‐‐アリサ(9)‐‐
馬車による交通など無論機能していないので、避難場所である七賢人の館へは徒歩で移動した。
隊長と道中一切の言葉は交わされず、遠くに爆音を聞き、赤黒く焦げた空を見上げながら、丘を下りて平原を二、三時間ほど歩いたのち、アリサは郊外にある七賢人ライールの館へ連れてこられた。王国に、城壁かと見まがうほど頑丈そうで威圧的なこれほどの門を設けた建物が存在していたとは、夢にも思っていなかった。丘の上から見た時には、平原の一部を敷地内にそのまま囲んだような中庭が見えていた。人が住んで暮らすような建物ではなく、この館を一つの小さな村と見ても差し支えなさそうなくらい規格外で、分相応に立派だった。
途中丘の麓で、たくさんの酒場や何やらいかがわしげなお店が集まったところを通ったが、それ以外にこれといって建物はなく、この館もとある地区の広大な平原の中に建てられていた。この地区にあるのは平原と酒場と、この城のような館くらいだった。
隊長は四人いる館の門番の一人に一言二言交わすと、アリサに「赤髪族の能力を見抜いたことには感謝する」と冷たく告げ、足早に戦場へと踵を返した。
「さあ、ご案内します」
門番の一人が愛想のいい笑みを浮かべて門扉を開く。アリサには縁遠い芸当だった。いかにも生真面目そうなその魔法使いは、マントの肩に王国の兵士とは明らかに異なる「ビールを乾杯しているジョッキ」の紋章をつけている。門番は自分の肩をアリサが凝視していることに気付くと、「あ、あんまり見ないでください」と、はにかむ素振りを見せた。
館の豪奢な扉が開いた先のエントランスに、アリサの大きな黒いひとみがさらに広がった。
まず目に入る高い天井から吊るされたシャンデリアは、噴き上がる水の一つ一つがランプになった逆さまの噴水のようで、上品な黄色い灯が部屋中を黄金色に染めている。床にはさも当たり前というようによく映える真紅の絨毯が敷かれている。この幅広のエントランスの左右の壁際には、官僚たちのパーティにも使用される高級住宅街のホテルのように、向かい合ったソファとその間に挟まれた大理石のテーブルが、何組も並んで列を成している。このエントランスは無人で、まるで侵し難い神聖な領域のような静けさを保っていた。
エントランスからたった一つ長く伸びるまっすぐな廊下は、点々とシャンデリアを下げながらパーティ会場のような広い部屋へ続いている。
門番はきびきびとした足取りでアリサを案内した。奥から聞こえてくる、いくつも重なった人声がだんだん大きくなってくる。
アリサが通されたその二階まで吹き抜けたホールは、本当にパーティでも開いているような雰囲気だった。形容し難いほど広く、社交ダンス用のスペースも何十組と踊れるくらい広く設けられている。白いテーブルクロスが引かれ、中央にボリュームのある花を置いた円形のテーブルが、ダンススペースを囲むように散在している。ホールの隅に、やけに高い二階へ上るための螺旋状の階段が合計六つある。二階の壁際に大きくぐるっと設けられた細い通路には、危険防止の手すりはもちろん、時折ソファまで設置され、給仕からグラスを受け取りながら優雅に階下のダンスを観賞できる豪勢な造りになっていた。
このホールが唯一パーティ会場としてそぐわない点は、人々の衣装があまりにも貧相なことだった。パーティドレスを着ている人は一人としていない。シャツ一枚の農夫、丈の長い服の学者、エプロンをつけたままの主婦、はたまた泥土で汚れた子供など、身分もさまざまで、アリサが加わっても何ら違和感はなさそうだった。
アリサはこのいっときの間、現在、王国が赤髪族と戦火を繰り広げている真っ最中であることを失念していた。彼らの服装が日常的であることも、この緊急事態の状況なら必然の出来事と言えた。
――それにしても、どうしてこんな時にパーティなんて開いているんだろう?
