~リーン、T or Y?~
幻術の下位資格第一試験は正午前にその幕を下ろし、最終試験は四日後となった。試験は生徒の精神を考慮して一人一日一科目しか受けられないよう日程等が調整されている。魔法の酷使――すなわち呪文に魔法使いの精神を喰わせすぎると、その魔法使いは精神の弱体化を起こし、程度によるが寝たきりになることもあるのだという。つまり、どれだけ昔かは謎だが、欲深な生徒が試験を受けすぎてそういう事態になった前例があるということだ。
リーンはその日は一人で正午の食事を取り、午後は試験を受ける一年生のために校舎の三階の一角に用意された教室で、魔法の修練に励む他の試験を受ける数人の一年生と同じように、リーンも、翌日行われる資格試験二科目目の占星術の練習を積んだ。
そして本物の太陽が暮れ、外の日差しの白さがやや薄れた頃、教室は閉められ、リーンは寮の食堂へと足を運んだ。魔法を長時間使用しているとお腹がよく空く。旺盛な食欲に任せてもりもりと食べ物を頬張っていると、「リーン」と生真面目そうな声がかかった。
ホーキンスは二人用テーブルを占有していたリーンの向かいに遠慮も一言もなく腰かけた。
例によって例のごとく、ホーキンスは幻術下位資格試験の直前に起きた騒動のことを小耳に挟んでいた。
「……というわけだ」
リーンは食事を取ってきたホーキンスに試験直前に起きた騒動の概要を説明した。女性教官から口止めされていたが、ホーキンスを相手にすればそれはもはや「口外」にもならない。
「とりあえず、第一試験突破おめでとう、だな」
「ああ、どうも」
リーンは心ここにあらずといった風に返した。
ホーキンスが食事を始めるのと時を同じくして、リーンはボリュームたっぷりの豪勢な食事を胃袋に詰め終えた。
「リーン。俺は今日初めて知ったことの中に、今までで一番驚いたことがある」
ホーキンスは普段通りのさっぱりした口調でそう告げた。
「何だ? そんなに驚くことあったか?」
「ああ。お前がトラブルメーカーか疫病神だってことだ」
リーンは「あぁー……」と単調に声を伸ばした。納得できなくもないという声のようだった。
「確かに……残念極まりないが否定できる根拠がないな」
「俺にまで厄を回さないでくれよ」
「まあ、善処できることならしてやるが、悪いがこれは不可抗力だからな」
軽口を叩きあう二人だったが、それもそう長くは続かず、リーンの冴えない顔を見て、食事を終えたホーキンスが先ほどの話の核心に触れてこう切り出した。
「で、また何かストラス教官の時のように違和感でも感じているのか、お前は?」
「今回は違和感じゃない」
リーンは断定する口調で明言した。
「確実におかしい」
ホーキンスの目が一段と鋭さを帯び始めた。女性受けしそうな童顔な顔にはよほど似つかわしくない。
「まず、あのダミアンって教官はどうやってベンジャミンの不正に気付いた? 他のどの教官よりも気付くのが早かった。ベンジャミンが交渉のためにテントに入ってすぐだったんだ。だが、これはまだその教官が魔法の感知力に長けていたということで片付けられないこともない。問題はこれからだ」
リーンは声を低めて続けた。
「あの教官は、ベンジャミンの不正を封印術によって『数チームに不正を犯させて自分たちのチームが残る確率を上げようとした』と言っていた。まるで、ベンジャミンが他のチームにも不正を犯したか、もしくはそう企んでいたのを知っていたかのように。だが、あの教官はベンジャミンが向かいのテントに入った時しか現れなかった。他のチームの生徒の記憶も封印していたのを知っているならその時現れるべきだし、現場を押さえるのに間に合わなかったというのなら、ベンジャミンを捕らえた後でその生徒たちの記憶も確かめるはずだ。だが、あの教官はそうはしなかった。どう考えてもあいつの言葉は矛盾だらけの姑息なでたらめだ」
