第10話 作業場が欲しい
「作業場です」
宗真が答えると、羅玄子の片方の眉が上がった。
扉の隙間からのぞいていた目が、宗真の右手から顔へ戻る。
「何のだ」
「宝貝を試すための」
「作ったこともない小僧が?」
「ですから、まず試す場所が要ります」
羅玄子は戸を指二本分開けたまま、宗真を見ていた。
手にした細い工具の先から、白い粉が一粒落ちる。
「龍を退けろと言われたのだろう」
「はい」
「ならば、欲しがる順が違う。
刃か、鎧か、使えぬ仙術の代わりをする宝貝だ」
「どれも、今の私には早いです」
戸の奥で、炉が低く鳴った。
羅玄子は青柏を見た。
「気だけはある。五気のどれにも乗らん」
青柏の説明を、羅玄子は手のひらで止めた。
「それは聞いた。
わしが聞いておるのは、小僧が何を欲しがっているかだ」
「答えました。作業場です」
羅玄子は扉を開けた。
「入れ。
ただし、何にも触るな」
*
工房の中は、外から見た建物より奥行きがあった。
山肌を削った壁がそのまま奥へ続き、左右に背の高い棚が並んでいる。
窓は小さく、炉の火と天井から下がる三つの灯りが作業台を照らしていた。
入口から作業台までは、細長い石板が一列に敷かれていた。
その両脇には白い粉や黒い砂が筋になって落ちている。
宗真は外套の裾を持ち上げ、石板から足を外さないように奥へ進んだ。
後ろから入った青柏の杖が、棚の脇へ立てかけられる。
美しい器もあった。
それより、欠けた器の方が多かった。
縁だけ割れた鉢。
柄の外された小刀。
片側が黒く焼けた木札。
いくつかは布の上に分けて置かれ、細い札が結ばれていた。
札には、壊れた場所と、短い言葉が記されている。
火が強い。
縁が薄い。
三度目で歪む。
宗真が最後の札をもう一度見ると、羅玄子が言った。
「何にも触るなと言ったぞ」
「見ていただけです」
「顔を近づけるのも触るうちだ。
息で粉が飛ぶ」
宗真は半歩下がった。
「すみません」
「謝る暇があれば覚えろ」
羅玄子は中央の作業台へ戻った。
台の上には、掌ほどの灰色の輪が置かれている。
輪の内側に細い刃を当て、少し削っては、目の高さまで持ち上げた。
宗真には、どこが変わったのか分からなかった。
「青柏。そこの杖を壁から離せ」
「触っておらん」
「倒れれば同じだ」
青柏は、壁へ立てかけた杖を足元へ引き寄せた。
羅玄子は輪を作業台へ戻す。
指先が輪の縁を押さえた。
揺れていた影が止まり、石の台へ重さを預けるように落ち着いた。
そのまま羅玄子は刃を入れた。
乾いた音が三度続く。
先ほど扉の外で聞いた音だった。
「それで、作業場で何をする」
「最初は、仙気が器の内側へ沈むか、もう一度試します」
刃が止まった。
*
「おぬしの仙気が器へ沈んだと聞いた」
羅玄子は灰色の輪を布の上へ置いた。
削り粉を小さな刷毛で集め、一片も床へ落とさない。
「二度、同じ向きへ入りました」
「水盤も、仙気を通した場所も同じか」
「水盤は同じですが、場所は別です」
「入った後は」
「見えなくなりました」
「割れたか」
「割れてはいません。
ただ、内側へ道を作ったと言われました」
「誰に」
「仙籍房にいた方です」
「名も知らん相手の言葉を持ってきたのか」
「もう一度試すことに気を取られて、聞きそびれました」
「水盤を二度壊しかけてか」
「二度目は許可を取りました」
「悪くなったぞ」
「仙気がまた内側へ沈むか、確かめたかったんです」
「二度で分かると思ったか」
「一度だけよりは、次に見せるものを決められます」
「それで、わしに見せる物が話だけか」
「水盤は借りられませんでした」
青柏が喉の奥で笑った。
「水盤の縁へ、細い光が沈んだ。
木火土金水の刻みには向かわず、表にも出なかった」
「おぬしはどう見た」
「五気の術ではない。わしに分かるのは、そこまでだ」
「それだけか」
「だから、ここへ連れてきた」
羅玄子は鼻を鳴らした。
作業台の下から平たい箱を引き出し、中に集めた削り粉を移す。
「青柏が見たものと、おぬしの話だけで、作業場を貸せと」
「貸していただけるなら助かりますが、この工房を貸してほしいとは言っていません」
羅玄子は、平たい箱を持ったまま両手を止めた。