ダンスこそ踊っている人はいなかったが、みなパーティを楽しんでいるように見える。
「きっとライール様は、彼ら一般市民の不安を少しでも取り除こうとしてくださっているんですよ」
門番がアリサの心を読んだように言った。
「その七賢人はどこにいるの?」
「……あちらです」
門番が見るに堪えないというように顔をそらしながら指差したのは、とあるテーブルにいるぐでんぐでんになった中年の酔っ払い男だった。飲酒を常習としているらしく、顔が酒焼けして赤くなり、品行の欠片もなく足をテーブルの上に載せ、へそをぼりぼり掻きながら大笑いしている。街の酒場などに客としていそうで、もう少し上品な店なら迷惑千万間違いなしだった。さらに奇妙なことに、ここはいかがわしい店でもないのに若い女性が男を取り囲んでいる。まるで女たちが、酔った金持ちの貴族を、機嫌を取ってたぶらかし、財布の紐を緩めさせて金をむしり取ろうと邪念を働かしているような光景だった。
「七賢人によくすると何かいいことがあるの?」
アリサはこの国の世事には疎いと暗に示すように、まっすぐに質問をぶつけた。
相手はホールに充満する酒の匂いに酔ったのか、雰囲気が急に打って変わり、饒舌に長々と話し出した。
「まあ、そうですね。ライール様の場合、若い女性がうまく立ち回れば、豪奢なドレスをプレゼントされて、ライール様が主催するパーティに招待されるかもしれません。見ての通り、七賢人の中でも特に若い女性ばかり招待するお方なので。七賢人が定期的に主催しなければならないパーティは、主催者がパーティ形式も招待客も自由に決められるんです。〈鼓舞宴〉と呼ばれる、ソーサラーの討伐任務などの集団で仕事を行う際の士気を高めるパーティや、弟子が功績を挙げた際の〈祝宴〉などがあります……ライール様の週一の催しは全てただの酒宴ですね。招待客は、ご自分の弟子たちを呼ぶ方もいれば、ご自分の身内しか呼ばない方もおられます。ドリマーニャ様は誰一人として招待しない――というか、そもそもルールを破ってパーティ自体催されていないことで有名ですね。ジェパームント様のように、王宮兵士や弟子、一般市民など毎度公平に招待している方もいらっしゃいます。ライール様は……我々弟子たちを招待したことなど一度もありませんがね。まあ、実力が伴ってのあの性格ですから、私はそれでも弟子として見習い、師として尊敬しています……魔法の実力に関してのみ。
ここだけの話……実は七賢人の中で一番強いのは、ジェパームント様ではなく、ライール様なんですよ。ある時、ジェパームント様がたまには七賢人を呼ぼうと、ライール様をご自分が主催されるパーティに招待したんですが、その時ライール様が決闘を申し込み、ジェパームント様が受けたんです。そしてライール様が勝利なさった、という話を以前ライール様ご本人から聞きました……あれ? 本人から聞いたんじゃ信憑性は低いですかねぇ。それにきっと例のごとく酔っていらしたでしょうし。あ、そう言えばライール様、実はジェパームント様に招待された後、ご自分も七賢人を招待すると宣言して、絶世の美女と謳われるミナデル様に招待状をお送りしたんですが、見事に断られたという歴史上類を見ない伝説があるんです。七賢人の中でこれほどの鼻つまみ者はいませんよねぇ。ドリマーニャ様なんかかわいいものですよ。それから……」
門番が話にピリオドをつける気がないのを悟り、アリサは無理やり遮った。
「ねえ、ここには他に部屋はないの?」
門番は目をパチクリさせ、自分の犯した失態に気付いて慌てて「申し訳ありませんでした」と平謝りにあやまった。そして指を差しながら説明を始める。
「暗がりになっていますが、四隅の螺旋階段の脇に通路が設けられております。あちらの通路は六つのラウンジに通じ、あちらの通路の先には二階へ向かう階段があり、二階には四人用の個室が五百ほど用意されています。あちらは中庭へ向かいます。今は子供たちが多く遊んでいるはずです。そして最後の通路ですが、あちらはライール様の生活空間が広がっておりますので、どうかお控ください……行けば必ずご気分を害します」
今度は、門番は自粛して自ら話を切り上げた。
「それでは、何か用向きがございましたら、気軽に給仕にお申し付けください。門前には我々もいますが、この状況ではできれば仕事に差し支えるようなことはご遠慮いただきたいです。しかし一大事で、どうしても我々が必要な時にはお呼びください……ライール様の酒によるいざこざでしたら給仕に任せてくださいね」
門番はそこまで言うと、ようやく自分の持ち場へとホールを後にした。




