8
いつものように、小さな虫が、畳の部屋の隅に集まっている控え室。俺たちは軽くネタ合わせをしていた。これから新ネタを披露することになっている。それが上手くいけば、これもYouTubeに投稿することになる。
俺たちは当然のように緊張していた。これから、初めて審判を受けるネタがあるのだ。俺たちが勝手に面白いと思っているだけかもしれないし、みんなも面白いと思ってくれるかもしれないネタを披露することになる。自己満足では意味はない。
反応が悪くても、一部を直せば使えるものになるかもしれない。ちょっとしたことを変えるだけで驚くほど反応が良くなるのが漫才の面白いところだ。
お客さんも俺たちが新ネタをやると分かったらワクワクしてくれるだろう。そういうワクワクだけでなくて、目新しいことに触れることによって発生する心の動きだけではなくて、しっかりとネタ自体で衝撃を与えたい。
一番大事なのはそこだ。一番大事なのは間違いなく観客で、俺たちなんてそれがないと生きていくことができない不気味な寄生虫だ。プライドなんて持たない方がいい。ひたすらに、観客におもねればいい。
ただ、そこにもこだわりはあるべきだと思う。なんでもかんでも観客に迎合していればいいというわけではないし、なんでもかんでも反対すればいいというわけでもない。あらゆることの本質はそうだ。
やはり大事なのはバランスだ。バランス感覚がないと何をやってもダメになるだけだと思う。俺がネタを書いている以上は、この順風というコンビにおいて問われているのは主に俺のバランス感覚だ。
自分ではそれを計ることができないので、もはやそれは運任せにしかならないが、俺たちが面白いと思ったものをやることしかできないのは、何があっても変わらないだろう。分析もするが、あくまでも俺のフィルターを通しているのだ。
微調整していくしかない。大枠自体がダメであることなど滅多にないから、通用するように少しずつ変えていかなければならない。そういうものだ。
ゲムから解放される前であれば、あらぬ方向へ球を投げてしまうこともあったが、今となってはそういうことも減っている。それを見て俺のことを天才だと勘違いしてくれた人もいるが、結局は単に何も分かっていなかっただけだ。
あらぬ方向へと投げられた球は暴投と呼ばれるものだ。それは純粋に俺にボールをコントロールする能力が無かったことを表しているだけで、それ以外の何物でもなかった。才能ではない。
「山のプー太郎さんだろっ! ただの山に住んでるプー太郎じゃねぇか!」
「そうそう。ぼく、プー太郎さんだよぉ?」
「声だけプーさんっ……! 可愛くないっ……!」
「似てた? 今日はチューニングが合っていないような気がする」
「大丈夫だよ。ちゃんと激似だったよ」
「それなら良かった。はぁ、緊張してきたぁ」
「ちょっとまだプーさん入ってるな」
「そう? クリストファーロビン?」
「誰がクリストファーロビンだよ。俺は森の住人じゃねぇよ」
「はちみつだぁいすきぃ」
「それもネタ中に入れるか。プー太郎さんの後に入れられる?」
「いきなりだけど分かった。『そうそう、ぼく、プー太郎さんだよぉ? はちみつだぁいすきぃ』……こんな感じで?」
「そんな感じでいこう。もしも長いようだったら後で削ればいいわけだし」
「そうだね。それなら、『ろうどう、だぁいきらいぃ』って言うのは?」
「『声だけプーさん』の後に足すか。即興でこんなにやって大丈夫か?」
「俺は大丈夫だよ。俺が即興で考えたのに俺が失敗したらダメじゃん」
「よろしくな。林」
こういうネタは前なら絶対にやらなかっただろうな。モノマネを漫才の中に入れるなんて、絶対に良くないとは思うが、そんなことを言っていられないのも事実だ。そんなこだわり要らないのも事実だ。
やれることならなんでもやっていこう。そして、少しでも人気にならないといけない。少しでも多くの人を楽しませないといけない。もはや、矜持なんてものは極わずかしかない。捨てられるものは捨てた。
この道を進むことでその先に何があるのかはまだ分からないが、それでもこのネタがある程度の人にウケるであろうことは間違いない。プーさんの声を知っている人ならば誰でも笑ってくれるだろう。知らない人すら笑うかもしれない。
しゃべくり漫才ではあるが、王道ではない。そういう道を歩むことが俺たちにとって一番良い。そもそもあまり王道めいたやり方で成功できるような人間でもない。人の気持ちが根本の部分で分からない俺は特にそうだ。
