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第3話:折れなかった刃

カン、カン、と高い鉄の音が、夕暮れの街外れに響いていた。


『バロウ鍛冶工房』。


すすで黒く汚れた看板の奥では、一人の大柄な青年が、真っ赤に焼けた鉄を一心不乱に叩いていた。エレナが敷居を跨いで中へ入ると、青年はピタリとつちを振るう手を止め、ひどく不機嫌そうに、邪魔者を見るような鋭い視線をこちらへ向けてきた。


「……何の用だ。うちは冒険者のオーダーメイドは受けてねえよ。他を当たってくれ」


ぶっきらぼうで、地を這うような声。エレナは何も言わず、灰色の外套コートの袖から、腕に抱えていた重い布の包みを、作業台の上にそっと置いた。


結び目を解き、滑り落ちた布の隙間から、刃こぼれだらけで無骨な、あの黒い血の乾いた大剣が姿を現す。

青年の目が、驚愕に大きく見開かれた。


「これは……」


青年の視線が、大剣の歪んだつばと、不格好に膨んだ柄の形状に釘付けになる。その目には、あからさまな動揺と、信じられないものを見たという戸惑いが浮かんでいた。


「……なんで、あんたが、これを……」


「冒険者ギルド遺品管理室のエレナと申します。……ガルガン・バロウさんの遺品を、お届けに上がりました」


ガルガン、という名前が出た瞬間、青年の顔は目に見えて激しい嫌悪に険しくなった。しかし、彼の目はやはり、作業台の上の大剣から離れられない。彼は持っていたハンマーを床へ乱暴に放り出すと、大剣を指差しながら、声を荒らげた。


「死んだか……! あのろくでなしが、ついにどこかの穴底でのたれ死んだんだな! だが……なんであいつがこの剣を持ってやがるんだ! これは、俺が昔、初めて打って……バランスも、刃の厚みもめちゃくちゃで、使い物にならねえ失敗作だって、俺が裏のクズ鉄置き場に放り捨てた大剣だぞ!」


バロウ――ガルガンの息子は、激しい息を吐きながら大剣を睨みつけた。煤に汚れた彼の大きな拳が、怒りと、それ以上に脳内を駆け巡る混乱のせいで、ガタガタと細かく震え始める。


「あいつは俺が子供の頃から酒に溺れ、お袋が死んだ時だってダンジョンに潜ってやがった! 家族の事なんかこれっぽっちも考えてねえ、最低のろくでなしだ! なのに……なんで、あんな奴が、俺の捨てた失敗作なんかを……っ」


息子の言葉は、鋭いトゲだらけだった。しかし、その怒号の裏には、裏切られ続けた子供のような、どうしようもない寂しさと痛みが張り付いていた。


まともな言葉を紡ぐ余裕など彼にはなく、ただ感情のままに父親への疑問と呪詛をまくし立てる。

エレナはゆっくりと、作業台の前に立ち尽くすバロウの前へと近づいた。


彼女の背中には、さっきの追体験で受けた、肉を引き裂かれ脊椎を削られた灼熱のような痛みの残像が、今もジクジクと熱い鉛のように暴れている。内臓を貪り喰らわれた絶望的な恐怖の余韻に、気を失いそうにすらなっていた。


だが、エレナの顔には、迷いのない穏やかな、澄んだ「真顔」が浮かんでいた。


「バロウさん。ギルドの一階の人間は、ガルガンさんを『ゴブリンに不覚を取ったお荷物』だと言いました」


エレナはそっと、大剣のボロボロに欠けた刃に手を添えた。


「でも、違います。彼は迷宮の二層で、全滅しかけていた若い三人組の新人パーティーを逃がすために、たった一人で狭い一本道に立ち塞がったのです。背中をズタズタに引き裂かれ、無数の刃に刺されながらも、彼は若者たちが安全な扉の向こうへ逃げ切るまで、一歩も引き下がらなかった」


バロウの身体が、息を呑んだようにピクリと強張った。


「嘘を言うな……。あいつが、そんな立派なこと……っ」


「嘘ではありません。彼は最後まで、命を懸けて他人の盾になり続けた、立派な戦士でした。 ガルガンさんは、あなたが捨てたこの大剣を、ずっと、大切に使い続けていたのです」


エレナはバロウの大きな、マメだらけの手を取り、強引にその大剣の柄へと握らせた。


「この剣は、ガルガンさんが最期の瞬間に、愛おしそうに両手で抱きしめていたものです。彼は、あなたに代わって、これを届けにいく私に……最高の言葉をのこしてくれました」


