第十一章 朝のお茶会(下)
シャルルは引いてもらった椅子を見ると、困り果てた顔でリリーに助けを求めた。
だがリリーはその目配せに気づかなかったように、首席祭司イレーナ・ベルモンが引いた椅子へ、さっさと腰を下ろした。
シャルルも仕方なく、腹をくくって座るしかなかった。
宴会場では、百人近い客がまだ各自の席の脇に立っていた。シャルルとリリーが二人とも腰を下ろして、ようやく次々に座り始めた。
シャルルはそっと辺りを見回した。
(すごいな。食堂だけで、こんなに人が入るのか)
自分たちのいる主卓のほかに、両脇には長い食卓が八つ並んでいた。侍従たちが配膳車を押してその間を行き交い、銀食器の触れ合う軽やかな音が時折聞こえた。
オースティンは主卓の脇に立ち、食堂の入口へ手を振った。
「マリオ、始めてくれ」
「かしこまりました、総督閣下!」
よく通る声が、扉の向こうから響いた。
続いて、くるりと跳ねた口ひげを蓄えた太った男が、胸を張って宴会場へ入ってきた。
真っ白な料理人の制服に、金色の星章を三つ下げていた。後ろには、銀の皿を捧げ持つ十人余りの侍従が続いていた。
シャルルの前に来ると、腕を交差させて両肩に手を置き、うやうやしく一礼した。
「尊き赫燼尊神! 総督邸の料理長、マリオ・ロッシでございます!」
「本日、この手で朝食をお作りできますこと、このマリオ・ロッシ、生涯の誉れにございます!」
話すたび、ぴょこぴょこと跳ねる口ひげを見て、シャルルは危うく吹き出しかけた。
(面白い顔の料理長だな)
マリオは身を起こすと、後ろの侍従へ指を鳴らした。
「一品目!」
侍従が一人進み出て、銀皿の蓋を取った。
「獲れたてのギンビレウオを十二時間かけて燻し、三硫諸島南部の海塩とレモンを添えました!」
マリオは右手の五本の指先を寄せ合わせ、口もとへ持っていって、ちゅっと口づけた。
「きっとお気に召していただけます」
シャルルは皿の魚を見た。
薄く切り分けた魚の縁は、ほんのり金色を帯び、脇には薄切りのレモンが添えられていた。
(見るからにうまそうだ)
食器を取り、小さく切った魚を口へ運んだ。
舌に触れた身は柔らかく、ほのかな燻製の香りがした。噛むと、レモンの酸味もかすかに感じられた。
「うま……」
うまいと言いかけ、すぐにリリーの言いつけを思い出して、続く言葉を無理やり吞み込んだ。
それでも、もう一切れ切らずにはいられなかった。
神域でも魚は食べたが、たいていは煮魚で、取り残された骨が混じっていることもあった。こんなに柔らかく、生臭みのない魚は初めてだった。
続けて二口食べるのを見ると、マリオの笑顔はいっそう輝いた。
胸を張り、二人目の侍従へ指を鳴らした。
「二品目!」
銀の蓋が上がると、濃厚なミルクの香りがたちまち漂った。
「ココナッツミルクの焼きパン! 今朝採れたばかりのヤシの実に、蜂蜜とバターを合わせ、三度にわたって焼き上げました。表面はさくさく、中は雲のようにふんわりと仕上げております!」
マリオはまた五本の指先を寄せ合わせ、軽く揺すった。
シャルルは気になって、一つ手に取った。
まだ温かく、軽く割るだけで二つになった。
一口かじった。
(これもうまい!)
蜂蜜の甘さにココナッツミルクの香りが溶け合っていた。外はさくさくなのに、中はほとんど噛むまでもないほど柔らかかった。
もう一つ取ろうとしたところで、またマリオの声が響いた。
「三品目! 若鳩の香草焼き!」
「四品目! ハムの蜜焼き!」
「五品目! 三硫諸島名物、黄金の卵黄焼きに添えますのは……」
一品紹介するたびに、侍従が銀皿をシャルルの前へ差し出した。
同時に、ほかの侍従たちも別の食卓へ料理を運び始めた。
何十人もの侍従が皿を手に、八つの長卓の間を往復していた。焼いた肉を切り分ける者、客に茶を注ぐ者。果物や菓子を満載した配膳車が卓のそばへ来ると、待ち構えていた侍従たちがすぐに取り囲んだ。
宴会場には、次第に会話が広がり始めた。
シャルルも自分に向けられる視線を気にするのをやめ、目の前の食べ物に専念した。
ハムを一切れ、若鳩の香草焼きを何口か食べ、小さな杯のココナッツミルクを飲み干すころには、もう少し腹が苦しくなっていた。
(これでまだ五品目?)
