第19話 龍退治の支度
札の端に描いた柄へ、宗真は自分の両手を並べた。
右手の下に左手を添えると、描いた線が小指の途中で切れている。
炭筆を取り直し、柄を少し延ばした。
借りた竹刀では、握る場所を直されるだけで肩に力が入った。
紬には、ずっと竹刀を見ていたと言われた。
刀の形を描こうとしている今も、つい刃先から描きたくなる。
宗真は柄の線をつなぎ、その先へ小さな鍔を足した。
刃は片側に置き、背を緩く反らせる。
羅玄子は札を横へ向け、小刀を抜いて図に重ねた。
欠けた刃は、描いた刀身の半ばにも届かない。
「ずいぶん伸ばすな。
その長さで抜けるか」
宗真は小刀を鞘へ収め、帯へ差した。
右手で柄を握り、鞘から引き出す。
今の長さなら、肘を伸ばしきる前に切っ先が出る。
図のとおり長くなれば、まだ鞘の中だ。
刃を収めて札を引き寄せ、切っ先の位置を手前へ描き直した。
長くするのは、両手で持てるところからだ。
「刃は短くします。
柄は、両手で持てる長さを残してください」
羅玄子は小刀を受け取り、柄と刃の継ぎ目へ爪を当てた。
宗真が角を削った柄を外すと、木に隠れていた鉄の根元が現れる。
宗真は身を寄せ、柄の中まで続いていた鉄を札へ写した。
羅玄子は、その根元へ指を添えた。
「ここの長さも変えて、作り直す。
おぬしは柄に使う木を選べ」
羅玄子は棚の小箱から灰色の金属片を出し、小刀の脇へ並べた。
宗真は籠から、割れのない木を一本選んだ。
両手を並べても、端が余る。
*
炉の前で、槌の音が続いた。
小刀だった鉄に、棚から出した金属が足されていく。
羅玄子は赤い刀身を挟み直し、背を打ち、また炉へ戻す。
宗真は離れた作業台で、選んだ木を削っていた。
札に描いた柄の長さを木へ写し、平たい面を残して角を落とす。
両手で握ると、右の掌にだけ角が当たった。
そこへ平たい鑢を掛け、また握り直す。
柄の角を落とし終えて顔を上げると、羅玄子は冷ました刀身を砥石へ当てていた。
宗真は刀身に柄を合わせ、内側の擦れた跡へ鑢を掛けた。
はめ直すと、柄は鍔の下まで収まった。
羅玄子が新しい板を削る間に、宗真は古い鞘の紐をほどいた。
できた木鞘へ紐を結び、古い鞘を端材の籠へ戻す。
羅玄子は新しい刀を台へ置き、柄を宗真へ向けた。
「仕上げはおぬしだ。
柄から、刃の先まで仙気を沈めてみろ」
宗真は両手で柄を握った。
削った木の奥、その下にある鉄へ、少しずつ仙気を沈める。
小刀を木へ押し当てたときのように、手首から刃先までがつながった。
羅玄子は刀を受け取り、鞘へ収めて宗真へ差し出した。
「護身刀だ。
外で構えてみろ」
宗真は鞘を帯へ留め、右手を柄に掛けた。
掌には、削った木の感触が残っている。
作業台の瓢箪と杭も腰へ結び、外の裸土へ出る。
左手で鞘を押さえて刀を抜いた。
欠けていた刃が、一本の線になって出てくる。
緩く反った背と、小ぶりな鍔。
空いた左手も柄へ添えた。
切っ先の向く先に人がいないのを確かめ、足を開く。
握り込むと、また肩が上がった。
息を吐いて、指の力を緩める。
仙気で身体を支え、刀身へも仙気を通す。
刀の重さが、両腕へ掛かっていた。
宗真は刀を少し傾けた。
日に当たった刃が、切っ先まで白く光る。
札に描いた刀が、今は両手の中にあった。
宗真は口元を緩めた。
刀を鞘へ収めてからも、つい、柄を握り直した。
*
宗真は工房へ戻り、鈴の紐を解いて羅玄子へ渡した。
羅玄子は鈴の口を上へ向け、細い鉤を挟み直す。
