招待状
朝の広場には昨夜までの雨が残した水たまりがいくつもあり、石畳の隙間から冷たい空気が立ちのぼっている。
それでも、広場の中央には人が集まっていた。
「王国一座、ル・シルク・ド・ルージュゴルジュ!」
呼び込みの声が響き、旗が風にはためいて太鼓が鳴る。
シュエットが次々と燃える輪を投げ、パンソンがその下を走り抜ける。
トーロが巨大な鉄球を軽々と持ち上げれば、観客から歓声が上がった。
最後に、幕の向こうから運ばれてくる水槽の中でシュラが歌い始めた。
一音目が広場へ落ちた瞬間、水面が細かく震える。
潮の香りと、屋台から漂う焼き菓子の甘い匂いが混ざった空気の中へ、澄んだ歌声が伸びていった。
曲が終わるとまるで広場が拍手で爆発したようだった。
「人魚さん! もう一曲!」
「王国一座、最高!」
拍手が波のように押し寄せ、シュラは水槽の縁へ手を置いた。
ここでは客席の一人ひとりの顔が見える。
笑っている子供、肩を寄せ合う恋人たち、手を叩きすぎて赤くなった老人、そのすべての視線が舞台の上にいる自分へ向けられている。
「ありがとうございました」
シュラが頭を下げるとまた拍手が起き、幕が閉じる。
裏へ戻ったシュラを、ルージュゴルジュが待っていた。
「お疲れさん! 本日の客入りも満員だ。今月に入ってから空席を見た覚えがない!」
団長が胸を張り、パンソンが横から顔を出した。
「僕、最近お客さんの顔を覚えてきたよ! 昨日も一昨日も最前列にいたおじさん、今日もいた! 『幸せをありがとう』『一生涯推す』って書かれたうちわを持って号泣してたよ」
「それは結構なことですわね、もはや団員ですわ」
シュラが淡々と言うとパンソンが吹き出し、団長も笑う。
笑いが収まったところで、団長は一枚の紙を取り出した。
「それでな。今日は別の話がある。王都の興行管理局からだ。先日の公演記録と今年の興行収入を審査した結果、今年度の王国内における興行収入第一位を、我が一座が記録した」
紙には王家の紋章が押されておりシュラの指が止まる。
「……正式な書状ですの?」
「そうだ」
「……第一位? 王国で?」
アルエットが聞き返す。
「そうだ」
トーロが腕を組む。
「一番?」
「一番だ!」
団長が叫び、パンソンが飛び上がった。
「一番だって!」
シュエットまで片手を高く掲げる。
「やったな!」
グリヴも笑い、その笑顔を見ながらシュラは書状へ目を落とした。
この一座の舞台を見たいと思った人間が、それだけいたということだ。
誰かが金を払い、時間を作り、わざわざ足を運んだことが誇らしく、シュラは書状をそっと指でなぞった。
「……ここまで来ましたのね」
「おう! お前が来てから、客が増えた。だがな、シュラ」
団長の声が少し低くなる。
「それだけじゃない。みんなが舞台を良くしようとしたから、ここまで来たんだ」
周囲を見ると、グリヴは義足の留め具を直している。
シュエットは新しい道具を磨き、アルエットは汗を拭きながら笑っている。
トーロは鉄球を抱えたまま、満足そうに頷いていた。
「ええ。存じていますわ」
そのとき、団長がもう一通の封筒を差し出した。
今度は、見覚えのあるタイムアタック家の紋章だった。
「……まさか」
「その、まさかだ」
団長が封筒を開く。
「先日の営業で話していた結婚式の余興。正式な招待状が届いた」
シュラは書状を受け取った。
上質な紙、金の縁取り、祝宴の日付、会場の名、そして余興を担当する一座として、正式にル・シルク・ド・ルージュゴルジュを迎える、と記されている。
書状の末尾には、結婚式当日の集合時刻と、演目の確認を行うための連絡先まで記されていた。
ただの候補ではなく、もう決定事項なのだ。
「本当に……わたくしたちが呼ばれたのですわね」
「だから言っただろう。王国一だって!」
団長が豪快に笑い、団員たちからも声が上がった。
「あの屋敷で演じられるのね」とアルエットが笑えば、パンソンは「今度はもっと大きな火の輪を!」と拳を握る。
シュラはその声を聞きながら、書状を胸へ押し当てた。
文字が滲んだように見え、シュラは瞬きをする。
「シュラ?」
アルエットの声。
「……何でもありませんわ」
あの日、自分を切り捨てた二人が、最も華やかな場所に立ち、そしてわたくしも人魚の歌姫として、王国一のサーカス団の一員としてそこへ行く。
誰にも追い払われることなく、わたくしの尾で舞台へ上がる。
団長が尋ねた。
「どうする?」
シュラは書状から顔を上げた。
「もちろん、受けます。わたくしは、あの舞台に立つためにここまで来たのですもの」
団長が黙ってシュラを見るとその目には、いつもの舞台への熱とは違うものがあった。
シュラは衣装の内側へ手を入れる。
指先に触れた冷たい小瓶を握った。
「団長。わたくしは、最後まで舞台を成功させますわ」
「当然だ」
シュラは水槽の向こうに広がる広場を見て、小瓶を衣装の内側へ戻した。
その瞳から迷いが消えていく。
「……必ず」
その一言だけが、誰にも聞こえないほど小さく、しかし確かな声で落ちた。




