交渉
目を覚ましてからどれほど時間が経ったのか、シュラには分からなかった。
海底の家には朝も夜もなく、丸い水晶窓の向こうはいつ見ても深い青に包まれていた。
寝台から身体を起こすと、前より頭が軽い。
起き上がったところで行く場所はないのでシュラは毛布を膝へ掛けたまま、ぼんやりと窓を眺めていた。
「腹は減ってねぇか?これは甘くてこっちは酸っぱい、これは噛むと煙が出る。もし苦手なものがあれば教えてほしい」
オクタヴィアが持っている銀色の皿に、見慣れない果実がいくつか載っていた。
「……結構です。食べる必要性を感じません」
魔女はそれ以上無理に勧めず、皿を棚へ置きシュラの正面に座る。
長い髪が揺れて床へ長く伸びた。
「じゃあ、本題に入ろう。お前の髪と、ワタシのコレクションを交換してほしい。お前の髪があまりに綺麗なので欲しくなった。ワタシのコレクションに、ちょうどいい水色の髪がある。これと交換してくれたらお前を生きて陸に帰れるようにしてやる」
シュラは自分の髪へ手を伸ばし、指の間を赤い髪が滑る。
母に結ってもらったこともある、幼い頃から大切にしてきた髪だった。
舞踏会の日には、侍女が時間をかけて整えてくれた。
今となってはどうでもいい話だ。
「お断りします。帰りたくありませんので」
「戻りたくねぇのか?家族が心配しているだろう?言っておくがワタシはここでお前を世話し続けるつもりはない。交渉に乗ってこないなら放り出すだけだ、魚の餌にでもなれ。それともワタシが八つ裂きにしてやろうか」
「構いません、一思いにどうぞ。心配してくださるような家族なら、あれもこれももっと早く気づいてくださったでしょう」
淡々とした声だった。
オクタヴィアは困惑した様子で瞬きをした。
「苦労してきたんだな……うーん、どうしたものか」
オクタヴィアは水色の髪の瓶を棚の一番手前へ置いた。
オクタヴィアは別の棚の前へ進むと、自身の髪を片手で払い瓶を一本取り出した。
「どうしても欲しい、けど奪うのは最終手段にしたい。別のものを見せてやるから交換したいものがあれば教えてほしい」
魔女は瓶の栓を抜いた。
中には、淡い紫色の液体が入っている。傾けると、液体の中で小さな光が星のように瞬いた。
「これは飲んだ者の声を一日だけホウボウの鳴き声に変える薬」
オクタヴィアは次々と瓶を取り出していく。
「人魚謹製、不老不死の薬!……はいらねぇか。こっちは飲むと全身の色素が抜ける。そっちは三時間だけホヤに変身できる。これは魚の切り身に塗るとそのまま泳ぐようになる。まだまだあるぞ」
「ずいぶん種類がありますのね」
魔女の目が輝いた。
棚の奥から取り出された箱には、身体のパーツがいくつも並べられていた。その一つには金色の瞳が封じ込められ、別のものには小さなツノのようなものが二本。さらに奥には、指先ほどの青白い骨や、虹色に光る鱗まである。
「全部……本物ですの?」
「もちろん! 全てワタシが集めた」
得意げなオクタヴィアは心の底から楽しそうに、早口で語り始めた。
「これはエルフの耳でこっちは人狼の尻尾だ。このピット器官は蛇人のものだ、暗闇でも熱を見分けられる。こっちのツノはある山羊の獣人のもの、折れたあとも膨大な魔力が残っていてな。こいつは半魚人の鱗、欲しけりゃくれてやるぞ、20個もあるから。あっそうだこれは是非見てほしい、ある魔女狩りの眼球だ。元の持ち主はこいつでワタシを石にするつもりだったらしい、ワタシはそんな珍しい特異体質の人間がわざわざここまでやって来てくれたことがそれはもう嬉しくて嬉しくて! すぐに拝借してそれ以来大切にしまってある、昨日のことのように思い出せるな。あ、でもよく考えたらこれを手放すのはさすがに惜しいな。悪い、これは渡せない。今の話は聞かなかったことにしてほしい。こっちはどうだ、鳥人の翼。ドワーフの腕、これもオススメだ。力持ちになれるはずだ。それからそれから――」
「ずいぶん楽しそうですわね」
ぴたり、とオクタヴィアが止まった。
「……そうか?」
「ええ」
シュラが初めて少しだけ口元を緩める。
オクタヴィアは気まずそうに咳払いをすると、今度は大きな瓶を取り出した。
「これは人間の魔術師の心臓! いやあ今見ても美しいな、これにしたらどうだ? 魔法の才能も得られるし。こっちは蛇人の抜け殻。こいつは……」
「まだあるのですか」
「あるぞ! 山ほどある」
棚を見れば、瓶、箱、水晶、骨、鱗、髪、牙。
奇妙な品々が青い海の光を受けている。
恐ろしいはずなのに目が離せなかった。
「どうして、こんなものを集めているのですか?」
シュラが尋ねると、オクタヴィアは少し考えた。
「生き物の身体は美しいだろう? 集めるのがワタシの生き甲斐なんだ」
オクタヴィアは瓶を胸元へ抱えた。
その顔は魔女というより、宝物を見つめる少女のようだった。
シュラは海底の奇妙な家で初めて、ここにいる理由を知りたいと思い、小さく息を吐く。