宗真が起こしたところを小さな金具で支えると、舌が縁から離れて垂れた。
宗真は輪へ麻紐を通し、手に提げた。
仙気を込め、揺れが収まってから、開いた戸口へ鈴を向ける。
音はしなかった。
手を横へ回し、羅玄子の方へ向けて止める。
細い音が鳴った。
「これなら、風聞鈴の名を付けてもよかろう」
羅玄子は開けた戸を留め、煙壺の入った鉢を外へ運んだ。
宗真は風聞鈴を腰へ結んでから、平たい石へ瓢箪を置く。
紐でつながった結界杭も、石の脇へ添えた。
煙壺の蓋には、細い溝が増えていた。
羅玄子が蓋を戻すと、白い煙が地面へ流れ出す。
宗真は石のそばへしゃがみ、煙が瓢箪の胴を隠すのを待った。
顔まで噴き上がった煙は、今回は地面を這って広がった。
立ち上がってみると、自分の靴先も瓢箪も見えない。
羅玄子が鉢の脇へしゃがんだ。
「迷煙炉と呼ぶか」
羅玄子は蓋を外し、鉢の端の土皿で口を塞いだ。
煙が途切れる。
煙が引くと、布靴の開きかけた縫い目が見えた。
外套の肩にも、擦れたところから糸が出ている。
「針と糸を借りてもいいですか。
靴と服を、少し繕いたいんです」
羅玄子は鉢を工房へ入れ、棚の下へ置いた。
棚の奥から平たい箱を引き出すと、針と糸巻きが並んでいた。
*
宗真は石から瓢箪と杭を取り、工房の作業台へ運んだ。
鞘ごとの刀と鈴を外して台へ置き、灰色の外套を脱ぐ。
生成りの道士服と靴も脱いで台へ並べ、椅子に腰を下ろした。
宗真は針箱から太めの針を選び、白い糸を通した。
靴底の端を合わせ、開いたところを縫い閉じていく。
紬の竹刀袋を縫ったときより、針を押す指に力が要った。
両方の靴を縫い終え、底の端を引いてみる。
縫い目は曲がっていたが、隙間は開かなかった。
羅玄子に薄い布を分けてもらい、道士服の擦れた肩へ裏から当てる。
宗真は布の端を縫い留め、外套のほつれも繕った。
羅玄子が、箱から細い銀糸を取り出した。
「そいつらも宝貝にしてみるか。
その縫い目へ、符糸を入れてやる」
宗真は針を箱へ戻し、繕った道士服を広げた。
羅玄子が白い縫い目に沿って、銀糸を重ねていく。
肩から背へ銀糸が渡り、当て布の縁を囲んだ。
外套の背と裾にも、細い銀糸が入る。
羅玄子は靴底にも薄い布を縫い重ねた。
宗真が閉じた端に沿って、踵から土踏まずへ銀糸が通っている。
宗真は道士服に袖を通し、靴を履いて甲の紐を締めた。
布底は柔らかく、足の指も曲げられた。
立ち上がって腰紐を結び、外套を羽織る。
灰色と生成りの布に、縫い目の銀だけが細く光っていた。
羅玄子は糸の端を切り、針を箱へ戻した。
「護身法衣と、踏風靴だ。
肩と背、それから靴底の符糸へ、少しずつ仙気を沈めろ」
宗真は胸の前で布に触れた。
仙気を送ると、指先から縫い目に沿って温かさが広がる。
外套の灰色に、薄い藍が差した。
胸元の生成りの布も、明るい白へ変わっていく。
宗真は道士服の袖口をつまみ、裏返してみた。
布の裏まで、同じ白になっていた。
仙気を送るのをやめても、外套と道士服の色は戻らなかった。
足の裏へ意識を移すと、縫い重ねた布底が、足に馴染んでくる。
宗真は戸口の外へ目を向けた。
この服と靴で、早く動いてみたかった。
*
宗真は端材の籠から厚い板を運び、戸口の外へ置いた。
二枚を重ねても、足首より少し高いだけだ。
脇の小石を靴先で払うと、羅玄子も戸口へ出てきた。
まず、板から降りてみた。
足裏に土の硬さが返ってくる。