ちゃんと面白いネタを作ればそれでいい。それはあくまでも林がやった時に面白くなるネタだ。他の誰でもなくて、林に合わせたネタを書く。芸人仲間から白い目で見られたとしても、それはそれでいいだろう。
多少ははみ出さないと何かを成すことなんてできないのだ。ここでは、芸人として成功したいという夢が渋滞している。その渋滞から抜けるためには、抜け道を使うことだってある。誰も知らない道を進む。
俺には林というガイドがいる。林のガイドラインに従えば、きっと、いつの日かはこの渋滞から脱出することだって可能だ。そういう夢を見ているから、ネタにこだわるのはある程度にしておいた。
こだわりすぎても良くないのはもう分かった。しかし、何もこだわらないことが良くないことは分かっている。林は俺のこだわりのことを肯定してくれた。それならば、その肯定されたこだわりだけでも持っていかなければいけない。
人がやっていないことをやらないと意味がないのは、漫才も同じだと思う。どうにかして周囲の芸人との間に違いを生まなければならないわけだが、俺は林という武器を違いとする。その違いを持ってして成功する。
俺なんてどうてもいいと言えばどうでもいいのだ。ネタなんて最悪放送作家と一緒に作る道だってあるのだから、俺の才能なんて武器にはならない。ネタだけで面白い漫才を作ることができていたならば、こんな形で林に頼らなくても良かった。
幸いなことに俺はゲムのおかげでそういう悔しさを避けることができる。普通の人には耐えられないような屈辱が、俺にとってはなんでもない。別にこだわっていないことがどう評価されてもどうでもいい。
ゲムを使い分けるのだ。しっかりとこれを乗りこなすことで、過去よりも未来へ向かう線を伸ばしていく。俺が目指すべきなのは未来なのだから、補助線は常に未来へ伸びていなければならない。
松野健はとにかく先へ進みたかった。その先とはつまりは未来のことだ。が、人間なんて生きているだけで勝手に未来へ進むことができる。それでは、未来のことではないのだ。矛盾している。
矛盾した考えの答えは、自分の中にある、理想的な未来へ向かって歩くという考えのことだ。今まで、理想というものもなく、闇雲に道を歩いていた松野健はようやく自分が歩むべき道を見つけた。
羽虫のような虫の集合体。それは、この空間の片隅に集まって、何かを相談するように生きている。そこに意志などなく、あるのは遺伝によって決まる、環境への反応だけ。動かされているだけ。
それは人間も同じなのかもしれないが、人間であればもう少し複雑にそれをすることができる。遺伝によって決まる、環境への反応は、それぞれの人間が持っている意志と呼ばれるものによって決まる。あるのかは分からない人間の意志。
松野には意志のようなものができていた。モノマネを漫才の中に入れたことを、どれだけ非難されたとしても、彼にはそれを続けたいという意志があった。それはこだわりではなくて意志だ。
こだわりというのは、安心するためにあるものであって、意志というのは、未来に進むためにあるもの。もっと言うと、進むべき未来へ進むために意志というのはある。それによってしか、理想的な未来へと進むことはできない。
知ってか知らずかそれを理解した松野は、誰に何を言われようとも、林のためのネタを書くことを決めた。林がしゃべくり漫才をしたいというから、あくまでも形式は日常会話にこだわる。
まるで学校の片隅で行われている、くだらない会話のような会話の最上位を目指す。どれだけ真剣に聞いても、何も得られないような、聞いて損するような、意味のない、身にならない会話。
それの最上位を目指して、努力だけを続けるつもりだった。それが順風が向かうべき道だと分かった。その時に、松野はここで死んでもいいと思う。
このやり方でくたばるならばそれでいいと思った。どれだけ評価されなかったとしても、それでいいと思ったが、同時に観客のために漫才をすることも決して忘れない。やはりそこには矛盾が存在している。
矛盾したようなことを同時並行で進める。それが、ゲムから解放されることが増えた、松野健の出した、上手に生きているための結論だった。やはり、一番大事なのはバランスであるという結論だ。
