焦燥
第一波攻撃隊の発艦を見送ってから、
すでに三時間が経過していた。
「土佐」艦橋の中は、張り詰めた沈黙が支配している。
幕僚たちは誰も口を開かず、ただそれぞれの不安と淡い期待を胸に、まだ湿っている艦橋の防弾窓から
どこまでも広がる黒緑色の海洋を見つめていた。
330海里という距離は我々だけが一方的に
攻撃を行うことができる理想の距離だ。
しかし、送り出した攻撃隊の攻撃機は即席の
爆装零戦が大半を占め、搭乗員も
未だ訓練の足りない未熟なものばかりだ。
「…そろそろ、報告が来てもいい頃か」
艦長が小さく呟いた言葉は、艦橋の重い空気の中に吸い込まれて消えた。
その時、艦橋に駆け込んできた通信士が
通信参謀へ一枚のちり紙を手渡した。
「…第一波攻撃隊より報告」
通信参謀は電文がなぐり書きされたちり紙を
見つめ、報告を始める。
「敵戦闘機、および対空砲火熾烈を極める。
戦果、敵空母一隻に爆弾一命中。
敵巡洋艦一隻に爆弾二命中、大破。」
戦果としては空母一隻を炎上させ、巡洋艦一隻を
大破に追い込んだということになる。
今回の海戦が始まって以来、そして久方ぶりに
敵空母を撃破したとなれば
本来十分なものだ。
しかし、85機もの大攻撃隊を送り込んで得られた戦果としては、あまりにも少なすぎた。
「…これだけか」
艦長が力なく呟く。
「再攻撃の要を認む。」
最後に記された一文は今回の攻撃において
敵艦隊は未だ健在であり、攻撃が不十分に
終わったことを意味していた。
そして、未帰還機の具体的な数字は書かれていない。
そのことが余計に、被害の甚大さを
物語っていた。
艦長は何も言わず、ただ目を閉じて電文の言葉を噛みしめていた。
「……しかし、千歳の司令部は第二波攻撃隊
を出すでしょうか?」
航海参謀が気を取り直し、重苦しく沈んだ空気感を
打破するように言葉を発した。
「わからん。
だが、ここまで来て逃げるわけにもいくまい。」
艦長はすでに先を考え始めていた。
いまさら撤退するなど言語道断。
゛肉を切らせて骨を断つ゛というスローガンを
ついに実行するまでだ。
───
さらに2時間後。
艦隊上空には散発的に第一波攻撃隊の
帰還機が現れ始めた。
隊列は既になく、数機ずつの小集団に別れていた。
中には煙を吐き、空母手前で力尽きたように
海上へ不時着するものもある。
その機数は発進時より明らかに少ない。
多く見積もっても40機程度。
攻撃隊はその半数を失ったのだった。
そして、電探は幾つもの小規模な反応を探知していた。
そのすべては帰還する味方だろうと考えられ
重視されていなかった。
だが、その中に1機。
白いマークをつけた機体が紛れ込んでいる。
「右舷前方に敵機!」
見張員の報告が艦橋に響き渡った。
青空と雲の切れ間から滑り込んできたのは、翼に白い星を描いた米軍の単発偵察機だった。
第一波攻撃隊の機体の後をつけ、
この艦隊にたどり着いてしまったのだ。
直後、土佐の通信室が敵偵察機の発した強力な電波を傍受した。
伝声管からは報告が聞こえてくる。
「敵機は電波を発信中!」
発信後、敵偵察機はこちらの対空砲火をくぐり抜け
再び水平線の向こうへと飛び去っていった。
確実にこちらの位置は露呈した。
だが、艦橋の幕僚たちにはある疑問が
浮かび上がっていた。
最も近いはずの敵機動部隊「甲」でさえ、
未だ330海里もの彼方にいるはずだ。
その距離を飛んでこちらへ偵察機が
到達するなど本来はありえないはず。
「あの敵機はどこから来たんだ?」
艦長は窓の外、水平線を睨みながら
つぶやいた。
しかし、その謎の答えを模索する時間はなかった。
再び伝令兵が電報を渡していく。
「本隊より緊急電! 」
艦橋は再び沈黙に包まれる。
「空母翔鶴、敵潜水艦の雷撃を受け沈没。これより旗艦を瑞鶴へと移行し指揮を取る」
先ほどとは比べ物にならない衝撃だった。
敵機の攻撃を受ける前に、こうもあっけなく
旗艦が仕留められた。
アウトレンジ戦法は、そして機動部隊は
崩壊を始めていた。