次に法衣と靴へ仙気を沈め、両足を揃えて軽く飛び降りた。
布底が土を踏み、裾がふわりと広がった。
肩から背へ布が張り、すぐに緩む。
膝を緩めて着地すると、足裏へ響く重さがさっきより軽かった。
宗真は板へ戻り、もう一度飛び降りた。
着地した足を見て、思わず笑ってしまう。
もう一度、と板へ戻りかけて、靴先に目が留まった。
下がる足は、どれくらい変わるだろう。
刀を持つつもりで両手を前へ置き、片足を引く。
思ったより遠くへ足が着いた。
もう片方を寄せると、身体がまだ後ろへ進もうとする。
踵で土を擦り、もう一歩下がって止まった。
宗真は足跡を見下ろし、また笑った。
一歩ごとの間が、ずいぶん広い。
初めの一歩を小さくして、同じところからやり直す。
今度は、足を踏み直さずに止まれた。
作業台へ刀を取りに行き、鞘ごと帯へ留める。
瓢箪と杭は左の腰の後ろへ結び、鈴は右へ下げた。
裸土へ戻り、左手で鞘を押さえて刀を抜く。
空いた左手も柄へ添えた。
刀身より向こうの空き地を見たまま、足を引く。
もう一歩引いて止まっても、瓢箪は腿へ当たらなかった。
羅玄子が板を一枚拾い、工房へ入った。
宗真も刀を収め、残る一枚を拾って後に続いた。
*
板を籠へ戻すと、宗真は棚の糸巻きを手に取った。
「針と糸も、少し分けてもらえますか」
羅玄子が頷くと、宗真は糸を切り、針と一緒に布で包んだ。
麻紐と当て布、柄の仕上げに使った鑢もまとめる。
作業台へ瓢箪と杭を下ろす。
風聞鈴を腰から外して口の脇へ置き、補修材も台へ並べた。
宗真は棚の下から鉢を引き出し、煙の止まった迷煙炉を台へ移した。
口を塞ぐ土皿に麻紐を掛け、壺の胴へ回して結んだ。
壺も土皿も冷めている。
炉を両手で抱え、瓢箪の口へ寄せて中の土床を思う。
先に底が引き込まれ、丸い胴も手から離れた。
外してあった蓋も布で包み、口から収める。
宗真は補修材を抱えた。
瓢箪の口へ顔を近づけ、中の土床を思う。
目の前に、土に据えた自分の机があった。
宗真は補修材を机へ広げ、炉と蓋を棚脇へ移した。
針と糸の包み、麻紐、当て布は棚の木箱へ収める。
鑢を机の下の工具箱へ入れ、代わりに炭筆を取った。
懐から二枚の札を出して並べる。
川と岩を描いた札の端に、描き直した刀の線が残っていた。
刀の図の脇へ、法衣の縫い目と、靴底の銀糸を描き足した。
炭筆を工具箱へ戻す。
問答鏡を手に取り、仙気を沈めた。
書き終えた札を、表裏とも鏡へ映す。
宗真は鏡を木切れの間へ立て直した。
二枚の札を畳んで懐へ収めた。
頭上の光へ指先を触れた。
鉢を棚へ戻す音が聞こえた。
羅玄子が空いた作業台の上を払っている。
宗真は紐でつながった瓢箪と杭を、左の腰の後ろへ結んだ。
風聞鈴も作業台から取り、反対の腰へ下げる。
羅玄子は宗真の足元から、肩、腰へと目を移した。
「持ち出す支度はできたな」
宗真は瓢箪を掌で受けた。
自分の机も、椅子も、このまま持っていける。
宗真は瓢箪を支えたまま、羅玄子へ頭を下げた。
「ありがとうございます」
羅玄子は宗真の肩に寄った外套の布を指で直した。
宗真は顔を上げた。
瓢箪から掌を外す。
戸口をまたぐと、布底の下で小石が鳴った。
腰の瓢箪は、帯の後ろで小さく揺れた。
懐の札には、川と岩と、風を避けて逃げる線がある。
青柏は、岩の向こうで立とうとして転んだ。
脱げた靴を拾わずに逃げたという。
宗真はもう一歩踏み出し、腰の瓢箪を押さえた。
逃げ切って、またあの机の前に座る。