意志と、他人のバランスを取る必要がある。自分の意志だけで行ける場所などタカが知れてるので、あくまでも他人の目を気にしながら、意志を持って漫才をする。
お笑い芸人らしくない熱い想いを胸に秘めることになったわけだが、実際のところ、お笑い芸人とはほとんど全員がその胸に熱い想いを、燃えたぎるような情熱を秘めている。触れると火傷しそうな想いを持っている。
それを表に出すと笑いにならないから、表に出さないというだけで、本当は誰しもが真剣にお笑いに、そして観客に、何よりも自分たちに向き合っているのだった。そこには曇りがなく、透明なものの中にある。
純粋で美しいものがあるだけだった。だから、劇場には神様が宿る。神様とは常に純粋なものであるから、ここには笑いの神様が宿るのだった。そして、それは人間にもだ。お笑い芸人たちにも宿るのだ。
真剣に、純粋に笑いに向き合った者には、神様が宿るようになる。それによって、自分でも信じられないほどの力が沸いてくるようになる。
どこまで純粋になることができるのかが勝負だったが、彼らは一度そうなったことがある。フロー状態に入り、ゾーンを経験したことがある二人であれば、それはそこまで難しいことではなかった。
神様はひたすらに純粋なものが好きなのだった。だから、純粋になればなるほど神様に好かれることができるようになる。神様に好かれればどんな生き方をしていても正解になる。そういうものだからだ。
「そろそろ時間だな。移動するか」
「だね」
俺たちは舞台袖まで移動することになった。新ネタを下ろすことへの恐怖感よりも、これから起こるであろうことへのワクワク感の方が勝っていた。もしかしたら大爆笑が待っているかもしれない。
やはり、俺らはみんな脳がダメになっているのだと思う。脳内麻薬によって脳がグチャグチャにされていて、お笑い以外では興奮できなくなってしまっている。
舞台袖のモニターに写っていたのは、アラビアンリンスーの二人だった。宗像さんは今日も動きのある漫才で観客を笑わせている。みんな笑いに来ているのだ、笑わせるのが俺たちの仕事だ。それでいい。
やるべきことをしっかりとやっているその姿はカッコよかった。余計なことなんてなんにも考えずに、笑いに貪欲になっているアラビアンリンスーの二人は理想の漫才師だった。そこには意志がある。秘めたる熱い想いがある。
この世界ではダサい奴の方がカッコいい。どれだけ気取っていたとしても、フィクションを扱っている以上、俺たちは嘘つきでしかない。太宰治だってそうだ。
それならば、ダサくたっていいじゃないか。モノマネを漫才に入れて、みんなに怒られるくらいがちょうどいいんだ。どうせ、観客が笑えば全てがオーケーになる。
逆を言えば、観客を笑わせることができなかったら、全部がダメだ。だからといって無難なやり方で笑いを作っても、そこに未来はない。オリジナルにならないといけない。本質的な部分がモノマネでなければなんでもいい。
漫才の前だから集中している頭は余計なことを考えていた。なので、漫才に集中するために、邪念を吹き飛ばす。出来る限り、無心になろうとする。
純粋になろうとしている俺たちの出番がやってきた。そして、新しいネタを披露することになった。緊張しながら、俺たちが好きなバンドの曲が流れている中、舞台の真ん中へ向かう。気分は上々だった。
どんなことになっても、それが俺たちの現実だ。しかし、林の面白さは絶対だと思う。きっと、それだけは安心していいのだと思う。
俺たちを照らすための照明が、瞳に入ってきて眩しい。それでも、ネタに支障が出ないように表情はしっかりと作り上げる。この場においては、俺たちの全てが漫才だ。何をしても漫才になる。
「いやぁ、ウケたな」
「そうだね。ウケたね」
「なんだったら今日付け足したところが一番ウケてたんじゃないか?」
「そうかも。やっぱりその場の空気って大事っぽいね」
俺たちの漫才は観客に大好評だった。脳内麻薬でおかしくなるんじゃないか、と、思えるほどに会場はウケ、その振動は俺たちにまで届いた。怖くなるくらいにウケた。チビるかと思った。
新ネタでこんなに評価が高いなんて、もしかしたらショーレースで使えるネタなのかもしれない。というか、使うことを前提に動いた方がいいだろう。
いつものように大広間で帰りの支度をしていた俺ら。いつもとは違うネタをやったことで芸人仲間から軽く挨拶程度に一言言われる。みんな面白かったと言ってくれていた。お世辞かもしれないが、嬉しい。
