嫉妬
稽古が始まっても、シュラの視線は何度も倉庫の奥へ向かった。
「シュラ、歌の入りは昨日より半拍早く」
ルージュゴルジュの声に、シュラは顔を上げた。
「分かっていますわ」
譜面へ目を戻し声を出す。
旋律は乱れなかったが、頭の片隅では昨夜の光景が何度も繰り返されており、シュラは歌を止めた。
「団長。昨日の片づけについて、もう一度確認させてくださいませ」
ルージュゴルジュはすぐに稽古を止めた。
「いいだろう」
団員たちが集まり、シュラは衣装箱を中央へ運んだ。
「薬は、わたくしが最後に見ました。その後、ここへ触れた者がいるはずです」
「でも、昨日は全員が片づけに入っていたぞ」
「ええ。ですから、誰がどこを担当していたのかを確認しますわ」
シュラは床に置かれた道具を一つずつ見た。
「シュエット様。あなたは最後に戸締まりをしましたわね。その前に、倉庫の奥へ行きました?」
シュエットが頷く。
「うん。道具箱を戻しに一度だけ」
「衣装箱には?」
「触ってない」
次にシュラはグリヴを見る。
「グリヴ様。あなたは? 衣装箱の近くを通りましたか?」
「通った。でも箱は触ってないよ」
「アルエット様、あなたは?」
「わたしも箱は触ってないわ。トーロ、パンソン、あなたたちもそうよね?」
「パンソン、一緒」
「そうだよ、僕たちも触ってない」
答えはおおむね昨日と変わらない。
最後にシュラは、衣装箱の蓋へ指を置いた。
「では、これを見てくださいませ。金属か何かで擦った跡ですわ」
蓋の裏側に、小さな傷があった。
「……なんだ、これ?」
団長が顔を寄せ、シュラは傷の端を指先でなぞった。
さらに二重底の隙間を見ると、そこに細い銀色の糸が引っかかっていた。
「これ、服、糸か?」
トーロが覗き込むが、シュラは首を横に振った。
「違います。衣装の銀糸なら、もっと光を反射しますわ。これは舞台用の綱に使われる糸に近い」
シュエットが眉を寄せた。
「でも、綱は昨日みんな触ってるよ」
シュラは糸を摘まみ上げた。
「瓶はここから持ち出された。それだけではありません、誰かが二重底を開け瓶を取り出した。その際に蓋の内側を擦り、糸を引っかけたのです。紛失ではありません、盗まれたのです」
シュラは団員たちを見回し、倉庫が静まり返った。
潮風が窓から入り、吊された布を揺らす。
パンソンが小さく唾を飲む。
「じゃあ……盗んだ奴が、この中にいるってこと?」
「わたくしはそう考えています」
シュラの声が倉庫に落ち、団員たちの視線が一斉に動いた。
互いの顔を見て、疑うことを恐れるようにすぐ目を逸らす。
「待ってくれ、決めつけるには足りないだろう」
ルージュゴルジュが低く言った。
「承知しています。だから、もう一つ確認します」
シュラは銀糸を見つめ、グリヴの前まで歩いた。
「グリヴ様。昨日、あなたは衣装箱の近くを通ったと言いましたわね。そして今、あなたの衣装の裾を見せてくださいませ」
グリヴの肩がわずかに揺れた。
「……どうして?」
「見せてください」
グリヴが裾を持ち上げるとそこには、細い銀色の糸が一本、ほつれていた。
シュラが衣装箱から取った糸を並べると、長さも、撚り方も一致している。
アルエットが息を呑む。
「グリヴ……?」
「待って、あたしがやった」
グリヴが血の気の引いた顔で手を上げた。
パンソンが目を見開く。
「グリヴ姉ちゃん……?」
グリヴは唇を噛んだ。
「昨日、片づけの途中で衣装箱を動かした。底が二重になっているのに気づいたんだ。中に瓶があった。中身は分かんないけど、シュラがいつも何か大切そうに持ってる物があるのは気づいてたから。なんでわかったの?」
「勘です」
「えぇ……」
シュラは胸を張り、グリヴは困惑した。
「なぜ盗んだのです?」
「シュラが羨ましかったんだ」
グリヴの義足が、床を小さく鳴らした。
「シュラが頑張ってるのは知ってるよ。でも、あたしもたくさん努力してきたんだ。シュラは人魚だから、珍しいからってすぐ人気者になっちゃった。シュラが来る前はあたしが花形のスターだったのに。羨ましくて、邪魔したくなって、魔が差しちゃった。ごめんなさい。本当は瓶の中身を飲んじゃおうかとまで思ったけど、流石にそれは良心が咎めてやめた。よく考えたらよく分かんないものを飲むのもどうかと思うし」
「賢明な判断ですね、ほら、扱いの難しい薬なので……ところで薬はどこですか?」
グリヴは自分の衣装箱を指した。
「中にあるよ」
開けると布に包まれた小瓶が出てきた。
灰色の液体の中で、黒い粒がゆっくりと揺れている。
シュラが小瓶を手に取ると、冷たいガラスが掌に食い込む。
「団長、団員の掟はございますが薬が手元に戻りましたのでわたくしはグリヴ様の処罰を望みません。それでよろしいですか?」
「いいだろう。グリヴ、シュラがああ言ってるから今回は不問にするが、もう変な気は起こすなよ。それと、悔しければ芸で見返せ」
グリヴが顔を上げる。
「……ごめんなさい」
シュラは小瓶を衣装の内側へ戻し、団員たちを見回す。
港の鐘が鳴り、団員たちは稽古に戻って行った。
シュラはグリヴを呼び止めた。
「グリヴ様。あなたに折り入ってお願いしたいことがございます」