「何が違う」
「道具の位置を指一本分ずらしても怒る方の作業台で、何が起きるか分からない仙気は試せません」
青柏が杖の先で床を鳴らした。
「言い方は考えるのではなかったか」
「言葉を選んでも、事実は変わりません」
羅玄子の口元が歪んだ。
肩が一度、大きく揺れた。
「よく見ておる、小僧」
「先に聞いていました」
「誰からだ」
宗真は青柏を見上げた。
青柏は杖に両手を重ね、工房の棚を眺めている。
「覚えておけ。
あれの杖は、次から外へ置かせる」
「まだ、次も来ていいとは言われていません」
「話を先へ進めるな。
欲しい作業場が、わしの工房でないなら何だ」
*
宗真は、棚の間に積まれた木箱へ目を向けた。
一つは蓋が閉まらず、白い布が角からはみ出している。
別の箱には、欠けた器の破片が形ごとに分けて収められていた。
「壊れた物を、捨てずに置いておける場所です」
「物置が欲しいのか」
「いいえ。前の失敗と見比べられる場所です」
宗真は、札の結ばれた鉢へ目を向けた。
「あの札には、『三度目で歪む』とありました。
鉢だけ見ても、三度目だったことまでは分かりません」
「札を読めば、同じ物を作れると思うか」
「思いません。ですが、何を変えたのかは聞けます」
「作った者が、その場におらん時はどうする」
「残った物と札から、次に確かめることを決めます」
羅玄子は、縁の欠けた鉢へ一度だけ目を向けた。
「龍を一度で倒す物なら、比べる暇もいらん」
「龍へ向けるまで止められるか分からない物を、今の私には持てません」
「臆病だな」
「何も知らずに強がるより、臆病な方がましです」
炉の中で炭が崩れた。
赤い火の粉が一つ上がり、暗い煙道へ消える。
羅玄子は、作業台の端へ出ていた細い工具を、指二本分だけ内側へ戻した。
「場所があれば、最初に何を見る」
「別の器でも、仙気が表へ出ず内側へ沈むのか確かめます」
「二つ目は」
「一つ目を見てから決めます」
羅玄子の手が止まった。
「先を考えておらんのか」
「考えてはいます。
ただ、最初の結果が違えば、次に試すことも変わります」
「慎重なふりをして、何も知らんだけだな」
「はい」
「そこは否定しろ」
「知らないのは本当ですので」
羅玄子は長く息を吐いた。
だが、灰色の輪をしまわず、作業台の奥へ押した。
作業台の手前が空いた。
*
「青柏」
「何だ」
「この小僧は置いていけ」
「宗真が残ると言うならな」
青柏は宗真を見た。
「残るか」
「ここで、試させてください」
「日が傾く前に、仙籍房へ戻れ」
「日が傾く前に戻ります」
「羅玄子の棚には触るな」
「本人からも言われました」
「二度言われても触る者がおる」
「おぬしのことだ」
羅玄子が言うと、青柏は杖をついて扉へ向かった。
戸口で一度だけ振り返る。
「宗真、工房から仙籍房までの道を覚えておけ」
「はい」
扉が閉じた。
杖の音が遠ざかり、工房には炉の音と、棚のどこかで砂が落ちるような音だけが残った。
羅玄子は宗真へ背を向け、奥の棚へ歩いた。
「作業場を貸すとは言っておらん」
「承知しています」
「まずは、話どおりか見せろ」
「はい」
羅玄子は棚の下段から、浅い籠を引き出した。
籠の中には、同じ形の小さな鉢が重ねてある。
どれも掌に載るほどで、外にも内にも刻みがない。
一つずつ持ち上げ、光へ透かす。
爪で縁を弾き、返ってくる音を聞く。
三つ目を選ぶと、残りを籠ごと棚へ戻した。
「何の器ですか」
「まだ何でもない」
羅玄子は小鉢を作業台の空いた場所へ置いた。
底が石へ触れ、硬い音がする。
羅玄子の親指が縁を押さえた。
小鉢の影が揺れをやめ、そこへ根を下ろしたように動かなくなる。
「割れたら、どうしますか」
「割れ目を見る。
割るつもりでは触るな」
「どこで止めればいいでしょう」
「わしが言う。
聞こえたら離せ」
羅玄子は細い工具を布の上へ置き、初めて両手を空けた。
「右手を出せ、小僧」
宗真は人差し指を見た。
照身の水盤の冷たさは消えている。
それでも、石の内側へ仙気が抜けた感覚は残っていた。
宗真は小鉢の前へ右手を出した。
羅玄子が、無地の縁を指した。
「沈めてみろ」




