第13話 一日にはまだ遠い
「外で一滴、内で二滴」
羅玄子の声は、昼休みになっても修一の耳に残っていた。
窓の外では、向かいの建物のガラスが白く光っている。
修一は弁当箱の蓋を閉じ、机の端へ寄せた。
端末を開き、検索欄へ文字を入れる。
水晶 振動 時計。
いくつかの記事を開く。
水晶は、電気を加えると一定の間隔で震える。
時計はその細かな震えを数えて、一秒ずつ時を刻む。
修一は画面の隅に出ている時刻を見た。
数字が一つ進む。
さらに一つ進む。
速く動かす前に、同じ間隔を作る。
水の落ちる速さを無理に変えるのではなく、瓢箪の内側へ基準になる拍を覚えさせる。
それで小界の時間が伸びるという答えは、どの記事にも書いていない。
書いてあるはずもなかった。
修一は机の上のメモへ、短く書いた。
――速さより、拍。
昼休みの終わりを告げる音が鳴った。
修一は記事を閉じ、メモを手帳へ挟んだ。
*
夕食の後、修一は食卓の端でもう一度同じ言葉を調べていた。
風呂から上がった紬が、後ろを通りかけて足を止める。
「お父さん、水晶で時計を作るの?」
修一は画面を見直した。
検索欄には、水晶、振動、時計と並んでいる。
「作らない」
「じゃあ、何を調べてるの」
「時間が足りないから」
紬が、濡れた髪を拭く手を止めた。
「何の?」
「仕事の調べ物だ」
「仕事で宝石を使うの?」
「使わない」
「さっきから、使わないものばっかり調べてない?」
台所で水筒を洗っていた佳乃が笑った。
「紬、明日の支度は終わったの」
「今やる」
紬は廊下へ向かい、途中で振り返った。
「時計を作ったら見せてね」
「作らないって言っただろ」
紬の足音が、自分の部屋へ遠ざかっていく。
佳乃が洗った水筒を伏せた。
「明日の朝、資源ごみの日だから」
「七時半までだな」
「時間は足りそう?」
修一は画面を閉じた。
「それには間に合わせる」
食卓の時計は、仙界の課題と関係なく秒を刻んでいる。
修一は端末を片づけ、紬が置いたままにした空のコップを台所へ運んだ。
その夜、布団へ入って目を閉じた。
☯
作業台の上に、二つの水時計が並んでいた。
二つとも、上の器は空だった。
下の受け皿も乾いている。
羅玄子は小さな粘土の栓を二つ、指先で転がしていた。
「考えてきたか」
「水晶には、同じ間隔で震えやすい性質があるそうです。
仙気でその震えを起こせれば、瓢箪の中に一定の拍を残せるかもしれません」
羅玄子は手の中の栓を止めた。
「水晶を水時計に仕込むのか」
「水時計の中には入れず、そばに置いて、少しずつ仙気を沈めます」
「石が震えたところで、水の落ち方が変わるとは限らん」
「変わるか分からないから、もう一つの水時計と比べます」
羅玄子は二つの水時計の上皿へ、栓を一つずつ押し込んだ。
「奥の棚から、自分で選べ」
宗真は奥の棚へ歩き、木箱の札を一つずつ見た。
三つ目の箱を下ろすと、細い札が結ばれた石が幾つも入っていた。
透明な水晶の薄片、乳白色の石英、煙を閉じ込めたような小石。
「欠けても捨てるな」
宗真は箱の中の石を見比べた。
透明な薄片を一枚つまみ、灯りへ透かす。
縁にひびは見えない。
爪で軽くはじく。
高い音が短く鳴り、すぐ消えた。
宗真はその一枚を掌に残した。
*
最初に、何も加えず水時計を比べた。
羅玄子が二つの水時計の上皿へ、同じ高さまで水を入れる。
宗真は片方を両手で持ち、瓢箪のそばに立った。
羅玄子が二つの栓を同時に抜く。
水が落ち始めた。
宗真は水時計を抱えたまま、瓢箪の口へ意識を向けた。
小指ほどの口が視界いっぱいに広がる。
次の瞬間、両足が土床へ着いた。
頭上には、白い光が小さく浮かんでいる。
宗真は水時計を床へ置き、落ちる水を数えた。
一滴。
二滴。
三滴。
十滴目が受け皿を打ったところで、水時計を抱える。
水を落としたまま、頭上の光へ手を伸ばす。
外へ戻るまでに、もう一滴落ちた。
宗真が戻ったとき、羅玄子が数えていた外側も十一滴だった。
外へ戻る間に、どちらも一滴進んでいる。
羅玄子は次の試しのために二つの栓を戻し、受け皿の水を上皿へ移した。
次は、水時計と水晶の薄片を一枚持った。
羅玄子が二つの栓を同時に抜き、宗真はもう一度瓢箪へ入った。
土床へ水時計を置き、そのそばへ薄片を置く。
宗真は薄片へ人差し指を当てた。
同じ長さで三度息を吐き、そのたびに仙気を少しずつ沈める。
十滴目で水時計を抱え、外へ戻った。
宗真が戻った時点で、二人が数えた滴はどちらも十一だった。
