~リーンの人探し~
翌週の最後の平日。あと二回週末を過ごせばもうすぐに資格試験が行われるという頃。
「レイチェル教頭なら今日は留守だよ」
リーンの光魔法の授業を受けもっている女性――マーズ教官が低めの声で言った。交代で保健室も兼任しているため、白衣を着ていることが多い。長い髪を無造作に下ろし、瞼はやや下がって眠そうにしていたが、リーンの質問には穏やかな態度で答えてくれた。
幅広だが光魔法教室二つ分くらいはありそうな横長の部屋。長机を四列にたくさん繋げ、等間隔でその一部を教官のデスクとしている。この教官室の出入り口は同じ壁面にあるが、横が長いため距離はそれなりに離れている。午後の授業が全て終わった後であるため、教官の数は多く、教官同士の話し声もよく聞こえていた。リーンは二つの出入り口から一列目のマーズ教官のデスクの前にいた。
――これでまた週末か。
リーンはモールスの相談を受けた翌日から、レイチェル教頭を探して教官室に毎日顔を出したが、尋ねた教官から返ってきた返事は毎度不変の「教頭は不在」という手厳しい極めて現実的な言葉だった。今では封印術の授業でしか一緒にならないイルジーのことも、その数少ない授業の中で観察してみたが、無口でやつれた顔をしていること――つまり本当に魔法に呑まれているらしいこと以外には何も発見できていないかった。
「教頭じゃなきゃだめなのか?」
マーズ教官は憂えげな顔をリーンに向けた。眠そうな瞼の裏ではリーンのことが少なからず気にかかっているようだった。
「はい……」
リーンは教官に何か期待されているように感じたが、決意は曲げず、一貫して黙り続けた。
女性教官はじっと黙するリーンに期待を諦めたように目を閉じた。
「沈黙は金、雄弁は銀、か」
と、溜息をつくように呟く。
リーンは間を空けてから再び口を開いた。
「レイチェル教頭が学校にお越しになったら、一年Aクラスのリーンが探していたとお伝えいただけませんか?」
「構わないが、教頭はお忙しい身だ。伝えたところで用件もわからないようでは相手にされないかもしれないぞ」
リーンは少し考えてから言った。
「では、お手数で申し訳ないのですが、教頭がお越しになった時に寮まで連絡していただけませんか?」
「まったくその通り。教官に指図するなど無礼千万……と言いたいところだが、君の噂はかねがね聞いているよ。闇魔法の才と寮での喧嘩を丸く収めた件だ。なかなか賢くて今どき珍しいとても生真面目な生徒らしいな。君の光魔法の授業態度を見ていてもよくわかる。偶然にも指図するのが優等生の君で、指図される教官が優しい私であり、かつ今日の私は極めて穏やかな気分であるから、君の言づてはこの日だけ運よく通るだろう」
回りくどい言い回しだったが、ようは今回だけ特別にリーンの言う通りにしてくれるが、毎回同じようになるとは思うな、ということだろうとリーンは考えた。
「ありがとうございます」
リーンは深々と頭を下げて教官室を後にしようとしたが、背後から「リーン君」と呼び止める声がかかった。
マーズ教官が出口の扉に手を伸ばしていたリーンに身体を向けていた。
「君は今日、私と話している間、ずっと思いつめたような硬い表情をしていたよ。それでは君の周りの者が心配する。事情はわからないが、他者に伝える気がないならそのあたりのことを配慮するのは君の義務だと思うよ。私が言いたかったのはそれだけだ」
「気をつけます」
リーンはもう一度軽く頭を下げた。そして音もなく扉を開け、今度こそ教官室を後にした。
来週の資格試験に備え、魔法を練習するための教室で紙に頭の中で描いた文字を封印する練習をした後、食堂で一人で食事を取り、寮の自室へと戻る。
リーンは知らない土地から故郷へ戻ってきた旅人のような溜息をついた。
「今日も教頭はいなかったの?」
ありえない方向から声が聞こえた気がした。
まさかと思いながらも真上を見ると、ウラシルが天井に取り付けた氷の取っ手に両手両足をひっかけ、クモのように天井に張り付いていた。
「何してるんだ?」
「次の次の自然魔法上位資格試験のための練習」
ウラシルは平然と答え、足、手の順に取っ手から外し、小気味よく床に着地した。人差指で天井の氷を指差し、人差指に透明な粒子が現れた瞬間、天井の四つの氷はウラシルに指差された順に虚しく水蒸気と化した。
リーンが呆れた視線を送り続けていると、ウラシルはあっさり本心を明かしてくれた。
「リーンが最近ずっと仏頂面だから、ちょっと道化でも演じて表情筋をほぐしてあげようと思ったのさ」
