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婚約破棄排泄ゼリー〜復讐者が幸せになっても、いいですか〜  作者: 佐村河内ちゃっぴい


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12/22

消えた薬

稽古場には、昨夜までの熱気がまだ残っていた。

床には細かな木屑が散り、壁際には使い込まれた道具が並んでいる。

窓を開けても港から潮の匂いが流れ込むだけで、湿った空気はなかなか抜けず、シュラは水槽の中で譜面を確認していた。


「ここから、もう少し早く入りますわ」


「了解!」


アルエットが綱の上から返事をする。

グリヴは空中ブランコの金具を締め、トーロは鉄球を磨いていた。

パンソンは床に座って靴紐を結び直し、シュエットは片腕で道具箱を運んでいる。

昨日までと変わらない光景だからこそ、最初の違和感は小さかった。

シュラが胸元へ手を伸ばしたとき、その指先が空を掴んだ。

小瓶は衣装の内側、誰にも見せない小さなポケットにあるはずだった。

シュラはもう一度探ったが、指先が布の奥を滑る。

やはり、ない。


「シュラ? どうしたの?」


アルエットが声をかけた。

シュラは水槽の縁へ手を置き、身体を起こす。


「団長を呼んでくださいませ」


低い声だった。

呼び出されたルージュゴルジュは、倉庫の奥にいた。


「どうした?」


「わたくしの薬がありませんの」


団長の顔から笑みが消えた。


「……どこに置いていた?」


「わたくしの衣装箱の、二重底です」


シュラは衣装箱を運んできた。

古びた木箱の表には舞台衣装が何着も入っている。

裏返した底板の下には薄い布を敷いた小さな空間があり、そこに小瓶を隠していた。


「昨日の稽古が終わった後、ここへ戻しましたわ」


シュラが底板を外すと何もなかった。

布には、瓶を置いていた丸い跡だけが残っている。


「箱そのものに鍵はありません。ただし、二重底はわたくし以外には見つけにくい構造です」


シュラは布を指でなぞった。

灰色の液体がこぼれた跡も、瓶が割れた形跡もない。

蓋だけが残っているわけでもなく、ただ瓶だけが消えている。


「誰かが持ち出したのかもしれません」


パンソンが靴紐を結ぶ手を止め、トーロは磨いていた鉄球を床へ置いた。

グリヴは空中ブランコから降り、シュエットも道具箱を脇へ置いた。


「盗まれたってこと?」


アルエットの声が小さくなる。


「まだ断定はできませんが、少なくとも自然に消えたとは考えられません」


シュラは答え、団長が腕を組む。


「最後に見たのは?」


「昨日の夜です」


シュラは記憶を辿った。

稽古が終わったあと、団員たちは皆それぞれの道具を片づけていた。

シュラは一人で衣装箱を開け、薬を確認した。

その時には確かにあった。


「最後に見たのは、わたくしですわ。その後、倉庫の奥に置きました」


団長がそこへ歩いていくと、衣装箱が置かれていた場所には薄く埃が積もっており、シュラは目を細めた。


「……おかしいですわ。昨日、ここにはもっと道具が置かれていました」


周囲を見ると、縄、木箱、古い幕など、いくつかの道具が移動している。


「稽古の後、片づけたからな。みんなでだ。薬の存在を知っている者は?」


団長が尋ね、シュラは少し迷った。


「……わたくしと、団長だけですわ。薬について詳しく話したことはありません」


団長が周囲を見ると、団員たちは互いの顔を見ていた。


「じゃあ、誰が?」


パンソンが呟くが、誰も答えなかった。

シュラは衣装箱の中を一着ずつ調べた。

布地、装飾品、小道具、箱の蓋にも何も異常はなかった。


「鍵がないなら、誰でも触れられたんじゃない? それにどこかに落っことした可能性もある。団員の誰かが持っていったって決めつけるのは早いよ」


グリヴが言う。


「そうなりますわね」


シュラが頷いたそのとき、シュエットが倉庫の入口を指した。


「そういえば昨日の夜、帰る前に俺が戸締まりを確認した。その時、扉はちゃんと閉まってたよ」


全員が振り向く。


「外から侵入した可能性は?」


アルエットが聞くとシュエットは首を横に振った。


「窓は全部内側から掛かってた。裏口も同じ」


団長が眉を寄せた。


「つまり、盗んだ奴は、昨日の夜にここへ入れた人間か」


シュラが床を見ると、埃の上にいくつかの靴跡がある。

だが、これは稽古で何人も歩き回った後で、新しいものと古いものの区別がつかない。


「……これでは、何も分かりませんわ」


言葉とは裏腹に、シュラの目は鋭かった。

胸元へ手を当てると、そこにはもう何もない。


「団長、今日の稽古は予定通り行いますわ」


団長が目を見開く。


「この状況で?」


「だからこそです。犯人が誰であれ、わたくしたちが騒げば警戒されます。まずは、昨日ここにいた人間と、薬の保管場所へ触れられた時間を整理しますわ」


シュラは衣装箱を閉じ、団長は頷く。


「分かった、俺も調べる。ただし、一人で抱え込むなよ」


「ありがとうございます」


シュラは倉庫の隅に目を向け、昨日までそこにあった小瓶の姿を思い浮かべる。


「……必ず見つけます」


そのとき、倉庫の外から港の鐘が鳴り、団員たちが稽古へ戻っていく。

シュラも水槽へ身体を戻したが、譜面を開いても文字は頭に入ってこない。

ふと水槽の底へ目を落とすと、水面に映った自分の顔がいつもより遠く見えた。

切り札は消え、その行き先すら分からない。

シュラは譜面を閉じた。


「誰が持っていったのでしょうか……」


シュラは水槽の縁を爪が白くなるほど強く握った。

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