思ったよりも受け入れてくれているみたいだ。俺は変わることを病的に恐れていたが、実際、変わったところで問題なんてそんなに起こらないもんだ。不思議となんとかなる。線が未来へと繋がる。
「どんな感じだ? 二人とも」
「宗像さん! どうされたんですか!?」
「また一緒に飲みでもって思ってな。女子も居る?」
「お! それいいっすね! 俺は行くけど、松野さんは?」
「俺は、ちょっと新ネタなので、ちょっと気になるところがあって」
「新ネタ卸したんだもんな。そりゃ色々あるか」
「すみません」
「じゃあ、また他にも誰か誘うか」
「『チャランポランプ』の池野とかどうですか?」
「カッコいいもんな。じゃあ、そうするか」
「分かりました! じゃあ、松野さん、ごめんね?」
「気にしないでいいよ」
帰り支度をしていた俺たちは宗像さんに話しかけられた。前と同じように飲みに誘われたが、俺は前と同じようにそれを断った。いつも断っているのに、宗像さんは優しい。その優しさに甘えてばかりだ。
たまには誘いに乗らないといけないとは思いつつも、未だに日常会話はそこまて得意ではなかった。いきなり全てが変わるわけではないし、実際にネタに気になる部分があったのは本当だ。嘘をついているわけではない。
なんでもかんでも急速に変えればいいってものでもない。俺は、俺なりのペースで変わっていけばいい。ここで無理をして潰れてしまったら元も子もない。
林は帰り支度を早める。俺は、それを見ながら、宗像さんに「この前はありがとうございました」、と、一言言ってみた。感謝しなければならないから、してみた。
すると、「また今度飲みに行こうな?」、と、優しく返してくれる先輩がいた。この人は本当に、どこまで優しい人なのだ。どこまで頼りになる先輩なのだ。
俺たちは後輩に何もしてやれてない。もちろん、メシを奢ったりすることもあるが、それはあくまでも必要最低限のことだ。向こうも俺と一緒に飲みに行っても楽しくなんてない。金がないから行きたくもない。
どうやら芸人の飲み会とは面白いものらしい。それがあまり分からない俺は後輩と飲みに行っても面白いことなんてなんにも言えない。気質的には後輩気質のようだが、本質的にはどちらにも向いていない。
林が帰り支度を終えて、宗像さんと一緒に出口まで向かう。俺はそれに手を振っていた。こういう立場でいられるのならばどこまでも楽だ。が、それだと得られないものがあるのも事実だ。
いつかは当たり前のように飲みに行く人間にならなければいけない。派手にウケた今日の感想はそれで終わりだ。思っているよりも日常的なことで終わった。
大広間にいる芸人仲間たちに挨拶をしてから、俺もこの場所を出ていく。それにしても本当にウケた。会場が壊れるのではないか、と思うほどにウケてしまった。
むしろ邪魔になる感覚とも思えた。これがあることで、俺はあのネタを面白いネタだと勘違いしてしまうかもしれない。本当はどうしようもないネタかもしれないのに、面白いと錯覚してしまう可能性がある。
幸いなことに、俺たちが所属している事務所ではたくさんの漫才を披露する機会がもらえている。だから、本当に良いのか、それとも、本当は悪いのかを確かめることはできる。試行錯誤を続けることができる。
自分は間違いなく恵まれた環境にいる。漫才をするという意味では、間違いなくここよりも良い事務所はない。存在するわけがないくらいに、漫才を練習することも、披露することもできる。
もっと自分の才能を磨かなければならない。そんなものが本当にあるのかは知らないが、とにかくその才能を磨いて、みんなが見てくれる場所まで向かわないといけない。行けないわけがないのだ。
今の数十倍、もしかしたら数百、数千倍の人を笑わせるようになったら、俺たちはどんなことを思ってしまうのだろう。自分たちで練り上げて、作り上げてきたネタが人々の心を揺らしたら、どんなことを思ってしまうのだろうか。
一人で歩く街の道はもう暗くなっていた。それでも、街頭によってそれなりに明るくなっている。この中であれば、消えてしまったカラスもどこかに見つけることができるだろう。その黒は逆に光の中で目立つ。
透明人間だって光の中ではその痕跡を残す。俺のような何もない人間でも、強い光の中であれば何か意味があるものを残すことができる。その痕跡が、多くの人にとっての価値になることを願う。
