訓練場に行く
そんな話し合いが兄王子の居殿でなされていることをレオーネは全く知らなかった。
愛猫ミリィを連れて上機嫌で居殿に帰ってきたレオーネは、そう言えばここ二、三日、剣や弓の鍛錬ができていなかったと気付き、その足で訓練場に行く事にした。
いろいろな精神的ダメージを受けていたミルフィは居間でふて寝をする気満々であったのだが、レオーネは「ミリィも連れて行ってやろう」と声を掛けてきて、それを聞いたディールがすさかずバスケットを持ち上げる。
「みょおおん!(行くとは言ってないんだけど)」
ミルフィは一応抗議したが、次の瞬間、無情にもバスケットの蓋を閉じられてしまった。
そしてそのままドナドナされた。
連れて行かれた訓練場は、さして広くはなかった。剣の鍛錬ができるスペースと弓場があるだけで、地面は真砂土で覆われていた。
ミルフィはバスケットの蓋をちょっとだけ頭で押し上げて、辺りの様子を窺った。
訓練場には十数人の騎士がいて、レオーネの姿を見ると、右手を胸の前に折るようにしてすっと頭を下げる。
その所作は流れるように美しかった。
いずれも均整の取れたすらりとした体躯をしていて、物腰には品が感じられた。おそらくレオーネ王子専属の護衛だろう。
「みょぉぉ」
ミルフィが感心して声を上げると、その声に反応した騎士達が声の方をぎっと睨みつけてきた。
その眼光の鋭さにミルフィはびくっと体を震わせた。
蓋を半分押し上げたまま固まっていたら、それを見たレオーネが「蓋を取ってやれ」とディールに命じた。
陽光の下に晒されたミルフィはバスケットの中からちょこんと頭だけを出し、立ち並ぶ騎士達を見渡した。
皆は仰天した目でミルフィの方を見ていて、言葉も出ない様子である。
とりあえず挨拶をしておいた方がいいだろうと思ったミルフィは、片足をちょんと持ち上げて、「なおん」と皆に挨拶してみた。
一拍遅れて、「うおぉぉぉぉぉぉ!」という野太い声が辺りに響き渡り、ミルフィは危うく腰を抜かしかけた。
毛を逆立てたミルフィを、ディールが落ち着かせようとするように優しく撫でてくる。
「大丈夫です、ミリィ様。ミリィ様に危害を与えるような者はここにはおりません」
その言葉にようやく落ち着いたミルフィは、再びバスケットから頭を出してみた。
「そ、そちらの猫は?」
気を取り直したように問い掛けたのは、レオーネの一番近くに控えていた騎士だ。
ひときわ立派な飾緒を軍服につけており、背も他の騎士達よりも拳一つ分高い。
胸には勲章もつけており、どうやらこの中で彼が一番地位が高いようだ。
そう言えば先ほど王太子の居殿を訪れた時、入り口まで護衛として付き従ったのはこの騎士ではなかったかとミルフィは思い出した。
「ああ、フェルゼイ。その子はミリィというんだ。私の飼い猫だ」
「飼い猫……」
フェルゼイは絶句した。
後ろに控える騎士達も、信じられないといった目でミルフィを見つめている。
レオーネはミルフィの方に歩み寄ると、慣れた手つきでバスケットからミルフィを抱き上げた。
ミルフィのお尻を片手でしっかりと支え、自分の胸に密着させる。
抜群の安定感にミルフィは「みゅん」と鳴いて満足を伝え、レオーネは可愛くて堪らないといった様子でミルフィの頭を撫でてきた。
「猫が獣人の殿下に懐いている……」
あり得ない光景に、一人の騎士が嘘だ……というように首を振った。
「で、殿下……。もしかしてそちらの白猫は我々獣人を怖がらないのでしょうか?」
震える声でフェルゼイが尋ね、レオーネが「ああ」と頷いた。
「どうやら生存本能に欠けた子のようでね。
初めて会った時から物怖じせずに私に近付いてきたんだ」
「猫の方から殿下に近付いたのですか」
フェルゼイは涎を垂らしそうな顔でミルフィを見た。
王族に仕える近衛は獣人である事が鉄則で、だからフェルゼイも、その後ろにいる騎士達も、猫を含めた小動物に懐かれた事は一度もない。
「そんな奇跡のような事があるんですね。
従者達が猫を可愛がっているのを、今までは指をくわえて見ている事しかできなかったのですが……」
一人の騎士が、熱に浮かされたように呟いた。
ミルフィをじいっと見る目はうるうるしていて、気のせいか鼻息も荒い。
近衛に入るだけあってそれなりに整った顔立ちをしているのに、これではまるで春先に出没するという変質者だ。
なんて残念な人だろうと思いつつ他の近衛達を見れば、どの近衛も何故か皆、同じように潤んだ熱い目でミルフィを見つめていた。
「みょ?」
「おい、見るな」
俄に不機嫌になり、そんな近衛達を牽制するのは言わずと知れた変態一号、もとい、レオーネ殿下だ。
「私の可愛いミリィが減る。
皆、あっちを向け」
「いやいや、殿下。見るだけでは減りません。
あ、いや。見るだけでなく、ちょこっと触らせていただけたら……」
「却下! くだらない事を言う前に鍛錬しろ」
