第二章 神の助力
「冗談じゃない! 一週間だって? 今の一分をどうやり過ごせばいいかもわからないのに!」
赫燼という名の神が、丸十日も自分の体を操ると言う。シャルルは不満を抑えられなかった。
パン。
まだ赫燼に食い下がっていたとき、一発の銃声が思考を断ち切った。
(また殺し始めたのか?)
赫燼は相変わらずシャルルの体を操って、さまざまな準備運動を続けていた。銃声がしても振り返りもしない。塔の下で何が起きているかなど、まるで関心がないようだった。
続けてまた、下から銃声が響いた。
それから誰かが、泣きながらゲルツィの名を呼び、助けてほしいとすがった。
身を裂くようなその懇願に、シャルルは胸を締めつけられた。
足元にひざまずく十人衆に、目が向いた。
彼らが自分に――いや、自分の体を操る赫燼に向けている畏怖を見て、すぐに思いついた。
「赫燼……赫燼尊神」
十人衆の呼びかけ方を真似て、シャルルはすがるような声で、何もないところに話しかけた。
「赫燼尊神、お願いだ、あいつらの手を止めさせてくれ。みんな俺の仲間なんだ」
「十人衆に命じて、あいつらの手を止めさせてくれよ。あんたの言うことなら何でも聞くから」
意識の海と呼ばれる場所で、何度も何度も声を張り上げて頼み込んだ。
ようやく、現実のシャルルの体が動きを止め、眉を寄せてため息をついた。
シャルルの意識の奥に、再び赫燼の声が響いた。
「わかったわかった。もう叫ぶな。聞いてやる」
「俺の言うことなら何でも聞くというなら、神契を結ぼう」
「俺はあいつらの手を止めさせてやる。お前は今から十日間、俺の命令に逆らわない。いいか?」
赫燼の出した取引を聞いて、シャルルは驚いた。これほど話が通じるとは思っていなかった。さっき散々文句を言ったことがにわかに悔やまれ、二つ返事で承諾した。
「わかった。約束する」
その承諾を言い終えたとたん、意識の中で赫燼が激しく笑い出した。
「ははは、よし!」
突然、不思議な力に意識を縛られるのを感じた。そして意識の海に、激しく燃える炎の塊が見えた。
炎は次第に人の形を取った。炎の流れが渦を巻いて巻き毛の長髪となり、真紅の薄布が左肩から長く垂れ下がる。つややかな体は大半があらわになり、その肌を揺らめく火の光がゆっくりと流れていた。
その人影はゆっくりと歩み寄り、炎をまとう右手をシャルルに差し出した。
「あんたが……赫燼?」
答えはなかった。ただシャルルの左手を取り、指を絡め合わせた。
炎に包まれた自分の左手を見た。けれど、焼ける痛みは少しもなかった。
「さあ、俺に続いて言え」
「誓います」
シャルルは赫燼の目を見つめた。その双眸は、火をともしたルビーのように鮮やかに輝いていた。
呆然としたまま、赫燼に続いてその言葉を口にした。
「誓います」
言い終えた瞬間、意識の海がすべて、激しく燃え盛る炎に覆われるのを感じた。
まばたき一つの間に、シャルルは現実へ戻っていた。
そびえる神の塔と、ひざまずく十人衆が再び目に映った。
自分の両手がゆっくりと持ち上がり、胸の前まで来るのが見えた。
「では、神契を果たそう」
シャルルの体は独り言を言い終えると、胸の前で両手を合わせた。
手のひらが合わさるのと同時に、神の塔の下から無数の凄惨な悲鳴が上がった。
さっきとは違った。銃声はなく、途切れることのない絶叫だけがあった。
神の塔の下から高壇へ、幾重もの熱波が押し寄せてくるのを感じた。
「え?」
シャルルの体は宙に浮いたまま、ゆっくりと神の塔の下へ向き直った。
「神契は果たした。これで全員、手が止まったぞ」
