話題のマダムに会う
その翌日、ミルフィは再び送迎用のバスケットに入れられて、王太子の居殿を訪問した。
居間には昨日と同じ三人の女官が控えていたが、今日はその他にもう一人、中年の女性が招かれていた。
えらの張った四角い顔の婦人で、髪をすっきりとまとめて、大きな目を強調するようなメークをしている。
自分の見せ方というものをよく知っている女性で、眼差しには活気と自信が溢れていた。
「ミリィ。よく来たわね。
今、マダム・シャルルに祝典用ドレスのデザイン見本を見せてもらっていたの。貴女もこちらにいらっしゃい」
この方がマダム・シャルルなのねと、ミルフィは目を輝かせてその女性を見上げた。
社交界にデビューしたてのミルフィではあるが、王妃お気に入りの服飾デザイナー、マダム・シャルルの名前くらいは知っている。
卓越した服飾センスを持ち、伝統を重んじながらも斬新で奔放な風をモルド国のファッション界に持ち込んだと言われている人物だ。
新進気鋭のデザイナーとして数年前から頭角を現し始めていたが、その名が一気に知れ渡ったのは三年前の夏に開かれた王家主催の夜会だった。
レジナルド公妃マリアーナがドレスの制作をマダム・シャルルに依頼し、マダムは公妃のイメージに合わせ、見る角度によって金緑から金紫に色を変える美しい生地を隣国から取り寄せた。
そしてドレープの美しさを最大限引き出したエレガントなデザインドレスを公妃のために仕立て上げ、その日の夜会の話題をさらっていったのである。
王妃はこの夜会で手放しの賞賛をレジナルド公妃に与え、マダム・シャルルは服飾業界で不動の地位を手に入れた。
以来、マダムは王室御用達のデザイナーとなり、その人気はとどまる事を知らない。
現在のモルド国の流行は、このマダム・シャルルに牽引されていると言っても過言ではないだろう。
今では王族や余程の高位貴族でないとマダムの予約は取れないとされていて、ミルフィもこの人気デザイナーの顔を拝むのは初めてだ。
マダムの身分は平民だが、何と言っても王妃様お気に入りの服飾デザイナーで、デビュタントを済ませたばかりの自分がおいそれと会える相手ではない。
顔を拝むという言い方で間違ってはいないだろう。
シャーロット妃が手招きしてくれたので、ミルフィは遠慮なくその膝の上に乗らせていただいた。
ラフ画が描かれたデッサン帳を、シャーロット妃は一枚一枚丁寧に捲っている。どれも斬新で、目を奪われるような美しさがあった。
「今度はオフショルダーのドレスを仕立てられてはいかがでしょう。
妃殿下は首筋から肩口のラインがとてもきれいですもの。上品に仕上がると思いますわ」
バレルモ伯爵夫人が言い、シャーロット妃が頷いた。
王族妃に仕える女官の役割は多岐に渡り、衣裳や装飾品の選定や助言もそのうちの一つである。
「そうね。では、襟の部分に折り返しがあるデザインにしたいわ。そういうのはあるかしら」
「もちろんございます」とマダム・シャルルが大きく頷いた。
「真っすぐな折り返しと、中央部分を絞ったものとがございますが」
「今回は真っすぐなものでいくわ。後、スカート部分のボリュームは少し抑えたいのだけれど」
「でしたら、こちらのデザインはいかがでしょうか」
マダムがいくつかのデザインを提示し、シャーロット妃が女官達と相談しながらそのうちの一つを選んだ。
「イメージ的にはこれでお願いしたいわ」
「畏まりました。生地にご希望はありますか?」
「そうね……。今回はサテンにしましょう」
マダムがすぐに布地見本を持ってこさせ、シャーロット妃は姿見の前でいくつかの布を体に当て、色や柄、手触りなどを確かめた。
布地までが決まると一旦お茶休憩が入り、お茶の後はドレスにつけるレースやあしらう宝玉について話が進められた。
透け感のある華やかなチュールレースや、優しい風合いのコットンレースなど、様々な質感と模様を持つ色とりどりのレースがテーブルに並べられ、シャーロット妃はそれを一つ一つ吟味する。
細かい注文がラフ画に付け加えられていき、瞬く間に仕上がっていく衣裳イメージにミルフィはわくわくした。
夢中で画に見入っていると、シャーロット妃が優しくミルフィの頭を撫でてきた。
