~リーンと試験~
魔法学校での生徒の時間は終始魔法の勉学に過ぎていく。
その日も、一日の授業が終わって就寝する前、リーンは寮の自室で自分の指から淡い紫色の宝石を抜きながら、この三週間前から生活を共にしているはずのアメジストの指輪が、つい昨日はめたばかりのように神々しく輝き続けていることに気付いて驚いていた。アメジストの輝きにではなく、時間の経過のことさら早いことに驚いた。
アリサとの文通もこの三週間のうちにすっかり毎日の習慣となっていた。アリサは日々日記のように自分の生活の様子を手紙に書いて送ってきた。リーンは就寝前にそれに感想を述べながら、自分も魔法学校での小さな事件や魔法の新たな発見などを記して返事を送った。アリサのボキャブラリーや字のきれいさの上達はあっという間で、リーンはテラが一枚噛んでいるのだろうかと訝ったが、その旨を書いて送ると、どうやら独学で身につけているらしいことがわかって、リーンはアリサが勉学において突然頭角を現したことに戸惑いさえした。
しかし、そんなアリサとの親密な関係を築いてきたリーンの密かな楽しみも、その週はいったんお預けだった。それはリーンから言い出したことで、定期的に行われる資格試験が明日から一週間行われることがその理由であることは、すでにアリサにも伝えてある。
試験を全て終えるまでその週は授業に出てはならず、さらに試験の許可を出してくれた教官の説明によれば、資格試験前日として、試験を受ける生徒は、その日は午前の授業を受ければ後は翌日に備えて睡眠を取るもよし、最後まで魔法の詰めをするもよしらしい。
その日のリーンは迷った末に後者を選択していた。試験の内容は、競争性の高いものであるという知っても仕方のないことしか知らされていなかったため、初めてその科目の試験を受ける生徒は独自に可能な限り魔法の修練を積んでおくしかなかった。特に、試験を受けたことのある他の生徒から試験内容を聞くこともできない一年生には、ことさらその不利な条件が顕著だった。リーンはウラシルとの部屋での魔法の練習も控え、放課後、校内で試験を受ける生徒のために用意されていた魔法の使用が許可されている教室で、他の生徒と共に地道に修行を重ねてきた。午前の授業が終わって自由の身になってからもその教室で魔法を唱え続けた。
リーンはアリサとの文通を一時停止しておいてよかったと思った。翌日の試験の緊張からか、午後の魔法の練習ですっかり疲れていた。これで眠って疲れが取れればこれほど都合のいいこともないな、などと考えながらリーンはウラシルといつもより二、三時間早い時間にベッドで目を閉じた。
結局、翌日の試験当日、緊張からなかなか寝付けず、疲れは残ったままという前日の行い全てが裏目に出るような結果に、リーンは起きて早々嘆息した。
軽く食事を取った後、校舎の一階から、左右にそれぞれ「上位資格試験会場」、「下位資格試験会場」と書かれたドアのうち右の「下位資格試験会場」のドアを選び、地下の広大な空間へと下りる。何日でも彷徨っていられるような迷路のごとき通路を上級生の生徒たちと何度もすれ違いながら縫うように進み、第五試験会場の「幻術下位資格試験」とプレートの提げられたドアを開ける。
会場へ続く階段の先には、すでに試験の開始を待つ生徒たちで溢れていた。ストラス教官の授業を受けた会場と造りは同一らしく、広い会場の四方をコンクリートの三メートルほどの壁が取り囲み、壁にはランプが赤々と照り、会場にピリピリとした神妙な雰囲気をもたらしている。会場の上方から、試験の審判らしき教官が複数名散らばって会場を見下ろしている。
リーンが会場に下り立って待つこと数分。さらにリーンの後から生徒たちがまばらに入場し、大方試験を受ける生徒が集まったらしいところでどこからともなく現れた教官が点呼を始めた。
リーンが教官の声に聞き耳を立てていると、「二年、クラス1のクラウス」、「三年、クラス4のロメオ」と、どうやら集まった生徒の九割方が上級生だとわかった。後からリーンが教官から聞いたところによると、すでに資格を取得した魔法の補助を目的として、それまで受けていなかった科目の授業を受けている二年生や三年生(二年、三年になってもそれまで学ばなかった科目をその学年の同じ生徒たちと受けられる)が下位資格の試験を受けることが極めて多いのだという。ただし、資格試験では受ける科目の魔法しか使用することはできないため、ハンディキャップはそこまで酷いものでもない。
点呼が済むと、ようやくリーンが待ちに待った試験内容の説明が開始された。
「魔法というのは、ただその力が強ければよいわけではない」
初老の中官は、そう口火を切って話し出した。薄闇の中で、教官の立派な白いあごひげがランプの暖色だが緊張感をもたらす淡い光を、老練で垢抜けした威厳を込めて照り返している。
