第14話 鏡は答えではなく材料を出す
銅の手鏡の中で、白い紐の札束が四つに重なっていた。
手のひらより一回り大きな鏡面の縁に青い錆が浮き、下には指三本分ほどの柄が伸びていた。
羅玄子は鏡の背を爪ではじき、作業台の上へ戻した。
「どの記録か、誰が書いたか、何が似ていて、どこが違うか。
なければ、ないと分かるだけでいい、と言ったな」
「はい」
「欲張りだ」
宗真は作業台を覆った札を見た。
「今のままでは、探すたびに油が一皿いります」
「だが、札を一枚ずつ鏡へ映すのも、すぐには終わらんぞ」
羅玄子は、宗真が抜き出した札を指で押さえた。
煙水晶、土床の中央、仙気三度、内十、外五。
札の上には、左に煙水晶、右に細長い水時計を描いた小さな図がある。
「これに似た札とは、何が似ておればいい」
「煙水晶を使った記録です」
「では、煙水晶を磨いた記録まで、これと似ておるのか」
宗真は札を見直した。
「狭い場所に拍を残して、内と外で時の進み方が変わった記録です」
「最初からそう言え」
羅玄子は鏡を裏返した。
黒くくすんだ背面が現れる。
棚から松脂の塊、細かい雲母の粉、銅の鋲を持ってきた。
松脂を灯りの火で温め、雲母の粉を混ぜて鏡の背へ薄く伸ばし、鋲の尖で中心から縁へ八本の線を引いた。
羅玄子が鋲の尖を中心へ戻し、鋲の頭へ親指を当てて仙気を沈めると、八本の線が青白く光り、銅の背に術式として焼きついた。
「まずは、鏡が見たものを残す」
羅玄子は鏡を表へ返した。
宗真の前へ、煙水晶の札を置く。
札の下には、それを束ねていた青い紐を伸ばした。
札束が入っていた箱の蓋には、斜めの線が一本刻まれている。
札の端には、宗真が書いた証の小さな印がある。
「札と一緒に、紐の色と箱の印も残せ。
どの束の、どの箱にある札か分からねば、見つけても取り出せん」
宗真は札と青い紐、蓋の斜線を鏡面に収めた。
右手で短い柄を握る。
指先から送った仙気は、鏡面を光らせなかった。
青錆の下へ沈み、背面に引いた八本の線へ流れる。
鏡の中の札が、水の底にあるように揺れた。
宗真が札を取り上げても、鏡には薄い文字が残っていた。
「残りました」
「一枚目だ」
羅玄子が次の札束から一枚抜き、宗真へ押しつけてきた。
宗真は黙って二枚目の札を受け取った。
*
青い紐の束と、四つの白い紐の束を、端から一枚ずつ鏡へ映した。
灯りへ二度油を足したころ、鏡が覚えた札は二百枚を超えた。
札の表も裏も映し、紐の色、箱の蓋に刻まれた印、書いた者の印も一緒に見せた。
羅玄子が試しに筆を映すと、鏡はその形を残した。
水差しを映しても残した。
羅玄子の髯の毛まで残しかけたところで、宗真は鏡を下へ向け、柄から手を離した。
鏡面に残りかけていた白髪が消えた。
「柄へ仙気を送っているあいだは、何でも残るんですね。
では、札を残すときだけ、柄へ仙気を送ります」
羅玄子が鼻を鳴らす。
「次は、条件を言わずに問うたら、何を拾うか確かめろ」
宗真は煙水晶の札を鏡の前へ立てた。
枠へ指を添える。
「この記録と似たものを見せてくれ」
仙気を沈める。
鏡面が曇った。
煙水晶の札が消え、別の札が一枚、浮かび上がる。
その図では、左に丸い硯、右に細長い水差しが置かれていた。
下には、冬でも凍らない墨、とある。
宗真は鏡と羅玄子を順に見た。
「札の図を拾ったようです」
「なら、次は似ているところまで言え」
羅玄子は鏡面の硯と水差しを、爪の先で順に叩いた。
宗真は、煙水晶と水時計を描いた札を指で押さえた。
「狭い場所の中に一定の拍を残し、中と外を比べた記録はあるか」
枠に手を添え、仙気を沈める。
曇った鏡面に、三枚の札が現れた。
一枚は、今日宗真が書いた札だった。
二枚目には、鳴り石を置いた薬庫で、線香の減りが早かったとあった。
その下には、札の裏面も映った。
薬庫の戸の隙間から風が入った疑いあり。
外側の線香と同時に火をつけたかは不明。
札の脇に白い紐が映り、四つ目の箱に刻まれた三本線の印が続く。
三枚目は半分が薄く、書いた者の印だけが見えなかった。
文字は、蓋のある木箱の中で、漏刻の水が外より先に減ったと記していた。
「ありました」
宗真は四つ目の木箱を床へ下ろした。
白い紐の束を開き、三本線の印がある札を探す。