(あと、どれだけあるんだ?)
マリオの後ろの列を、そっと見た。
まだ四人の侍従が皿を持っていた。
シャルルはたちまち後悔した。さっき、焼きパンをあんなに食べるんじゃなかった。
だが、マリオは少しも止まる気がなかった。
「六品目!」
「七品目!」
料理が次々に卓へ運ばれるにつれ、シャルルの関心は食べ物からマリオへ移っていった。
この太った料理人は、料理を説明するときの表情が、あまりに豊かだった。
自慢の料理を語るときは目を閉じ、途方もなくすばらしい味を思い返しているような顔をする。香辛料の話になれば、五本の指先を寄せ合わせ、その風味が天にも地にも二つとないものだと言い立てずにはいられないらしかった。
(料理するときも、こんな調子なのか?)
シャルルは、へらを振り回しながら指先にキスするマリオの姿を、つい想像した。
たちまち口もとが緩んだ。
その笑顔に気づいたマリオは、尊神が自分の腕に大満足だと思い込み、ますます熱を込めて説明した。
やがて、最後の侍従の前に来た。
「さて、続きまして!」
マリオはわざと声を張り上げた。
「本日のお茶会を締めくくる、最後の一品でございます!」
銀の覆いの取っ手を握り、シャルルへ自信満々の笑顔を向けた。
「尊神、ぜひご賞味ください……私が最も自信を持ってお届けする、マルゲリータ・ピ……」
高らかな声とともに、銀の覆いが持ち上がった。
「マン――」
中を見たマリオの声が、突然途切れた。
皿を見下ろした。
焼きたてのピザが一枚、載っていた。
生地いっぱいに黄金色のチーズが広がり、何枚かのハムが散らされ、その間に、うっすら焦げ目のついた果物がいくつもあった。
マリオは目をぱちぱちさせ、こすった。
腰をかがめ、鼻を近づけて匂いを嗅いだ。
それから、薄いハムを一枚、指でどけた。
下から、黄金色のパイナップルが現れた。
マリオの口ひげが、びくっと震えた。
「マンマ・ミーア、これはパイ……」
皿を持つ侍従を見上げた。
若い侍従は慌てて目を伏せ、視線を合わせようとしなかった。
マリオはもう一度、下を見た。
(間違いない、パイナップルだ)
(マンマ・ミーア!)
(どこの罰当たりな馬鹿が、私の美しいピザにパイナップルを載せた?!)
一瞬で胸が詰まった。世界の終わりが来たかのようだった。銀の覆いを持つ手まで、震えが止まらなくなった。
(誰だ? よりによって、この最高の自信作をパイナップルのピザに変えたのは!!)
勢いよく振り向き、声をひそめて侍従を問い詰めた。
「誰が作った?」
今にも食ってかかりそうなマリオに、侍従は怯えて首をすくめた。
「そ……それは……」
「それは、何だ?」
「アイリーンお嬢様のご指示です」
マリオは固まった。
「お嬢様?」
今朝、厨房でパイナップルのピザを作ってほしいと言っていたアイリーンを、ふと思い出した。
(あの小娘、私に隠れて、本当にこの忌々しいパイナップルのピザを作るとは!)
「マリオ?」
オースティンの声が、ふいに響いた。
「説明はどうした?」
マリオは全身を強張らせた。
顔を上げると、主卓の面々がこちらを見ていた。
オースティンは眉をひそめていた。
「その最後の料理は、何というのだ?」
「こちらは……」
マリオは口をぱくりと開けた。
ピザを見下ろし、またシャルルを見上げた。
どう答えればよいのか、とっさにはわからなかった。
百人近い客の前で、こんなものを、自分の口でピザだと紹介しろというのか?
殺される方が、まだましだった!