「現実的に役立たせなければ魔法を学ぶ意味などない。太陽の民をあらゆる敵から守り抜き、王国に平穏をもたらす――それが我ら魔法使いの存在意義だ。数か月前の反乱を覚えておるな? いつまた我ら太陽の民の宿命的な敵であるかの赤髪族が襲ってくるか知れん。そうなれば、我々魔法使いは隊を組んで戦いに駆り出されることも十分考えられる。こうして幻術などという極めて対人的で敵勢力の抑制に使われやすい魔法を学んでおるのだからいっそうな。その時、よもや隊の足手まといになりたいと思っている者などおるまい? 故に、こたび諸君らに課す課題はチーム制で、幻術を用いた戦術的な思考を要するものとした。チームはこちらで無作為に決定した。隊編成で知り合いと同じ隊に組まれるなどと甘いことは考えるでないぞ」
教官は前置きを話し終えたと示すように一度切り、今度こそ試験の説明に移った。
「諸君らには、五人ずつ組んだチームで幻術のかけあいを行ってもらう。我々はそれぞれのチームに一つずつテントを用意する。自分たちのテントに一人でも侵入されたチームは全員失格だ。敵チームのメンバーに幻術をかけて他チームのテントに侵入させるか、自分たちのチームの誰かに他チームのテントに侵入させればよい。チームが残り五つとなるまで自分たちのテントを死守したチームを勝利とみなし、その五チームのメンバー全員を最終試験の突破者と認める。幻術をかけられても、光魔法の精神治癒で解いてはならん。この試験を受ける生徒の中には精神治癒の術を学んでいない者もおるからな。ルールを守らぬ者は即失格とする。それでは、これより五分後の試験開始までの間、作戦を立てるなり他チームと組むなり好きにして構わない。さて、背後を見たまえ」
教官の言葉に生徒たちが振り向くと、会場中にいつの間にか床に釘を刺した布張りの黒い三角テントが無数に並んでいた。数人の教官の姿がある。
「テントにそのチームのメンバーの名前が書かれておる」
教官はそう言うと、どこへともなく姿を消した。
リーンは真ん中あたりのテントに自分の名前が光る文字で刻まれているのを目にした。他の四人はマーロウ、ヤン、ベンジャミン、ラベニヤという名前だった。ランプが一つ吊るされているだけの薄暗いテントに入ると、すでに他の二人のメンバーが残りのメンバーを待っていた。
「ベンジャミンだ」
「僕はマーロウ。よろしく」
先に口を開いたベンジャミンはチリチリの髪の毛に色白の肌、座っているため身長は定かではないが体格は大きくはない。マーロウはベンジャミンよりもややがっしりとしていて、小さな目が気弱そうなイメージを与える。二人とも、ローブに上位資格取得時にローブに刻まれるという紋章を一つずつつけ、一つ上の上級生らしいことがわかる。
リーンの後からテントに顔を出したラベニヤは唯一の女性で、長い茶髪を後ろで結んでおり、真面目そうな大人びた印象をリーンたちに与えた。上位資格を二つ取得している三年生だった。
最後に現れたヤンは、細身で垂れ目の三年の男子生徒だった。
メンバーが揃ったところで改めて手短な自己紹介を行い、誰も互いに面識のある生徒はいないことがわかって作戦会議に移った。最初に口を開いたのは、行動的な二年のベンジャミンだった。
「俺は他のチームと組むというさっきの教官の案がいいと思うんです。このテントは真ん中だから人が寄ってきやすいでしょう? だから周囲のチームと組んで一緒に守りを固めるっていうのはどうですか?」
「いいと思うわ。理にかなっているんじゃないかしら」
ラベニヤが同意すると、ヤンやマーロウもすぐに賛同の意を示した。リーンも特にこれといった案が思いついたわけでもなく、何より仲間割れだけは避けたいと考え、「俺もそれがいいと思います」と無難な言葉を選んだ。というのも、みな口にこそ出さないが、リーンには他のメンバーが、一年の生徒が混ざっていて不運を心の中で嘆いているのがありありと見て取れていた。
リーンのチームはまず両隣のチームから手を組もうともちかけた。ベンジャミンが言葉巧みに言いくるめ、あっさり互いのテントには侵入させないという協定を結ぶことに成功した。
「あともう一つくらい協力してくれるチームがほしいですね。どこがいいでしょう?」
ベンジャミンの言葉に、マーロウが返した。
「やっぱり、向かいのテントも大事じゃないですか?」
リーンたちは特に反論を唱えず同意し、ベンジャミンは確認するように、
「それじゃあ、人が近寄ってきて幻術をかける時は、斜めのテントに向かわせるようにしないといけませんね」
と言った。
「これって、もしかして協定が全部のテントまで延びたりするんじゃ……」
ヤンがとぼけた顔をして呟いた。