エレナは目を閉じ、自身のサイコメトリーの力を、バロウの手を通じて彼へと優しく繋いだ。

その瞬間、バロウの身体がびくんと大きく震えた。


「……っ!?」


バロウの口から、言葉にならない短い息が漏れた。

涙で濡れた視線を、自分が握る大剣の柄へと何度も落とす。


それは錯覚ではなかった。刃こぼれだらけの冷たい鉄の表面から、じんわりと、驚くほど温かい「誰かの体温」が、彼の掌を通じて心臓へと真っ直ぐに染み込んできたのだ。


生前、酒臭い息を吐きながらも、自分の打った不器用な大剣をじっと見つめていた父親の、あの大きな手のひらの温もり。どこまでも深く、自分を誇らしく思ってくれていたガルガンの本当の心の気配が、確かにそこにあった。


直接言葉が聴こえたわけではない。しかし、鉄を通じて、父親の魂の叫びが、青年の胸の奥に津波のように流れ込んできた。


『お前の打った剣は、最後まで折れなかったぞ。……良い職人になったな、自慢の息子だ』


「あ……、あ、う、おやじ……親父ぃ……っ!!」


バロウの目から、大粒の涙がボロボロと溢れ出した。

青年はボロボロの大剣を、まるで小さな子供のように、狂おしいほど強く胸に抱きしめ、作業台に突っ伏して声を上げて泣き崩れた。


鍛冶場の赤々と燃える火に照らされながら、彼は大剣に顔を擦り付け、子供のように嗚咽おえつを漏らし続ける。


「……なんでだよ。あれは、俺が初めて打って、まともに切れねえからって捨てたゴミクズだぞ……? なんであんなろくでなしが、ずっと肌身離さず持ってやがんだよ……っ。……折れなかったのかよ、親父。俺の打っためちゃくちゃな鉄が、お前を最後まで守れたのかよ……っ! ああぁぁあああ、親父、親父ぃ……っ!!」


青年の目から溢れる涙が、錆びた刃の血を洗い流すように滴り落ちていく。しかし、その口元は、父親の本当の愛と誇りを確かに感じ取ったことで、震えながらも小さな救いの微笑みを浮かべていた。


青年は、父親の形見である大剣を自分の両腕でしっかりと抱き寄せ、その重みを胸に噛み締めていた。その瞳には、父親の誇りを胸に、この鍛冶場で再び鉄を叩いて生きていくという、確かな強さが宿っていた。


青年は涙を流しながらも、ガルガンの愛に完全に包まれ、長年の憎しみと絶望から、ようやく本当の笑顔を取り戻したのだ。


エレナはそれ以上、何も言わなかった。

泣き続ける息子の背中に静かに一礼すると、足音を立てずに、静かに鍛冶場を後にした。



すっかり陽の落ちた街路。夜風が、火照ったエレナの頬を冷たく撫で、夜霧を連れて通り抜けていく。

彼女の腕には、もうあの重い大剣はない。けれど、まだ感覚の戻りきらない両腕には、あの暗闇でガルガンが叫び続けた絶叫の残像が、ジクジクと熱い鉛のように残り続けていた。


一階のまばゆいロビーを歩く誰もが知らない、迷宮の底の地獄。死者が遺したかった美しい言葉だけを地上にすくい上げ、その裏にある無惨な現実を、自分一人だけで暗い地下室の底へと連れていく。


エレナは街灯の届かない夜道を歩きながら、自分の右手の薬指にはめられた、一本の古びた銀の指輪を左手でそっと撫でた。


その冷たく、しかし確かな硬質な感触を愛おしそうになぞりながら、彼女は夜空の向こうへと視線を向ける。もう何年も帰ってこない恋人の、不器用で優しかった笑顔が、暗闇の中に静かに浮かび上がった。


彼はおそらくもう、世界のどこにもいない――冷徹な現実を前にした強い覚悟と、それでも一筋だけ残る「どこかで生きていてほしい」という切ない祈りが、彼女の胸を締め付ける。


(もし、あなたのその時が来ても……私は絶対に逃げないから)

彼が残していった鉄の重みを指先で確かめると、[エレナ]は指輪をそっと握り締め、あの薄暗いギルドの地下室へと、確かな足取りで階段を降りていった。



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