寂寥感のようなものが胸を押し付ける。どこまでいっても、俺という人間はやはりこの空間に馴染むことはできないのかもしれないと思ったからだ。
それでも、それを使って世界を動かすことくらいはできるだろう。間違いなく、ゲムから解放されるよりはそっちの方が大分簡単なはずだ。いつまで経っても抜けないトゲは、俺にとっては必要なものだった。
空を見上げると、一番強い光を放つ星だけがそこにはあった。星たちも透明になって、どこの誰でもない俺の視界に入らないようにしている。
歩いていると小腹が空いてきた。メシを断ったくせに、これからどこかへご飯を食べに行く気持ちになった。行くのはどこでもいいが、こんなにめでたい日ならば贅沢なものでも食べたい。
マックにでも食べに行こうか。そして、千五百円近く使ってしまえばいいかもしれない。ハンバーガー、一個だけでは全く満腹にはならないので、ちゃんとお腹を膨らませるには三つくらいは食べないといけない。
松野健は足を一番近くのマクドナルドへと進める。それはある種の解放だった。自分の過去を洗い流すような行動だった。それをすることで、くだらない節約生活に反旗を翻す、気持ちになれた。
これからもまだそういう生活が続いていくのは間違いない。ジャンクフードすらも高級品のように感じてしまう日々は、どこかに虚しさもあったが、それを感じる能力は人一倍弱い松野健だった。
鈍感であることは幸福なことだった。鈍感であるがゆえに、お笑い芸人を続けられている節もあった。それは、松野だけではなくて、ここにいる全員がそうだ。
もはやそうではない。それだけではない。実は、人間とは全員、ゲムによって浮かされているものなのだ。問題となるのはその程度である。松野の場合はそれが強かったというだけで、みんなそうなのだ。
ゲムによって浮かされることが多かったというだけで、普通の人にもそれは付きまとっている。それとなんとか上手に付き合いながら生きているのだ。
あらゆる人がゲムによって支配されそうになる。支配される余地がある日常を送っている。それは別に松野健にとって救いでもなんでもなかったが、この世界はゲム的なものを想定して作られているという意味では、松野も助かるくらいのことはあるだろう。世界によって助けられることもある。
いつまでもゲム的に生きていっていいわけもない。なぜならば、みんな、無自覚的に、ゲムから解放されようと生きているからだ。それなのに、一人だけ、ゲムによって幸せだけを与えられるような生活を送っていていいわけがない。
どこでもいいから、遠くにある幸せを掴みに旅に出なければならない。本当にどこでもいいのだが、とにかく、ここにある幸せではなくて、もっと遠くにある幸せを掴まなければならない。難しくても。
ゲムから逃げようとしている普通の人々が、成功という虚飾を求めるのはそれが理由だ。成功とは常に遠いものだから、それを目指すだけでゲムから逃れることができるのだ。無意識的にそうしているのだ。
みんなが自然とやっていることを、ゲムから逃げるということを、最近になってようやくするようになった松野健。彼は周回遅れではあったが、お笑い芸人である以上は、周回遅れを笑いの種にすることだってできる。
幸せを目指して生きていた松野もまた、知らず知らずのうちに正しい道を歩いていた。そんな彼はその足でマクドナルドへと向かう。普通の人が、普通に愛しているそのお店で、自分の好きなハンバーガーを買おうとしていた。
それをすることで、ゲムから逃げられるからだ。みんな、ゲムから逃げるためにマクドナルドに行っているし、あらゆる挑戦をしている。そういうものだ。
なので、松野健もまた、ゲムから逃げるために、そこへ向かっていた。そこへ向かうことで、今の自分から見ると、かなり遠くにある、成功という幸せを掴み取ろうとしていた。近くにある幸せとは別の幸せだ。
彼には純粋さがあった。だから、きっとこれを見ている神様も何か思うところがあるだろう。松野のことを救いたいと、目的地まで届けたいと思ってもおかしくないだろう。そうなってしまえば彼の勝ちだ。
勝利が美しいのは、それが遠くにあるからだ。遠くのものを取りに行くというのが人間の本能だ。それに従っているだけだ。
一時的にゲムから解放された彼は街に溶け込む。どこにも、誰が見ても違和感がないその姿は、単なる通行人Aでしかなかった。