「今度貴女にもマダムのドレスをプレゼントしましょうね」
「にゃん?」
ミルフィは驚いてシャーロット妃の顔を仰いだ。
夫人の予約は向こう一年は埋まっていると耳にした事がある。
何と言っても王妃お気に入りのデザイナーなのだ。
皆が競うようにマダム・シャルルのドレスを求めていて、一伯爵家の令嬢に過ぎないミルフィにはとても手の届くようなものではなかった。
ミルフィは心底恐縮したが、一方で驚きを露わにしたのはマダム・シャルルである。
「え。私が猫ちゃんの衣装を作るんですの?」
素の顔で聞き返してしまい、鳩が豆鉄砲を食らったようなその顔にシャーロット妃が思わず噴き出した。
女官達の間にも笑いがさざ波のように広がっていき、妃殿下の冗談だとわかったマダム・シャルルも一緒になって笑い出した。
そんな中、シャーロット妃は両手でミルフィの体を抱き上げ、耳元でそっと囁いた。
「さっきの言葉は本気よ。どうか楽しみに待っていて」
「なおん」
今を時めくマダムにドレスを作ってもらえるなんてまるで夢のようである。
誘拐されて良かった……と、再び心に呟いた現金なミルフィだった。
シャーロット妃から思わぬ提案をされたミルフィはルンルン気分でレオーネの居殿に戻ったが、生憎そこにレオーネの姿はなかった。
そう言えば、今日は急遽、午餐を両陛下や兄夫婦といただくようになったとレオーネが話していたのを思い出した。
成人王族はそれぞれの宮殿で食事をするのが基本となっているため、特別にこうした場を設けなければ、レオーネが家族と食事を共にする事はない。
殿下はいつも、あの食事の間で一人で食事をされていたのよね……とミルフィはふとそう思った。
あの部屋は広々として居心地の良さそうな空間になっていたが、一人でとる食事は味気ない。
ミルフィと一緒に食事をとる時のレオーネの嬉しそうな顔を思い出し、ミルフィはちょっぴり切なくなった。
初めて会った時も、ミルフィを腕に抱いたレオーネは、温もりに触れるのはいつぶりだろうと寂しげに呟いていた。
女性嫌いのレオーネは素手で女性と触れ合う事ができない。
勿論、人肌に触れなくても人は生きてゆけるけれども、誰かの温もりを感じる事で得られる安らぎや安心感は確かに存在するとミルフィは思う。
タウジ家では、ミルフィを褒める時に父がよく頭を撫でてくれた。
兄は冗談交じりにミルフィの髪をくしゃくしゃにしてくる事があって、ミルフィはその度にぷんぷん怒ったが、その手自体は嫌いではなかった。
そう言えば、自分は何か辛い事や恐い事がある度に、母様の胸の中に飛び込んでいた。
さすがにここ二、三年はなかったけれど……と心に呟いたミルフィは、七つの時に両親から仕掛けられた幽霊騒ぎを思い出して、思わず顔を顰めた。
変態させるための苦肉の策だったんだろうけれど、あれはない。
ちびりはしなかったが、体中の毛が逆立って、穴という穴から汗が噴き出した覚えがある。
まあ、おかげで無事、獣化ができた訳だけれども……。
昔の事を思い出しながらお一人様ランチを楽しんだミルフィは、ごろんと絨毯の上に寝転んだ。
怠惰と言われようが不精と言われようが、他にする事がないのだから仕方がない。
ミルフィはふわぁっと大きな欠伸をし、尻尾を体に巻き付けて、丸まった状態で頭を胸の中に埋めた。
人型の時は、午睡なんてしない。
一度した事があるが、あれはいけない。あれは覚えてはいけない蜜の味だと本能的に思ってしまった。
では、今はどうかと聞かれると、疚しさは全く感じない。
背徳感は人としてあるべき道に背く事への後ろめたさだと聞いているから、猫姿ならばどうでも良くなるのだろうか。
こんな生活が続いていたら、一生令嬢に戻れなくなってしまいそうだ。
そんな不安を覚えつつも、ミルフィは陽だまりの温かさに引き摺り込まれるように深い眠りに落ちていった。
気付けば中天にあった太陽は少し西に傾き始めていて、扉が開かれる音に、ミルフィは片目を開けてうっそりとそちらを見た。
「ミリィ。ただいま!」
待ちかねたように飛び込んできたレオーネは、引き裂かれた恋人との再会を喜ぶ勢いでミルフィの体をひしっと抱きしめる。
「みゃあお(お帰りなさい)」
