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「ご依頼でしたら、お代をいただきます」 没落令嬢の調香と宮廷の内緒話  作者: 河合ゆうじ


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第七話 震える手にも似合う香り

 娘は代金を出すより先に、指貫をカウンターへ置いた。財布を探る指に引っかかったらしく、転がったそれを追って袖が滑り、抱えていた包みまで傾いたので、リディは秤を脇へ寄せて場所を空けた。

「置いて大丈夫です。濡れていませんから」

「すみません。あの、このお店で合っていますか」

 差し出された札には、セルフィーユ香房の店名と、リディが引いた細い飾り罫があった。片隅に針で開けたような穴が二つある。娘はコレットと名乗り、園遊会へ出た客の衣装を直した折、香袋の外包みを譲ってもらったと話した。

「汗の匂いを、わからなくできますか。今日、白鷺棟で刺繍の図案をお見せするんです」

 札を押さえた爪の横に、小さな針傷があった。首元には洗った麻の匂いがあり、その下に、酸味を帯びた恐れの徴が細く立っている。リディが値段を伝える前から、コレットは財布の中の銅貨を一枚ずつ表へ返していた。

「普段、お仕事中にも気になりますか」

「縫っているときは平気です。説明しようとすると、急に。前にも、何をそんなにびくびくしている、何か隠しているのかって聞かれて、それから余計に」

 リディは洗い替え用の小さな麻袋を二枚取り出し、一枚だけを彼女の銅貨の隣へ置いた。外袋まで新しく仕立てれば予算を越えるが、手持ちの布へ挟む中身だけなら、その枚数で足りる。

「汗を止める品ではありません。匂いを目立ちにくくするものなら、今から合わせられます。胸元に入れる布はありますか」

 コレットは襟の内側から、折った薄布を抜いた。角に青い糸で小さな葉が刺してあり、裏には幅の広い縫い代が残っている。そこをほどかずに袋を挟めそうだったので、リディはまず空の袋を当て、包みを抱え直しても落ちないか確かめてもらった。


 杉の缶から薄片を取り、指の腹で割って、切り口の明るい香りを出す。そこへ乾いたラベンダーを少し加えたが、二つ目の匙は戻した。花を増やすと、首元から上がる酸味だけが離れて感じられる。代わりに乾いた葉をわずかに砕き、青い苦みを木の間へ散らすと、汗の匂いは消えないまま、洗って干した仕事着に近いまとまりになった。

「その葉も入れるんですか。花だけのほうが、いい匂いなのに」

「こちらへ一度、当ててみてください」

 花と杉だけの包み、葉を加えた包みを順に渡すと、コレットは後のほうを首元に残した。顎を引いて確かめ、それから薄布を少し浮かせて、もう一度息を吸った。

「こっちのほうが、私の服みたいです」

「では、それを着けたまま、図案の説明をお願いできますか」

「ここでですか」

「座っているときと、話して動くときでは違います。私にも見せてよければ」

 コレットは包みの結び目を解き、灰色の厚紙に挟んだ図案と、掌ほどの刺繍見本を取り出した。蔓に小さな花が連なる縁飾りで、見本の片側だけ花が少ない。リディがそこを指すと、彼女は布を裏返し、重なった糸の厚みを爪の先で示した。

「袖口を折り返すので、ここまで同じに刺すと硬くなるんです。花を一つ減らして、茎を寝かせれば……」

 そこで声が途切れた。リディが椅子を引いて座っただけだったが、コレットは見本を置き、背筋を伸ばして両手を膝へ下ろした。先ほどより耳が赤いのに、恐れの酸味はうまく拾えない。木と葉の香りが薄布の内側で温まり、その向こうを探ろうとすると鼻の奥に小さな熱が差した。

 リディは顔を近づけず、台の上の見本を指で回した。

「裏も見せてください。どこが柔らかくなるのか、まだ聞けていません」

 コレットは膝から手を戻した。今度は布を二つ折りにしてから説明し、リディにも曲げるよう差し出した。話し終えるころには袖の擦れる音が増え、薄布に挟んだ袋から、動くたびに控えめな木の香りが届いた。


 中身を少し減らして縫い口を閉じ、残りは返却用の小瓶へ収めた。強くしたくなっても香油を足さず、まず薄布を一枚減らすこと、肌には直接当てないことを伝えると、コレットは銅貨を数え直し、最後の二枚を財布に残した。

「これで、落ち着いて見えるでしょうか」

「香りは整いました。図案を見せる手順は、今の二度目がわかりやすかったです」

 リディが見本を厚紙へ戻そうとすると、細い糸が指に触れた。見本の裏から抜けかけている。コレットはすぐ針入れを開け、話していたときよりずっと速い手つきで始末した。針を持つと、指先は少しも迷わなかった。


 昼過ぎ、リディが試用品の確認に白鷺棟を訪れると、来客室には三人の女と、茶器を下げている若い侍女がいた。壁際の棚には納めた香袋が置かれ、茶卓から離れた椅子にコレットが座っていたが、膝の上の灰色の厚紙を両手で押さえたまま、隣の女の顔を見ていた。

「私が先に、こちらへ置いたんです」

「ええ。でも、これは私の台紙でしょう。角を直してありますから」

 隣の女が厚紙の角に貼った補修紙を示した。二人の間にはもう一組、同じ大きさの灰色の厚紙があり、こちらにも似た紙が貼られている。奥の席で手袋を外していたベルトがリディに気づき、困ったように二組を見下ろした。

「お茶を置く間に重ねてしまったそうなの。中を開いたら、お互いに違うと言うものだから」

 コレットの胸元からは、朝に渡した木と葉の香りがした。唇を結ぶ力は強く、薄布の端を押さえた指も白い。リディはそちらから目を外し、二組の厚紙を置けるだけの場所を卓に作った。

「見本と図案を、一緒に並べてもいいですか」

 ベルトが頷き、侍女が残っていた砂糖壺を盆へ載せた。コレットは片側の花が少ない見本を取り上げ、もう一人の女は蔓の図案へ手を伸ばしかけて止めた。広げてみると、どちらも似た袖口の縁飾りだったが、片方は花弁が丸く、もう片方は先が割れていた。

「こちらは、今朝お店で拝見しました。折り返すところの花が、一つ少ないものです」

「それは私です。でも、図案が違うんです」

 コレットが指した紙では、折り返しの端まで花が続いていた。隣の女は見本と紙を交互に見たあと、厚紙の内側へ指を入れ、もう一枚を引き出した。薄い紙が二枚、上辺だけ重なって挟まっていたらしい。下から現れた蔓には、花を消した跡と、茎を横へ延ばした線があった。

「こちらね。ごめんなさい、私が閉じるときに巻き込んだんだわ」

 侍女が盆を抱えたまま、茶を置くために手前の紙を移したのは自分だと申し出た。ベルトは誰が先に置いたかを尋ね直さず、見本に合う図案をそれぞれの前へ戻した。コレットも補修された角から手を離し、抜けていた紙を自分の厚紙へ挟んだ。


 リディは棚の試用品を少し奥へ移し、通路からも茶卓からも離れているのを確かめた。振り返ると、コレットがこちらを見て、胸元の薄布を指先で軽く叩いた。

「まだ、大丈夫ですか」

 香りは変わらず穏やかだった。リディはそこから顔色の理由を探すのをやめ、彼女が握っている見本へ視線を下ろした。

「ええ。次は、裏から見せてはいかがですか」

 ベルトが椅子を寄せると、コレットは見本を裏返した。最初の一言はかすれたが、花を減らした箇所に指が届くころには声が続き、折り返した袖口を、今度は相手の手へ渡せた。

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