だが、食卓に出してはならない料理だと尊神に申し上げれば、自分が厨房を管理できていないと認めることにならないか。
マリオの額に、焦りの汗がびっしりと浮かんだ。
そのとき、宴会場の脇の扉から、少女の声が届いた。
「お父様! その料理は、私が用意したの!」
一同は声の方を振り向いた。
「お父様! その料理は、私が用意したの!」
宴会場の脇の扉から、少女の声が届いた。
一同は声の方を振り向いた。
一人の少女がスカートを持ち上げ、足早に宴会場へ入ってきた。
淡い青の絹のドレスをまとっていた。体に沿う身頃には細やかな銀の模様が刺繍され、四角い襟ぐりには、白いレースが巡らされていた。
腰から自然に広がるたっぷりとしたスカートが、歩くたびに軽く揺れた。
肌は白く、ふっくらした卵形の顔には、まだ少し幼さが残っていた。笑うと両頬がわずかに膨らみ、とても愛嬌があった。
長い栗色の髪を後ろで結い上げ、耳もとには巻き毛が数筋垂れていた。髪には真珠の髪飾りを挿していた。
かなり急いできたらしく、片手ではまだスカートを持ち上げていた。主卓のそばまで来て、慌てて手を放した。
「アイリーン?」
娘を見たオースティンは、眉をひそめた。
「今ごろ、どうしたのだ?」
「ごめんなさい、お父様。さっきまで厨房にいたの!」
アイリーンは笑顔で答えた。
銀皿のピザを一目見てから、マリオにぱちりと目配せした。
マリオの口ひげが、激しく震えた。
(マンマ・ミーア!)
(お嬢様、なんてことをしてくださったんだ!)
オースティンは慌てて立ち、アイリーンをシャルルの前へ連れてきた。
「尊神、申し訳ございません。娘のアイリーン・ヴィレルでございます。幼いころから私が甘やかしたため、礼儀もわきまえず、どうかお許しください」
そう言うと、急いで娘に目配せした。
アイリーンはそこでようやく、まだ尊神に挨拶をしていなかったことを思い出した。
慌ててスカートを持ち上げ、腕を交差させて両肩に手を当て、軽く膝を折った。
「アイリーン・ヴィレル、赫燼尊神、六番閣下に、謹んでご挨拶申し上げます」
シャルルは、自分と同じ年ごろの少女を見て、軽くうなずいた。
顔を上げたアイリーンは、ちょうど彼と目が合い、白い頬をたちまち赤く染めた。
急いでうつむいたが、口もとが緩むのを止められなかった。
シャルルが怒っていないのを見ると、オースティンは少し安堵した。
「さあ、アイリーン、早く席へ戻りなさい」
「でも、お父様……」
アイリーンは銀皿のピザを見た。
「まだ尊神へのご紹介が済んでいないわ」
オースティンの笑顔が凍りついた。
「まだ何を紹介するというんだ?」
「もちろん、このパイナップルのピザよ!」
アイリーンはピザを指した。
「尊神のために、特別に用意したんですもの!」
「ふざけるんじゃない!」
オースティンは声を落とした。赫燼尊神の前でなければ、この大事な娘の頬を一つ叩きたいほどだった。
「尊神の朝のお茶は、当然マリオに任せてある。お前が口を出すことではない」
「でも、マリオは作ってくれないんだもの!」
アイリーンは思わず言った。
マリオは全身を強張らせた。
「お……お嬢様」
オースティンは眉をひそめ、料理長を見た。
「マリオ、どういうことだ?」
「総督閣下……」
五本の指先を固く寄せ合わせ、しばらく唇を動かしてから、マリオはようやく一言絞り出した。
「この料理は……私の料理の信条には、どうしてもそぐわないのです」
「総督閣下! ピザは我が祖国の最も偉大な料理の一つです。そこへパイナップルのような果物を載せるなど、どうしてできましょう!」
話すほどに熱が入り、知らず知らず両手を振り回し始めた。
「マンマ・ミーア! こんなことは、ピザへの、そして料理人としての私の誇りへの冒瀆です!」
オースティンの顔が、さっと険しくなった。
「マリオ!」
太った料理人は、はっと口をつぐんだ。オースティンは急いでシャルルを見た。
「尊神、どうかお許しください。マリオは料理にこだわりすぎるだけで、決して無礼を働くつもりではございません」
シャルルは、じつのところ何もまずいとは思っていなかった。
ただ、この料理人の話しぶりは本当に面白いと思っていた。
(生地に果物を少し載せただけだろう? そんなに熱くなることか?)