レオーネはバスケットの中にミルフィを戻し、訓練場の中央へと向かった。
そもそもは今日は鍛錬のためにここに来たのだ。
ミリィは部屋に置いてきても良かったのだが、今日は内庭で遊ばせてやれないので、気分転換になればと思って連れてきただけだった。
「フェルゼイ。相手をしろ」
訓練場の中央に来ると、レオーネは模擬剣を二つ手に取り、その内の一つを投げ渡した。
フェルゼイは未練がましくちらりとミルフィの方に目を向けたが、すぐに気持ちを切り替えてレオーネに向き直った。
最初に仕掛けたのはレオーネだった。
フェルゼイの胸元を目掛けて切りかかり、それを受けたフェルゼイが、そのまま体を反転させて足でレオーネを蹴り上げる。
レオーネは蹴りを腕で受け、そのまま上体を沈めてフェルゼイの軸足を足の甲で払おうとした。
フェルゼイは素早く後ろに飛び退って、今度は上段からレオーネを狙う。
剣だけの勝負じゃないんだ……とミルフィは食い入るようにその様子を見つめた。
二人がしているのは剣技ではなく、生き残るための格闘技だった。
暗殺者に襲われた時、あるいは戦場で敵と対峙した時に、剣技だけに拘っていては身を守れない。
何度か剣を打ち合った後、フェルゼイが重い肘打ちを仕掛け、まともに食らったレオーネが数歩たたらを踏んだ。
かなりの衝撃があった筈だが、地面に膝をつく事はない。大きくジャンプするように回し蹴りを仕掛け、フェルゼイが余裕でそれを両腕で受け止めた。
レオーネの激しい息遣いがここまで聞こえてくるようだ。
ミルフィは固唾を呑んでその様子を見守ったが、やがてフェルゼイがレオーネの剣を跳ね上げ、くるくると宙を回った剣が地面に突き刺さったところで勝負は終わった。
「クソッ! 今回はいけると思ったんだがな」
悔しがるレオーネに、
「足りないのは剣の重みでしょう。相手の腕が痺れるほどに打ち込む事ができれば、その後の展開が変わってきます」
「重くはできるが、その分スピードがな……」
レオーネは小さくぼやきながら、乱れた前髪をかき上げた。
傍にいた騎士がタオルを渡し、レオーネは額や首筋の汗を乱暴に拭いとる。
「まだ手が痺れているぞ。ったく、相変わらずとんでもない力をしてやがる」
何度か手を握ったり開いたりしながら、レオーネが恨めしそうに言った。
王族ってこんな鍛錬をしているんだな……とミルフィは心から感心した。
高貴な身だから守られているのが仕事だなどと簡単に思っていたが、どうやら考えが浅かったようだ。
やがて手の痺れがようやく取れたのか、レオーネはそのまま弓場へと向かう。
そう言えば毎年行われる武闘大会では、王族が最初に模範演技をしなければならない事になっていた。
そうした場で失敗すれば大恥をかくし、日ごろの鍛錬が欠かせないのだろう。
でも昔、武闘大会で大失敗した王族がいたような……とミルフィは記憶を探り、王陛下の従兄弟君に当たるシャルトーレ公がそうだったと思い出した。
確か盛大に的を外し、その時は臣下全員が見なかった振りをしたと父から聞いた覚えがある。
「ミリィ様。余所見をなさってはなりません。
ほら。殿下が弓を引かれますよ」
ディールにそう声を掛けられ、ミルフィは慌ててレオーネの方に目を向けた。
レオーネがちょうど弓を片手に射場に立ったところで、一度肩を大きく開いて深呼吸をした。
八の字に足を開き、視線は真っすぐに的に向けられている。
首の後ろから背中までがすっと伸びていて、すっきりとした立ち姿が遠目にも美しかった。
レオーネが矢をつがえ、ゆっくりと弓を引き絞る。
相当に力が入っている筈だが、体の芯は一切ぶれる事がない。
やがて指から放たれた矢は、吸い込まれるように的へと向かっていった。
「みょぉん(すごい!)」
矢は正確に的の真ん中を射抜いた。
その後レオーネは、合わせて十本矢を射たが、矢はすべて中央の輪の中におさまった。
「どうだ、ミリィ。格好良かったか?」
弓を騎士の一人に渡したレオーネが、まっしぐらにミルフィのところに駆けてくる。
素直に褒めてやるのは悔しいが、確かに弓の腕はケチのつけようがなかった。
「にゃん」
そう言って返事をすると、レオーネは破顔してミルフィを抱き上げた。
「そうか。お前のご主人様もなかなかやるだろう?」
「みよぉぉぉ(私のご主人様ではありませんけどね)」
二人の掛け合いを、騎士達がひどく羨ましそうに見つめている。
そのうち一人の騎士がふらふらと吸い寄せられたようにミルフィの方へ近付いていき、他の騎士達もレオーネとミルフィを取り囲む形で輪になった。
何だかみんなに熱く見つめられている気がする……。
ミルフィはレオーネの腕の中からそっと周囲を見渡した。
どの騎士も、妙にぎらついた目でミルフィの一挙一動を追っていた。
熱量の籠ったその視線が恐ろしいほどだ。
一体どれだけ小動物に飢えているの!?
