。まさか愛玩動物に変態する獣人が現れる日が来るなんて思ってもいなかった」
ミゼルが苦笑交じりに言い、それを聞いたシャーロット妃がふふっと笑う。
「トラはネコ科なのですし、細かい事はよろしいのではありませんか?」
「ああ。王陛下もそのように言われた。獣化はできている訳だし、問題はないと。
だからそれについては気にしないでくれ」
ミルフィはようやく安堵し、傍らに立つ兄とそっと目を見交わした。
「ただ、一度タウジ家令嬢に会ってみたいそうだ。もちろん猫姿でだ。
明日の午後、シャーロットが陛下の許に挨拶に伺う時、君を連れていく事になる。
その心積もりでいてくれ」
「畏まりました」
うわぁ、いよいよだ……とミルフィは気持ちを引き締めた。
タウジ伯爵家はそこそこの家格は持つが、上位貴族ではない。
デビュタントを終えたばかりの令嬢が両陛下と個人的な場をもうけてもらえるほどの家ではなく、そわそわと瞳を揺らしてしまった。
「レディ・ミルルフィーヌ。
話は変わるけれど、貴女は午前中、私の紅茶にわざと尻尾を浸けたわよね。
あれはどういう意味だったの?」
シャーロット妃がそう声をかけてきて、その件があったとミルフィは思い出した。
何とか機会を見つけて伝えなければならないと思っていたのに、すっかり忘れていた。
「紅茶の中にわざと尻尾を? たまたまではなく?」
ミゼルの問いに、ミルフィは「はい」と頷いた。
「ルナス伯爵夫人が紅茶を用意していた時、私はマントルピースの上にいました。あの位置からは、鏡越しに夫人の手元が良く見えるのです。
夫人は袖口から小さな紙包みを取り出して、中の粉をカップの中に入れました。
そして何食わぬ顔でそのカップに紅茶を注ぎ、妃殿下にお出ししたのです」
「白い粉を……」
シャーロット妃が衝撃を受けたように体をふらつかせ、傍にいたミゼルが慌てて妻の肩に手を置いた。
「それは確かか?」
険しい声で兄のイザークに問われ、ミルフィは「間違いないわ」と答えた。
「手つきがすごく慣れていて、表情一つ変えずに粉を入れていたの。空になった紙包みを袖口にしまうところまではっきり見たわ」
「……そう言えば貴女が粗相をした時、彼女は大層怒っていたわね。
悪し様に貴女を罵っていてまるで別人のようだった」
シャーロット妃が力なく呟き、苦い笑みを頬に刻んだ。
「ジュビエーヌは私に忠実な女官だと思っていたわ。
王太子妃となった時から仕えてくれて、私が紅茶を欲しいと言えば、いつも彼女が用意してくれたの。
何故今になって、私に害をなそうとするのかしら」
「あの……」とミルフィは口を開いた。あの場面を見た時からずっと思っていた事だった。
「これは単なる想像ですけれど、即効性の毒ではなかったのかもしれません。
もしあの後すぐに妃殿下が倒れる事があれば、真っ先に疑われるのはルナス伯爵夫人です。
けれど、そこまでの緊迫感は彼女から感じられませんでした」
「可能性として考えられるのは、遅効性の毒かあるいは蓄積していくタイプの毒か……」
そう呟いたミゼルは、改めてシャーロット妃に向き直った。
「シャーロット。午前中のお茶はいつもジュビエーヌが用意しているのか」
「ええ。ほら、彼女の生家のアートン伯爵家は良質な紅茶の茶葉が採れる事で有名でしょう?
茶葉を見ただけで産地や種類を言い当てる事もできたし、その日の気候やお菓子に合った紅茶を淹れる事に長けていたの。
そう言えば、彼女が休暇を願い出るのは午後から夜にかけてばかりだったわ。
だから朝のティータイムは、一日も欠かさず彼女が紅茶を淹れていたの」
「そうなのか。
プライベートはどんな風に過ごしているんだ?」
「詳しい事は聞いていないけれど、観劇にはよく行っているようね。その時に付き合い程度の賭博もしていると聞いた気がするわ。
確か、家族との縁は薄いのだと言っていなかったかしら」
「家族との縁が薄い……か。
彼女の義弟に当たるルナス伯爵とは一度言葉を交わした事があるが、宮廷であまり姿を見かけないな。
社交嫌いで領地で過ごす事が多いと耳にした気もするが」
「社交嫌いというより、金銭事情でしょう」
やや苦い口調でイザークが言った。
「ジュビエーヌ夫人はかなりの浪費家です。
ご夫君が存命の折から、舞台俳優の卵達にかなりの金を投資していました。子ができなかった無聊を慰めるためとも聞いています。
そのうちの一人が大当たりし、ジュビエーヌ夫人は才能を見出す目があると大層持て囃されましたが、俳優達への大盤振る舞いはルナス伯爵家の財政をかなり圧迫したのだとか。
現当主と義姉であるジュビエーヌ夫人の仲が良くないのもそのためです。
領地こそ切り売りせずに済んでいますが、ルナス伯爵は今も借財の返済に苦しんでいるようですから」
「ええ。ジュビエーヌも義弟の事はあまり好きではないみたい。
芸術を解する心がないとよく言っているわ」
吐息混じりにそう呟いた後、シャーロット妃は夫のミゼルに向き直った。
「私の女官になったのは宰相の推薦と聞きましたが、どうしてそのような流れになったのでしょう」