さっきまで人で埋まっていた広場が、今は無数の炎に覆われていた。
炎の中には無数の悲鳴が渦巻いていた。少年たちの声も、衛士や修道女たちの声もあった。
けれど悲鳴が続いたのは、ほんの数秒だった。炎の温度が上がるにつれて声は消え、物の焼けるぱちぱちという音だけが残った。
広場にいた者は皆、猛り狂う炎に容赦なくのみ込まれた。逃れられた者は、一人もいなかった。
「赫燼!! 全部、あんたがやったのか?」
信じられないほど恐ろしい光景を前に、シャルルは怒りに燃えて叫んだ。
「そうだ。満足か? これでもう誰も手を出せない」
「赫燼、この野郎! 俺はみんなを助けてくれって言ったんだ! どうして全員殺した!」
「助ける? いやいや、親愛なる宿主よ。お前の頼みは、あいつらの手を止めさせることだったろう。お前の定めた神契を、俺は完璧に果たしたんだぞ」
赫燼の言葉は刃となって、シャルルの胸に突き刺さった。
そうだ。確かにあのとき、衛士たちの手を止めさせてくれと頼んだ。
けれど、手を止めさせるために全員を殺すなど、考えてもみなかった。
自分の言葉をねじ曲げた、この神を名乗る奴に飛びかかり、その顔を殴りつけたかった。
けれど今のシャルルには、自分の拳を握り締めることさえできなかった。
赫燼はシャルルの目を借りて下を見た。広場からすっかり動きが消えたのを見届けると、合わせていた両手を離した。
その瞬間、広場の炎はすべて、手品のように跡形もなく消えた。あれほどむごい大火など、初めからなかったかのようだった。
ただ、高壇の下から漂う焦げ臭さだけが、たった今そこで起きたことを皆に告げていた。
「人の言葉をねじ曲げやがって、このインチキ神!!」
「俺がみんなを助けたかったって、わかってたくせに!」
「ああ、わかってたさ」
赫燼はあっさりと答えた。
「一人ずつ助けるなんて面倒だろう。まとめて燃やせば、何もかも片づく」
「さて、お前の頼みは聞いた。今度はお前が神契を果たす番だ」
そう言って赫燼は、シャルルの顔に楽しげな表情を浮かべた。
「今、お前に命じる。『静かにしろ』」
「お前……」
その言葉を口にする前に、
喉に何かが詰まったような感覚がした。
意識の海の中でさえ、口から声が飛び出してこなかった。
(どうなってる? なんで声が出ないんだ?)
意識の海で、シャルルは口を開き、指を突っ込んで必死にかき回した。
喉に詰まった妙な違和感の正体を、かき出そうとした。
だが、どれほど探っても、何も見つからない。ただ吐き気がこみ上げるだけだった。
何より絶望的だったのは、えずく声さえ出せないことだった。
(これが神契? 意識の中でも、音一つ立てられないのか?)
「ははは!」
再び赫燼の笑い声が響いた。
「どうだ、小僧? 神契の味はなかなかのものだろう?」
「俺たち神でさえ、一度結んだ神契には絶対に背けない」
「だから、頼みを聞かなかったなどとはもう言うなよ。さっきお前が求めた『手を止めさせる』という頼みは、神契にも認められたんだからな」
意識の海で神契に縛られたシャルルを見て、赫燼は満足げに現実へ戻り、再び十人衆に向き直った。
「さて、神様商売の爺ども。俺は行くぞ」
言い終えると、赫燼の足元からまた熱波が生まれ、シャルルの体をさらに数尺押し上げた。
「尊神、今週はどのようなご予定でございましょう。我ら、おそばでお仕えいたします」
十人衆の先頭にいた者が、次第に高く昇っていく赫燼を仰ぎ、声をかけた。
赫燼はそれを聞いて、ただ笑った。
「結構だ。毎日お前らの老けた顔なんぞ眺めたくもない」