最後の方のリーンの言葉には、ダミアン教官の確かな悪行に対し、正義感による敵意のようなものが滲み出ていた。
「だが、女性教官はそのチームの生徒たちに封印術が二重にかけられていると、確かに言ったんだろう?」
「ああ。だが、誰もベンジャミンが封印術をかけたところを見ていない。俺たちが覗いた時にはもう全て終わっていた――つまり、あの教官が何かしら偽装した可能性もある」
「じゃあ、どうやって教官の誰にも気付かれずに偽装を通してみせたんだ?」
リーンはすでに考え抜いているようによどみなく答えた。
「あの教官が巧妙な幻術使いなら可能だ。幻術は対象の相手より上等の術者なら不自然さをまるで感じさせずに何かを偽ることもできるらしいからな。だからまずベンジャミンを気絶させ、それを見た生徒たちの記憶を封印する。そして現れた教官たち――というか会場全体に広範囲魔法の幻術をかければ……」
「待て。広範囲魔法って何だ?」
ホーキンスは初めて聞く単語に戸惑いの表情を浮かべた。
「ああ。魔法には対象を限定するものと、さらに数十倍は高度な範囲を定めるものの二種類があるらしいんだ。まだ習ってはいないが、魔道書で読んだ」
「なるほど。それで広範囲魔法の幻術をかけて、そのチームのメンバーに別々の主の封印術の粒子が二重にかかっていると偽装したのか」
ようやくホーキンスがリーンの脳内で展開されていた思考に追いついた。
「これは仮説の一つにすぎないが、確かに起こり得るものだ」
「肝要なのは、ダミアンって教官の正体と目的ってところか。このことは教官たちに話してみるつもりか?」
「ああ。お前と話しながら考えがまとまったよ」
ふと、食堂に高めの大声が響いた。上品さを装っているが、その実声には不安や焦りの感情が混じっている。その聞き覚えのある声は食堂の入口から確かにリーンの名を呼んでいた。
リーンが顔を向けると、入口に立って人目もはばからずに叫んでいたのは、例の女性教官だった。
「リーン。あれ、レイチェル教頭だぞ」
「教頭!? どうりで偉そうに見えたわけだ」
リーンはホーキンスに一言「じゃあ」と言い置き、食器類を返して教頭のもとへ向かった。
――事情聴取にでも呼ばれるのか……?
しかしリーンの予想は似て相違なるものだった。
レイチェル教頭はひと気のない廊下に出ると、声を潜めて言った。
「あなたのことはラベニヤさんたちから聞きました。見事な機転を利かせてチームを勝利に導いたそうですね。よい働きです」
リーンは、教頭がこんなどうでもいい前置きをしたことから、何か大事が起きたに違いないなと踏んだ。
そして事実、その通りだった。
「実は、どうやらベンジャミン氏が失踪を図ったようなのです。実家には帰っていないようですが、どこか心当たりはありますか?」
同じチームのよしみとはいえ、あの短時間でそこまで仲を深められるはずがなかった。教頭もそれを承知しているとすれば、事態はそれだけ深刻のようだった。
「すみません、わかりません。それより、あのダミアンという教官のことなんですが……」
「その教官もこの学校内に姿が見当たりません」
リーンは思わず「は?」と口に出しそうになった。すぐにリーンの頭は、ベンジャミンが倒れたのを見たその一瞬のように、再び混乱の一途をたどり始めた。
「それってどういう……」
「わかりません」
レイチェル教頭はまたもや一方的に遮った。教頭という肩書きがそうさせるのかもしれない。
「あの教官に関する書類もどういうわけか、どこにもありません。我々も総力をあげて二人を捜索しています。何か隠していることなどありませんね? 我々はその気になれば、いつでもあなたたちに真実を吐かせることができるということを、しっかり肝に銘じておくといいでしょう。それでは、何か情報を得たら包み隠さず報告するように」
レイチェル教頭は早口にそう言うと、足音を鳴らして苛立たしげに去っていった。