「ジュビエーヌには年の離れた兄がいたが、数年前に病死して、今は甥が生家のアートン伯爵家を継いでいる。
元々兄嫁との仲が悪かったらしく、代替わりと共に疎遠になったようだ。
だから寡婦となった時、亡き母の従兄弟であり、幼馴染みでもあった宰相のエメス伯爵を頼ったのだろう。
彼女は身元もしっかりとしていて、派閥とは無縁の立ち位置にいた。
役者のパトロネスとしても名を馳せ、芸術への造形も深かったから、王太子妃の女官として適任ではないかと宰相が推挙してきたんだ。
エメス伯爵は堅実で誠実な人柄だ。何か企みをするような人間にはとても思えないのだが」
「私もエメス伯爵を存じ上げていますが、同じような印象を持っています。
ただ、今となっては全てを疑って考えなければならないでしょう」
イザークの言葉にミゼルは小さく頷いた。
「取りあえず、ルナス伯爵夫人の背後に誰がいるのか、早急に突き止めなければならないな」
「では、ルナス伯爵夫人はこのまましばらく泳がせると」
「ああ。できれば、明日も粉薬を紅茶に入れようとするかを確かめておきたい」
ミゼルはそう言って、ミルフィに視線を向けた。
「タウジ伯爵令嬢、お願いできるか」
「畏まりました」
ミルフィに否やはない。
鏡越しにルナス伯爵夫人の手元を確認するだけなので、大した手間でもはなかった。
「また粉を入れてきたとして、その紅茶を飲んだ方がよろしいのかしら」
不安そうにシャーロット妃が言うのへ、「いや」とミゼルは首を振った。
「アンドレアス伯爵夫人は信頼できるとそなたも言っていた。
夫人にこっそりとカップを取り替えてもらい、その紅茶は飲まないよう伝えておけばいい。
ジュビエーヌはそなたが紅茶を飲みさえすれば安心する筈だ」
「わかりましたわ」
「明後日以降も同じ事を仕掛けてくる可能性がありますが……」
イザークの言葉に、ミゼルは割れ顎に手を当てて考え込んだ。
「現場を取り押さえれば済む話だが、今はしたくない。
下手をすると彼女一人が罪を被って死に、それで有耶無耶にされてしまう」
「けれど状況は待ったなしです。
このままでは妃殿下の安全が脅かされますが」
ミゼルは厳しい顔で頷いた。
「ジュビエーヌが今日使った紙包み一つしか所持していないという事は考えにくい。いくつかの予備を部屋に隠し持っていると思った方がいいだろう。
この後すぐにでも、この一件を陛下にご報告申し上げる。
王家の影を動かし、秘密裏に彼女の居室を捜索させる事にしよう」
「紙包みが見つかったらどうなさるおつもりです」
「取りあえず、中身を安全なものに取り換える。そうすればしばらく時間が稼げる筈だ」
三人は大きく頷いた。
「そう言えば、昨日ジュビエーヌは午後から休みを取ってどこかに出掛けましたの。
もう一日早ければ、監視をつけていただけたのですが」
軽い吐息をついたシャーロット妃にイザークが尋ねた。
「いつも、どのくらいの頻度で休み希望を?」
「そうですわね。月に四、五回でしょうか。また、日にちが経てば休みを申し出てくる筈です」
「希望を出してきたらすぐに教えてくれ。
その間に誰と会うか、何をしているのか、尾行して調べさせよう」
ミゼルの言葉に、シャーロット妃はようやく愁眉を開いて微笑んだ。
その後、お茶会はお開きとなり、ミルフィは再び猫姿に戻って、トラに変態したシャーロット妃と庭園の散歩を楽しんだ。
シャーロット妃はミルフィの母と同じホワイトタイガーで、その姿はしなやかで大層美しい。
ミルフィはホワイトタイガーの後ろをちょこまかと付いて走り回り、広々とした王太子宮の庭園探索を心ゆくまで楽しんだ。
晩餐は王太子夫妻とご一緒し、三種のアミューズから始まるコース料理を堪能させていただいた。
毎日こんな美食続きでいいのだろうかと、ミルフィは満腹になったお腹を撫でながら独り言ちる。
この豪勢さに慣れてしまったら、タウジ家の料理に満足できなくなってしまいそうだ。
特別な日でもないのに、デザートにアイスクリームが出てくるなんてあり得ない。アイスクリームに目がないミルフィは、猫姿であるのをいい事に、皿の隅々まで舌で嘗め取った。
「さて、そろそろミリィは寝る時間だ」
夕食後、ミゼル王太子が侍従長にミルフィ専用のバスケットを持ってこさせた。
この中に入るのかな? とミルフィが首を傾げていると、王太子は空のバスケットを一旦受け取った後、そのまま蓋を開ける事もなく侍従長に返す。
「今宵はお前がミリィの世話をしてやるように」
「畏まりました。十二分に気を付けてお世話させていただきます」
空のバスケットを恭しく持ち上げて侍従長が答え、そのまま別室へ下がっていく。
その姿を見送って、ミゼルは面白がるようにイザークの方を見た。
「さて、この子はお前の部屋に泊めてやれ。積もる話もあるだろう」
「感謝致します」
「明日は朝餐の前に私の部屋に顔を出せ。
先ほどの侍従長に空のバスケットを持って来させて辻褄を合わせる」
「わかりました」
イザークは片腕でミルフィを抱え、深々とミゼルに一礼した。




