獲物の選別
補給線が途絶えた敵軍は――すでに崩れ始めていた。
喉を潤す水すら足りない。乾いた風に晒された兵たちの動きは、目に見えて鈍っている。しかも、全軍の足並みは揃っていない。
何度か闘技場へ進軍しようとする部隊もあったが、硬い守りに阻まれて敗退した。もし全軍で攻め込まれていたら、甚大な被害は出していただろう。
闘技場に残っているのは、八つある軍団のうち、防衛隊であるアマゾネスのウフート姉妹とドワーフのカザムの二軍団だけだ。
引き上げる敵部隊の人数は異様に少ない。戦闘そのものは、そこまで激しくないにもかかわらずだ。
「ははは、みんな逃げてるぞ!」
俺の目は、遠くの戦場を捉えている。
一人、二人――いや、それだけじゃない。
武器を捨てた兵が、次々と列を離れていく。やがてそれは群れとなり、堂々と中立地帯の闘技場に連なる街へと流れ込んでいった。
仲間を振り返る者すらいない。
「そりゃそうさ、満足に食料も無く、水さえも不足し始めている」
元々、長期に布陣するつもりはなかったのだろう。補給線が途絶えるなど、想定すらしていなかったはずだ。
敵陣の警備兵にも、明らかな厭戦の色が浮かんでいた。
そして、月のある夜。
彼らは、逃げるように撤退を始めた。
「あいつらの指揮官はどこまで無能なんだ?」
思わず吐き捨てる。
本来なら、昼間に堂々と隊列を組んで引き上げるべきだ。そうされれば、こちらも迂闊に手は出せない。消耗戦をするつもりはないからだ。
――だが現実は違う。
敵陣のすべての門が開き、各隊が勝手な方向へと動き出す。
命令系統は、すでに崩壊していた。
「まさか、これほどとは」
カインが呆れたように呟く。
「それじゃ、好きに狩をしていいか?」
「早く指示をくれ。逃げてしまう!」
各軍団長が、堰を切ったように俺へ詰め寄る。
「良いか? カイン?」
「駄目です。私たちの狙いは、古井戸家の主力です。きっと、まだ敵陣地の中にいますよ」
「じゃあ、他の敵軍は逃せって言うのか?」
牙狼剣士のウルフたちが、不満を露わにする。
俺は、逃げていく敵の背を一瞥した。
砂煙の向こうへ消えていく影を見据えて――切り捨てる。
「逃げる奴は放っておけ。あれはもう獲物じゃない」
一瞬、場が静まる。
「そうです。先に陣地を飛び出したのは小狐家でしょう。あの連中は動きが早い。散れば、捕まえるのにも苦労します」
敵は軍旗を隠しているが、間違いない。小狐家の船は小型で足が速い。
「だが、俺たちだって負けていない」
「ええ。ですが、散り散りになった相手を追えば、こちらも分散します。それに――どこへ逃げるかも読めません。鉱都に戻るとも限らない。あの連中は商人ですから」
散れば終わりだ。利を見て動く連中は、戦場に縛られない。
「……」
一瞬の沈黙。
「ここは、戦争を始めた古井戸家と勝負しましょう。シャーヒナを殺そうとした奴らを」
その一言で、ウルフたちの目の色が変わった。
小狐家は、古井戸家に乗せられて戦っているに過ぎない。長引けば長引くほど赤字が増える、旨みのない戦だ。
だが――古井戸家は違う。
「兵数差は、依然大きいが……勝算はあるのか?」
「はい。それに奴らを無事に鉱都へ帰せば、また必ず攻めてきます」
「だったら――」
俺は、軍団長たちの顔を見渡した。
そして、静かに言い切る。
「古井戸家の本隊を壊滅させる」
その言葉に、誰一人として異を唱えなかった。
「古井戸家が隊列を組み直す前に、敵陣へ攻め入る!」
一斉に頷きが返る。
そこにあったのは迷いではない。選ばれた獲物を仕留めると決めた者の、鋭い目だった。
※
俺たちは、全軍で敵陣に進軍した。静かな月明かりの下だ。
いくら静かに移動しても、音は漏れるし、姿も見える。遮るもののない砂漠だ。本来なら、接近する前に気づかれている。
――だが、敵は違った。
「監視塔にすら、人がいない」
「……撤退の準備に夢中のようだな」
姿も音も隠せてはいない。それでも、誰一人、外に意識を向けていない。
理由は明らかだった。
逃亡した軍と戦闘が起きなかったこと。
そして――灯火に照らされた陣地での宴だ。
「全軍攻撃開始!」
俺とファーリス、チェンの主力三軍で突入する。
「今度は遅れをとらないぞ!」
「待て、トルサン、これは集団戦だぞ」
副団長をやっているワッドに注意される。
「ああ、悪い。じゃあ、俺の後ろをついて来い!」
俺たちの狙いは、敵軍の大将。古井戸家の当主だ。
「わかってるのか? 生かして捕えるんだ?」
「ははは、その予定だ。キツく言われているからな!」
それに即死じゃなければ俺が死なせない。
敵は、混乱に陥った。
不用意に陣地から飛び出したものは、残りの三軍の餌食になる。
古井戸家の当主。
その顔を知っているのは、カインだけだ。
ワッドに守られて、ついて来ている。
「どこにいるだろう?」
「それなら敵兵に聞けばわかるさ。ファーリスは聞いて進んで行ったよ」
敵兵の中には、剣士を引退して古井戸家に雇われているものがいる。その中の多くは俺たちに同情的だ。俺たちと本気で敵対する者も少ない。
「何だって、先を急ごう!」
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