未だかつて、ミルフィはここまで熱い目で男性に見られた事がない。
決して不細工な顔はしていないのだが(……そう思いたい)、男性から熱烈に愛を囁かれた事はないし、初恋もまだという晩稲のミルフィなのだ。
初恋を知る前に裸を体中洗われちゃったしな……。
昼過ぎにされた羞恥プレイを思い出し、再びレオーネに対する恨みが頭を擡げてきた。
腹が立ってきたミルフィは抱かれていたレオーネの腕からぴょんと飛び降り、レオーネをきっと睨みつけた。
「ミリィ、こっちにおいで」
慌てたように手を伸ばしてくるレオーネの手を躱したミルフィは、そのまま逃走を開始した。
と言っても、訓練場は塀に囲まれているので、外に出る事はできない。
許しなく体を洗われた仕返しに、ほんのちょっぴりレオーネを困らせてやりたかったのだ。
パークではいきなりジャケットを被せられてあっけなく捕獲されたミルフィだが、こうなると体の小さいミルフィに分がある。
掴まえようとするレオーネや近衛達の足をかいくぐり、ちょこまかと走り回って皆を翻弄した。
しばらく鬼ごっこを楽しんだミルフィだが、だんだん息が切れてきた。
普段鍛錬をしているレオーネや近衛達と違い、ミルフィには体力がない。動きが鈍くなったところで逃げ道を次々と塞がれ、最後には塀の隅に追い込まれてそのままぺたんと座り込んだ。
「なおぉん」
こうなったらお愛想でごまかすしかない。
ミルフィは体をだら~んと投げ出し、首から上だけを起こしてあざとく鳴いてみた。
ちょっぴり腹を見せる事で敵意のなさを表わし、ついでに後ろ足のピンク色の肉球を見せつける。
ミルフイ渾身のポーズと言っていいだろう。
タウジ家でこれをすれば、両親や兄はあっという間にミルフイに懐柔されてくれた。
王族にも通用するかなと思いつつ、「みやぁん」と可愛く鳴いてみれば、レオーネの後ろにいたフェルゼイが「く……」と呻いて横を向いた。
「まずい。鼻血が出そうだ」
厳めしい顔つきをした筆頭騎士様は、小動物の可愛らしさに余程耐性がないようだ。
チョロすぎないか……と思いつつ、他の近衛達を見れば、皆呆けたようにミルフィを間抜け顔で見つめていた。
おそるおそるレオーネに顔を向けると、レオーネは呆れたように溜め息をついてミルフィに手を伸ばしてきた。
「まったくおてんばが過ぎるぞ。私を振り回して楽しかったか?」
言葉とは裏腹に、その声音は蜜のように甘い。
レオーネが怒っていない事に気付いたミルフィは、安心したように「にゃおん」と鳴いてレオーネの腕に顎を乗せた。
ミルフィとしてはサービスの大盤振る舞いのようなものだった。
この『顎乗せ』ポーズはタウジ家では大層受けていて、兄からリクエストされたミルフィは、何十回となく付き合ってあげた覚えがある。
だが、下心満載のこのポーズは、腕を借りたレオーネよりも見ていた近衛達の心により深く突き刺さったようだ。
周囲を取り巻いていた騎士の一人が、我慢できなくなってように口を開いた。
「殿下。ほんの少しでいいので、その子の頭を撫でさせていただけませんか?」
近衛らの熱い視線に気付いたレオーネは、嫌そうに眉を顰めた。
あまり気は進まないが、猫を掴まえるために協力してくれた騎士達である。
仕方がないと諦めたようだった。
「頭を撫でるだけだぞ」
その後ミルフィは、レオーネの近衛達に代わる代わる頭を撫でられた。
「うおおおおおお」と感動されながら頭を撫でられまくり、同じ部分だけをしつこく撫でられたミルフィは、その部分が禿げやしないかとちょっぴり心配になった。




