最後の勝鬨
砂と見紛う褐色の奥に、じわじわと赤い光が灯っていく。
グルルルル……
地を這うような、低く重たい唸り。
地面がかすかに震える。
巨蛇が、身をうねらせながら、とぐろを巻き始めた。
風が砂を巻き上げ、周囲を霞ませる。
まるで嵐の予兆だった。
「下がれっ!」
俺の叫びよりも早く、巨蛇の尾が唸りを上げて振るわれた。
ブォッ――ンッ! ドゴォンッ! ズザザザザッ!
兵たちが吹き飛び、岩壁に激突して、崩れるように倒れ込む。
俺の小隊の一人が宙を舞い、地面に転がった音が骨を砕くように響いた。
俺が助けに駆け出したその瞬間――
尾の先、不気味な毒針が視界に映る。
針は一本ではなかった。先端が割れ、何本もの細い影が、キィィィンと光を帯びてしなり――
ピシュッ! ピシュッ! ピシュッ!
音もなく、鋭い針が空気を裂いた。
「うっ……ぐあっ!」「がはっ――!」ズブリ パシュッ! ゴフッ……!
俺は全身で出来るだけ、針を受け止めるが、すり抜ける針も少なからずある。俺の鎧は安物だ。
そして地面に倒れた者の口元から、紫色に変色した泡が滲み、目から光が消えていく。
そのとき、巨蛇が完全にとぐろを巻き終えた。
中心に鎮座する頭部が、ゆっくりとこちらを見据える。
六つの瞳が、一斉に瞬きもせず、こちらを射抜いた。
どこか人間じみた冷酷さと、底知れぬ獰猛さが混ざり合った目。
まるで心の奥底まで見透かすように、じっと俺を捉えていた。
蛇の瞳が、語りかけてくる。
――貴様ら、全員、喰らい尽くしてやる。
俺は剣を高く掲げた。
「怯むな! 一歩も退くな! 隙を突け!」
声が、砂漠に反響する。
巨蛇の首が、ゆらりと揺れる。
牙を剥き、獲物が近づくのを待つように。
戦いは、始まったばかりだった。
膨大な生命力と生命力のぶつかり合いだ――互いに削れど、尽きる気配がない。
俺に刺さった毒は、あっという間に中和されたが、巨蛇も、俺の剣によって凹んだ頭蓋が元に戻りつつある。
骨が軋み、肉が盛り上がる音さえ聞こえる。その音は不快なほど生々しく、耳にまとわりついた。
「こいつは、治癒の能力も持っているのか……面白い」
負ける気はしない。だが、他の二組に遅れも取りたくない――無駄に時間をかける理由もない。長引けば、それだけ味方の消耗も増える。
アジ=サハラは、俺しか見ていない。視線は一瞬たりとも逸れない。その執着は、むしろ好都合だ。だがそれほど甘くは無かった。
他の兵士たちでは攻めきれず、毒針に刺され、尻尾に捕まり壁にぶつけられるだけだ。鈍い衝突音が闘技場に響く。骨が折れる乾いた音が混じった気がした。
「下がれ! カインの指示に従え! 無理に前に出るな!」
狭い闘技場。そう考えた瞬間、戦い方が浮かんだ――逃げ場は、与えなければいい。
こいつの利点は“動けること”だ。なら、動けなくする。
俺は、巨人族の剣で、横薙ぎに巨蛇をはらう。風を裂く一撃。空気そのものが悲鳴を上げたように震えた。奴はその剣を避けようと地に伏せる。
「じゃあ、捕まえるだけだ」
巨蛇は、俺に掴まれるのを避けて地下に潜ろうとする。だが、奴の長い体躯が見えなくなることは無かった。
ほんの一瞬、尾の動きが遅れた――その隙は見逃さない。
「お前は潜りたいだろうが、そうはいかない」
両手で俺はしっかりと、蛇を掴むと振り回し始めたからだ。遠心力に任せ、容赦なく。握った感触は重く、だが確かに“掴めている”。