本物の猫なら、こんな暑苦しい愛情表現をされたら絶対に逃げているぞと思いながら、ミルフィは一応返事をしておいた。
確か氷の王子の異名をとっている筈なのに、ここにいるのは単なる猫バカだ。
ミルフィの頭を撫で回し、続いて両脇に手を差し入れて体を抱え直し、その腹に顔を埋めてくる。
「にゃおう(匂いを嗅ぐな)!」
ひとしきりミルフィで遊んだレオーネは、肉球の揉み揉みまでを楽しんでからようやくミルフィを解放してくれた。
もみくちゃにされたミルフィは窓際まで逃げ、せっせと毛づくろいを始める事にした。
「ミリィ。お茶でも飲もうか」
レオーネがそう誘ってくれ、「みょん」とミルフィは素直に返事をした。
王宮で出されるお菓子はいずれも絶品だ。
今日はどんなおやつが出てくるのだろうと思うと、どきどきが止まらない。
「そう言えば今日、お前の事を散々聞かれたぞ」
席に着いたレオーネからそう言われ、ミルフィはびっくりして顔を上げた。
「みゃおん(どうして)?」
「お前の事を兄上がどうやら話してしまったようなんだ。
獣人に懐く猫なんて前代未聞だから、父上も母上も興味津々でね。
一度見てみたいとおっしゃったから、そのうちお呼びがあるかもしれない」
えー……、ちょっとそれは畏れ多いなとミルフィは思った。
目の前にいるこの王子様に対しては何かもう色々あって、畏敬の念は木っ端みじんに吹っ飛んだが、他の王族方、特に王陛下に対する敬意は体と魂にしっかりと刻まれている。
デビュタントの時は御前で挨拶させていただいたが、身に纏う威厳が半端なく、声を震わせずに挨拶をするのがやっとだった。
ミルフィの事を陛下はどこまでご存じであられるのだろう。
獣人を恐れない猫がたまたまレオーネに拾われたと思われているか、あるいは、ミルフィの事情をすべてご存じになったのか……。
多分、後者のような気がした。
モルド国の獣人が猫に獣化するなんて前代未聞だし、陛下はこの事についてどんな見解を持たれているのかと思うと、俄に不安が込み上げてきた。
獣化できない獣人は半端者と言われ、社会的に抹殺される。
耳と尻尾が生えた姿は悪目立ちしてしまうので外も出歩けず、そうなれば平民として生きる事も難しい。そのため、生まれた貴族家で飼い殺されるのがほとんどだと聞いていた。
では、勇猛なトラではなく猫に変態してしまった自分はどうなるのか。
変態さえしなければ普通の人型をとれるので、市井に紛れて生きる事は可能だった。
けれど、タウジ家で大事に育てられてきたミルフィは、自分で身を立てていくなど考えられない。
最も恐ろしいのは、国の研究機関に連れていかれる事だった。
どうして猫に獣化してしまったのか体中を調べ上げられ、実験動物のように誰かと番わされてしまうかもしれない。
悪い方向にばかり考えが向かい、ミルフィは怯えたように「みゅぅぅぅ」と小さく声を上げた。
耳をぺたんと頭につけ、身を縮めていると、大きな手がその頭をゆっくりと撫でてきた。
「どうした、ミリィ。今日のおやつは気に入らなかったか?」
見当違いの心配をしたレオーネが、ふるふると震えるミルフィの体を抱っこして、おやつの焼き菓子を口の前まで持って来てくれる。
「ほら、お食べ。
気に入らないなら、他のおやつを用意させようか?」
香ばしい臭いが鼻をくすぐり、ミルフィは黄金色をしたそれにかぶりついた。
表面は少し硬いが、中の生地はふわふわで、焦がしバターとアーモンドの風味が口の中で優しく解けていく。
レオーネの指先に残ったバターをミルフィはぺろぺろと舌で嘗めた。
何となくそうしたかったからだ。
この先自分の運命はどのように転がっていくのだろう。
デビュタントまではこの秘密を隠し通す事ができたが、よくよく考えれば、一生隠し通すというのは初めから無理な話であったのかもしれない。
結婚すれば、獣化した姿を見せ合う事もあるだろう。
理由も告げず、頑なに獣化を嫌がる女性を、妻として受け入れてくれる男性がいるとも思えない。
万が一、獣化を強要しない夫に恵まれたとしても、子が生まれてその子が猫に獣化してしまったらそれでおしまいだ。
こうなれば、もう覚悟をつけるしかない。
王陛下のご判断を仰ぎ、それに準ずる事が、貴族令嬢としてのミルフィの務めだった。