「その時は裏切るしかないんだし、怨まれるようなこともないでしょ」
ラベニヤが答える。
「それじゃあ、向かいのチームさんに交渉しに行きましょうか」
ベンジャミンの口調は、近所の慣れ親しんだ店に友達を連れていくような軽々しさだった。
警戒させないようにと、これまでの二回と同様ベンジャミンが一人でテントに入って交渉を始めた。リーンたちがテントの外で周囲のチームの様子を伺いながら待っていると、不意に試験内容を説明した初老の教官が現れ、「どきなさい」と言って険しい顔でベンジャミンが交渉している最中のテントの中にずかずかと入っていった。
何事かとリーンたちがテントを覗いた時には、もうベンジャミンはテントの中で倒れていた。目を開けたまま、苦悶の表情をしてまるで死体のようだった。
交渉相手チームの女子生徒が悲鳴を上げた。
リーンたちは教官たちが駆けつける間、ただわけもわからず戸惑っていることしかできなかった。
「一体どうしました!?」
真っ先に現れたのは、黒い上等そうなローブに身を包んだ壮年の女性教官だった。
「これは……どういうことですか、ダミアン教官?」
女性教官は倒れているベンジャミンを見て目を丸くし、初老の教官――ダミアンに険しい表情を向けた。
ダミアン教官は何でもなさそうに平然と答えた。
「彼は不正を働いていた。それも悪質なものだ」
「一体何をしたと言うんです?」
ぞろぞろと他の教官たちも集まり出し、リーンたちはテントの外に追い出された。悲鳴を聞いた生徒たちも野次馬よろしくリーンたちの外側に厚い人垣を作り始めている。
テントの外でも声だけは聞こえた。
「彼は封印術で他チームの生徒の記憶に干渉していたのだ。彼はどうやら私が行った説明の一部――つまり、幻術にかけられても光魔法で解いてはならないというくだりを封印していたようだったのだ。おそらく数チームに不正を犯させて自分たちのチームが残る確率を上げようとしたのだろう。すでに私が、彼の封印に私の封印を重ねて解いてやった」
「確かに別人の封印術の粒子が二重に滞留しているようですね。しかしそれだけでどうして……この粒子は拷問術でしょう? 彼を苦しめてまで気を失わせる必要が本当にあったんですか?」
ダミアンとは対照的に、女性教官の声は上ずっている。
「彼は不正を働いただろうと詰め寄った私に抵抗しようとした。至極まっとうな処置だ。今後も何をしでかすことやら……」
「とりあえずこの生徒は保健室へと連れていきましょう。念のために拘束はしておきますが……試験が終わった後で彼の目が覚めていたら事情聴取を行います。あなたもそれまで教官室からの出入りを禁じます」
「何を言っている! 私は厳正なる処置を下しただけだ!」
どうやら身分は女性教官の方が上のようだった。
「あなたの言い分は事情聴取の際にゆっくりと聞きます」
「チッ」
ダミアン教官は醜い舌打ちをしながらテントを出ると、野次馬の生徒たちを一瞥して会場を去っていった。
テントの中で教官たちが何か話し込んでいた。
やがて女性教官がテントから顔だけ出し、「これから怪我人を運びますが、事情が複雑なので、怪我人を会場から運び出すまであなたたちには軽い幻術をかけて怪我人の姿を見えないようにします」と生徒たちに告げた。すぐに男性教官二人が空っぽの担架をもって会場を後にした。
「あなたたちは、彼――ベンジャミンさんと同じチームのメンバーですね?」
女性教官がテントから出てきて人垣の内側にいたリーンたちに訊いた。
「そうですけど、一体ベンジャミンが何か……」
マーロウが肯定すると同時に尋ねようとすると、女性教官は一方的に遮って話をした。
「あなたたちには大変申し訳ないのですが、この試験は四人で受けていただけますか? 先ほどの話はあなたたちには聞こえていたと思いますが、他の生徒には決して口外してはなりません。では、健闘を祈っています」
女性教官は早口に言い終えると、気忙しそうに、生徒たちにすぐに試験を始める旨を告げ、いったん会場を出て会場上方の審判位置まで戻った。教官たちがみな審判についたところで、女性教官の予告通り試験は開始された。
試験は何事もなかったかのように再び緊張を帯び、滞りなく進行した。リーンたちは誰一人他チームへの攻撃には回さず、ひたすら守りに専念した。協定は破棄されていなかったが、リーンたちと協定を結んだチームはどんな愚鈍な戦術を取ったのか、ことごとく敗北していった。
リーンたちはリーンの機転で、近寄ってきた生徒の一人一人に他の生徒の幻術に押し負けないよう四人がかりで「その場の自分のテントで守りをすることになった」という状況の幻術を見せ、リーンたちのテントを大人数で守らせた。その結果、リーンたちのチームは何とか五チームの中に残り、最終試験への道を切り開いた。