壁にぶつかりながら、巨蛇がクルクルと回る。鱗が取れ、肉が裂け、血が飛び散る。空気が鉄臭く染まっていく。
――だが。
一瞬、尾がしなり、俺の腕に巻きつこうとした。締め上げられれば、さすがに面倒だ。俺は力任せに振り抜き、叩きつける。
「これじゃあ壁が先に壊れてしまうな」
石壁に亀裂が走る。観客席からどよめきが上がった気がした。
俺は諦めて、空に放り投げた。天井すれすれまで打ち上げる。重力すら一瞬忘れたかのように、巨体が浮かぶ。
急加速で落ちてくるが、奴は俺に咬みつこうと口を開ける。再生は間に合っているらしい。牙の隙間から、まだ新しい肉が蠢いていた。
「それを待っていたんだよ」
俺は手に持った巨人族の大剣を、アジ=サハラの口の中に投げ込んだ。一直線に、喉奥へ。
体を振って避けようとするが、巨蛇の頭は左右にすら動かず、口も閉じられない。さらに、苦しげに瞼を閉じている。見えない力に縫い止められたかのように。
その頭の周囲には、魔力の残滓が漂っている。風が渦を巻いているのがわかる。空気そのものが檻になっていた。
サーミヤの笑い声が聞こえる。
声のする方角――壁の上にいる彼女を見つけると、サーミヤは笑みを浮かべていた。余裕すら感じさせる笑みだ。彼女の魔法だ。
口の中に吸い込まれた剣は、体内を切り進んでいく。抵抗を裂きながら、奥へ奥へと。内側から破壊し、口から血を吐く。
ドシャ
「おいおい、俺の剣を返せよ!」
地面には、奴の口から出た大量の血が広がっている。鉄臭い匂いが立ち込める。視界の端で兵士たちが後ずさる。
だが、この蛇は恐ろしい速さで治癒していく。裂けた肉が泡立つように盛り上がり、閉じていく。
――だが、今の一撃。
確かに“違和感”があった。
俺は、再び、空へ放り投げた。蛇の体に取り残されていた剣が先に落ちてくる。
目を凝らす。再生の速さに“ムラ”がある。尾の一部だけ、明らかに遅い。鱗の色も、わずかに鈍い。
もう一度だ。今度は、確実に。
「サーミヤ、少し傾けてくれ! そこだ!」
再び投げた俺の剣は、わずかに硬さを欠いた尻尾から飛び出した。肉を裂く感触が、他と違う。そこだけが、明らかに脆い。
再び地面に叩きつけられるアジ=サハラだが、その眼に力が無く、急激に衰えているのがわかる。そこは、蛇にとって弱点だったらしい。再生も追いついていない。
「なんだ、そんなことか」
動きの弱った蛇の尻尾を持って切り離すことにする。その間も、奴の毒針は俺を刺す。だが、俺には意味がない。皮膚の下で毒が弾かれる感覚だけが残る。
「逃す訳ないだろう」
蛇はくるりと、俺に顔を向ける。最後の抵抗だ。だが、その動きはすでに鈍い。
俺は剣で、奴の頭を叩く。諦めず何度でも襲ってくるが、余裕のない攻撃は簡単に撃退できる。力も速度も、明らかに落ちている。
全身に、奴の血を浴びながら、尻尾を本体から切り離す。断ち切った感触が手に残る。骨が砕け、繋がりが断たれる確かな手応え。
「回復も追いつかないだろうな。今だ。全員でかかれ!」
動きを止めるのは俺の役目だ。
剣に叩かれて凹んだ巨蛇の頭。ぐったりして、動かないその口に剣を脳に向けて突き刺す。刃が沈み込む。抵抗が消える。
闘技場に出てきた剣闘士が一斉に攻撃を始める。毒が無く、動きが鈍れば奴らでも戦える。
やがて、睨んでいた六つの目から色が消えていく。光が抜け落ちるように。
だが、残念なことがあった。
勝鬨をあげたのは、三組中で最も遅かったのだ。