外へ戻るたび、羅玄子が二つの栓を戻し、受け皿の水を上皿へ移した。
薄片を二枚に増やす。
三枚に増やす。
どちらも、外側との差は増えなかった。
四枚目を加え、仙気を沈める。
薄片が順にかすかな音を返した。
続けてもう一度、仙気を沈めると、上皿の水面が波打った。
穴から水が三滴、立て続けに落ちる。
宗真は指を離した。
それでも波は、しばらく収まらなかった。
水時計を抱えて外へ戻る。
羅玄子は上皿をのぞき込んだ。
「流れが速まったんじゃない。
揺れで押し出されただけだ」
*
乳白色の石英へ替えた。
一滴目だけ早く落ち、その後は穴へ水が張りついた。
石を水時計から離した。
何も変わらなかった。
近づけすぎると、水面だけが震えた。
素材の名、置いた場所、仙気を沈めた回数、内外の滴数を札へ書く。
作業台の端に、細い札が重なっていった。
*
宗真は煙水晶を抱え、瓢箪へ入った。
煙水晶を一つ、土床の中央へ置く。
石で水を動かすのではなく、床へ拍を残す。
宗真は煙水晶へ触れた。
仙気を押し込まず、一定の長さで指先から落とす。
一度目の仙気が、石の内側へ沈んだ。
二度目が、その跡へ重なる。
三度目で、煙水晶の奥に細い光が生まれた。
光は外へ伸びなかった。
土床へ落ち、瓢箪の内壁へ浅く広がっていく。
内壁へ広がった薄い光が、わずかに明るくなった。
暗くなる。
また、明るくなる。
宗真の息と同じ間隔で、小界そのものがかすかな拍を刻んでいた。
宗真は煙水晶を残し、外へ戻った。
羅玄子が二つの水時計へ水を戻す。
宗真は片方を抱え、瓢箪のそばに立った。
二つの栓が同時に抜かれた。
宗真はすぐに瓢箪へ入った。
水時計の受け皿へ、一滴目が落ちた。
宗真は水面から目を離さず、十滴まで数えた。
十滴目を数え終えると、水を落としたまま水時計を抱えて外へ出る。
戻るまでに、もう一滴落ちた。
宗真は、抱えていた水時計を作業台へ置いた。
宗真が戻った時点で、内側は十一滴、羅玄子が数えた外側は六滴だった。
「もう一度だ」
*
次の試しでも、内側が十一滴、外側が六滴だった。
仙気を強めると、内側の水時計が震えた。
穴から水が続けて落ち、受け皿の水が跳ねる。
弱めると、宗真が戻った時点で、内側が十一滴、外側が九滴だった。
さらに弱めれば、差はなくなった。
宗真は最後の札へ、外へ戻る間の一滴を除き、内十、外五、と書いた。
「それで、何に使える」
宗真は瓢箪を持ち上げた。
「外の一時間で、一日分を作ることはできません。
でも、逃げ込んで、壊れた宝貝をひとまず使えるように直す時間にはなります」
宗真は瓢箪を作業台へ戻した。
外の一時間を内側の一日にするには、まだ遠い。
それでも、瓢箪の中では、外の倍の速さで時が進んだ。
*
作業台の端には、今日の試しを書いた札が三つの山になっていた。
宗真はその中から、煙水晶を床の中央に置いたときの札を抜き出した。
「これと似た記録は、以前にもありませんでしたか」
羅玄子は壁際の棚を見た。
「覚えておらん。青か白の紐を探せ」
羅玄子が指した棚には、木箱が七つ並んでいた。
箱の中には、色の違う紐で束ねた札が詰まっている。
宗真は一番上の箱を下ろした。
青い紐の束を開く。
最初の札には、水中で鳴る鈴、とあった。
次は、冬でも凍らない墨。
その次は、瓶の中だけ煙が下へ落ちる失敗だった。
青い紐の束を最後までめくった。
宗真は束を箱へ戻した。
白い紐を探して、残る箱を順に開けていく。
白い紐の束は、別の箱から四つ出てきた。
宗真と羅玄子は、作業台へ札を広げた。
読んでは戻し、違う束を開く。
灯りの油が減っても、探している記録は出てこなかった。
宗真は、自分たちが今日書いた札の山を見た。
壁の釘に下がった小さな銅の手鏡へ、作業台の札が映っている。
鏡は、前にあるものをそのまま映すだけだった。
昼休み、検索欄へ「水晶 振動 時計」と入れた画面が浮かんだ。
端末は答えを出さなかった。
問いに近い記事を並べただけだった。
鏡にも、同じように札を並べさせればいい。
「問いを渡したら、関係のある札だけを見せる道具は作れませんか」
羅玄子が、札から顔を上げた。
「答えを吐く道具か」
「答えは要りません。
どの記録か、誰が書いたか、何が似ていて、どこが違うか。
なければ、ないと分かるだけでいいです」
羅玄子は短い柄をつかみ、手鏡を釘から外した。
曇った鏡面を袖で一度拭き、失敗札の山へ向ける。
鏡の中に、積み重なった札が映っていた。




