~リーンとレイチェル教頭~
休日を挟んで資格試験初日を三日後に控えた日のことだった。リーンがその日ウラシルよりも先に目覚めると、午前の郵便でドアの小窓から封筒が部屋に放り込まれていた。
リーン宛てだったが明らかにアリサのものではなかった。はやる気持ちを抑えながら手早く開封すると、ほんの数行だけの便箋が現れた。大人の魔法使いがよく使用するような生成術で書いた味気ない文字ではなく、手筆のくせのある小さな文字だった。差し出し人は、リーンたちの光魔法の授業を担当しているマーズ教官だった。
『本日、来週の資格試験の確認で教頭が学校にお越しになる。午後の最終授業が終わり次第、校舎一階の保健室に来るべし』
「マーズ教官から?」
いつの間にかウラシルがベッドの上に起き上がって目をこすっていた。
「ああ。ようやくこの学校の権力者に会うことができる」
「マーズ教官も十分信頼できると思うんだけどなあ」
ウラシルは眠そうな目でリーンに訴えるような視線を送った。
「信頼できないとは言ってない。ただ、いくら保健室を務めているマーズ教官でもイルジーの治療をすることまではできないと思う。そうなればどの道、レイチェル教頭に話をもちかけて上の方で処置を下してもらうしかなくなるだろう? 校長は少なくとも俺の中ではまだ嫌疑がかかっているわけだしな。イルジーのことはできる限り隠密に済ませたいんだ」
「イルジー君のため……か。リーンは本当にお人よしだね。ちょっとくらい曲がったところがないと、これからの世渡りは大変なんじゃないかな。世の中リーンの望むようにはできてないよ。できてないからこそ、人はそれを望むんだ」
ウラシルは猫のように大きな伸びをしながらも、リーンに投げかけた言葉は辛辣で、世間をよく知る人生を達観した大人のものだった。
「まるで哲学者だな。でも、もしそうだったら、きっと生まれた時からそういう運命なんだよ、俺は」
リーンとウラシルはのろのろと身支度を整え、各々ローブをまとうと、一日の始めの食事を取りに食堂へと出ていった。
保健室は白を基調とした清潔感のある部屋だった。広さは闇魔法教室と光魔法教室の中間くらいで、窓からは校庭の熱せられた広大な大地と雲一つない青天を望むことができる。奥の方にカーテンに覆われたベッドが二台、入口からすぐのところに向かい合ったソファとその間のテーブルの三点セットが二つ。中央には、水道と調剤用らしき高めの広い机が一つ置かれていた。そして唯一の木製で木の色が目立つ壁際に並ぶ棚には、種々の薬品や簡単な医療器具一式が揃えられていた。
上等な黒いローブを身につけたレイチェル教頭は、すでに室内でリーンを待ちうけていた。苛立たしげな表情で、座ってすらいなかった。
「用件を手短に話していただけますか? 私にはあまり時間はないのです」
レイチェル教頭はリーンが入ってくるなり低い声で言った。
「確かにこのところお忙しいようですね。この学校の行方不明者のことで東奔西走されているんですか?」
リーンは特に感情を込めることもなく尋ねた。
レイチェル教頭の顔にすぐに動揺が走った。
「……どうしてあなたがそのことを知っているんです?」
「レイチェル教頭が講堂で盗みの事件の話をした時には、すでに生徒たちに広まっていましたよ」
リーンは丁寧に教えた。
「そうですか……学校の秘匿能力の低さは危ぶむ必要がありそうですね。それで、私への用件をそろそろおっしゃっていただけますか? マーズ教官から極めて重大な内容だと伝えられたからここへ来たのですが。まさか目上の教官を小間使いにしてまで私と世間話をしたかったわけではないのでしょう?」
どうやら忙しい身であるレイチェル教頭がリーンに会う気になったことには、マーズ教官がうまく手回ししてくれていたおかげのようだった。
「マーズ教官とレイチェル教頭には非常に失礼なことをしました。このことは、いつかきっと偉大な魔法使いとして世間に貢献して報いる所存です。しかし、今回お話ししたい内容は極めて危険で繊細でもあるものなんです」
「その内容とは?」
教頭は真摯な態度になってリーンに向き合った。