リーンは再び溜息をついた。
「さっき会ったマーズ教官にも同じことを言われたよ。表情が硬いってな」
「まさにその通り。今のリーンは疲弊しきっているよ」
「そうは言っても、イルジーのことが片付くまではどうしようもないだろう……で、何かわかったことはあるか?」
リーンはウラシルにはイルジーが魔法に呑まれかかっていることを教えていた。何でもいいから時間があったら魔法に呑まれることに関する情報を集めてほしいと言ってあったが、今のリーンの問いかけにウラシルはぱっとしない表情をしていた。
「これといって目ぼしい情報は得られなかったよ。ただ、精神治癒のスペシャリストの治療を長期間受け続ければ、一応よくはなるみたいだけど、魔法学校生がそれを受けるとなると、周囲の視線はどうなるか……それに治療を受ける間は魔法学校に通って勉強することもできないだろうし」
「ソーサラーになるよりはよっぽどましだろう。俺が魔法に呑まれ始めてウラシルが指摘してくれた時みたいに、早めに誰かが気付いてくれていればまだどうにかなったのかもしれないが」
「そう言えば、リーンもちょこっと経験してるんだよね。魔法に呑まれるってどんな感じなの?」
「魔法自体に意思はないはずだが、たぶん、人の心の弱みにつけ込まれるんじゃないかな。俺の場合は他者の上に立ちたいという優越感みたいなものだったんだと思う。魔法に呑まれている状態の行動は確かに自分の意思の気がするんだが、後から考えるとその意思はまるで偽りの自分のような感じもするんだ」
「何かしらの感情を助長させられるから、自分の意思で動いていたはずなのに後から不自然さを感じるってことなんだね」
「まったくだ。これほどリスキーな力もないんじゃないか?」
リーンは口にしてから思い出した。
――いや、神呪力があるか。あれは神呪力をもつ者の寿命を削るとか言っていたな。待て。もしそうだったら父さんの寿命も……
リーンは疲弊した脳が生み出すマイナス意識を振り払うように首を振った。
「どうかした?」
「いや」
リーンとウラシルが各々机について魔法図書館から借りてきた魔道書を開こうとすると、ドアの方でパタン、と音がした。
「郵便来た?」
「そうみたいだ」
リーンがドアの方へ向かうと、いつものアリサの手紙とは別にもう一通手紙が届いていた。
リーンがウラシルにイルジーのことを話した理由の一つがこれだった。同室のウラシルにはこの手紙の存在を隠すことはできないとリーンは考え、十分信頼するに足るウラシルにはイルジーのことを話した。
先にアリサの手紙ではない方を開封した。宛名はリーン、そして差し出し人はモールスだった。
「イルジーが怪しい魔法を使う頻度が増えているそうだ」
リーンは文面に目を通しながら、椅子の上の身体をリーンの方へ向けているウラシルに言った。
「その怪しい魔法っていうのは、宝石に何かしているらしいな。黒い粒子で宝石は時折輝くそうだ」
「きっと宝石が魔法の影響を受けているんだね」
「闇魔法か……生成術か封印術といったところか」
手紙の内容はそれだけだった。
「収穫はなしに近いね」
「仕方がない。魔法に呑まれているイルジーを観察するのは相当応えているはずなんだ。引き受けてくれただけでもよしとするべきだ」
アリサの手紙の方は、今日は新聞屋さんの女性店員と仲よくなったという旨の内容が記されていた。新聞屋は一〇六番地区にもあるが、アリサはいつも馬車で一〇四番地区まで出向き、その新聞屋で手紙の郵便を依頼しているようだった。もはやリーンを上回る達筆で、語彙力の成長も芳しく、リーンの知らない単語さえ見つかった。
そろそろ会いたいな、とリーンは思った。
「そろそろ会いたいな、って思った?」
ウラシルが相変わらずの洞察力でリーンをからかった。
「そんな虚空を見つめるような顔してたらばればれだよ」
リーンは顔を赤らめた。
「だから、お前の方からじゃ俺の顔は見えないだろう」
「それくらいわかりやすいってことだよ」
リーンはいっそう顔を赤らめて反抗した。
「ウラシル、俺はからかわれるのは嫌いなんだ。いいかげんにしないとホーキンスに頼んでお前の弱みを探してもらうぞ」
「それは非常に困る……というか怖いよ」
ウラシルにはホーキンスの宿命的とも言える情報力のことを話していた。
脅しの効果が利いたのか、ウラシルが黙って魔道書に耽ったので、リーンは微かに笑みを浮かべながらアリサへの返事の手紙をしたため始めた。一日中張り詰めっ放しだった神経が唯一安らぐひと時だった。