だが、アイリーンは納得しなかった。
「尊神はまだ召し上がってもいないのに、どうしておいしくないってわかるの?」
「お嬢様! おいしいかどうかの問題ではないのです!」
「じゃあ、何の問題?」
「それは……」
マリオは口を開き、また閉じた。
まさか赫燼尊神の前で、さらに冒瀆だ何だと言い立てるわけにもいかなかった。
答えられないのを見て、アイリーンは得意げに笑った。
それから、シャルルへ顔を向けた。
「尊神、お味見いただけますか?」
シャルルは皿のピザを見下ろした。
神域でも似た焼きパンは食べたが、たいてい載っているのは肉とチーズだけだった。こんなふうに果物を敷いたものは、初めて見た。
(パイナップルって、こうやっても食べるのか?)
そういえば、神域で食べたパイナップルパイという菓子は、確かにおいしかった。
(パイナップルパイがあれだけうまいんだ。これだって、そうまずくはないだろう)
そう考え、シャルルはピザを一切れ手に取った。
マリオの目が、たちまちまん丸になった。
アイリーンも急いで口を閉じ、スカートを両手で握り、緊張した面持ちでシャルルを見つめた。
シャルルは一口かじった。
焼きたてのピザはまだ温かく、噛み切ったチーズが細い糸を長く引いた。
ハムは少し塩辛く、パイナップルは甘酸っぱかった。噛むと果汁が弾け、チーズと一緒に口いっぱいに広がった。
シャルルは何度か噛んだ。
(おや?)
もう一口かじった。
(うまい!)
さっきまで少し苦しかった腹に、またいくらか隙間ができたようだった。
ほどなく、一切れを食べ終えた。
アイリーンが緊張した声で尋ねた。
「尊神、いかがでしょうか?」
シャルルは危うく、うまいと口走りかけた。
幸い、口を開いたところで、先ほどのリリーの言いつけを思い出した。
(また忘れるところだった!)
急いで口を閉じ、アイリーンへうなずいた。
アイリーンの目が、ぱっと輝いた。
「お気に召しましたか?」
シャルルはもう一度うなずいた。
それから手を伸ばし、二切れ目を取った。
アイリーンは、もうこらえきれなかった。
「よかった!」
嬉しさのあまり、その場でくるりと半回転した。スカートがふわりと広がり、後ろの侍従にぶつかりそうになった。
オースティンは急いで娘を引き止めた。
「アイリーン! はしたないぞ!」
「ごめんなさい、お父様!」
慌てて姿勢を正したが、顔の笑みはどうしても消せなかった。
マリオを振り向いた。
「どう? おいしいって言ったでしょう!」
マリオは唇を引き結び、答えなかった。
だが、ぴくぴくと引きつる口ひげが、心の不満をすっかりさらけ出していた。
アイリーンはその顔を見て、わざと重ねて尋ねた。
「それなら、これからはパイナップルのピザを作ってくれる?」
「作りません!」
マリオはきっぱりと言い切った。
胸の三つ星の徽章を軽く叩いた。
「お嬢様、私は信念のある料理人です!」
「本当に、頑固なおじさんなんだから!」
アイリーンはマリオにおどけた顔をしてみせた。
マリオは意に介さず、むしろ胸を張った。
「お褒めにあずかり、光栄です、お嬢様!」
そう言うとシャルルに一礼し、主卓の脇の配膳車のそばへ下がった。
アイリーンもようやく、それ以上困らせるのはやめ、スカートを持ち上げて自分の席へ戻った。
シャルルは二人を見比べ、心の中で笑わずにはいられなかった。
(はは、この二人、本当に面白いな)
総督邸の人間は皆、オースティンのように恐る恐る話し、何かというと頭を下げて礼をするものだと思っていた。
アイリーンやマリオのような者もいるとは、思いもしなかった。
普通に話ができたら、きっと面白いだろう。
そう考え、シャルルはまたリリーを見ずにはいられなかった。
彼女は卓いっぱいのご馳走にも、さほど興味がなさそうだった。ただ、野菜のサラダを少し、何気なく皿に取っただけだった。