リーンはやはり教頭を選んでよかったと思った。
「一年生に魔法に呑まれかかっている生徒がいます」
「何ですって!? 誰なんです、その生徒は?」
教頭が驚き焦ることはリーンは予想していた。完全に魔法に呑まれた生徒は二度と元には戻らず、九割方の者がソーサラーへ堕ちると言われている。そして残りの一割は、ソーサラーになる前に人を殺して王国にいるうちに処刑された者である。つまり、魔法に呑まれた生徒の周囲には悲劇しか生まれない。
リーンは、教頭が危惧しているのが学校の不手際でソーサラーを生み出すことによる責任云々ではなく、一人の生徒の人生が崩壊しようとしていることであることを切に祈った。
「イルジーという名前の生徒です」
教頭はその白く細いあごに手をやり、「イルジー……」と何度も小さく呟くように唸りながら、何やら記憶の深いところを探り始めたようだった。
そしてすぐにイルジーの名前を探り当てて口を開いた。
「ああ、思い出しました。確か来週の下位資格試験に参加する生徒でしたね」
「イルジーが資格試験に出るんですか?」
リーンは内心動揺しながらも、努めて平静な態度で訊いた。
「ええ。あまりよろしくはないですね。魔法に呑まれているなら何をしでかすかわかりません。リーンさん、イルジーさんはいつから魔法に呑まれているんです?」
「もう三週間になります」
「彼が魔法に呑まれていることを知っている人は?」
「イルジーの同室のモールスと、俺と、俺の同室のウラシルというやつです。二人ともイルジーのことについては絶対に喋らないことは保証します」
リーンはてきぱきと答えた。それらの質問をされることはわかっていた。
「そうですか……三週間となると、もう完全に呑まれていてもまったくおかしくない状態ですね。早急に医療施設から精神治癒のスペシャリストを手配しますが、おそらく試験には間に合わないでしょう」
「なっ、どうしてですか!?」
リーンの心の焦りがはっきりと顕れたようだった。
「先の反乱によるトラウマ患者の治療には時間がかかるのですよ。それに、近年悪化し続けているる医療施設の人員不足の問題も、患者の治療を進めるにあたり足を引っ張っているでしょうし……」
――もう……間に合わないのか?
リーンが視線を落とした先で、紫色に淡く輝く光があった。光はリーンの心を落ち着かせ、直面する現実を打破するための冷静な判断力を与えた。
「しかし彼だけ試験から外しても、彼が魔法に呑まれていることを公にするようなもの。かといって試験に出しても他の生徒にどれだけの危険が及ぶか……」
レイチェル教頭も深刻な事態に頭を悩ましているようだった。
「レイチェル教頭、イルジーが受ける資格試験の科目は何ですか?」
「下位の封印術です……そう言えばあなたの名前も同じ名簿で見た覚えがありますね」
リーンはイルジーの試験と異なっていたら自分がそれに参加させてもらおうと考えていたが、どうやらそれを提案する手間ははぶけたようだった。
教頭は無言のうちにリーンの決意を読み取った。
リーンが辛抱強く待つと、レイチェル教頭はついに渋々といった表情になって口を開いた。
「本当はこんなこと、生徒に任せていいものではないのですが……あなたはこのことを知る者の一人で相当な実力を有していますし、他に方法も見つけられません。申し訳ないのですが、あなたに試験でのイルジーさんの相手をお願いできますか?」
「はい」
リーンは教頭の目を真正面に見据え、毅然とした態度を示した。
「命に関わる非常に危険な役割ですよ。それでも構いませんか?」
「それを承知している分、他の生徒より常に身構えていることができます」
レイチェル教頭は不本意でならないというように眉尻を下げた。
「会場でイルジーさんと会った時から絶対に注意を怠らないように」
「はい、誓います」
リーンは決然と答えた。
「わかりました。それでは、封印術の下位資格試験の内容を生徒同士の一対一のものにして、あなたとイルジーに競い合わせるよう取り計らいましょう。あなたを信頼していますが、くれぐれも彼の前で気を抜かないように」