鏡の中に現れた通り、七枚目に鳴り石の札があった。
裏返すと、鏡に出た二行も小さな字で記されていた。
宗真は札を作業台へ置いた。
目は、裏面の注意書きから、表にある鳴り石の配置へ戻った。
「鳴り石の置き方に合わせて、煙水晶も四隅に一つずつ置けば、差をもっと広げられるかもしれません」
「煙水晶を四つ置けと、どこに書いてある」
宗真の手が止まった。
「鳴り石は、薬庫の四隅にあります」
「お前が差を出せたのは、中央に煙水晶を一つ置いたときだ」
羅玄子は、三枚目の薄い札を爪で叩いた。
「こちらは、箱の内と外で同時に水を落とし始めたとは書いておらん」
羅玄子は、鳴り石の札の裏面を爪で押さえた。
「これは戸の隙間がある。
お前の瓢箪の中には風が入らん」
宗真は札の文字を追った。
似ている。
だが、同じではない。
「鏡が出したのは、似た札だ」
羅玄子は、鏡面の鳴り石の札と今日の札のあいだを指でなぞった。
「四つ置けとは、鏡は言っておらん」
「……そこから先は、俺の推測です」
「推測は構わん。
それを鏡の答えにするな」
宗真は、鏡面に浮かぶ三枚の札を見た。
答えはどこにもない。
あるのは、書かれた記録と、紐と、箱の印と、書かれなかった部分だった。
*
宗真は今日の札と鳴り石の札を、鏡の前へ並べた。
鏡面には、中央に今日の記録、右に鳴り石、左に木箱の漏刻が残っている。
宗真は手元の今日の札に、内外二つの水時計を同時に動かしたと追記した。
宗真は柄を握り、追記した今日の札を鏡へ映し直した。
鏡面の三枚が消え、追記した文字が底へ沈んだ。
宗真は柄から手を離し、先ほどと同じ条件を問い、枠へ仙気を沈めた。
中央に今日の札が現れ、条件の違う二枚は、前より遠く離れて左右へ浮かんだ。
羅玄子は、鏡面に浮かぶ木箱の札の端、その空白を指した。
「ここを書いたのは誰だ」
「印がないので、分かりません」
「なら、その空白を残せ。鏡に補わせるな」
宗真は枠を両手で支えた。
「煙水晶を一つだけ使って、瓢箪の内側の時を外の二倍より速く進められるか」
枠へ仙気を沈める。
鏡面に、今日の札だけが現れた。
その下には、曇った銅の色しかない。
宗真はしばらく待った。
二枚目は出なかった。
「分からない、か」
「そういうことだ」
宗真は曇った部分に映る自分の指を見た。
鏡から、「分からない」という文字も声も出ない。
それでも、ない記録を作らなかった。
「名をつけろ」
羅玄子が言った。
宗真は鏡の縁に残った青錆を親指でなぞった。
「問いを受けて、記録を返す。
問答鏡、でどうでしょう」
「返しておるのは、答えではなかろう」
「答えの代わりに、次に確かめる材料を返します」
羅玄子は、不明の曇りが残った鏡面を見た。
「問答鏡か。
答えは、お前が出せ」
宗真は鳴り石の札を白い紐の束へ戻し、四つ目の木箱を棚へ上げた。
*
宗真は棚から空の木箱を一つ下ろし、今日の試験札を収めた。
問答鏡の柄を帯へ差し、木箱を抱えて瓢箪のそばに立った。
小指ほどの口は、何も持っていないときと同じ大きさだった。
宗真が中の土床を思うと、口は広がらず、視界のほうがその奥へ引かれた。
帯に差した問答鏡も、抱えた木箱も、重みを失わないまま宗真と一緒に引き込まれる。
両足が、瓢中工房の土床へ着く。
中央には、前の試しで置いた煙水晶が残っている。
宗真は煙水晶を避けて木箱を床へ置き、問答鏡を帯から抜いて壁に立てかけた。
黄褐色の内壁は丸く、鏡の柄が横へ滑った。
宗真は落ちる前に受け止めた。
床へ寝かせると、鏡は頭上の白い光しか映さない。
宗真は木箱のそばに腰を下ろして蓋を開いたが、札を並べる台がない。
宗真は札を一枚だけ取り出し、土床へ置いた。
宗真は札を持ち上げ、裏側に付いた細かい土を見て、木箱へ戻した。
道具箱と失敗品もここへ入れれば、歩く場所も減る。
修理する物を持ち込んでも、鏡を立て、札を広げ、工具を並べる場所がない。
頭上の光が揺れ、羅玄子が土床へ降りてきた。
羅玄子は、木箱のそばに座った宗真と、床に寝かせた問答鏡を見た。
「工房を持ち歩くと言っておったな」
「今のところ、物置です」
羅玄子は笑った。
宗真の前には、置き場のない木箱と、床に寝かせたままの問答鏡が並んでいた。




